許し(2)
「それ、洸祈からのプレゼント?」
「うん。黒くて軽いの選んでくれたみたい」
「へぇ。千里にぴったりの腕時計だな」
「残るはあおからのプレゼントだけど……」
「それはここにある」
千里のベッドに寝そべった葵は背中からラッピングされた箱を出す。そして、ベッドから少し離れて椅子に座る千里の前で、彼は手のひらサイズの正方形の箱を揺らして見せた。
「誕生日おめでとう、千里」
「ありがとう、葵」
が、千里は葵から誕生日プレゼントを受け取ろうとして、葵はプレゼントを背中に隠した。
「あお?」
所在のなくなった千里の手が宙を漂う。
「これはおまけだ」
「おまけ?」
「メインは……まぁ…………俺……みたいな……」
台詞の後半はしどろもどろで、葵はぼふりと千里の枕に自分の顔を押し付けた。耳も一瞬で真っ赤に染まる。
自分から恥ずかしい台詞に挑戦し、すぐに自分から恥ずかしがる葵。
日常生活では計画的で慎重な葵が恋愛と言うものにいとも容易く弄ばれている。
それも千里のことだけを一途に想って。
そんな恋人の愛らしい姿を千里は観察し尽くした後、1人で「だから……」「いや……俺は……」「今のは……」等々の言葉を枕に呟く彼に近付いた。
「……今のなしに――」
「なしにしないで?」
頬を赤らめた葵が顔を上げると、彼の目の前には千里の顔。
千里は微笑し、葵はびくりと肩を震わせた。
もう何がどうしてこうなっているのか、葵は理解できていないのだろう。
「おまけも含めて、最高のプレゼントをありがとうね」
「え……あ……」
全てなかったことにして仕切り直そうとした葵は千里に跨がれて小さく身を捩った。
翡翠の瞳が葵を舐め回すように二回往復し、千里が股下の葵に体重を掛ける。
葵の動きが6割程封じられた。
そして、葵は千里のスイッチが入ってしまったことを察した。
おまけのプレゼントを握った葵の手が千里に掴まれてベッドに押し付けられる。
そして、千里は空いている片手で葵のパジャマのボタンをゆっくりと外しだした。
「呉に聞いたよ?僕達が洸の頭の中行ってる時、凄く辛そうにしてたって。今は体調は大丈夫?」
「……だ……大丈夫」
「あ、間違えた。大丈夫じゃなくて、『エッチなことしてもいい?』だった」
「いっ、いいわけな――」
千里は葵の頭に手を添えると、彼の唇を強引に奪う。
「んー!!」と、葵の唸り声が反射的に返るが、それもほんの数秒。
絡み合う舌が二人の口付けの隙間から見え隠れし、葵の額にはうっすらと汗が。
「…………ぅ……んっ……」
「あおの本音は僕にはちゃんと分かるんだからね。だから、あおは存分にツンツンしていいよ。今みたいに直ぐに僕が君をデレさせてあげる」
葵の手から落ちたプレゼントの箱を取り上げてベッドを降り、机に置くと、千里は呼吸の荒い葵を見下ろした。
「僕への誕生日プレゼントのメインって具体的にはなんだっけ?」
上気した頬、前が開いたパジャマの下で激しく上下に動く胸。
千里のと混ざり合った唾液が唇を濡らし、ただ息をするのに忙しい葵を見ながら、千里もパジャマの上を脱いだ。
「それ……は…………」
「それは?」
千里が髪を束ねるリボンをほどいて椅子の背凭れにパジャマと一緒に引っ掛ける。
その一挙一動を葵の涙目が追う。
「……だから……その…………」
「…………するのは久し振りだから、今夜はゆっくりじっくりしてあげる。葵は思い出しながら僕を堪能して。今まで僕がどんな風に君を気持ち良くしてきたかをね」
「せん……り……」
葵が千里を呼び、千里は顔を歪めた。
葵は無意識なのだろう。
しかし、葵は欲情しきった表情をしていた。
潤んだ瞳に熱い吐息を溢す半開きの口。
それは心の底から何かを欲しがる顔。
多分、千里以外の誰もが見たことがない葵の顔。
これは千里が求めたことだったが、いざ彼の顔を目の当たりにして、千里はごくりと喉を鳴らした。
自分が求められている感覚。
何よりも、堅物な葵が自分の支配下にある感覚。
口には出来ない黒く禍々しい悦びに千里は背筋が震えた。
そして、彼は誰にも見せないように葵の顔を自分の胸に抱いた。
「葵、愛してる」
何度言ったか分からないこの言葉。
しかし、何度だろうと、飽きられようと、千里は愛して止まない葵にその言葉を言うのだ。
「…………俺もだ……っ」
葵の両手がすがるように千里の背中に触れ、離れないように爪を立てた。
「これ……」
「真似じゃないし……ただのアクセサリーだし……おまけだし……」
月明かりに千里は葵がくれたおまけの誕生日プレゼントをかざす。すると、千里が感想を言う前に葵が“言い訳”をした。
「…………真似じゃないからな」
「ねぇ葵、君が付けて?」
千里のベッドで裸体を毛布に隠す葵の手に、半裸の千里がプレゼントを乗せる。
葵は目を泳がせると、視線を千里から逸らしながら彼の左手を取った。
葵とは違うすべすべした手の甲と白くて細い指。
さっきまで葵の体を翻弄していた手だ。
「僕は辛い時も悲しい時も病気の時もどんな時でも、崇弥葵の傍から一生離れません。僕の全てを賭けて、君を愛し続けることを今日この日と僕の家族に誓います」
「………………ただのアクセサリーで……恥ずかしい台詞は禁止だ……」
葵はまるで壊れ物を扱うかのようにそっと千里の左手薬指に銀色のリングをはめた。
外れないように指の根元まで。
「ぴったし。やっぱりいつも舐めてるから分かった?」
「からかうな。お前が付けてるリング借りて同じ大きさの買ったんだ、それに、ただのプレゼントだ……」
「“ただの”じゃないよ。全部、“葵からの”だよ。僕には葵からのものや行動は特別なの」
指輪のはまった左手を見詰め、千里はお返しと言わんばかりに葵の首筋に口付けをした。
「あお、明日はホテルに行きたいなぁ。隣の部屋に陽季さんがいるから声圧し殺してたでしょ?もっと君の声が聞きたいんだ」
「明日は無理だ。千鶴さんと一緒に琴原家に行く」
「お母さんのお見送りなら勿論僕も行く予定だよ。その後でってこと。でも、谷まで行くの?」
千里の母親である千鶴は神域での一件がなければ、随分前に葵達の母方の実家――琴原家に帰る予定だった。しかし、洸祈が一向に起きず、千里は櫻家で洸祈を匿い、琉雨も眠ったまま。
そんな重々しい空気が漂う用心屋を心配して予定を変更し、千鶴は帰る日を未定にしていた。
けれども、数日前に洸祈は起き、店に帰ってきた。千里の誕生日パーティーにも参加した。
そして、千鶴は明日、琴原家に帰ることにしたのだ。
「洸祈と夏君のことを話しに行くんだ」
「あ…………夏君はどうなの?」
「まだ暫くは神影さんのところだ。眞羽根君が軍から隠してくれている。あと、小さな傷はもうないらしい。神影さんが痕にならないようにしてくれているそうだ」
「良かった……なわけないよね。夏君はいつまで隠れてなきゃいけないのかな。僕は洸の力と櫻の名前に守られているけど、夏君は……」
一生、隠れて過ごさなくてはいけない生活。
自由のない生活。
自分の過去を思い出した千里は葵を抱き締める腕から力が抜ける。
その腕を葵が掴んで引いた。
「千里、色々考えてはいるんだ。崇弥の名前で琴原を守るとか。その為には崇弥当主の座を確固たるものにしないといけないとか。洸祈が陽季さんを想う気持ちも分かるから、洸祈に任せっきりにしてはいけないとか」
葵は千里を腕に入れると、自分を包んでいた毛布に彼も入れ、ぬくぬくとした葵の体温に、千里が冷えた背中を押し付けた。
「あおの家は周りが厳しいんだっけ?叔父さん怖かったし」
叔父さんこと和泉憲は双子の父である崇弥慎の弟。
正確には千里が子供の時に会っているが、その時のことを忘れている千里にとっては“叔父さん”とは洸祈の婚約話の時が初対面である。
洸祈に結婚しないのかと店に怒鳴り込んできた時に店番をしていたのが千里。
お陰様で、千里には憲は怖くて厳しい人だ。
「和泉の叔父さんは優しい方。顔が怖いのは認めるけど。寧ろ、叔父さんはお兄さんの息子である俺達を自分の子供のように心配してくれてるよ。まぁ、他はお前の言う通りで大体厳しいな」
「洸祈が二十歳になってからは月1で当主会議したいとか実家の方に頻繁に電話してくるんだ。結局、会議は洸祈を他所に繰り広げられるのにな」と呟いた葵は溜め息を吐く。そして、千里の腹に乗る葵の指が、最近付いてきた千里の腹筋を手持ちぶさたになぞった。
「洸祈にばかり重荷を背負わせてる」
「大変なんだね……僕に出来ることあればいいんだけど……」
洸祈と葵には櫻家次期当主の騒動で世話になった千里。
双子がいなければ、心を捨て去って櫻当主の命令に従う選択をしていただろう。しかし、彼らのお陰で千里は自分の意思を祖父に伝えることが出来たのだ。
今では恐怖心の対象でしかなかった祖父とも良くはないが、悪くもない関係を保てており、千里は双子の力になりたいと強く願う。
「すまない。暗い話題だった。とにかく、明日はホテルにはいけない。帰ってきてから…………いや、別にホテルに行きたいわけではないから」
「僕を心配してくれたんだね。ありがと。でも、ホテルはお預けか……しょうがないけど、明後日までもつかな…………あおは我慢できるの?」
「お前、俺の言ったこと分かってな――――っ!!尻を掴むな!」
毛布の中で葵の尻に千里が手を伸ばした。
その手を葵が咄嗟に押さえるが、千里はそれぐらいでは引かない。
伸ばした指先でふにふにと葵の尻の揉み心地を確かめる。
「千里!」
「全部分かってるよ。あおは迷ってる…………僕は櫻当主の座から逃げた。だけど、君は迷ってる……誤解しないで?僕は君を責めてはいないんだ。ただ……今日、このままにしたら、君はきっと悩む。洸や陽季さんがいなきゃこの話は進まないんだから、今は君を悩ませたくない。……君に悪夢を見せたくないんだ」
「せん……俺は……」
俯く葵の肩に頭を乗せた千里は優しく笑むと、首を回して葵の耳たぶを自分の唇に挟んだ。
「僕の誕生日に免じて、今夜だけは何も考えられなくなるぐらい気持ち良くなって?」
「これ以上は腰が立たなくなる……明日行けなくなったらどうすんだ」
「どうもしない。だって、あおは行きたい時は這ってでも行くから。行きたくない時は僕を理由にしていいし。その時は僕と洸で行くよ。洸は文句ばっかだろうけど、あおに甘えるなっての」
「お前なぁ……俺は這ってでも行くからな。タクシー代はお前の給料から天引きで」
「なら僕も一緒に行こっと。あ、皆で行こうよ」と千里がポンと手を打つと、葵は「旅行じゃないんだぞ」としわにしていた眉間を緩める。
そして、二人は暫し目を合わせ、
「皆、一緒。ね?あお」
「……そうだな」
「じゃあ、笑って?」
「…………笑ってるだろ」
「……君は不器用だね。だって、笑いながら泣いてるんだから」
「………………」
葵が咄嗟に両手で顔を隠そうとし、それを千里が防いだ。
「あお、いつだって僕が君の隣にいる。転びそうな時は僕の肩を使ってよ」
葵の必死に細められた目から滴が溢れる。
右目から線を描いた涙は顎を伝って毛布に染み込んだ。
しかし、左目から伝う涙は葵の唇の横で千里が舐め、その流れで千里が優しく触れるだけのキスをした。
「せん……り」
「うん。葵」
「お前は俺を好いてくれてるが、俺は……いい奴じゃない……」
「僕は君の悪い奴のとこも好き」
「俺はお前が思っているような――」
「奴じゃない。もっともっと悪い奴だって?そうかもしれないね」
千里の真っ直ぐな瞳と真っ直ぐな言葉に葵の涙は止まる。そして、彼の硬直した体は千里に再びベッドに倒された。
「僕は君が思ってるような奴ではないよ。お腹の中は欲とか妬みとかでどろどろで、今も君をどうしてやろうか考えてる悪い奴さ。ベッド下の箱に入ってる玩具も大半は試したけど、まだまだ葵には早いやつもある。でも、いつかは試す予定。とか、考えてる悪い奴だよ。……だけど、葵は僕を嫌いにならないだろう?」
「………………今のわざとだろ……でも、嫌いにはならない……」
月が移動したのか、『1回戦』では見えなかった千里の嬉々とした横顔を見ながら葵は答える。
欲望に素直な千里は葵をその気にさせようと手を伸ばし、葵も“それでも嫌いにはならない”千里に身を任せた。
「完璧な人間なんてこの世にはいない。僕もあおも洸も完璧じゃないんだよ」
「皆、ドMってやつか?」
「うん。皆、自分を虐めたがるマゾだよ」
「……っ、それにしては…………お前は俺を虐めたがるな……」
千里の手は葵の膝を掴んで股を広げる。葵は何食わぬ顔でそれをやってのける千里に羞恥を覚えて千里の枕を自分の顔に押し付けた。
が、千里はそれを許さない。
枕を奪って床に捨てる。
「だって、僕は君を辱しめて自分の欲を満たしながら、あおを虐めてることに胸を痛めてる人間だから。……でも、君も僕にこんなことさせられて興奮しちゃう自分に罪悪感を感じてるのかな」
「…………だったら何だよ。萎えるか?」
「萎えるわけない。寧ろ、僕の大好物だよ、葵」
葵の太股の肌触りを堪能し、「僕は君の顔以外で肉体のどこが好きかって言うと、足が一番好き」と言いながら舌を這わせた。
そして、「肌触りとか、してる時に足でぎゅってしてくるとことか。可愛いんだ」と意地悪く微笑む。
しかし、これは2回戦目だ。
男同士の性行に抵抗感が未だにある葵でも、この短時間に2回目となるとそろそろ開き直る。
羞恥を捨てきれるわけはないが、繰り返される千里の煽り発言には葵も流石に慣れてくる。
そもそも、千里が葵の性格を知り得ているように、葵も性格の性格はお見通しだ。
「お前は余裕がなくなると良く喋るな」
千里の頬を膝でぐいぐい押しながら葵は鼻で笑う。
そんな彼を千里は前髪の隙間から見詰めると、ふっと息を吐いて葵の膝をベッドに勢いを付けて押し返した。
葵の股関節に痛みが走り、彼は唇を歪める。
「っ……」
「何言ってんの?あおの方が余裕ないじゃん。僕にもっと色んなことしてもらいたいんじゃないの」
そう吐き捨てて千里は笑んだ。
頬を赤らめ、髪の生え際をしっとりと濡らす二人。
熱か涙か月明かりをゆらゆらと反射させる瞳で葵と千里が睨み合う。
「………………しろ」
「………………するね」
そう口にしたのは二人同時だった。
~おまけ~
一方、その頃。洸祈の部屋にて。
「次する時はちゃんと最後まで白衣も眼鏡も聴診器も付けてろよ」
「だから、邪魔なんだって。二之宮もよく付けてられるよな」
「かばう気はないけど、二之宮はエッチするために医者コスしてないと思う」
「いや、あいつはムラムラしてるぞ。違いない。患者って無防備だし」
「そんなこと言ったら、俺、あいつの診察受けた時に興奮するかもよ?」
「その時は警官コスで突入するからな。お前を逮捕する」
「二人きりの密室で俺の体の隅々まで取り調べしちゃう?」
「具体的にはどこまで?」
「えっと……胃まで?」
「なんで胃なんだか」
「凶器がチョコで作ったナイフだから」
「凶器?」
「西日本の某所にある古風な温泉旅館。その夜、視界を埋め尽くす程の大雪が降り……起きてしまった!」
「え?起きたの?」
「殺人事件!大雪に閉鎖された旅館へと通じる唯一の道路。容疑者は22人。残されたダイイングメッセージ。見付からない凶器。謎の美人女将。連日連夜報道されている通り魔がその旅館にいるらしいという噂。どろどろの三角関係。不倫、浮気、二股!」
「待って。昼ドラになってる」
「そこに現れる洸祈名探偵!『何、名乗るほどの者でもないさ……東京のイケメン探偵崇弥洸祈さ!!』悪の組織とか政府の陰謀とか!」
「……………………探偵コス探すよ」