夢の終わり
「あ、陽季さん。洸祈はまだ部屋ですか?」
葵はパーティー会場に入って来た着物姿の陽季を見付けて近寄った。
「うん。一眠りするから陽季はパーティーに行って来なよって言われてね」
「そうですか。サプライズで誕生日のケーキ用意してあるんですよね」
パーティー会場には溢れる程の食べ物があり、様々なケーキもある。しかし、それとは別に千里が中心となって葵と洸祈の誕生日を祝うケーキが用意されていた。
教会での結婚式のあと、結婚式の参加者達は自家用車やタクシーでホテルに移動し、パーティー会場で好きに楽しんでいた。夜の7時まで貸し切り状態で、出入りは自由。
各々にホテルの部屋も取ってあり、休んだり、着替えることも出来る。
披露宴と言うよりは大規模な忘年会だ。
「多分、小一時間すれば起きると思うよ。ぐったりって訳じゃないし。緊張で余分に体力使っちゃっただけだから」
「分かりました。ありがとうございます」
葵は陽季に頭を下げるが、陽季は葵の感謝の理由が分からなくて首を傾げた。しかし、陽季が理由を訊く前に葵は会場の奥へと歩いて行った。
「陽季君、童顔君見なかったかい?」
「司野さん?」
蘭さんに飲み比べを強要されかけて逃げてきた俺はワイン片手に数種のナチュラルチーズの食べ比べをしていた。
どれも味に個性があって楽しいのだ。
「そう」
二之宮が俺の向かいに車椅子を移動させて言う。
董子さんは蘭さん達のところ。遊杏ちゃんは琉雨ちゃんと一緒に煉葉さんのところだ。
司野さんはぱっと見、ここにいない。
「俺が部屋からここに来る時にエントランスホールで見たけど。でも、30分くらい前だからなぁ」
「エントランスで……部屋か外か」
フォーク用の籠から未使用フォークを持った二之宮は、俺が皿に取って来たブロックのチーズをブスッと刺し、ばくりと口に入れた。「美味しい」と咀嚼してから頷く。
「司野さんを探してんの?一緒に探そうか?」
「君は主役でしょ」
「暫くしたら、もう一人の主役の様子を見に行こうかと思ってたとこだし」
あと、30分くらいで洸祈が眠って1時間になる。
サプライズもあるようだし、洸祈の様子はちょくちょく見ておきたい。
「先ずはエントランスで聴き込みだな」
俺はワインを飲み干し、残りのチーズを口に掻き込んだ。
……混ぜるとまた独特の味に。
そして、「じゃあ、頼もうかな」と言った二之宮の車椅子のグリップを握った。
「ところで、何で司野さん探してんの?」
「積もりそうな話を積もる前にしようかなと思っただけ」
積もった後では駄目なのか。
司野さんは部屋の鍵をフロントに預けており、序でに中庭への道を訊いてきたという情報も得た為、俺達は外へ出ることにした。
と、その時、フロントの男が膝掛けを二之宮に渡してきた。「他人が使ったやつ?」と二之宮がぼそっと言ったのが聞こえたのか、フロントの男は「洗濯済みでビニール包装されていたものですよ」と微笑んだ。
どんな苦情も笑顔対応。
日本のサービスは高品質と言われる訳だ。
「なら借りるよ。ありがとう」と二之宮は言い、実際には外の冷風に晒された瞬間に、彼は膝掛けを抱き締めていた。
「中庭に何の用だったんだろ」
「日本庭園じゃないの?わざわざ人工雪も降らせてるらしいし。って部屋にあったパンフレットに書いてあった」
「そうなのか。東京で雪景色なら見たくなるな」
中庭は外の喧騒とは隔離され、独特の空間が出来ていた。上手く光が入ってきており、明るい。
周囲がガラス張りな為、建物側からでも中庭が見えるようになっているが、建物側に人通りはなかった。規模も大きく、人の出入りも多いホテルだが、スタッフ専用のエリアとかだろうか。
中庭には遊歩道とベンチがあり、池、松、芝、灯籠、鯉。赤い橋が。
中庭のど真ん中にいかにもな日本庭園があった。
かつ、中庭全体に薄く雪が積もっていた。
「おや、彼が居たよ」
司野さんは遊歩道のベンチに一人で座ってぼーっと日本庭園を眺めていた。
ジャンパーにズボン、スニーカーでぼんやり。仕事でやらかしてズル休みをするけど、したいこともないおじさんみたいな……。
それにしても、エントランスで見掛けて以来、彼はずっとここで冬の和に浸っていたのだろうか。
「由宇麻君、隣座っても?」
「どないしたん?パーティーは?特に陽季君は主役やろ?」
「パーティーはただの忘年会ですよ。皆が主役ですから。司野さんは?」
俺は車椅子をベンチに寄せ、二之宮を司野さんの隣に座らせた。
「俺は冷たい風に当たりたくなったんや。パンフに載ってた中庭も見てみたかったし。静かでええところやろ?」
「そっか。でも、手とか冷えきってるよ」
二之宮は司野さんの手を自分の両手に包みながら庭園を眺める。
苦労人の夫の隣に黙って座る妻みたいな構図……二之宮に怒られるな。
「陽季君、崇弥ももう直ぐパーティーに顔出すんだろう?」
「ああ。もう直ぐで起きると思うから。司野さんいなかったら悲しむと思う」
「…………今日はおめでとうな」
不意に司野さんが二之宮を挟んでベンチに座る俺に笑い掛けてきた。
しかし、笑ったのは司野さんの口だけ。
どうして司野さんはそんなに悲しそうに笑うんだ。
「由宇麻君、君は今、別に誰かに言いたいことでもないが、自分一人で考えてみても結局同じ考えに行き着く。ループしている――なんてことがあるんじゃない?」
「え?」
「僕達に吐露したって損はないよ。得もないかもだけど。……取り敢えず、君がホテルに戻るきっかけにはなるかもね」
積もりそうな話、か。
それが司野さんが悲しそうに笑う原因なのか?
司野さんは暫く二之宮の横顔を見、自分の手を温める二之宮の手を見下ろした。
「きっと、慎さんは崇弥の結婚式を見たかったんやろうなって。父親やから当然やけど……」
「君も崇弥の父親だ」
「……崇弥もきっと……慎さんとお母さんに……本当のお父さんとお母さんに見守って欲しかったんやろうなって」
司野さんの言いたいことが分かった気がした。
「君にも見守って欲しかったから崇弥は君を招待したんだ。確かに、血縁上の両親にも見守って欲しかっただろう。だけど、崇弥は君にも見守って欲しかったんだ」
俺も二之宮の意見に同意だった。
俺だって出来ることなら父さんと母さんにも見守って欲しかった。天国から見守ってくれてるとかではなく、肉体を持ち、触れる存在としての両親に。
だけど、無理だから。
無理だけど、父さんと母さんは天国から俺達の結婚式を見守ってくれたと信じている。
そして、同じように司野さんにも見守って欲しかった。
俺と洸祈が辛い時にいつもいてくれた司野さんにも。
正直に言うが、両親にも、司野さんにも、二之宮にも、俺は招待した人全員に対して同等量の想いで見守って欲しいと思ったのだ。
想いに“量”なんてないのかもしれないが、招待した人に対する「結婚式に来て欲しい」と言う気持ちは同じなのだ。上も下もない。
「…………蓮君、それは尤もや。せやからループしてるんやで」
その言い方はまるで、二之宮の言い分が気に食わない……そう言うことなんじゃないのか?
司野さんは「ははっ」と空笑いをして、二之宮の両手から自分の手を抜いた。そして、ジャンパーのポケットに両手を突っ込む。
「由宇麻君……君は……」
二之宮は司野さんの反応の意味を理解しているようだった。
立ち上がった司野さんも二之宮に微笑み掛ける。
それはプラスの感情ではなく、マイナスの感情から来る笑み。
他人を煽る笑みだ。
司野さんらしくない笑み。
その時、二之宮の隣の俺を見た司野さんは、
「陽季君、俺は君が思うような人間やないで」
と言った。
俺は咄嗟に驚きで開いていた口を閉じた。何となくだが、司野さんに俺の動揺を見せるわけにはいかないと思ったのだ。
「蓮君にはバレとるけど、俺は欲の塊や。俺の願いはな」
司野さんの願いは?
「家族が欲しい。父親になりたい」
自虐的笑み。
司野さんらしい笑み。
「その為なら今ある家族だって壊す」
司野さんはそれだけ言うと、ジャンパーの帽子を被り、足早に俺達の前を通っていた。
俺は何も言えなかった。
「二之宮……俺…………ごめん……」
俺は積もりそうな話を積もる前に話そうとした二之宮の邪魔をした。
俺がいなければ、まだ司野さんは二之宮と腹を割って話し合えていたかもしれないのに。
「謝らなくていいんだよ。彼は他人の思い描く司野由宇麻の像と自分自身とのギャップにずっと苦しんできた。自分は他人が思うような良い人じゃない、と。だけどね――」
二之宮はベンチに凭れて天を見上げた。
彼の金髪が風にふわふわと揺れる。
「皆、そうじゃないの」
白く曇った吐息が現れては消えた。
「自分の醜い部分は見せたくない。極普通じゃないか。だけど、自分の汚いところを隠せば隠す程、誰かと関わって行くのが辛くなる」
「自分を偽って付き合うのは疲れるな」
そして、俺は二之宮の助言通りに洸祈に「嫌い」と言った。
俺達の場合、自分から自分の醜いところを晒け出したと言うよりは、自分から相手の醜いところを指摘した。指摘した上でそれでも好きなことを伝えた。
出来ることならもう「嫌い」とは言いたくないのが本音だが。
「由宇麻君は真面目で優しいからね、皆の考える司野由宇麻をどうしても壊したくないんだ。だからこそ、僕ぐらいは彼の本心を知ったかぶって、『僕は由宇麻君の醜いところも知っている。だから、せめて僕の前では苦しまないで欲しい』と伝えたかったんだ」
「だけど、警戒心を解くまでにはまだ早かったかな」と二之宮は肩をすくめた。
やっぱり、二之宮の話を聞けば聞くほど、俺がいなかった方が二之宮の作戦の成功率が高くなっていたような気がするが。
「さて、由宇麻君は部屋かな。あんなに体を冷やしていたのにまだ外をうろうろしている、なんてことになっていなければいいけど」
「またフロントに聞くか?」
「そうだね」
まぁ、仮に聞いたところで「まだ外出中です」と言う返事だった場合の解決案はないのだが。
今はそっとしておく他ない。
「俺も司野さんに表も裏も見せてもらえる人間になれるかな」
「嫌いって言ってみる?」
「それは言わねぇよ」
洸祈じゃないんだから。
「君はそのままでいれば、いつかはそういう人間になれると思うよ。割りと本気でそう思ってる」
二之宮に割りと本気で言われると照れる。
だから俺は二之宮の顔を見ないように必死に池の鯉に目を凝らした。
「…………うにゃ……お腹空いた……」
まだ眠気があるような。
でもお腹がくるくると鳴いている。
パーティー会場に行けば飲食し放題だし。
だけど、まだ目を瞑っていたい気持ちがない訳じゃない。
でもでも、陽季もパーティーに出てるし……。
「起きる……起きろ……起きる…………」
あ、薬指に指輪の感触だ。
嬉しいな。
結婚したんだ。
もう堂々と指に指輪はめてていいんだ。
あ……分家に見られたら追及されるかな。分家恐いからなぁ。
いや、俺は陽季が好きだから指輪を見せびらかすぞ。
決めたから。
パーティー会場に行って指輪を見せびらかすから。
コンコン。
「はる?」
俺を起こしに来てくれた?
コンコン。
「今開けるから」
俺は寒気を感じながらベッドを降り、ドアノブを回した。
「はる、パーティーに行く――」
陽季じゃない。
スーツの男が5名。いや、7だ。隠れているつもりの奴が2人いる。
パーカーにジーンズで良かった。素っ裸にローブじゃなくて……じゃない。
「…………俺に喧嘩売りに来たわけ?」
「我々は貴方と交渉しに来ました」
……何言ってんの?
「まずあんたらが俺と交渉出来る立場にいると思ってんの?」
俺が結婚した日に、めでたい日にぞろぞろとやって来て、覚悟してんのか?
しかし、
「ええ。寧ろ、貴方に交渉の余地はないのですが、穏便にことを進めたいと思っていまして」
と、ボスらしき柔和な顔の優男は丁寧に言った。