拒絶(3)
『陽季さんって洸にとってどんなポジション目指してる?』
予定では洸祈と店番デートだったが、珍しく用心屋に客が来ていた。その為、俺は暇な時間を2階のリビングで潰していた。
と、お出掛けやら買い物やらで静かな用心屋2階でテレビを見ていたら、千里君が大あくびでリビングにやってきたのだ。
「はー良く寝た。陽季さんおはよー」「おはよう……って、もう11時だよ?昨日夜更かししたの?」「ふふふ。健全な男の子の夜更かしはあれしかないじゃん。あーれ」「あれ?……ゲームとか?」「愛しの子とセックス。陽季さん鈍過ぎ」「せ……せせせ、せ、せっ!?」「あの洸をくたくたにさせるテクは中々なのに、ホントに陽季さんって他人の性事情に耐性ないよね。まぁ、はいはい」等と会話を交わし、千里君は台所で水をコップに注ぐとがぶ飲みした。
良く見れば、裸足をペタペタと鳴らして歩く千里君はぶかぶかのTシャツにスラックスをチラチラと見せていた。葵君とあれやこれやの後と考えると、生々しい。
平日の夜に葵君と……。今日はまだ葵君を見ていない。
その後だった。
俺の向かいのソファーに座り、“エネルギー補給”という名目でスナック菓子の袋を開けた千里君は俺に訊ねてきた。
「陽季さんって洸にとってどんなポジション目指してる?」と。
『え?ポジション?』
ポジションと訊かれて思い浮かぶのは親とか兄弟姉妹。
『恋人……だけど』
『そういうことじゃなくて、どんな恋人になりたいかってこと。んぐっ』
ばりばりと菓子を頬張る千里君。そんな彼の首筋にはTシャツで見え隠れするキスマークらしきものが……いや、あれは歯形……葵君よ……。
『どんな恋人って?』
『セフレ』
『………………』
知らない訳じゃない。
所謂、するだけの関係だ。
『――俺と洸祈は……』
『冗談冗談。例えば、陽季さんは洸に頼られる恋人になりたいとか。友達同士の延長線?というか、お互い趣味の話とかで盛り上がりたいとか。洸にリードされる……とか?』
頼られる――洸祈は頼りたくないだろうし、洸祈の趣味ってロリコン?洸祈にリードされるのは普通に嫌だな。
なら俺は……。
『千里君は葵君とどんな恋人になりたいの?』
『僕?』
ペロッと指先を舐めた千里君はその手をシャツで拭うと、スナック菓子の袋をローテーブルに置き、ソファーから立ち上がる。
『僕はあおとー……』
いつも皆が食事を食べるテーブルからスマホを手に取ると、俺に背を向けて操作する千里君。
左右に揺れる腰に合わせて彼の束ねた髪が尾のように揺れていた。
『葵に大丈夫って言われない恋人になりたい』
大丈夫と言われない恋人?
良く分からない。
『分かりやすく言えば、僕は葵が苦しい時に苦しいって打ち明けて貰える恋人になりたいの』
俺は葵君と普段から頻繁に会っている訳ではないから確かではないが、葵君は「大丈夫です」と良く口にしている気がする。
事実、葵君は何でも知っている物知りで、色々な物事の解決方法を知っている。彼が言うのなら大丈夫なのだと思った場面もあった気がする。
『あ、でも、あおって気持ちいに関しては素直なんだよねー。昨日も僕のコレクション増えたしー』
千里君はぶつぶつと呟いてはスマホを熱心に操作する。
『あ、そっか。あおって保健体育の知識薄そうだし、そういうのは素直になっちゃうのかな。何でも素直に受け止めちゃう赤ん坊?…………そういうプレイもありか……んー、ほんと、可愛い』
ぐふふふと不吉な笑い声を出す千里君の表情は見えない。
しかし、いつも思うけど、千里君は葵君を良く見ている。
葵君の言動や動作、表情、どんな些細なことまで葵君を観察している。
だから、大丈夫の多い葵君の苦しみまで察することができる。
だが、俺はどうだ?
俺は洸祈の何が分かる?
もしかしたら、俺は千里君よりも洸祈のことを理解できていないんじゃないか?
『あおったら、その場にいないのに僕をその気にさせるの得意でしょ』
それは千里君の豊かな妄想力じゃ――。
『陽季さん、またね』
千里君は振り返ると、笑顔で俺に手を振り、スマホを片手にリビングと廊下を繋ぐドアに手を掛ける。
『そうだっ。洸って、陽季さんが思ってる以上にずっとずぅーっと、寂しがり屋さんなんだよ』
「一杯構ってあげてね」と言って、千里君は部屋を出て行った。
俺の手元にはスナック菓子の袋が残っていた。そして、千里君の質問が俺の胸に残っていた。
――き……さん……はる……。
「……洸祈」
そんなに濡れちゃってどうしたの?
「陽季……さん?」
嗚呼、俺のこと迎えに来たの?
今日はデートの約束してないでしょ?
明日も明後日もその先も……電話掛け放題にするとか言ったっけ。
「…………洸祈、風邪引くよ……おいで」
今日だけの特別だから。
今日だけは……最後にするから。
「あの、陽季さん。俺です。葵です」
「え…………葵……くん?」
少し困り顔の洸祈……じゃなくて葵君が俺の腕の中にいた。双子なだけに、洸祈とは瓜二つだが、葵君は洸祈より表情が柔らかい。
彼のおおらかな性格が出ている。
――とか言う話じゃない。
「もう、あおだよ!間違えないでよね!」
天井のライトで逆光になり、色濃い影が落ちているが、千里君がぷくりと頬を膨らまして俺を睨む。
「あ……ごめ……」
俺は慌てて葵君を抱き寄せる腕を緩めた。
葵君は「大丈夫です」と言うと、俺からゆっくりと体を離し、待ち構えていた千里君の腕に確保される。千里君が口を尖らせて何かを囁き、葵君がその口を塞ぐように一瞬だけ口付けをした。
二人が羨ましい。
俺達は離れて行くばかりなのに……。
しかし、二人ともびしょびしょだ。
「ちょっと待ってて。タオル取ってくるよ」
俺は仲睦まじい二人を尻目に、足早にホールの出口へと掛けた。
寒い廊下を歩いていたら頭がクリアになってきた。
そう、俺は今日の昼頃に司野さんを傷付けた。
抑えきれない感情を……抑えるべき感情を彼にぶつけた。
俺を心配する彼に。
そして、俺は自己嫌悪に浸り、むしゃくしゃした想いを練習にぶつけ、向かいのホテルで休むはずが舞台の上で寝てしまった。
薄ら薄ら記憶に残っているのは、蘭さんが毛布を俺に掛けてくれたこと。菊さんが暫く俺の頭を撫でてくれていたこと。
そして、ホテルまで俺をおんぶしようとした双灯を蹴ってまで拒否したこと。
……眠たかったとは言え、流石に双灯には悪いことしたかもしれなくない。
「オーナー、迷惑掛けました。すみません。ホテルに戻ります」
葵君と千里君へのタオルを腕に掛け、途中、オーナー室に寄る。
「練習頑張ってるね。でも、無理はしないように。ゆっくりお休み。お疲れ様」
「はい。お疲れ様です」
パソコンのキーボードを叩く指を止めたオーナーはコーヒーの入ったマグカップを手に微笑むと、コーヒーを一口飲み、また作業に戻った。
まだまだ俺としては謝罪が足りないが、オーナーは必要以上の謝罪を求めるタイプじゃないし、オーナー自身も忙しそうで、俺はオーナー室のドアを閉めた。それから再びホールへと向かった。
「備え付けのでごめんね」
ローテーブル上の資料や雑誌を口を開けたスポーツバッグに落とし、マグカップに備え付けのティーバッグで緑茶を淹れる。
俺はジャージ姿でベッドに並んで腰掛ける二人に断っておいた。
「お構い無く。こちらこそシャワーと服をありがとうございます」
「はぁ……まさか、ゲリラ豪雨に見舞われるなんて……くしっ」
俺達がホールからホテルに向かった時は雨は止んでいたから、かなりのピンポイントで遭遇したようだ。
「千里、髪ちゃんと拭け。悪化して風邪引くぞ。お前は柚里さんのあったかコートを俺に掛けて……裏起毛猫耳パーカーだろ?あったかいんだよ」
「あぐぐ」
千里君の首に掛かったタオルを取り、水滴の滴る千里君の頭を拭く葵君。
濡れた衣類をホテルの乾燥機で乾燥させている為、今夜は俺のジャージを着て、二人には俺が借りているこの部屋を使って貰う予定だ。
俺は着信36件目で起きた隣の双灯の部屋で無理矢理寝る予定である。
「冷めない内に緑茶どうぞ」
「頂きます。千里も」
「あ、ありがとうございます」
葵君がミトン代わりにジャージの裾を伸ばした千里の両手にマグカップを入れた。葵君も千里君もふーふーと息を吹いて冷ます姿が洸祈と被る。
俺も自分用に持ち歩くマグカップから緑茶を口に含んだ。
「あの……陽季さん……」
葵君が口を開く。
「洸祈のことだよね。司野さん泣いてた?」
「…………はい」
やはり司野さんを泣かせた。
洸祈にバレたら、俺はきっと彼に半殺しにされる。
二之宮には毒殺されそうだ。
あの二人は司野さん贔屓だし。しかし、斯く言う俺も司野さん贔屓だろう。
何故なら、今、俺は司野さんを泣かせた俺の首を絞めてやりたいから。
「あと、陽季さんのこと滅茶苦茶怒ってたからね」
千里君が不機嫌そうに言う。
泣かせて怒らせて……洸祈にはなぶり殺し、二之宮には覚醒させられたまま解剖されそうだ。
俺は俺をじわじわと餓死させたい。
「由宇麻言ってたよ。陽季さんに大切なもの壊させちゃって悲しいって。陽季さんが超短気で何も考えない脳味噌綿菓子のおたんこ茄子って」
「え……」
今、千里君を通して色々酷い言葉が聞こえたような。
「こら、千里。盛るな」
「少しだけだよ。脳内補完みたいな。意味は変わらないし」
盛ったんだ。
千里君も司野さんを泣かせて怒らせたこと怒ってるんだね。
「陽季さん、単刀直入に」
マグカップをテーブルに置いて座り直した葵君。俺は口に付けた空のマグカップを更に傾けた。
「洸祈のことまだほんの少しでも好きなら、どうか洸祈に会ってください。お願いします」
マグカップで見えないが、葵君は頭を下げている。
こんなろくでなしの俺に。
そして、マグカップの影から左へと視線を逸らせば、千里君と目が合う。
じっと。
俺は慌てて茶渋の残るマグカップの底に視線を戻した。
彼に俺が見透かされてしまう気がしたから。
「俺は……」
「崇弥も櫻も魔法使いの家系であり、軍人の家系。だけど、俺達は家族や分家の反対を押し切って軍学校を出ました。千里には軍や政府が狙うカミサマが共存しています」
洸祈を含めた三人が魔法使いなのは知っている。だけど、魔法使いの世界に関しては無知だ。
“カミサマ”がそんなに大事な存在だとかも。
「そして、洸祈も軍や政府に狙われています。…………洸祈は人殺しに長けているから……っごめんなさい」
葵君が直ぐに謝ったから俺は何も言えなかった。
マグカップの底をひたすら見ることしか出来なかった。
「洸祈は軍学校時代に違法な薬物投与を受けています。きっと、洸祈への脅迫のネタは俺や崇弥の家族でしょう。今でも突然不安定になるし、衝動的に動くこともあります。残酷にもなります」
俺は洸祈の置かれている立場を全然知らない。
「洸祈はとても危険な存在です」
洸祈が俺を捲き込ませまいとするから、俺も知らないでいようとした。
なのに、
「傍に居る人間を不幸にします」
そう葵君が言い放った。
そして、見上げた俺の瞳に映った彼は苦しそうだった。
「陽季さん、洸祈はそう言う人間です」
隣の千里君が葵君の苦しげな表情を唇を噛んで見詰める。
「だけど……だけど、洸祈自身は本当に小さな幸せを望むだけの馬鹿素直な優しい人間なんです」
それは知っている。
洸祈は平々凡々に幸せを望むだけの男だって。
それを知っているからこそ、彼の親友達は胸を痛めるのだ。
「陽季さん、傍に居る限り、洸祈はあなたを不幸にします。洸祈の意思とは無関係に強制的に。それでも、洸祈をまだ愛してくれますか?」
確かに、俺は不幸になった。
人を撃った。
だけど、問題はそこじゃない。
俺はいくら不幸になろうと構わない。いや、正確にはあの列車事故以上の不幸など俺にはない。
「葵君、千里君」
「はい」
葵君が返事をし、千里君は頷く。
俺は顔を隠すマグカップをテーブルに置いた。
顔を上げ、二人に俺の表情を晒す。
そうしたら、きっと俺は嘘を吐けなくなるから。
「俺は洸祈が好きでした。愛していました」
俺は洸祈が好きだし、愛していた。それは間違いない。
「この気持ちは今も昔も変わらないと思う」
洸祈にはずっと変わらない感情を抱いている。洸祈には無邪気に笑っていて欲しい。
「だけど、それを今は“愛する”とは呼べないんだ」
「あの、俺達も出来る限り陽季さんを捲き込まないようにしますから」
「違うんだよ」
葵君達は俺のことを今までだって気遣ってくれていた。問題は俺以外じゃなくて俺自身なのだ。
「俺は俺を許せないんだ。俺は俺の過ちに洸祈を言い訳に使った。洸祈のせいにした。俺は洸祈を愛してなんかいないんだ。俺達はもう無理なんだよ」
たった一度の間違い?
いいや、俺はいつかまた同じ間違いを必ず犯す。
何故なら、俺が弱虫だから。
そして、俺は洸祈に俺の不幸の原因を押し付ける。
俺はあいつを不幸にする。
「俺は洸祈を幸せにしてやれない」
だから、俺は洸祈には会えない。
「何それ!」
千里君だ。彼が声を荒げる。
「千里。深夜だぞ」
「意味分かんないよ!」
「だから、俺は洸祈の傍にいたらあいつを不幸にするって……」
「洸は幸せ者だよ!陽季さんがいるから幸せなんだよ!」
皆そうだ。
洸祈のことを全部俺に任せる。
俺がコインを作ってるとも知らずに。
洸祈と契約を結んででしか傍に居られない俺なんかに全部任せてるんだ。
だけど、俺には辛いのだ。皆に洸祈を任せると言われる度に、俺の心は罪悪に押し潰される。
「千里君に分かるわけがないよ!」
洸祈が俺といて幸せに見える千里君には。
「…………だから分かんないって言ってるじゃん!!洸は陽季さんといて幸せなのに、陽季さんは一緒にいると洸を不幸せにするって言ってさ!陽季さんの過ちを洸のせいにしたから?そもそも、陽季さんの過ちって何さ!」
「人を撃ったことだよ!!」
千里君は自身が分からないって言っているのに、俺に捲し立ててきて苛々する。
「人伝の人伝の人伝で正しいか分かんないけど、陽季さんは誰かを助けようとしたんでしょ!陽季さんが撃たなきゃ誰かが傷付いてたんでしょ!」
「俺が撃ったから女の子を傷付けたんだよ!」
多分、俺は怒りの表情だ。触れて欲しくないことを掘り返してくる千里君に怒ってる。
だけど、千里君はもっと怒っていた。
葵君が止めようか迷い、結局、傍観を決め込むぐらい。
「陽季さんが洸なら撃ったよ!」
「な……っ!!」
どうして彼はそうはっきりと言うんだ。
「そう言うことでしょ!?洸なら撃った。だから、自分は正しい。そう考えた自分が許せない!」
髪を振り乱し、彼は拳をテーブルにぶつけた。
俺は彼のこんな性格を知らない。
そして、彼は他人の隠したい感情を見透かす。
「それって、洸のこと否定するって分からないの?」
「…………」
「洸は誰かを守りたいって気持ちをすっごく大切にしてる。確かに、洸は周りばっかり助けて自分のことが見えてないよ。だけど、洸が大切にしてきた気持ちを否定されたら悲しいよ!」
「だけど、俺の選択は正しかったとは思えないんだ!」
「何で何で何で!」
咄嗟に謝ろうと思ったが遅く、千里君は立ち上がると俺の直ぐ傍まで歩み寄り、俺の胸ぐらを掴んできた。
「なら今すぐ眠ってる洸に会って言ってよ!嫌いだって!何も言わずに離れてかないでよ!洸に踏ん切り付けさせてよ!洸の大切なものから消えてよ!!」
「千里、言い過ぎだ」
葵君が興奮冷めない千里君を俺から引き剥がし、ベッドへと誘導する。
だけど、葵君はいつでも止められる立場で千里君に言いたい放題させてから止めた――つまり、葵君も千里君と同じ気持ちなのだ。
二人の言いたいことは分かった。
「俺は……洸祈に嫌いとは言えない。嘘は吐けない」
俺は洸祈が本当に嫌いな時以外は決して嫌いとは言わない。その代わり、洸祈の嫌いなところは素直に言う。
それが洸祈の望む愛情の形だから。
「そう言う中途半端が――」
「俺は誰かの為なら手段を厭わない洸祈を認められない」
たとえ、千里君の言うように洸祈が大切にしてきた気持ちだとしても。
俺は自分が傷付く選択ばかりする洸祈が嫌いだ。
「だって、誰かがあいつを否定しなきゃ、あいつは止まらないだろ?」
親友の千里君も葵君も最終的には洸祈を肯定する。洸祈を許す。
長年の付き合いで洸祈との絆があるから。無意識の信頼でもいい。
でも、俺達にはそんな絆はない。
だから、俺は洸祈のすることを否定できる。
「だからなんだよ。俺は洸祈なら撃ったって考えた俺を許せないんだ」
それは洸祈の自己犠牲を肯定するということだから。
「……あお、やっぱり分かんない」
「陽季さんは洸祈を否定したいぐらい大好きなんだよ」
先生が生徒に教えるように、葵君は微笑しながら千里君に曲解を教える。
俺が伝えたいことちゃんと伝わってるのか不安になってきた。否定したいぐらい大好きって好きでいいの?
「え……陽季さん、大丈夫なの?」
“頭が”ですか?千里君。
俺にちらちらと目配せしながら、互いに耳打ちする二人。
そして、
「決まった」
千里君がすっと怒りの表情を消して、手を打つ。
「まずは由宇麻に謝って?」
「え?」
今、何て?
「だから、陽季さん、全体的に由宇麻に失礼だったじゃん。酷いことしたんだから由宇麻に謝ってよ」
まるで見ていたかのよう。
まぁ、俺が一方的に怒鳴ってしまったし。それも、自分に怒って。
俺が言えた義理じゃないが、司野さんは所謂とばっちりを受けたのだ。
「明日の公演終わったら謝りに行くよ」
「で、洸に会って」
「それは……」
俺の話を聞いていたのか?
俺には洸祈と一緒にいる資格なんてないんだぞ。
「陽季さんの言いたいことはちゃんと理解しました。つまり、陽季さんは洸のする事なす事を否定できる恋人になりたかったけど、失敗したってことでしょ?」
全否定はしないけど、俺は否定したかったことを自分の弱さや愚かさから肯定し、失敗した。
「ほんと、陽季さんって真面目なんだから。あおみたい」
「俺?」
「一度の失敗をそれはもうこの夜の終わりみたいに」
「千里、俺はそこまで――」
俺もそこまではない……洸祈と離れる決意を固めながら、内心はこの世の終わりだったとは言えないが。
「それだけ物事を考えてる証拠でもあるけどね。でも、誰でも間違うでしょ?今まで洸と陽季さんは一度も間違わなかった?違うよね?間違っても仲直りしてきたでしょ?」
「………………」
俺達は沢山間違ってきた。
洸祈はそこらの男と寝るわ、薬をがばがばと飲むわ、逃げるわ、怒るわ、無茶するわしてきた。
でも、俺だって洸祈と真正面から正直に向き合わず、勝手な理由で見ない振りをしてきた。
本当は洸祈は俺の言葉を待っていたのに。
「俺は嫌だったんだ……やっと、洸祈と嘘偽りなく付き合っていけると思っていたから。完璧になりたかった」
「完璧なんて絶対に無理だよ。だって、人って自分にすら嘘吐くんだから。完璧になりたくて自分のこと虐めちゃうんだから。皆ドMなんだよ」
「え……?」
話が飛んだ。
「僕みたいなドSはドM的ドSで、あおや陽季さんはドM的ドM。みーんな、ドMなんだよ。ほら、もう完璧じゃなくなった」
「ああ、Sがstupidで、Mがメンデレーエフだっけ?後で話そうか」
stupidは馬鹿って意味だよね?メンデレーエフって人名じゃなかった?俺が聞いたことあるなら、偉人かな。
葵君ならではの台詞に、俺も千里君も首を傾げる。
「なぁ、千里?」
「あ……そうなの!すちゅーぴっどとめんでーれふなの!」
駄目だよ、千里君。取り敢えず、君は葵君にバカだと言われてるからね?
「陽季さん、僕達だって何度も間違ってきた。ねぇ、お願いだよ。洸には誰でもない陽季さんが必要なんだ」
「陽季さん、身勝手なお願いなのは分かっています」
千里君がベッドに乗り上げて土下座をした。嘘だろうって自分の目を疑ったら、葵君まで並んで土下座をする。
冗談じゃない。
「ふ、二人とも、分かったから!」
誰もいないのに二人が頭を下げて、俺が恥ずかしい。
「行くよ!会いに行く!」
俺はとうとう言ってしまった。約2週間の決意は脆くも崩れ去った。
洸祈が好きなんだ……しょうがない。
「やった!!会ってよ?会ってね?絶対だよ?約束だからね!?やった!やったよ!あおの言う通り、言うは易し?」
「違う。思い立ったが吉日だ。適当言うな。てか、今の千里のは全てを台無しにすることわざだからな」
「あ、河童の川流れ?」
それも違う。
「お前はもう何も言うな」
「………………」
「………………」
そして、二人は顔を見合わせると、ほぼ同時に噴き出す。俺も少しだけ笑った。
彼らは一通り笑うと、胸を撫で下ろした千里君が手のひらを俺に見せる。
「もうほっとしちゃった。これ、持っててよ」
「せん……くん……それ、何か分かってる?」
それはコインだ。洸祈を縛る呪いみたいなもの。それを彼は俺に渡そうとする。
「うん。でもね、これは陽季さんに持ってて欲しいんだ。洸もそれを望んでる」
「望んでなんかないよ……そんなもの」
これが原因で喧嘩したのに。それを持っていた俺も悪人だが。しかし、千里君は首を横に振り、俺の胸にコインを押し付けた。
「僕達には洸を否定出来ない。だから、これは陽季さんが持つのが相応しいんだよ」
「相応しい…………君達は優しいね」
「優しい?僕達は結局、洸の為に陽季さんを引き留めて、挙句にこんなの渡そうとしてる。本当に相応しいとは思ってるよ?でもね、僕達は優しくなんかないんだよ。だから、泣かないでください」
「な……く?」
「泣かないでください。あの、泣かないで?」
泣いてない。泣かない。それよりも、こんなコイン捨てて欲しいって突き返すべきだ。
なのに、千里君の顔がよく見えない。
「ごめ、ごめんね、泣かないから」
「あ、えっと…………あお……」
「ふー……陽季さん、泣いてください」と、誰かに抱擁されていた。
“誰か”なのは相手が見えないからで、その他人の温もりに俺は抗うことが出来なかった。
「うっ…………っく――」
辛かった。
悲しかった。
他人を傷付けた。
そんな俺が許せなかった。
そんな俺が怖かった。
俺は、俺にも抵抗出来ない力で変わってしまう俺がとても怖かったんだ。