拒絶(4.5)
「葵兄ちゃん、やっぱり顔色悪いです!上で休んでください!店番ぐらいなら僕でもできますから!」
「呉……俺はいいんだ」
「“良い”とか“良くない”とかわけ分かりません!兎に角、休んでください!本当に死にそうな顔してます!」
「死にそうなって……でも、良いんだよ……。俺は千里と由宇麻に酷い役を押し付けた。陽季さんはきっと反対する……分かっていて、俺は二人に任せて逃げた。伊予はそんな最低な男を見限っただけ。これは罰だ」
「葵兄ちゃん……」
僕は一度、彼を破壊した。
いや、破壊しようとした。
彼が好きだったから。
愛していたから。
僕は彼の全てを知りたかった。
だけど、彼には決して誰にも近付かせない部分があった。
優しい優しいお兄ちゃんの僕にでさえ近付かせない部分……。
それを許せなかった。
いや、認めたくなかったんだ。
僕は彼の“一番”じゃないってことを。
だから、僕は決めた。
彼の、僕の知らない部分を壊して新しく作り直そうって。
僕を一番にしてくれる彼にしようって。
「崇弥、目を開けろ!」
蓮君は懐からマッチを取り出すと、瞬時に点火した。
そして、眠る崇弥の眼前に翳す。
炎は崇弥のトラウマだ。
まさか蓮君は崇弥に揺さぶりを掛けて起こす気か?
しかし、実際は揺さぶりなんてものじゃなかった。
「蓮……くん!」
蓮君は擦ったマッチを見定めた崇弥の左手のひらに押し付けたのだ。
ぴくっと眠る崇弥の表情が歪む。
けれども、それはほんの一瞬で、崇弥はまた何事もなかったように眠り続ける。
消えたマッチの火。
蓮君は忌々しそうに焦げたマッチの先を睨むと、崇弥の左手のひらに視線を移した。
「傷……付いとらん」
マッチを押し付けたはずの手のひらには火傷の痕もなく、圧で僅かに赤くなっただけだった。それも直ぐに消える。
「治癒は出来るんだね。なら、あの時の痛みはもう感じない?」
あの時?
……しかし、崇弥に治癒が出来るとしても、マッチを擦り付けるなんて。
俺は崇弥と約束をした。
琉雨ちゃんの言うことは絶対だし、崇弥の過去は詮索しない。
だけど……陽季君に同意出来なかった数分前の自分にとても後悔している。
そして、当の陽季君は俯き、猫背のままふらふらと階段を上がって行ってしまった。多分、俺達に失望し、自分に絶望している。
勿論、千里君も俺も葵君も、蓮君の計画は事前に聞いていた。詳細は聞いてないが、乱暴になるかもしれないと。
陽季君は絶対に蓮君の意見に反対するとも分かっていた。分かっていて、蓮君は陽季君に隠れてしたくはないと、敢えて陽季君を待った。
蓮君は陽季君に正直だ。
だが、俺は?
“崇弥との約束”で何もかもを肯定し、陽季君の必死な顔から目を逸らした。
全然正直じゃない。
悔しい。
俺は俺に悔しい。
「崇弥……いや、清。痛みはどうでもいいんだ。大事なのは、あの夜、君を壊そうとしたのは誰なのか、君のお兄さんが本当はどんな人間なのか知ることなんだよ」
清は崇弥が館にいた頃の名前。俺の知らない崇弥と蓮君の過去。
しかし、遊杏ちゃんだけは小さく頷いたように見えた。
そして、蓮君はマッチをもう一本擦った。
それはつまり、蓮君はまだ諦めていないと言うこと。また崇弥を傷付けると言うこと。
俺は今直ぐにでも出ようとする俺の無責任な右手の甲をつねった。
俺は蓮君を反対しなかった。
だが、反対しないとはどっちでもいいと言うわけではない。反対しないとは賛成も含むのだ。
たった一人が賛成票を投じた瞬間、どっち付かずの票が全て賛成の色に染まってしまうように。
そうだ。誰かが言っていた。
無関心は罪だと。
ならば俺は……罪深い人間だ。
「あの時は目隠しがあったけど、今はない。だから、君は目を開けて見なきゃいけないんだ」
煌々と輝き揺れるマッチの炎を再び、崇弥の眼前に掲げた蓮君。
そして、彼はマッチを逆手に握った。まるでナイフを握るように。
眠る崇弥に跨ぐ彼のその体勢はテレビドラマで見たことがある。
「……っ、蓮君!何する気なん!?」
恐ろしい予感が過る。
上へ上へと広がる小さな炎が蓮君の手を焼き、蓮君は顔色一つ変えずに崇弥の右目の瞼を抉じ開けた。そこに見えたのは瞳孔の開いた瞳。崇弥の目。
彼は何をする気だ。
「ちょっ、蓮さん!!そんなの聞いてないっ!!」
「流石にやり過ぎや!」
千里君も蓮君の行動から推測される彼のしようとしていることが俺と一致したようだ。
俺達はほぼ同時に蓮君の肩と腕を掴んだ。
千里君は肩を。俺は腕を掴む。
「……放してくれないか?君達は誓ったはずだ」
「う……」
蓮君の声が低くなった。
彼は怒っている。
それも当然だ。
俺達は反対しなかったのだから。
今更否定するのは、責任を放棄して影から野次を飛ばし、すかさず良いところだけを奪うハイエナと同じ。卑怯だ。
そして、蓮君の声音に千里君の体が小刻みに震え、彼は蓮君の肩を掴む手をゆっくりと離した。千里君は怯えていた。
けれども、いくら卑怯でも、俺は彼の腕を放さない。
「由宇麻君、放して」
「イヤや。崇弥の目を奪うんやろ」
蓮君は崇弥の目を抉じ開け、マッチを翳した。どう考えても、彼の狙いは崇弥の目だ。
火傷の痕はなかなか消えないものだが、今は皮膚の移植で消すことができる。だが、目はどうだ?片目を失ったままの蓮君が良い例だ。
「崇弥は炎系魔法の使い手。火に対する治癒力は高い」
崇弥は火をあんなに怖がっていたのに……崇弥は火の何を恐れているのか。
しかし、“治癒力は高い”を理解し間違えてはいけない。蓮君が手のひらにマッチを押し付けた時の崇弥の表情を忘れてはいけないのだ。
「せやかて、痛いんやろ!」
崇弥は痛みを感じていた。
「それに目や!もしもの時に取り返しが付かへんやろ!」
蓮君を疑うわけではないが、俺も魔法についてかじったことがある。
魔法は確かに便利だが、万能じゃない。時には呪いとして使用者に跳ね返ることもあると知っている。
蓮君がいくら物知りだとしても、まだまだ謎多き魔法の世界では予測不可能なことばかりだ。
「僕はやった」
「……え?」
蓮君は何をやったと?
「僕は昔、彼に同じことをした」
同じこととは、今、彼がしようとしていること?
今、彼は崇弥の目を……?
「何……ゆうとるんや」
君は清君に一体何をしたのだ。
「僕は昔、崇弥の目を奪おうとした。僕はね、崇弥の優しい蓮お兄ちゃんじゃないんだよ」
崇弥や清君の知る優しい彼はいない。
「放して貰うよ」
「!?」
不意だった。
蓮君は崇弥の首と肩の隙間からステンレス台にマッチを力任せに押し付けると、右腕を振り回した。
俺は不覚にも彼に振り回され、手を放してしまう。
しまった。と思った時には遅い。
「僕の目を見ろ!!!!」
マッチを擦り直し、彼は崇弥の右目にそれを突き立てた。
「蓮君!」
早く崇弥を助けないと――
「ああああぁぁああああああ!!!!!!」
崇弥が叫んだ。
君は昔からずっと僕を見てくれはしなかった。
僕はそんな君の目が憎くて憎くて仕方がなかった。
洸祈が叫び声をあげた。
それは地下室から階段を通り、地上へと響く程の大声。
ビリビリと地下室の空気が震える。
「れ、蓮君!」
「蓮さん、何を――」
「開いた!遊杏、崇弥と僕の神経を繋げ!!」
「あいあいさー!」
洸祈の叫び声が止まない中、ステンレス台の傍に立つ遊杏の足下が眩い光を放った。波色の光が泉のように地面から溢れ、台の脚下まで広がる。
その時、床に尻餅を突く由宇麻は少女の瞳が波色に光るのを見て直感的に理解した。
彼女は魔法を使う気だ。
「蓮君!説明してや!崇弥は起きたんちゃうの!?」
「起きたのは目だけだ!今から彼の目を通して僕の神経と彼の神経を結び、意識を共有する!崇弥を起こしに彼の深層心理に怒鳴り込みに行くよ!!」
洸祈の右目を指で確りと開ける蓮の瞳もまた波色。
「にー、くぅちゃんに邪魔されてる!せいぜい1時間ぐらいしか持ちそうにないよ!」
「十分だ!」
蓮は眉間のシワを深くし、痛みに堪えるように片目を瞑った。
その間も床の光は形を整え、綺麗な円形になる。
「ルーも行きます!」
「うーちゃん、陣の中に!」
「え!?誰でも行けるの!?ぼ、僕も行く!!」
「なっ!俺も行くで!」
遊杏に教えられて頷いた琉雨は走り、洸祈の手を握った。それを眺めていた千里と由宇麻もハッとして陣の中へと駆け出す。
「絶対に、絶対に、くぅちゃんを連れて帰って来て!…………繋ぐよ!」
遊杏が両目を瞑った瞬間、光が一際強くなった。
洸祈の体も蓮も、棚や薬品の瓶、その他全てが光に包まれる。
そして、光は消えた。
「遊杏ちゃん……!」
董子は背後に傾いた少女を抱き止めた。
体力を消耗したのか遊杏はぐったりと董子の胸元に凭れる。そうして暫く休むと、彼女は董子の腕から離れて立ち上がった。
痛むのか、遊杏は額を押さえる。
「遊杏ちゃん……これって成功したの?」
董子も立ち上がり、地下室を見渡した。
そこには床に倒れる千里達と台の上で洸祈の体に重なるように倒れる蓮が。
「成功だよ」
遊杏は床に寝転がる一人の前髪をかき揚げ、そう言った。