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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
あなたと共に歩む
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墓前の宣言

「あ、クロ。ご飯はさっきあげましたよね?」


わん。


「誰か来た?……無理ですよ。僕は炬燵からは絶対に出ませんからね。そう決めたんです。出たら凍え死にします」


わん。


「え!?千鶴(ちづる)さんですって!!それを先に言ってくださいよ!」


わん!






「千鶴さん!!おかえりなさい!!!!」

ちゃんちゃんこに毛糸の帽子、マフラー、手袋の青年が玄関から飛び出し、たった今チャイムを鳴らした千鶴のもとへと駆け寄ってきた。

千鶴を若干見上げ、茶色の癖毛を帽子の下から跳ねさせ、焦げ茶色の大きな瞳と満面の笑みを浮かべた彼。

「ただいま、(はる)君。寒がりなのに出迎え嬉しいわ」

春は「僕も千鶴さんが帰ってきてくれてすっごく嬉しいです!」と元気良く返事をした。

「冷えますから早く家に。荷物持ちます……って……」

灰色のロングコートの千鶴の傍に手荷物はなく、春は彼女の背後に視線を向ける。

「わあ!皆さんお揃いで!急いでパーティーの準備しなきゃ!」

千鶴の背後には団体が。

春の姉である(りん)の息子達と息子達の仕事仲間。しかし、彼等は血縁を越えた家族だ。

「春伯父さん、久し振り」

確かに姉の息子達からすれば春は伯父だが、林の息子の双子は春と同い年。

春は優しげな笑顔で双子の片割れの洸祈(こうき)に「冗談は止めてくださいよ、洸祈さん」と太陽の光に似た柔らかい声で返した。

しかし、

「春、大事な話がある」

すっと感情を消した洸祈が背の低い春に一歩近付き、春を見下ろす。

「は、はい」

洸祈らしからぬ振る舞いに春は千鶴から情報を得ようと彼女を見るが、千鶴は足下を見て表情に影を落としていた。


何か悪いことがあった。


春は咄嗟に兄弟の顔を思い浮かべて、自分の意思とは関係なく震える腕をもう片手で握った。





極度の寒がりなのに、春は炬燵から出て正座し、静かに洸祈と葵の話を聞いていた。

(なつ)は無事なんですね?それなら洸祈さんも(あおい)さんも謝らないでください」

「でも……!」

謝罪の意を込めて頭を下げていた洸祈が顔を上げると、春が片手を前に出して洸祈を制する。

「“でも”ではありません。夏は自分の信念に従っただけです。二人が謝ることはありません」

「だけど、一生、逃げなくちゃいけなくなる!」

「それは辛いですけど、夏の怪我で二人が謝る必要は絶対にありません。夏は千鶴さんのように誰かを助けられる人になるために軍人になりました。僕は夏の行いを決して否定しません!」

穏和な春が語気を強めて言い放った。

洸祈も葵も何も言えずに口を閉じる。

「このまま夏に会えなくなるとしても、僕は…………夏が優しい夏のままで変わらないでいるならそれでいいんです!」

高ぶった感情に瞳が濡れてきていることにも構わずに春はキツく握った拳を胸に当てた。

「僕達はどんなに離れてても誰よりも互いを思い合える。それが琴原(ことはら)家です。だから、二人も夏のことで謝らないで…………僕も……泣かないから――――っ」

春が言葉の途中で前屈みになる。

洸祈はそんな春に近寄り、彼を腕に抱いた。

背中を震わせ、言葉を飲み込むように喉を何度も鳴らして耐える彼。

しかし、とうとう抑えきれなくなった言葉が春の口から零れた。

「本当は……嫌です……家族が離れちゃうのは嫌です……!!」

春は洸祈の胸に顔を押し付けて絞り出すような声で唸る。

「ここは皆の帰る場所……皆集まってご飯食べて話して笑う場所なんです……だから、夏もいなきゃ……駄目なんですっ」

ぽふり。ぽふっ。ぽふっ。

春が体を揺らして抱き締めようとする洸祈の腕を拒み、彼は洸祈の肩に弱々しく拳をぶつけた。

ぽふっ。ぽふり。

何度も何度も春は洸祈に拳をぶつける。

洸祈は顎の下に春の柔らかな髪質を感じながらカレンダーの掛かった壁を見詰めていた。

年単位のカレンダーには家族の誕生日に赤い丸が。

そして、家族の予定が事細かに書かれている。

全ては離れた家族を想う春の気持ちだ。

「ごめん……ごめんなさい……絶対に夏君が春のいるこの家に帰れるようにするから。だから、春、ごめん」

「謝らないでって言ったじゃありませんかぁあああ!!」

ぷつりと糸が切れたように唐突に叫び、泣き出す春。

ばふばふと音を強くして彼は洸祈を叩く。

「ご、ごめ――」

「だから、謝らないでって言ってるでしょう!!」

春が体をバネのように伸ばして洸祈を押し倒した。

洸祈の頭が障子の桟にぶつかり、ごつりと鈍い音が響く。

洸祈の隣の葵や洸祈の背後の千里(せんり)琉雨(るう)(くれ)はこの状況にただ驚いていた。

「夏は立派な僕の弟なんだから、感謝してくださいよ!!!!謝られたら、夏の行いが間違いになるでしょうが!!馬鹿なんですか、洸祈さん!?」

春が洸祈の胸ぐらを掴んで必死に揺らす。

彼の涙が振動で落ちて洸祈の頬を濡らしても、洸祈が抵抗せずに頭をごつごつとぶつけていても、春は止めない。

「謝る為なら来て欲しくなかったです!!!!!!」


べちんっ。


静まり返った茶の間で破裂音が響いた。

そして、音を立てずによたよたと立ち上がる春。

彼は洸祈や葵達からわざと視線を逸らし、台所から見守っていた千鶴とも目を合わせずに暗い縁側を歩いて行った。




コンコン。

開いたドアをノックした千鶴。

「春君、お夕飯持ってきたよ」

………………。

雨戸も閉めず、明かりも付けず、薄暗い部屋からは返事はない。

しかし、千鶴は盆を持って春の部屋に入った。

「琉雨ちゃんに教わったのよ、とっても美味しいお粥のレシピ。春君の好きな辛子明太子も付けたから、冷めない内に食べてね」

春が子供の時からずっと使っている(ふゆ)のお下がりの勉強机に盆を置き、千鶴は気配のするベッドに語り掛ける。

そして、雨戸を閉めるために窓を開けた。

澄んだ夜風が部屋に入り、千鶴は寒がりの春の為に直ぐに雨戸を引く。


「あの…………」


かすれ声がガタガタと鳴る雨戸の音に混じって聞こえた。

千鶴は窓を閉めると「なぁに?」と、千鶴のエプロンを少しだけ掴む春を見下ろした。

「僕、洸祈さんに怒ってしまいました……洸祈さん達は少しも悪くないのに八つ当たりして…………僕、悪い人ですよぉ……」

髪をくしゃくしゃにし、相変わらずの半纏姿で体を重くした春がぼそぼそと心中を吐露する。

「来て欲しくなかったなんて……本当はとっても嬉しかったんです!なのに……!僕の阿呆!もう来てくれなくなっちゃったじゃないですか!」

「大丈夫よ。洸祈君がちょっと落ち込んじゃってるけど」

「嗚呼……僕は悪い人……」

がっくし。

頭を下げた春はベッドに戻り、布団を掻き分けて埋まった。

相当なショックだったらしい。

「悪くない。春君も洸祈君も夏君を守りたかった。そうだよね?」

千鶴はベッドに腰掛けると、布団の中で丸くなった春を優しく撫でる。

「夏は僕達4兄弟の中で一番正義感があって真面目で…………だから、周りに空気が読めないとか言われて……夏は全然気にしてなかったけど、僕はそれが凄く悔しかった……」

春が布団から頭だけを出した。目尻が赤く、火照った頬に髪がへばり付いている。

千鶴の指先が春の髪を掻き分け、春と見詰め合った。

「夏が軍人さんになることはきっと運命だと思ってました。人を助ける仕事。もう誰も夏を馬鹿にしないって…………なのに…………夏はいつから苦しんでたんだろう……9月に会ったのに僕は気付けなかった…………もっと沢山話してれば……僕は僕を許せない…………」

「大丈夫だよ。夏君が帰ってきたら、気が済むまで話せる。時間はたっぷりあるから」

「夏は……帰ってきますよね?」

「勿論だよ。洸祈君が嘘吐いたことある?」

春は首を左右に振った。

それから鼻を鳴らして目元を擦った。

「お粥食べる前に謝ってきてもいいですか?」

「お粥は下に持って行って食べようか。皆も下にいるから」

「は、はい」

ぴしっと背筋を伸ばした春。

彼はベッドから降りると、脱ぎ散らかした厚手の靴下を2枚重ねて穿いた。





「怒ってすみません」

「春君は謝らないでよ。夏君には本当に感謝してる。琉雨を、俺達を助けてくれた。だけど、俺達は夏君を守れなかった……不甲斐ないばっかりに」

春が畳みで正座し、深々と頭を下げ、葵が仕切りに首を左右に振る。

「でも……洸祈さんが……」

春の視線の先、葵の背後。

卵型に背中を丸めた洸祈の後頭部が葵の尾てい骨辺りにぴたりと触れていた。

洸祈の背中で子犬サイズの伊予柑と金柑が戯れているが、彼はぴくりとも動かない。

「大丈夫。これでもちゃんと聞いてるから。一杯謝りたくて、でも、謝ったら春君を傷付けちゃうから更に辛くなっちゃってて」

「ご、ごめんなさいっ!」

苦笑いの葵の解説に、春は自分の発言が洸祈に与えた影響に青ざめた。

「これは洸の『合わせる顔がないよ』のポーズだから。落ち着いたら元に戻るよ――って、陽季(はるき)さんからのメールにあるから安心して」

千里がぱしぱしと洸祈の頭を軽く叩く。が、洸祈は動かない。

「そうですか…………陽季さん?」

初めて聞く名前に春が首を傾げた。

そこで千里と葵がつい顔を合わせる。陽季の紹介をどこら辺まですれば良いのかを目と目で語り合っていた。

「陽季君は洸祈君の大切な人よ。舞妓さんでとっても上手に扇子を扱うの。ほら、月華鈴の」

炬燵テーブルにお粥を用意した千鶴がざっくりと紹介する。隣には琉雨と呉だ。

全員分の温かいお茶を淹れたようだった。

「月華鈴……あ、あれ……テレビで……テレビで見て……陽季さん……今度注意して探してみますね。陽季さんは洸祈さんの大切な人か……。僕も会ってみたいです」

「陽季さんは洸の専門家なんだ。洸のことなら何でも知ってるんだよ」

「そうなんですか?」

千鶴や琉雨、呉と一緒に炬燵に入る春。和やかになった空気に千里も笑いながら炬燵に入った。そして、そのまま陽季の話題になる。

残るは葵と洸祈だ。

「ほら、洸祈。炬燵に入ったら?寒いんでしょ?爪先紫色だよ」

「………………」

葵は背後の洸祈の頭を撫で、炬燵へ。

無言のまま動き出した蝸牛洸祈も葵を追って足だけを伸ばして炬燵に入った。勿論、子犬型オオカミが2体背中に乗ったまま。

そして、蝸牛はただの俯せに寝る洸祈になっていた。




「明後日には帰っちゃうんですか?」

心底残念そうな顔をした春。

近所付き合い以外、来訪客もなく寂しくしていたところに親戚が大勢で来たのだ。楽しくわいわい過ごす妄想が一瞬で消えて落ち込む。

そんな彼の表情に葵は申し訳ない気持ちが沸いていた。

「うん。暫く店を閉めていたから……買い物代行とか、お客さんに迷惑掛けちゃったし。明日は母さんの墓参りしたら春君の手伝いをさせてよ。一人だと大変でしょ?掃除とか雪掻きとか何でも言ってよ」

「ホントにいいんですか?なら、そろそろ屋根の雪を一度下ろしたいと思ってて」

雪下ろしは例年通り年末に帰ってくる冬に頼む予定だったが、やってもらえるならと言う。

今年は初雪が早く、積雪量も多いのだ。家が潰れたり、滑り落ちた雪の下敷きになったりが怖い春は、雪が降り出す度に怯えていた。

「洸祈がするって」

「良かった」

葵はツンツンと腰をつついてくる洸祈の代わりに答える。春も雪下ろしが出来ることと、洸祈の意思表示に安心した。

「じゃあ、林姉さんの……お母さんの部屋の整理もしませんか?小さい頃の洋服とか、琉雨さんなら着れるのもあるかも。アクセサリーとか」

「え…………いいの?」

琴原林は洸祈と葵の母親である以前に冬の妹であり、春は生まれてほんの数日一緒に過ごしたが、当然、全く覚えのない姉。(あき)と夏にとっては姿すら見たことがない亡き姉だ。

「だって、うちは男兄弟ですし。使ってもらえるなら姉さんもきっと嬉しいですよ。それに……お母さんの形見ないですよね?」

林の葬儀は洸祈達の父親である(しん)がした。勿論、双子は生まれて間もない。

気付いたら母親はいなかった――双子にとって林はそんな存在だ。

双子が育ったのは崇弥(たかや)家、すなわち慎の家だけ。だから、林との繋がりは慎が持っていたアルバムの写真ぐらいだった。

「兄貴が言ってたんです。林お姉ちゃんが死んだ時、僕達の父が慎さんを責めてこの家に来た慎さんを追い返したって。それから結局、慎さんとうちはホントに疎遠になって。母が死んじゃって、慎さんも亡くなって……だから、持って行ってください」

「そんなことが……」

葵は父と琴原家に確執があったことに驚いた。

何となく母親の兄弟として交流していた。しかし、思い起こせば、交流し出したのは千鶴を通してつい最近からのような気がする。それまでは幼い頃に父に連れられて一度琴原家に行ったぐらい……。

その時、葵はぎゅっと服の裾を掴まれていることに気付いて隣を見下ろすと、洸祈が少しだけ縮こまって彼の服を握っていた。

きつく。服がしわになるぐらい。

「ありがとう、春君。母さんの部屋の整理もさせてもらうよ」

葵がそう言うと、洸祈の手が離れる。

そして、「はい」と春が笑顔で頷いた。

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