白銀の髪の少年
「院長先生、ただいま帰りました」
「ただいまー!」
「先生、ただいま」
「おかえり、皆」
子供達に“院長先生”と呼ばれる彼女――水無瀬は施設の玄関で仲良く並んで笑顔を溢れさせる愛子達を両腕で纏めてぎゅうと抱き締めた。
「おかえり、双蘭」
「はい」
同年代の平均よりも発育が良く、背も高い彼女は双蘭。
しっかり者。
怒ると怖いが、理由もなく怒ることはない。なのに、理由もなく優しかったりする世話好きさん。
そんな彼女は施設の子供達の中でも一番年上と言うこともあり、施設の子供達皆のお姉さんだ。
「おかえり、双灯」
「ただいま!」
双子のお姉さんの双蘭と同じで、褐色の肌の彼は双灯。
ほんの僅かに双蘭よりは背が高いが、彼女には頭の上がらない。
お調子者に見える彼は皆を笑わせるのが得意だが、本当は甘えただ。皆の笑顔が好きなのも間違いないが、彼は傍に誰かの温もりを感じていたがる。
「おかえり、菊菜」
「うん!ただいま!」
背の高い双子の傍にいるからか、自分の身長を気にしてさりげなく踵を上げている彼女は菊菜。
2・3年前は冬も半袖で庭を駆け回っては泥だらけになって帰ってくるわんぱく娘だったが、思春期に入った頃からお洒落を気にするようになった。しかし、フリルの付いた服を着て年下の子達と一緒に外に遊びに出ては、泥だらけになっていたりするお茶目さんだ。
双蘭、双灯、菊菜の三人は特別仲が良い。
その理由は簡単だ。
彼等が水無瀬が院長を勤めるこの児童養護施設の最初の子供達であり、最も長くこの施設にいる子供達だからだ。
別に彼等の引き取り手が今まで現れなかったからと言うわけではない。
ただ、彼等は親になりたいと現れた夫婦達をずっと拒んできた。
その原因としては性格の不一致が考えられるが、彼等はそうではないと水無瀬は薄々気付いていた。
彼等は失ってしまった本当の親を家族を愛している。
だから、新しい家族を受け入れることができない。
そんな仲間同士が彼等だった。
彼等は新しい家族を受け入れられない代わりに仲間同士でグループを作り、芸を覚え、それで稼ぐようになった。
日々の稼ぎを水無瀬に渡しては、施設の経営に貢献しようとした。
多分、新しい家族のもとへと行かずに施設に残り続けることの罪悪感からそうしたのだろう。
しかし、水無瀬にとっては彼等は水無瀬の家族だ。
たとえ彼等が認めなくとも。
だから水無瀬は、彼等が――施設の子供達全員が自立出来るまではたとえいくら財政が厳しくとも育てると決めていた。
「あのね、傘のお婆さんがね、500円玉くれたの!」
菊菜が水無瀬の胸元に拳を押し付ける。
「お礼は言った?」
「言った!ありがとうって!」
「良かったねぇ」
水無瀬は3人の優しさに感謝し、子供達のおやつの為に手のひらのお金を受け取った。
カーン。
水無瀬が玄関先で双蘭、双灯、菊菜の三人を迎えていると、施設中に鐘の音が響いた。
「あ…………」
菊菜が咄嗟に背後のドアを振り返る。
双蘭と双灯もぴんと背筋を伸ばして振り返った。
そして、ぱたぱたと足音を鳴らして他の子供達も部屋から出て来る。
「先生……鳴った?」
「鐘鳴った?」
下は3才から上は16まで。子供達は揃ってドアを見詰める。
水無瀬は凭れていた菊菜を立たせると、サンダルを履いてドアノブを握った。
鐘が鳴るのは来客のしるし。
身寄りのない子供が来たことのしるし。
「こんばんは」
ドアを開けて門扉を開くと、そこには一人の女と門柱の陰に隠れてしまっているが、子供が一人。
ドアから双灯達が顔を覗かせる中、水無瀬は女性を見上げた。
「こんばんは。私は滄架。彼は……」
長い黒髪に白のワンピース、羽織姿の滄架と名乗った女は少年と握る手を少し揺らした。
少年はゆらゆらと体を揺らすと滄架の背後に隠れる。
しかし、水無瀬には一瞬だったが、少年の白銀の髪と漆黒の瞳が見えていた。
「彼は先日の脱線事故で両親を亡くした子です」
先日の脱線事故。
確か栃木だ。事故から1週間程はテレビでひっきりなしに報道された。そして、事故から3週間経った今でも時折特集が組まれる。
「両親を……ならあなたは……?」
「私は……彼の同居人……でしょうか?」
随分と頼り無い――はたまた怪しげな台詞だが、彼女の手と服を掴んで放さない少年は彼女に信頼を置いているようだった。
「酷い女でしょう?だけど、お父さんもお母さんも目の前で失ってしまったこの子にまた悲しい想いをさせてしまう前に私は離れたいの。……私はずっとは傍に居られないから」
「滄ちゃん……滄ちゃん……」
少年が頭を下げた滄架を心配して彼女の背中に額を付ける。
まだそんなに長くは付き合っていないのに、少年は滄架を本当に慕っている――それを感じ取っているからこそ、彼女は少しでも早く彼から離れたいのだ。
そして、彼女には水無瀬には理解できない深い事情があるのだろう。
「分かりました。……彼の名前は?」
「ないの。……あるけど、私には秘密らしいわ。それに、私は彼の両親の名前も知らないの……って、そこは敢えて調べなかったが正しいかしら……」
「そうですか」
彼は自分の名前を忘れた訳ではない。
それはつまり、彼には両親の記憶がきちんと残っているということ。
事故で失った両親の記憶があるということ。
「でも、これだけは言えるわ。彼は両親にとても愛されていた。…………彼をよろしくお願いします」
隠れる少年の背中を滄架が前へと押す。
あたふたしながらも少年は覚束ない足取りで門の前に現れた。
「滄ちゃん、滄ちゃん……俺を独りにしないで……」
目尻に涙を蓄えた少年が首を回して滄架を見上げる。
「あなたは独りじゃないわ。独りじゃなくなるの」
「……滄ちゃんと一緒がいい」
「駄目よ。私は死んじゃうから」
「っ」
少年の黒目が見開かれ、まだまだ続こうとした言葉が出ずに口を開けて固まる。
「私は長くない。あなたを置いて死ぬわ。もう嫌でしょう?失うのは」
「そ……そうちゃ……」
「だから、私のことは忘れなさい。そして、ここで失いたくない大切なものを見付けなさい」
「滄ちゃん……嫌だ……死ぬなんて嫌だ……」
「そうよ。嫌なら私を忘れるの」
「忘れるのはもっと嫌だよ……!」
うっく。と喉を鳴らした少年。
彼は苦しそうに胸元を押さえる。
「滄ちゃんは……俺にとって――」
絞り出される少年の声。それはまるで最期の台詞と言わんばかりの今にも消えてしまいそうな――けれども決して消えない声だった。
しかし、彼の台詞は最後までは続かなかった。
何故なら、少年の体は膝から崩れ、滄架はその体を抱き留めた。
だらりと下がる彼の両腕。全身の力が抜けているようだった。
水無瀬もどうしたのかと少年を支えようと一歩踏み出したが、見上げた先の滄架の瞳に思わず手を止める。
滄架の瞳が波色に光っていたのだ。水無瀬は直感的に魔法かと考えたが、次に瞬きをした瞬間、滄架の瞳はもとの色に戻っていた。
「な……何を?」
「私は彼の人生にいてはいけない。だから、思い出さないように暗示を掛けたの。……彼が起きてしまう前に私は行かないと」
少年を抱き上げた彼女は「この子をお願いします」と言って水無瀬に彼を抱かせた。水無瀬の腕からは少年の重みと熱、安らかな寝息が伝わってくる。
「これはその子の持ち物で両親の形見とお金が入っているわ」
「お金なんて……」
「そんなに多くないから。服やお菓子でも買ってあげて」
子供用のキャラクターもののワッペンの付いたポシェットを少年の首に掛ける滄架。そして、少しだけ名残惜しそうに目尻を緩めて少年の頭を撫でる。
「幸せになってね……」
1回、2回、3回。
繰り返し少年の頭を撫でると、滄架は踵を返した。
「あ、あの……!」
「そうそう。彼は目玉焼きにはソース派よ」
とっておきの秘密と言わんばかりに含み笑いをして滄架は去っていった。