二之宮の依頼
「二之宮……俺、陽季と結婚するんだけどさ……」
「あっそう」
「二之宮……俺、結婚のことお前に言うの初めてのはずなんだけどさ……」
「あっそう」
「二之宮……全然驚いてないね……」
「あっそう」
「二之宮……他に何かないの?」
「ふぅ…………じゃあ崇弥、君は崇弥当主の座をどうするかも決められてないのに随分と余裕かましてるね?君、分家には結婚報告より前に、ゲイ報告しといた方が分家当主達の心臓もいくらか余裕持てるんじゃない?」
「…………終わり?」
「君が何か言えというから言ったけど、僕は君にこの質問に対する答えをさして求めていない。最終的に崇弥の名をどうしたいかは君と葵君が決めることだ。分家も僕も関係ない。それより、陽季君と結婚するって言った?そう聞こえたような聞こえなかったような」
「言ったよ。陽季と結婚する」
「あっ……そう」
蓮はティーカップを持ち上げ、唇を触れさせ、コーヒーを飲むか飲まないかのところでカチャリと小さく音をさせてカップを置いた。
そして――……
「君、頭大丈夫?」
と、蓮は心底憐れむ目付きで洸祈を見た。
小さくジャズの流れる落ち着いた雰囲気の店内。
こじんまりとしたそこは平日の昼間だからか、客は少ない。と言うより、たったの二人だけ。その二人は四方の内2つを壁に、1つを観葉植物に阻まれた隅の席に座っていた。
二人の男の内の一人は壁際のソファーにスーツにネクタイ姿で座り、もう一人は畳んだ車椅子を壁際に寄せて椅子に座っていた。
椅子に座る男はコートにマフラーと私服だ。
「君ね、いくら恋愛の最終形態が結婚だからって妄想の度が過ぎるよ。確かに、いつかは君達は本当の家族になるとは思ってた。でも、陽季君が崇弥姓になるとしても、その逆だとしても、先に君は分家を黙らせなきゃいけないんだよ?したの?するの?できるの?」
私服の男――蓮は据わった目をスーツの男に向けると、早口で畳み掛けるように言う。その吐息でテーブル中央の一輪挿しの造花が揺れた程だった。
「そっか……養子になるとかあるんだ……」
そんな蓮の言葉にスーツの男――洸祈は考える素振りを見せ、蓮はすかさず「ほら、無計画」と茶々を入れる。そして、「マスター、デザート追加いいですか?」とカウンターで優雅に本を読んでいた初老の店長兼ウエイターを呼んだ。
「でも、俺は陽季と指輪交換して誓いあってキスすんの。もう計画してるから」
「じゃあ、なにさ。服装はそれ?君はスーツで、陽季君はウエディングドレスでも着るの?」
「榎楠ウエディング行こって言ってはいるけど、はる子ちゃんはガードが堅いから」
「あ、女装彼氏?」
腕組みをし、椅子に深く腰掛ける蓮。彼は冷めた目を馬鹿真面目に語る洸祈に向けた。
「女装は余計。彼氏だって。スーツなのは二之宮とカフェテリアデートだから気合いを入れたの」
「デートじゃない。マスター、僕にはいつものラズベリー。崇弥、君は?」
「俺も“いつもの”がいい」
「二之宮さんと同じラズベリーショートですか?」
染み付いたコーヒーの匂いを漂わせるマスターは冷静に洸祈に訊ねる。蓮は「“いつもの”って言いたいだけですよ」と助言し、マスターは照れる洸祈に柔らかな微笑を向けた。
「……温かいの食べたいな」
「じゃあ、ホットケーキにしよう。ここのはケーキみたいに分厚くてふわふわなんだ。マスター、ホットケーキをお願いするよ。あと、崇弥は甘いのが苦手だから蜂蜜は分けてくれますか?」
「分かりました。では、ごゆっくり」
頭を深く下げたマスターに洸祈も両手をテーブルに乗せて頭を下げる。初めてのマスターとの交流に笑顔とにやけの中間を見せた。
「結婚ねぇ。いつ?」
「俺の誕生日。はるが、やるならお前の誕生日にって」
「分かった。空けておくよ。3人で行ってもいいかい?」
「最初から杏にも董子さんにも来て欲しかった。ありがと」
蓮はスポンジケーキの層に自家製ラズベリージャムを中心に果実をふんだんに使った生クリームコーティングのケーキを一口。
洸祈も湯気の立つホットケーキを小さく小さくフォークで切り、まず一口。
ホットケーキを味わい、目をキラキラとさせると直ぐに蜂蜜を大量に掛けた。
「招待状は書いてくれるね?」
「電話じゃ駄目?」
洸祈は大きく口を開けてホットケーキを頬張る。甘いのが苦手な質でもホットケーキと蜂蜜の魅力には勝てなかったようだ。
幸福そうに頬を押さえる。
「君ね。大きな覚悟を持って結婚するって決めたからこうして面と向かって話してるんだろう?招待状を頂戴よ。形式とかは別に求めてないから。君達の気持ちを文字として残したいんだよ。一生に一度なんだからさ」
「……そうかも……じゃあ、招待状書く。明日明後日ははるとデートだから招待状に可愛い便箋と封筒探す」
「そうだよ。準備も楽しまなきゃ」
そんな蓮の助言に洸祈も俄然やる気が出たらしく、コクりと頷いた。
「あ、そう言えば。俺、二之宮に呼ばれたんだよね?用事?」
出会い頭から洸祈が結婚宣言をした為、洸祈はすっかり忘れていたが、蓮行き付けのカフェにやって来たのは蓮が洸祈をここに呼びつけたからだ。
そもそも用事があったのは蓮。洸祈ではない。
「仕事の依頼だよ。勿論――」
「切った張ったの大仕事?やるやる。そろそろ大きな仕事しないと周りに倒産廃業穀潰しニートだと思われそうで」
「勿論、よろず屋さんに依頼だよ」
「あ…………そう。二之宮の家の掃除?杏のお守り?二之宮と添い寝?二之宮達と温泉旅行?遊園地?水族館?あ、お化け屋敷の付き添い?」
「少し近いね」
「本当!?」
洸祈の選択肢はどれも二之宮関係だ。
倒産廃業穀潰しニートまであと僅かだとしても、少し近いと言われれば、二之宮との仲を深めたいと願う洸祈は身を乗り出す。
「今週の金から日、僕の養父母の付き添いをして欲しい」
「え……あ…………あー……二之宮の養父母?」
蓮は二之宮家の養子であり、養父母がいる。しかし、洸祈は蓮の養父母の姿も声も知らない。“大好きな蓮の養い親”という感覚しか持っていないのだ。
会ったことも話したこともないが、その存在も関係性も知る人物に付き添って欲しいと言われ、感想が何一つ出てこない洸祈は勝手に開く自分の口にホットケーキを一欠片入れた。
「……美味い」
蜂蜜の甘さとホットケーキのふわふわが程好く絡む。
「そうでしょ。でね、僕の養父母、自分達の思い出の地巡りの旅行するらしくって。だけど、思い出の地の中には昔はさしてだったんだけど、今は治安の悪いとこも含まれててね。僕は別の場所にするよう言ったんだけど、絶対に行くって。心配しなくて大丈夫って。でも、心配しないとか無理でしょ?」
「うん」
「僕も一緒に旅行するかって言われたけど、ほら、僕は車椅子だ。遊杏のこととかあるから董子ちゃんには頼めないし。で、平日の金曜から暇してて悪い奴に絡まれても華麗に返り討ちにしておじさんおばさんを守ってくれる知り合いって君しかいないだろ?」
「平日から頼れる用心棒って俺くらいだしねぇ」
「そうそう。じゃあ、依頼受けてくれるね?」
コーヒーにミルクを足し、ティースプーンで片手間に混ぜる蓮。
自分のケーキを3分の1程残すと、「一先ずの依頼料だよ」と洸祈の方へ皿を寄せた。
「しょうがないなぁ」
そう言って洸祈も腕で壁を築き、懐にホットケーキとラズベリーショートを隠す。
「でも、俺なんか他人だし、邪魔じゃないか?思い出の地巡りなのに」
「僕の知り合いなら用心棒として同行させてもいい?って聞いたら、親友ならいいよって」
「今のは…………し、し、しししし、親友!?俺が親友だよね!?二之宮の親友だよね!!!!」
ばこんとテーブルを叩き、優勝トロフィーのようにフォークを掲げた洸祈。
マスターがカウンターで豆を挽きながらクスクスと笑う。そして、蓮は「静かに!!」と声を荒げた。
彼はカフェに洸祈を呼んだ者として責任を持って洸祈を指導する。
「うげっ!……ごめんなひゃい……」
「君用にホテルの部屋もちゃんと取る。交通費も食事代もお小遣いも出す。依頼料も払う。で、君はおじさんおばさんの行く先々に付いていき、見守る。不審な輩は近付かせない。いいかい?“近付かせない”だ。近付いてからじゃ遅いんだからな。二人の旅行を邪魔しそうな屑は屑籠に戻す。戻せなければ可燃ごみとして燃やせ。二人の目に汚物どもを決して見せるな。快適な旅行を提供しろ。いいね?」
「りょ……かい」
「よろしい。じゃあ、ケーキをゆっくりお食べ」
鬼の顔と天使の顔。
それらを使い分ける蓮はまず鬼の顔を洸祈に近付け、低い声で「特に僕はいかにもな不良及びヤンキーが大嫌いなんだ。見付け次第問答無用で排除しろ」と凄んだ。そして、天使の顔でにっこりと微笑みながら多量のミルクで黄土色にまで白濁したコーヒーを飲んだ。
洸祈は自分が怒られている訳ではないのに、無性に謝らなくてはいけない感情に陥りつつも、蓮の顔をなるべく見ないようにしてどうにかケーキを食べて落ち着く。
しかし、蓮におだてられている間に話がトントン拍子に進んでしまっていた洸祈は、とんだ依頼を受けてしまった――と今更そう思ったのだった。