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拒絶(6.5)

三日月に照らされた緑の小高い丘。

そして、巨大な桜の木。

満開の桜は何処からともなく吹く夜風に散っていく。

しかし、桜の花弁は積もりもせず、全てが散り落ちる気配もなく、ただ、そこに巨木と無数の花が存在していた。


「やっと見付けました」

「…………まさか、きみがぼくを探しに来るとはね。でも、きみの旦那様はここにはいないよ?」

「知ってます。ルーはあなたを探していたから」

黒のタートルネックに白色のパーカーを羽織り、赤系のチェック柄ミニスカート、黒のハイソックスの少女。

肩までの甘栗色の髪は下の方で軽く波打っていた。

少女は紅色の瞳を桜の木に寄り掛かって座る彼に向けると、彼の目の前でしゃがんだ。

スカートの裾はきちんと手で押さえる。

「で?ぼくを探して何したいの?」

小さく欠伸をした彼はくるくると跳ねた黒髪を右手でかき揚げて少女を翡翠色の瞳で睨み返した。

が、少女は真摯な眼差しを彼に向け続けるだけ。

彼は気まずそうに宙を舞う桜の花弁を目で追う。

「お願いがあるんです」

「お願い?」

緑の芝に落ちる薄桃色の花。月の光を反射させるそれは、見ているだけで絹に似た滑らかな肌触りだと分かる。

彼はキラキラと輝く桜に目を細めた。

「はい――」

不意に風が強く吹き、彼の傍で揺れていた桜が再び宙へと浮き上がる。

「――お願いです」


昔から桜は儚さの象徴だった。

春になると一斉に咲き、世界を彩る。

そして、散る。

散ることは別に何かの始まりでもなければ、終わりでもない。

だけど、人はそれを「死」に見立てた。

それは多分、桜の散る姿があまりにも美しかったから。そして、散り落ち、地に溜まった桜は萎れ、薄汚れ、踏み慣らした落ち葉のようになる。そんなものを通行人は誰も気に留めない。

それらが桜だったということも忘れるのだ。

その変わり果てた姿はまるで死だ。

短い命と美しい死に様。

嗚呼、なんて桜は儚いのか。


けれども、この世界では桜は死なない。

何故なら、いくら花が散ろうとも桜の枝はピンク色の花弁に隠されたまま。

いくら花が地に落ちようとも変わり果てた花弁はどこにも見当たらないから。

この世界には死がない。



「ルーと契約をしてくださいませんか?コウキさん」



琉雨(るう)が桜の花を一つ、手のひらに乗せる。そして、ゆっくりとその手を閉じた。

「きみは分かっているだろう?ぼくは端的に言って、きみが愛する洸祈(こうき)の敵だ。きみは敵と契約を結びたいと言うのかい?……きみにとって、契約とはとても崇高なものだと思っていたが?」

「あなたは旦那様の敵ではありませんから」

コウキの前で琉雨が手を開くと、そこに桜の花はなかった。

桜は消えた。死なずに消えた。

「そうかい?だが、洸祈はぼくを敵だと思っているよ。何故なら、ぼくの存在が洸祈の意思を徐々に奪い取っている、と彼は思っているんだから」

「あなたは旦那様ではありません。ですが、あなたがいなければ、旦那様は旦那様として存在することはできない」

「そうだね。ぼくは洸祈の意思を奪い取ってはいない。寧ろ、ぼくがいるから、彼は彼でいられる。だけど、ぼくは好きでここにいるわけではないんだよ?洸祈の敵と言うのもあながち間違ってはいない」

「だから、お願いしています。それに、あなたはルーを助けてくれました」

神域の研究者によって洸祈との契約を上書きされ、魔力が供給されなくなった。

刻々と消えていく残された洸祈の魔力。

研究者と対峙した時、本当は魔力が尽き果ててでも琉雨は研究者を殺すつもりだった。

だが、研究者への怒りで頭が一杯になった瞬間、再び洸祈から一方的に際限無く魔力が送られてきた。

そうじゃない。

正確には琉雨の知る洸祈の魔力ではなかった。

「ぼくはきみのあの男への黒い感情に手を貸したくなっただけ。助けようとしたんじゃない。ただ、面白そうだと思っただけさ」

唇の端を不自然に吊り上げたコウキは琉雨を見下ろす。

「洸祈が蝶よ花よと育てている気でいるきみが棘を隠した薔薇だったということにね」

「愉快だった」と冷えきった瞳で嘲笑った。

しかし、琉雨の真剣な想いに遊び半分で手を貸したと心底愉しそうに笑うコウキに琉雨は無表情を貫く。

それどころか彼女は笑うコウキの眼前で正座をし、頭を下げた。

彼女の額は地に付く。

コウキは笑うのを止めた。

「ルーは旦那様の護鳥。旦那様を守れるなら棘だって持ちます。愉快だったと言うのなら、ルーの黒い感情の為にルーと契約をしてください」

「へぇ……きみは本当に変わったんだな。それで?ぼくと契約してきみは何をしたいんだ?洸祈と契約をしているのに」

「旦那様とルーの契約が無効になったのはこれで2回目……ルーは魔力がなければ無力です。だから、保険がほしいんです。旦那様を守る為に」

「お願いします」と琉雨は深く深く頭を下げる。

その姿にはコウキのどんな侮辱の言葉も受ける覚悟があった。

「ぼくがきみに力を貸せたのは洸祈の存在が消えてきているから。洸祈が消えた時……」

「旦那様は消させません!絶対に!」

琉雨がコウキの前に現れてから初めて見せた感情。

寄せられた眉、真一文字に結ばれた唇、赤く高揚した頬。

コウキを睨んだ琉雨は怒っていた。

「旦那様に足りないものはルーが見付けます!だから、ルーには力が必要なんです!」

怒りは限界を通り越し、琉雨はコウキを睨みながら、溢れてくる涙を桜の花弁が付いた片手で拭った。

1回。2回。3回。

彼女は拭っても拭っても収まらない涙を目尻が赤くなっても拭う。

「る……ルーの存在も、名前も、居場所も、旦那様がくれました………………旦那様はルーの全てです!」

“ルーの恩人”だけでは言葉が足りない。

琉雨を形作る何もかもが洸祈なのだ。

その洸祈を守ることは琉雨にとっては約束でも義務でもない。

使命だ。

「旦那様を…………失いたくない……っ」

琉雨はとうとう止むことを忘れた涙を伸ばしたパーカーの袖を当てて染み込ませる。

「………………ずっと一緒にいるからね。洸祈のことはまぁまぁ分かるんだ。洸祈はヒトとして生きるのに必要な多くを持っていない。だけど、洸祈がそれに苦悩するのは、きみ達に出会って自分に足りないものがあると自覚したからだ」

「……………………」

「いいよ。ぼくと契約しよう」

コウキの手が琉雨の目を隠す腕を取った。

真っ赤な瞼に真っ赤な白目、じわじわと溢れてくる涙。

「洸祈はきみの泣く姿は好きじゃない。笑っているきみが好きだよ」

「知って……ます」

琉雨は震える唇でゆっくりと答えた。

「なら、笑って。琉雨」

「……はい」

彼女の笑顔は強張っていたが、コウキは満足そうに頷く。

「しかし、ぼくにはきみとの契約を結ぶ為の代償がないな……そうだ。この桜をあげよう」

「桜……?」

両腕を広げ、桜を扇ぐコウキ。

見上げた琉雨の顔面に桜が降り注ぐ。

柔らかな花弁が1枚、また1枚と琉雨の涙を拭い、まるで桜が彼女に泣かないでと言っているかのようだった。

「ぼくの記憶だ。綺麗だろう?これをきみにあげる。だから、きみが必要とする時、ぼくの魔力を使え。……ただし、扱いには気を付けるんだね。ぼくの魔力はきみを壊しかねない。それはあの研究所で分かっているはず」

「はい……でも、ルーは旦那様を守れるなら――」

「その話は聞きたくないな!」

コウキが声を荒げ、それに呼応するかのように桜がざわめく。

損益を考えずに琉雨に手を貸すと言ってくれたコウキの触れてはならない琴線に触れた。そう理解した琉雨は直ぐに「ごめんなさい!」と謝る。

「…………いい。ただ、ぼくはきみが言おうとしたその言葉は聞きたくない。大嫌いなんだ」

「………………ごめんなさい……」

「もういいって言ったよ。それよりもこれを食べて帰ってくれ。洸祈が彼等を帰した。きみが遅れると洸祈にバレてしまう」

「……はい」

コウキは舞い散る桜の花を目で追うと、一つを選んで摘まむ。そして、それを琉雨の小さな手のひらに乗せた。

これを食べれば契約が成立し、琉雨はコウキの魔力を利用することができるようになる。

しかし、これは代償契約。

護鳥の琉雨はコウキの命令に絶対服従しなくてはいけない。

勿論、代償契約の場合は優先される契約は先に結んだ洸祈との契約だが、それでも洸祈の命令に反しない限りではコウキの命令に従わなくてはいけない。

しかし、そもそもこれは琉雨が望んだ契約だ。


洸祈(旦那様)を守れるなら、自分はどうなったって構わない。


目をキツく閉じた琉雨は淡く自ら発光する桜を口に入れた。






『俺は氷羽(ひわ)……』

『氷の羽。繊細な名前だね』

『………………』

『ねぇ、氷羽。ぼくと友達になろうよ』






「おはよう、琉雨」

「おはようございます、旦那様」


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