新たな出発(4)
「こんばんは、陽季さん」
「遅くなのに本当にありがとう、葵君」
「いえいえ。洸祈の緊張を解してあげてください。少し――」
肩をすくめ、眉をハの字にさせた葵君。
彼は俺の為に道を開けると、
「――鬱になってるので」
と、言った。
12月27日22時00分。
洸祈は鬱らしい。
明日に迫った俺と洸祈の結婚式。
クリスマス公演の合間に洸祈と結婚式の段取りは何度も確認した。
と言っても、俺達の結婚式は教会での誓いの言葉と指輪交換がメインで他はホテルで忘年会を兼ねたパーティーを行う予定だ。だから、さして確認することもないのだが、洸祈がやたらと電話をねだるのだ。
掛け放題にしている以上、恋人のお願いは少しでも叶えたく……おはようとおやすみを含め、クリスマス公演中も毎日3時間ぐらいは電話をしていた。ちょっと寝不足なのは秘密だ。
が、洸祈は着実に鬱になっていたらしい。
電話口では「はるはドレスだからー」とかくだらないことを言っていたのに。
洸祈の隣部屋の千里君がドアからひょっこり顔を出して見ている中、俺は洸祈の部屋のドアをノックした。
「洸祈、陽季だよ」
葵君曰く、今日も洸祈は夕食の後から自室に籠りっきりとのこと。
4日前からこうらしい。
部屋から返事も唸りもイビキも聞こえない。
ドアの隙間からも薄く室内の光が見えており、部屋の灯りが付いているならば寝ているとも思えないが。
しかし、さっきも用心屋から閉め出しを食らわないように会いに行くことを洸祈にメールしたが返事は来ず。寝ちゃっているのかもと、葵君にメールをして開けてもらったのだ。
もしかしたら、寝てるのかも。
「洸が弱気なこと言っても真に受けなくていいと思うよ」
「え?」
千里君が頭を揺らしながらそんなことを言う。
弱気なことって?
「どーせ、結婚やっぱり辞めるだから」
……そんな怖いことを言わないで。
「勝手に開けていいよ。てか、自分からは開けないから」
「そうなら……」
ゆらゆらと揺れる千里君の髪の束を見、俺は覚悟をしてから洸祈の部屋のドアをそっと開けた。
「やっぱ結婚辞める!」
「え…………」
久し振りに出会って早々、開口一番にこれだ。
ベッドの上で毛布をかまくらのようにして被る洸祈は俺と目が合うや否やそう叫んだ。
「何言って……」
明日だよ?
楽しみにしてた結婚式だよ?
用心屋の皆にも宣言したんでしょ?物凄い形相で「結婚したい!」って言ってたじゃん!?
「結婚辞める!」
2回も言わなくていいから。
“幼女の追っかけ辞める”の言い間違いじゃなかったの?
辞めるの?
結婚辞めるの!?
「何で!?」
思わず聞き返せば、
「……………………」
必死な顔を真顔に戻し、何も言わずにもそもそと……かまくらの入り口を閉じた。
ヤバい。
本気で洸祈の心が読めないんだが。
「…………さて、どうするか……」
取り敢えず、状況を整理しようかな。
俺はカタツムリになった洸祈をリラックスさせるべく、ベッドに腰掛け、彼の背中辺りを優しく撫でた。
「洸祈、不安になって薬飲んだりした?」
「…………飲んだ。机の奴」
机を見れば、処方箋が。
精神安定剤みたいだ。
「いつ?」
「…………夕方ぐらい」
まだ効果は効いているのだろうか。
酷い時と比べれば、受け答えしてくれるだけマシになっているが。
「結婚のこと考えると辛くなるの?」
「……ムカムカ……胃もたれ……むしゃくしゃ……胃もたれ……イライラ……胃もたれ……良く分かんない」
胃もたれっぽい感じか。
良く分からないな、それは。
「明日の結婚式……絶対にやりたくない?」
「……やり……たい……でも胃もたれ……」
掠れた声で小さく喋る洸祈。
しかし、洸祈の口からはっきりと“やりたい”と言われたのは嬉しかった。
一先ず安心できる。
逆に、“絶対にやりたくない”と言われていたら俺も鬱になっていた。そして、双灯の脛を蹴ってから部屋に引きこもる。
「教会の方は数時間だよ?後のパーティーは部屋で休んでてもいいし。その時は俺も付き添うから。撫でてあげるから。皆は俺達がいなくても勝手にどんちゃん騒ぎするだろうし」
「…………結婚式のこと考えると……苦しくなる……喉が……苦しい……」
「はっはっ」と荒い吐息が台詞の合間に聞こえ、洸祈が毛布の中でより小さく丸くなるのを手のひらで感じた。
苦しそうだ。
「きっと……失敗する……俺のせいで……はる……困らせる……苦しい……」
葵君も言っていたが、洸祈は多分、不安で緊張している。
俺が直ぐ傍にいて一杯撫でていても擦り寄って来ないぐらい、今の洸祈は一杯一杯なのだ。それでも、頑張って耐えようとしている。
「洸祈、俺達の結婚式に失敗なんてないよ」
俺の焦りを洸祈に伝えないように冷静にを心掛けて、俺は洸祈の背中をひたすら撫でる。
俺まで不安になったら洸祈は益々悪化するだろうから。
「失敗する……」
「お前が泣いても喚いても怒ってもしゃがんじゃっても転んじゃっても、俺がちゃんと洸祈の薬指に指輪をはめてあげるから。頭の中真っ白になっちゃっても俺が誓いのキス強引にするから。誓いの言葉は鼻息から代用可だ」
ずびっと毛布の中で鼻を啜る音がした。
「何が起きたって皆は俺達の結婚を拍手で祝ってくれるよ」
「……俺……俺……俺ぇ……」
ぐずっ、ずびっ、ずずず……泣いちゃったみたいだ。
そして、千里君と葵君がドアを開けて俺達を静かに観察している。
「ほら、林太郎君だよ」
タンスの上から兎のぬいぐるみの林太郎君と雀のぬいぐるみの慎太郎、犬のぬいぐるみの陽太郎を手に取った俺は、アニマルセラピーの第一陣として林太郎を毛布の中に滑り込ませた。洸祈の精神世界に入り込んだ時も林太郎がいたから、思い入れが深いぬいぐるみのはず。
手を入れると、毛布の中の温かい空気を感じた。
そして、洸祈が林太郎を引っ張っていった。
「林たろ……林太郎…………慎たろぉぉぉ……」
慎太郎もお呼びらしいので、雀のぬいぐるみも毛布の中に入れる。が、それも直ぐに毛布の奥へと吸い込まれていった。
まるでブラックホールだな。
「はる……」
陽太郎もお呼びかな?
犬のぬいぐるみは洸祈が知り合った医者の元カノからのプレゼントらしいけど、そんなのに俺の名前ってどうなんだろう。
俺の名前を使って貰えるだけ愛されている証拠かもしれないけど。
「わんわん。陽太郎だよー。洸祈君、お邪魔するねー」
などと言ってみてから、犬の頭を毛布に入れると、ぬいぐるみを掴まれた感覚がした。
そして、今度は俺の腕が握られる。
そのまま強く引っ張られ――え?
「陽季……やっぱり…………」
“やっぱり”?
「……やっぱり結婚する。結婚したい!」
毛布が視界の隅を横切り、俯せに倒れた俺の背中にかなりの重量が掛かる。
この重さは洸祈だ。
良く膝に乗せてあげているから分かる。
「本当?」
「うん。心配掛けた……ごめん」
「洸祈の不安がなくなることが一番だよ」
俺の顎の下に滑り込んでいた陽太郎の腹はかなり触り心地が良かった。
俺の知らない医者の元カノからのプレゼントらしいけど、なかなか良いじゃないか、陽太郎君。
「葵もちぃもごめん」
「いいの。今夜はもう休んだ方がいいよ。明日は早いんだし」
「そうそう。陽季さんといちゃこらしないで寝るんだよー」
「しないから。もう寝るし。陽季、パジャマ着て一緒に寝るぞ」
「あ……うん」
そうなんだ。
いちゃこらできないんだ。
しかし、洸祈の手が俺の背中をもみもみと押し、それがかなり気持ちかった。
いちゃこらの代わりにならなくもない。
それに何より、洸祈が考え直してくれて良かった。
結婚したい。
洸祈と結婚したい。
明日は絶対に後悔させないからね。
約束するよ、洸祈。
誰……?
『ぼくはコウキって言うんだ』
コウキ……それって俺の名前じゃ……。
『よろしく、氷羽』
“氷羽”もあいつの名前で……。
『ぼくと友達になろう』
だから、あんたは誰なんだよ……。
『氷羽!どうしてさ!どうしてなんだい!?どうして彼を――』
――殺したんだい!!!?
蓮……怒らないで。怖い顔しないで。
『怒ってないよ!何で彼を……!氷羽、一体君はどうしたんだ!?』
どうもしない。
気付いたら……気付いたら、彼が倒れていたんだ。
『気付いたらで君は彼を……コウキを殺せるのかい!?おかしいよ!!氷羽!君はおかしいよ!!』
おかしい?
……俺が?
『君達は友達だったんだろう!?』
友達……殺した。俺が。
『どうして!』
どうして?
……どうして殺した?
『どうして殺した!?』
そんなの。
――答えは簡単だ。
「誰かが言うから。コウキを殺せって。そしたら、なんか……殺してたみたい」
理由なんてない。
それが答えだ。