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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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墓前の宣言(3)

洸祈(こうき)琴原(ことはら)家の屋根に登り、琉雨(るう)が洸祈と(はる)との連絡役を行い、千鶴(ちづる)(くれ)が家の中を掃除している頃。

(あおい)千里(せんり)は玄関前の雪掻きをしていた。

互いに背を向けて雪を道路の隅に寄せる二人。

千里がスコップの裏でペタペタと寄せた雪を慣らしながら背後の葵に呟いた。

「ねぇ、あお…………結婚って言ったよね?」

「うん」

「どうしよ……陽季(はるき)さんにメールしちゃ不味いよね?」

洸祈が林の墓の前で陽季と結婚する宣言をしてから2時間半。霊園からの帰り道、洸祈も誰も口を聞かなかった。

葵も千里も祝福する気持ちで一杯だったが、洸祈が琉雨の手を握って無言ですたすたと歩く為、何も言えなかったのだ。

「俺達からは……洸祈が自分のタイミングで言った方がいい」

「陽季さんはまだ知らないのかな?」

「……知らなそうだよな。お前の誕生日パーティーの時もそんな雰囲気なかったし」

「だよね…………あのさ、結婚って結婚?結婚式の結婚?」

千里は自分の左手薬指にはまる指輪を見た。

葵が誕生日プレゼントにくれたお揃いの指輪で、葵の指にもはまっている。

しかし、男女なら指輪のプレゼントはプロポーズと捉えられるが、男同士の葵と千里にとっては結婚式を挙げることと同等の意味を持つ行為と思っていた。

その為、洸祈の「結婚する」発言にいまいちピンと来ていなかった。

「普通、結婚と言えば役所に婚姻届け出すとか、結婚式を挙げるとかだけど……同性カップルは籍を入れる代わりに片方の養子に入る人もいるんだろう?」

千里のことが好きで付き合っている以上、葵も自分がゲイである自覚を持ってそれなりに調べている。

「うん。じゃあ、洸は陽季さんの家の養子になるってこと?崇弥(たかや)じゃなくて……あー……陽季さんの苗字って?」

「陽季さんは陽季さん……聞いたことないな……テレビでも「陽季」だけだし。もしかしたら、本名は別なのかも」

「でも、もしも陽季さんの方が崇弥になったら、あおのお兄ちゃん2号だ!」

素晴らしいことに気が付いたと言わんばかりの笑顔で千里が葵を振り返った。

葵も「ああー……有り得るな」と深く頷いて納得する。

「二人もお兄ちゃんいるなんていいなー。あ、僕も崇弥になったら陽季さんがお兄ちゃんだ!で、僕は1ヶ月早生まれだから、洸とあおのお兄ちゃん!弟は兄の命令に絶対なんだからなー!」

「はいはい。とにかく、洸祈と陽季さんのこと応援しような」

「勿論だよ。二人には心から幸せになって欲しいもん」

千里が手のひらを葵に向け、葵も暫しの躊躇いの後にパンと自分の手のひらで彼の手のひらを弾いた。

そして、互いに笑顔を向けた。







一通りは春の手伝いが片付き、用心屋一同は(りん)の部屋の整理をしていた。

と言っても、洸祈は琉雨の着せ替えに勤しんでいたが。

「あ、母さんの成績表発見」

本棚を見ていた葵が林の軍学校の卒業証書と一緒に3年生時の成績表を発見した。

隣にいた千里が首を伸ばして成績表を覗き込む。

「ふむふむ。平均的?」

「つまり、ちぃよりは頭が良かったと」

「“ちぃよりは”は余計なの!」

琉雨に麦わら帽子を被せた洸祈も葵の肩越しに成績表を見下ろし、千里はぷくりと頬を膨らませた。

葵はくすりと笑うと「でも、化学は千里と変わらない成績だ。きっと苦手だったんだね」と化学の成績欄に印字されたE-を指す。E-は順位としては一番下の成績だ。

「あ!あれアルバムだろ!?」

「え!?っ、洸祈!?」

洸祈が本棚にアルバムを見付けたらしく、前のめりになる。お陰様で葵の肩に洸祈の体重が掛かる。

それなりの重さに葵が眉をひそめた。

「洸祈、重いよ……っ」

「待って!取れ、取れるっ、と、れっ…………あ」

不吉な洸祈の「あ」。

葵が言い知れない何かを察して固まるが、それは無意味だった。

そして――洸祈の指がアルバムの背表紙に引っ掛かると同時に、アルバムの置かれた棚の本ごと全てが雪崩式に洸祈と葵の頭に落ちたのだった。




……………………。




「んん…………った……」

寝返りを打ったら後頭部に激痛が走った。

思わずうつ伏せになり、自分に起きたことについて考える。

確か、洸祈がのし掛かってきて、無理にアルバムを取ろうとするから――――ああ。

かなり昔にも一度似たようなことがあったっけ。

父さんの部屋の掃除を二人でしていたら洸祈が棚のこけしを……これからは洸祈と掃除をする時は常に頭の上を気にしておこう。

「葵さん、氷嚢です。ぶつけたとこに当てるといいですよ」

「春君……」

背中から声を掛けられて見上げると、春君が氷水の入ったビニール袋を手袋をした手で摘まんでいた。

「ありがとう」

氷嚢を受け取れば、彼は両手をすり合わせて炬燵の中へ。

どうやらここは母さんの部屋ではなく、居間らしい。

千里が運んでくれたのだろうか。

「うう……」

隣では洸祈が唸り、両脇には蜜柑達が陣取っていた。

どうやら、洸祈はまだ悪夢の中みたいだ。

俺は自分に掛かっていたブランケットも洸祈の体に重ねて掛けておいた。蜜柑湯タンポもあるが、洸祈は風邪引き魔神だから気を付けておかないと。

「他の皆さんはまだ部屋の整理してますよ。お二人がダウンしたので千鶴さんもそっちへ。僕はもう暫くは洸祈さんを看つつ炬燵の主をしていますので」

「そっか。じゃあ、洸祈を頼むね」

「はい」

顔を傾けて微笑み、春君は湯気の立つ緑茶を啜る。「はぁー……生き返る」と染々と呟く彼の周囲は普通よりも時がゆっくりと流れているようだった。かつ、何だか彼を見ているだけで和んでくる。

俺は彼と一緒に炬燵に入ろうかと考えが浮かんだが、整理の途中だったと思い出す。

母さんの持ち物の整理なのだ、俺か洸祈の1人くらいはいないと。

だから俺は春君に洸祈を任せて再度母さんの部屋に戻ることにした。



「葵さん、お帰りなさい。ぶつけたところは大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ」

氷嚢を見た琉雨が心配して駆け寄ってくる。

本当はかなり大きなたん瘤ができたとは言えず、俺はずきずきと来る痛みに表情を崩さないよう耐えた。

「あ、洸祈が見付けたアルバムは?」

「えっと……」

その時、一瞬だったが、琉雨が視線を逸らす。

そして、「ありますよ」と部屋の奥を指差した。

母さんの勉強机に置かれた1冊のアルバム。

洸祈が崩した本棚は千鶴さんの手によってほとんど片付いていた。

「あお、お帰り。洸のせいでホントに災難だったね」

アルバムを見ようとしたら、ティッシュケースの半分くらいの大きさの木製貯金箱を抱えた千里が近付いてきた。

「これ、中身お金じゃないみたい。ちゃりんちゃりん言わないけど重いんだ」

「開けられないのか?」

「開けるとこないんだ」

「え?」

豚さん貯金箱じゃあるまいに、落として破壊する以外の方法がありそうだが。

千里から貯金箱を受け取ると確かな重量感があった。

そして、箱は模様に似た継ぎ目が沢山ある。

これはあれだな。

「寄せ木だな」

「よせぎ?」

「からくり箱みたいなものだ。薄い板を組み合わせて作られるんだ。だから、順番通りに組まれた板を動かしていかないと開かない」

「パズルってこと?えー、僕には無理」

まぁ、千里が無理でも俺はパズルが好きだから構わないが。

「なら、俺が開けてやるよ」

「ありがと!じゃあ、他の見てるー。あ、お母さん、お化粧品があったんだ。そこら辺全然分かんないから一緒に見てよ。琉雨ちゃんが使えそうなのとかさ」

「なら先にこっち手伝ってくれる?」

「うん」

千鶴さんの隣にぴょこんと座った千里は俺が思っていた以上に千鶴さんと親密になっていて、櫻の騒動が懐かしくなる。

千里がずっと待ち焦がれてきた“お母さん”。最初はあんなに照れていたのに、今ではドラマや映画で見る母と子だ。千里は千鶴さんにほどほどに甘え、一人の女性としても気遣う。

もしも母さんが生きていたら、こんな感じなのだろうか。

「あの、葵兄ちゃん」

「え?呉?」

ぼーっと千里と千鶴さんを見ていると、呉が目の前にいた。

少し驚く。

「林さんのアルバムなんですけど……」

母さんのアルバム?

この貯金箱を開けたら洸祈と一緒に見ようかなとか思っていたが。

しかし、珍しく呉の表情に戸惑いが見えた。

そして、琉雨がじっと俺達を見ている気配がした。

二人の様子は明らかにおかしい。

アルバムなんてただの思い出の写真集であって、何も深い意味は……。

俺は母さんの机に貯金箱を置き、アルバムを手に取った。

軽めで薄いアルバムだ。

そんなに写真は入っていないだろう。

しかし、呉はわざと足下に視線を逸らし、琉雨は手を止めて目線だけは俺の手元を追っていた。

だから、

「…………見ない方がいい?」

――と、俺は敢えて呉に訊いた。

別に呉に許可を取る必要は全くなく、寧ろ俺は母さんの息子という立場だからアルバムくらい好きに見る権利はあるだろう。

けれども、俺は呉が「見ない方がいい」と言うのなら絶対に見ない気でいた。春君が許すなら、燃やしたって良かった。

何故なら、俺は呉も琉雨も決して理由もなく行動する子じゃないと知っていたから。

そして、彼らの行動の理由はいつだって俺達の為だったから。

「…………いいえ。どうぞ、見てください」

呉は首を左右に振る。

だから、俺はアルバムを開いた。



アルバムの中身はなんてことのない写真達だった。

幼い母さんが冬さんや母親、父親と笑っている写真ばかり。

公園の遊具で遊んでいたり、パジャマ1枚で雪の積もった庭を走っていたり。


けれども、それらに全く問題がなかった訳じゃない。


1つだけ問題があった。

祖父母だろうおじいさんとおばあさんと並んで写る写真の下の写真。

「分からない……これ……」

背中から母さんに腕を回されて微笑む少年がいた。

写真の中の母さんとあまり変わらない年に見える彼は赤茶の髪に緋色の瞳の少年。

俺の良く知る顔の少年だ。

「だって、これ洸祈だろ?」

少年の顔は紛れもなく幼い時の洸祈の顔だった。

でも何故、洸祈が写真に写っている?

まだ母さんが父さんに会ってもいない時代に洸祈がいるなんて有り得ない。

それに今だと40くらいになってるはずだ。

洸祈は俺と一緒に子供の時から成長してきたのだから、何もかもが有り得ない。

訳が分からなくなり、たん瘤ができたところが疼くように痛む。脳の処理オーバーに“頭が痛くなる”とは正しくこのことか。

「その人は旦那様ではありません」

その時、琉雨が写真に触れ、目を細めて言った。

「そりゃあ、時系列的に洸祈じゃないけど」

洸祈は40代じゃないから彼は洸祈ではない誰かだ。

クローンのようなただのそっくりさんだ。

「いいえ。全くの別人です。見たら分かります」

そう言った琉雨の言葉には彼女の確信が籠っていた。

時系列云々を差し置いて彼が洸祈ではないという確信が。

ならば、彼は洸祈じゃない。

だって、琉雨は洸祈を間違えたりしないから。

「お母さんもその子のことは知らないみたい。知ってるとしたら冬さんぐらいだろうって」

千里が俺の肩に顎を乗せて言った。

「世界には自分と同じ顔の人が2人はいるらしいし、似てる誰かだろうね」

だが、世界にたった2人しかいなくて、更に母さんと出会う確率は一体どれだけか……とは俺は言わなかった。

何故なら、そうと考えなければ写真の謎の辻褄を合わせることはできなかったから。

「でも、自分のドッペルゲンガーを見ると死んじゃうって言われてるから、洸にこれは見せない方がいいと思うよ。それに、呪いとか関係なしに気味悪いし……」

と、言いながら千里が写真から隠れるように俺の背中に身を隠した。

確かに、俺はオカルトを信じていないが、洸祈に見せるのは止めた方がいい気がした。俺でさえ気味が悪いと思うのに、わざわざ洸祈に見せる必要もない。

だから、俺はその写真だけをアルバムから抜き取り、2つに畳んでポケットに入れた。

「写真どうするの?」

捨てる――は笑顔の母さんやそっくりさんに悪いので、取り敢えず、俺が隠し持っておくことにした。

「俺が持っとく。洸祈には絶対に見付からないとこに隠しておくから」

「うん」

千里はさりげなく猫のように俺の首筋に頬を寄せてから千鶴さんのところへ戻って行く。

そして、琉雨や呉も何事もなく作業に戻り、確かにあったと理解しながら、さっきのやり取りは夢だったのかもと思った。しかし、ポケットに突っ込んだ指先からは折り畳んだ写真の感触がし、夢を否定していた。


…………あの少年は誰だったんだろうか。

母さんの知り合いなら、思い出話とか聞きたかったのに……。





~エピローグ~


夕飯前、琉雨と千鶴さんがご飯を作ってくれている間、ぐーたらな俺達は炬燵に入って蜜柑を剥きながらテレビを見ていた。

俺はクイズ番組を見ながら手持ちぶさたに貯金箱を弄っていたが、とうとう手応えを感じる。

これは……。

「千里、例の貯金箱開いたぞ」

「え?開いた?中身なんだった?」

丁度CMだったからか、千里以外に春君や洸祈、呉も俺を振り返った。

「…………可愛いものが一杯。宝物かな?」

蓋をずらして開けると、左右斜め向かいの春君と洸祈が箱を覗き込む。

「桜貝ですね。ビーズで飾り付けてて……手作りのブローチでしょうか」

「スーパーボールにビー玉。これ、蝶々のマカロニだ。星のビーズのブレスレット可愛い」

虹色の星形ビーズを並べたブレスレットを手に取った洸祈が蛍光灯の灯りに翳した。千里も口を半開きにしてブレスレットを見ると、上半身を炬燵テーブルに乗せて貯金箱の宝探しに参加する。

「これはコルク?」

「ああ。ワインのコルクはアンティークとして集める人もいるぐらいだしなぁ」

「他には……あ!お宝!」

ボトルキャップの「王冠」やガラスが海中で研磨されて端が滑らかになった、所謂シーグラスをがらがらと指先で掻き分け、千里は1つを摘まんで宙に掲げた。

「それ、きっと林姉さんが幼稚園にいた時のバッチです。僕や弟達のと同じ近所の幼稚園のバッチですから」

赤銅色の金属製。縦横3センチぐらいのそれは雪の結晶の中心に水滴と言う模様だった。

「川は谷の象徴なので水と、この通り雪ばっか降っていますから、デザインに雪の結晶が入っているらしいです」

美しいデザインなのに安易な理由だ。

「幼稚園の園章ってプレミアだよね」

「たしか、俺達のとこは温泉マークだったよな」

「……あ、そうだね」

安易な理由だなとか思った矢先に、俺達のいた幼稚園のデザインの由来も安易だったと思い出した。

温泉地ってだけだったな……。

確か、俺達の園章は乃杜と春鳴が欲しがったからあげたはず。

「母さんって色々集めるの好きだったんだな」

「あ、これは噂のプロフィール帳ですね。闇が深い」

洸祈が端に寄せた手帳らしいものを呉が手に取った。手帳なんだろうが、なんだかカラフルだ。動物のイラストが入っている。

それに呉の“噂”は一体どこから仕入れるのだろう……やはり、インターネットか?

「プロフィール帳って何?」

千里が首を傾げる。

「略してプロフ。友達に名前とかあだ名とか好きな食べ物とか嫌いな子の名前とかが空欄の紙を渡して書いてもらうわけ。そこで鉛筆とか黒ボールペンで地味に書くと嫌われちゃうから要注意な。んで、誰からも「何々ちゃん、プロフ書いてくれない?」って言われないと、正直凹む。プロフ依頼数が一種の人気者のステータスだったね。あと、こう言うのは大人になって読み返すと他人の黒歴史が満載でウケる」

そう早口でペラペラと語ったのは誰でもない洸祈だった。ふんと鼻を鳴らして満足げ。

「洸、詳しいね?」

千里が若干引いている。

「杏に教わった。琉雨の為に女の子のナウな情報は仕入れとかないと」

「……変態だ……」

千里が完璧に引いた。

俺も引いた。

春君は洸祈発の情報に興味津々でプロフとやらを見ているが。

「提案なんですが、僕達もこれにプロフィールを書きませんか?まだ書かれていないのが沢山残っていますし」

呉が春君の好奇心を察してか、そんなことを提案した。

それに一番早く反応したのが――

「やる!で、杏に自慢する!」

遊杏ちゃんに自慢する為に洸祈がびしっと手を上げた。

洸祈は何かと乙女なことをやりたいと思いながら、周囲への恥ずかしさからやれないでいるようだし、こういう機会はとことん受け入れていきたいのだろう。

「僕もやりたいです!」

春君もノリノリで、いつの間にか俺の目の前にもプロフが。

これは書くしかないようだ。

そして、春君は「カラフルなペン沢山持ってきますね」と言ってばたばたと縁側を走って行った。

寒がりな春君をあそこまで活動的にするとは、プロフ恐るべし。

でも……“好きな子のタイプ”……“教えちゃうよ、好きな子は――”……“ぼく/わたしの夢”……“ぼく/わたしのヒミツ”…………これは面倒くさい。空欄も小さいし。

しかし、ナウな子はこんなのを何枚も書くのだ。ナウな子には心から尊敬しないわけにはいかないかもしれない。

「これ、千鶴さんのプロフィールではありませんか?」

「え!?」

俺がプロフの質問事項の数にげんなりしていると、呉が大発見をする。

“千鶴さんの”と言うこともあって真っ先に千里が食い付いた。

俺と洸祈もプロフに視線をやる。

『かり野千づる』

綺麗な字だな。

「狩野!お母さんのだ!見せて見せて!」

思えば、母さんと千鶴さんは幼なじみだ。

幼稚園も学校も同じだろうし、母さんのプロフなら書いていて当然だろう。

「好きな子のタイプ!見てよ!『イケメン』だって!お母さん、面食いだ!」

あはははと千里が大笑いするが、母親の黒歴史は自分には愉快でも、母親の為に目を逸らしてあげた方がいいのに。

「特技がペン回し!もー、特技がペン回し!?図画工作が得意科目って、勉強は!?将来の夢はプリンセス!!!!」

千里が笑いに笑い、炬燵がガタガタと鳴る。

「自画像のとこヤバい!何これ!!目でかい!!これが理想のプリンセス!?っ、あはははっ、ヤバイよヤバイよ!あー、お腹痛いよ!」

傍を徘徊していた金柑を引っ付かんで腕に抱き、その背中に顔を埋めて笑う千里。ここ1週間で最大の笑いが到来しているようだった。

しかし、洸祈はもそもそと炬燵の中に上腕まで入れ、顎をテーブルに乗せて息を吐いた。呉もテレビに視線を向ける。

俺も二人と同じように取り敢えず、縁側の窓ガラスから月を見た。

とにかく、千里の傍は危険だと思ったのだ。

「ねぇ、皆も見る?」

笑いと笑いの合間に千里が聞いてくるが、

「………………」

その場の全員がとばっちりを食らわないように千里を無視した。

「あれ?皆つまんなくない?……あお?」

暢気に不満を言う千里。

しかし、これだと千里は最後まで気付くことはなさそうだ。

背後で仁王立ちの千鶴さんに。

「千里、それは私が林に書いてあげたの。分かるかしら?」

「あ……お母さ……ん」

千里の震え声が月を見る俺の後ろで聞こえる。

序でに、くぅん。ととばっちりを食らった金柑の切ない鳴き声も聞こえた。

「それも勝手に見ておいて笑い飛ばすなんて恥ずかしくないのかしら?もう大人でしょう?」

「ごめんなさい……」

見なくても千里が萎縮しきっているのが分かる。

でもまぁ、自業自得だ。

「まぁ、私も懐かしいものが見れて嬉しいわ。でも、書くのは後にして、テーブルを片付けてくれるかしら?今夜はすいとん入り味噌鍋よ」

俺も洸祈も呉も夕飯が出来たと言う話にすっかり忘れていた空腹が襲ってきて、瞬時にテーブルを片付けた。

そして、開いたテーブルに千鶴さんがカセットコンロを置く。

「因みにうどん派と雑炊派はどっちが多いかしら?」

「俺は卵ぞーすい派です」

「あ、僕も雑炊派です!」

ペン類が入っているらしいラメ入り女の子向けペンケースや箱や缶を両腕に抱えた春君も洸祈と同じで雑炊派らしい。

「他の皆は?」

千鶴さんが聞いてくるが、俺と呉は大抵周りにお任せだ。

洸祈と春君が雑炊派なら俺も雑炊で構わない。

が、千里は首を左右に振り、「うどん派」とぼそりと呟いた。

これは絶対に拗ねてるな。

「なら、千里さん用にうどんも用意しますね」

しかし、千里の拗ねなど今来たばかりの琉雨には伝わらない。彼女は天使の笑顔でコップを置いた。

そして案の定、多数決で負ける予定だった千里が慌てた様子でキョロキョロと周囲を見やる。

まず洸祈と目が合うが、洸祈は目を皿にして千里を睨み、千里は直ぐ様涙目で俺を見詰めた。

洸祈がキレるとそれはそれで場が気まずくなるから……俺が助けてやるか。

「琉雨に手間かけさせるぐらいなら千里も雑炊でいいって」

「手間じゃないですよ?」

琉雨はいい子だなぁ。

「あ…………えっと、やっぱりうどんより雑炊が食べたくなったって」

「分かったです。なら、締めは雑炊にしますね」

千里がほっとしている。

そして、そさくさと俺の隣へ。洸祈が移動する千里の横顔を不機嫌そうに唇をきつく結んで睨んでいた。

「ありがと」

千里は洸祈から隠れるように俺を盾にしてからお礼をしてくるが、俺も千鶴さんの存在を確認しながら面白がって千里をほっといたのだ。

言い訳ができるなら、千鶴さんと千里のいかにもな親子の会話は和むからだが、俺はお礼の返事に自分の肩を千里に寄せた。


今日は色々なことがあった。

ただ本当に、俺はこんな細やかな幸せがいつまでも続いてくれればそれでいいと思うのだ。

洸祈が陽季さんと幸せになって……琉雨が笑って……呉が見守ってくれる。そして、千里が俺の隣にいる。

それだけが俺の願いだ。いや、皆の願いだ。

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