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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
記憶追悼―由宇麻―
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麦畑の少年(10)

「どうして!どうしてよ!!竜士(りゅうし)!!!!」



静歌(しずか)

ごめん。


歌奈(うたな)

ごめん。



この―

人殺し!!!!!!





「加賀龍士…龍士!」

名前を呼ぶのは今ではもう先輩しかいない。

「…佐藤さん…急患ですか?」

加賀は重い体を起こすとぼやける佐藤の顔を見上げた。

由宇麻(ゆうま)!由宇麻君だよ!!」





「由宇麻、帰るの!」

由宇麻君のお母さんが突然由宇麻君を退院させるって。

「いや!帰らない!」

嫌がる由宇麻君を無理矢理…。

司野(しの)さん、由宇麻君の気持ちも考えて―」

「煩いわ!私は由宇麻の母親よ!?他人の家族に口出さないでくれるかしら?」

保護者の決定に俺達は文句が言えない。

だけど…

「ぼくは帰らない!!」

「誰があんたをここに入院させてると思ってるの!」

由宇麻君を自宅になんて危険すぎるだろ?

「加賀先生のいるここに居たいんだ!!」

お前が傍にいないと由宇麻君が何を仕出かすか分からない。

「由宇麻!!!!!!」



「司野さん!」

加賀が由宇麻の病室に駆け込んだ時だった。加賀の目の前で由宇麻は点滴ごと床に崩れる。

ガシャン!

「由宇麻君!!」

(はた)が血相変えて由宇麻を起こした。ふらつく脚で由宇麻はどうにか立つと加賀の姿を見付けてその胸に飛び込む。

「由宇麻君…」

「ふぇっ…ぐすっ…」

頬に生々しい平手打ちの痕を遺した由宇麻は泣くのを堪えて堅く唇を結んでいた。

「加賀先生、その子に言ってやって下さい!由宇麻は連れて帰ります!!」

びくっ。

震えてる…

由宇麻の母親、美恵子(みえこ)は由宇麻を後ろから抱き上げる。

由宇麻の歪んだ顔が加賀より高くなり、

「…せん…せっ…」

絶望した顔。

畑は耐えられなくて目を逸らした。

「帰るの。由宇麻はお母さんと新しいお父さんと暮らすのよ」

両親と暮らすのは由宇麻の望みだ。

しかし、新しいお父さんは知らない。

「ふぇっ…やぁ……やぁ…」

溢れるのは涙。

由宇麻の目尻から零れ、顎を伝って落ちる。

「う…ぁあ!!!!うあぁぁ!!!!」

そして、彼は号泣した。

それは階下にまでも聞こえるのではと思うほど。

「由宇麻!静かにしなさい!!」

恥を掻いたと言うように頬を赤くした美恵子は由宇麻の口を塞いだ。

「うぐ…っ」

「司野さん!」

加賀は美恵子の手を取る。美恵子はマスカラの塗られた睫毛をしばたかせると加賀の手を振り払った。

「何するんですか!」

神経質なキンキン声。

加賀は言い返す。

「泣いている人の口を塞いで無理に止めるのは心臓に悪いんです!由宇麻君の心臓のことを考えてください!」

ぐらっ。

加賀に凭れる由宇麻。

「由宇麻君!!」

「苦しっ…い…」

腕から伝わる異常な震え。

「畑さん!」

「はい!!」

ベッドの毛布を畑は手早く取り、加賀は由宇麻を横たえさせシャツをはだけた。開いた口から息が荒々しく出入りする。

「由宇麻っ」

「司野さんを外に」

青くなりわなわなと震える美恵子を佐藤がそっと外に連れ出した。

「由宇麻君、落ち着いて」

汗でぐっしょりと濡れた体を拭きながら加賀は必死に呼ぶ。


生きて、由宇麻君!




意識の取り戻した由宇麻を看ずに美恵子は帰った。





「由宇麻君、林檎食べる?」

兎に似せた林檎。

「……………………いらない」

姫野(ひめの)の桜の髪飾りを胸に抱いた由宇麻は加賀に背を向けて芝桜を見詰める。

「ここのところ全然ご飯食べてないでしょ?昨夜なんか味噌汁しか…」

「お腹空いてない」

「由宇麻君のはたとえお腹が空いてなくても、その日、その日に食べ切れる量のご飯なんだ」

「……………」

何も言わない。

「由宇麻君!おねが―」

「煩い!!出てってよ!!!!」

由宇麻の悲鳴にも似た声。

加賀はぐっと圧し留まった。

「ほっといて!!!!」

バンッと出会った頃と同じ様に踵でベッドを叩いた由宇麻は叫ぶ。

暫くして、折り畳み式の果物ナイフをポケットに仕舞った加賀は頭を抱えて踞る由宇麻をじっと見詰めて席を立った。

「林檎、置いとくね。ナースコール押してくれたら、いつでも僕が来るから」

乱れた布団をそっと掛け直して病室を出る。

由宇麻の圧し殺したぐずりが出る瞬間に聞こえた気がした。




「龍士、落ち込むなって」

佐藤は診察を終えて休憩室に戻ると、俯く加賀の近くにブラックコーヒーを置いた。

「落ち込んでません。ただ…」

加賀はコーヒーの紙コップを両手で包み込んで否定する。

「ただ、なんだ?」

「私…バツイチなんですよ」

「マジか」

佐藤は遠い目をした。

俺はバツイチどころじゃないけどな。

冷える空気を予想して、彼は最後に少し暖めた。


「私、娘がいたんです」

名前は加賀歌奈。

私と静歌の最初で最後の愛娘。

「成功率は30%。これを言い訳にはしたくないけど、手術の成功率は低かった。妻は私に…娘にはもう手術しかない。貴方がいるならきっと大丈夫ね。そう言われました」

とても残酷な言葉。

「………」

その先が分かる気がして佐藤が息を呑む。

「失敗です。娘は7歳でこの世を去りました」

僅か7歳。

加賀は淡々と話し続けた。

「テレビを見ている時、風呂に入っている時、食事している時、ふと気を抜くと妻の声が鮮明に甦るんです。どうして、どうしてよ龍士。この人殺し。と…」

静歌は私の顔を見ると泣き腫らした顔で私の肩を掴み、強く揺さぶった。他の先生や看護師がいる中で彼女は人殺しと叫び、私を張り倒して実家に帰った。

「数日後、酒に溺れていた私のもとに離婚届と1枚の封書が届いたんです。離婚届には私と妻の名前…封書には……」

罵倒。

離婚届の簡単な説明と残りは罵倒だけだった。

「あの人達の顔…気遣うような仕草が逆に厭で…いっそ、誰かに責め立てられたかった。じゃないと…妻の言葉が…妻の目が…私を蝕む……」

鎮静剤の瓶をポケットから取り出して中のものを加賀は口に入れた。

「こうしないと駄目なんです。だから…私は…姐さんの親友である院長の佐木(さき)さんの計らいで姐さんの勤めていた周防に転勤しました。私は逃げたんです…」

彼処には居たくないから。

「違うのに…私は由宇麻君に私の過去を重ねたんです」

佐藤はただただ頷いた。

「どうやら私は馴れ馴れし過ぎたのかもしれません。自分がされて嫌なことは他の人にはしてはいけない。私は由宇麻君に自分がされて嫌なことをしてしまったようです」

「龍士は馴れ馴れし過ぎてない。由宇麻君はまだ幼いんだ。整理には時間が掛かる。たっぷり時間を与えてやろう。な?」

佐藤の肩を叩く手を加賀ははい。と頷いて受け入れた。

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