拒絶(2)
その日の夜、由宇麻は櫻家にやって来た。
そして、眠る洸祈の隣で泣きながら僕達に早口で喚き立ててきた。
その泣きっぷりは、「騒がしいぞ」と言いに来たお祖父様が、涙で顔面ぐちゃぐちゃの由宇麻を見た瞬間に踵を返した程だ。
そんなわけで、しゃっくり混じりの由宇麻の話を要約するに、陽季さんを説得しに行った由宇麻は言いたいことを言う間もなく陽季さんに全面拒絶されたらしかった。
「由宇麻には悪いけど、陽季さんの気持ち分かるよ。だって……僕達と陽季さんのいるべき場所はやっぱり違うから」
「俺達に関わらなければ、由宇麻だってこんな怪我しなかった」
葵は洸祈の布団に上体だけ入れた由宇麻の足首を優しく擦る。
暫くすれば杖なしでも問題なく歩けるようになるらしいが、歩ける歩けないの問題じゃない。
太股を銃弾が貫通したのだ。
どんなに痛かったか。
どんなに苦しかったか。
「あお……僕はもう陽季さんとは関わらない方がいいって思ってる。陽季さんだってそれを望んでいるんだし。あおはどう思う?」
きっと僕は冷酷なことを言っている。
正確には……所謂、正論だ。
冷静で残酷な正論。
「俺は……」
葵は由宇麻の足を擦る手を止めて俯いた。
そうやって答えるのを渋ったのは、多分、葵も僕の言葉は正しいと知っているから。
陽季さんを巻き込んだのは僕達だ。
陽季さんが僕達から離れたいと言うのなら、巻き込んだ側として、僕達に彼を止める権利はない。
だけど――
「陽季さんが洸祈を嫌いになったのなら……洸祈への愛情がなくなったというのなら、俺は陽季さんを追いかけない。だけど――」
「だけど?」
「……まだ洸祈を好きなら……俺は陽季さんを追いかけたい…………だって、嫌なんだ……こんな形で二人が離れるなんて」
小さく肩を震わせた葵。
彼は目の前に座る僕の膝に額を付けた。
君は物事の名前や論理は分かるけど、その胸のモヤモヤが何なのかは分からないんだよね。ただ、辛く哀しいんだよね。
『ぼくは二人が別れるなら祝福するけどね』
なんて、氷羽は溢すが、心の奥底では祝福してないのが伝わってくる。
『…………まぁ、洸くんに「大嫌いだ」って直接言って貰わないと、洸くんのお花畑脳は嫌われたなんて信じないだろうけど』
陽季さんは氷羽が認めた恋のライバルだからだね。
『煩いよ、千里』
はいはい。
「僕も嫌だ。こんなお別れは嫌だよ」
洸祈は僕達が陽季さんを引き止めることはきっと望んでいないだろう。
陽季さんが大好きだからこそ、離れ行く陽季さんを追うことは決してしないだろう。
だから、これは僕の我が儘だ。毎回、武力行使で僕の邪魔をしてくる洸にも絶対に止められない僕の我が儘。
「あお、陽季さんに会ってくるよ」
「千里……でも……由宇麻だって……」
由宇麻は陽季さんに一蹴されて帰ってきた。
それだけ陽季さんは本気ということ。
本気で僕達との関係を終わらせようとしているということ。
「だけど、大切な扇子や時計を壊してまで隠そうとした陽季さんの気持ちを聞かなきゃ」
どうしてとても大切にしていた扇子や懐中時計を壊したのか。
それは覚悟を見せ付ける為?
そうじゃない。
迷いを捨てきれなかったからじゃないの?
「それに、洸のことが本当に好きだから陽季さんはこのコインを持っていたんじゃないの?洸が暴走した時の保険だって言うのなら、洸が怖いならさっさと離れれば良かった話でしょ?これを持ってまで洸の傍にいたかったってことじゃないの?」
最近の契約ではコインを媒介として契約を実行できるシステムができているとは知っていた。それは本当に偶々で、誰でもない陽季さんがぽつりと溢していたから。
僕と葵は暇を潰しに店番中の洸祈とおやつタイムにしようと店の1階に降りた。そしたら、遊びに来ていたらしい陽季さんが洸祈を膝枕で寝かしていた。
その陽季さんがコインについてぼそっと喋ったのだ。何故、陽季さんがそんなことを知っていたのか、眠る洸祈の頭を優しく撫でる彼の心情はその時の僕達には分からなかった。ただ僕は「便利になったんだね」とか適当に流した気がする。「どんな魔法構築を……」とか葵も言っていたっけ。
だけど、本当は陽季さんは自分のしていることを僕達に伝えたかった――そう。罪の告白をしたかった。洸祈の為なのか、自分の為なのか。本人も分からなかったんだ。
もしも、自分の為なら?
こんな裏切るみたいな行為は、する方だって辛いんだ。
「だから陽季さんに会ってくる。洸が嫌いなら、ここに来て洸に直接言ってもらう」
そうしないと洸祈のお花畑脳は信じないからね。
「………………」
葵は暫く口をぽかんと開けていた。
そう口を開かれると、指入れたくなるから……とは言わない。
まだ葵にはそこら辺は早いし。
そして、子犬みたいに僕の膝に両手を乗せていた葵はこくんと頷いた。頬が少し赤いのは俯いていたからだろう。
「逃げ腰じゃ駄目だよな。陽季さんに嫌われるなら、とことん嫌われて来よう。うん……俺も一緒に行く」
何か吹っ切れたみたいだ。
『……きみ達って似た者同士だね』
そうかな。
葵は満を期して大胆になるけど、僕はただの無計画だ。
『自分で無計画って言えるだけ大人になったんじゃないの?』
……褒められてるのかな。
「よし、今から行くぞ!榎楠ホールだよな?」
「え、あ……由宇麻はそう言ってたけど」
今、午後10時なんだけど。
「まだ電車あるし、行くぞ!支度しろ!」
大胆……不敵?
葵ががばっと立ち上がり、少しふらふらしてから衣服を詰めてきた鞄を探り出す。今夜はここでお泊りの予定だったから既に寝間着だが、私服に着替えるようだ。
『これは……洸くんに早く起きてもらわないと、葵が洸くんみたいになるね』
駄目駄目洸祈を諌めるのが葵だったからか。
諌める相手がいないと――性格の似た双子なのだ――普段、サポート側に回っていた葵が洸祈みたいになるというのは十分に有り得る。
でも、洸祈みたいな葵は正直、嫌だ。
雑誌で頭叩いて、怒鳴って、短気で、僕には少しも甘くなくて、苛めてきて。僕が虫嫌いなの知っててバッタやらカマキリやらコウロギやら掴んで追っかけてくるし。男の子が好きな女の子に構ってもらいたくてするあれですかっての。…………って、僕はそういう傾向についてはテレビドラマでしか知らないんだけどね。
だって、僕の世界には双子しかいなかったから。逆に双子がいたから――葵だけでも洸祈だけでもない――二人がいたから幸せを感じてこれたんだと思う。
『洸くんへの不満が沢山ある割に洸くんが好きなんだ?もしかして、マゾ?』
氷羽も洸祈への不満がある割に洸祈が好きだよね?
もしかしなくても、氷羽ってマゾ?
『きみの意識乗っ取って洸くんにあっついキスお見舞いしてやろうか?きみが葵にするみたいにしつこい奴』
…………ごめんなさい。
先に意地悪してきたの氷羽なんだけどなぁ。
「千里、お前も着替えろ」
「はぁい」
僕はパジャマを脱ぐ葵の引き締まった背中を見、こっそり着替えの洋服を替えてあげてから、僕も洋服を持って廊下に出た。
だって、万が一、寝ている琉雨ちゃんに僕の着替えシーン見られたら恥ずかしいし。
「おい、今何時だと思って――」
「あ…………」
パジャマのズボンを脱いだところで、廊下を曲がったお祖父様と目が合う。
まずいかも。取り敢えず、僕は最速でジーンズを履いた。
「その服……こんな遅くに出掛けるのか?」
「え…………あ……はい」
「………………お前は成人しているから何も言わんが、夜の外出は危険だ」
『言ってるじゃん』
とは、氷羽は言っても僕は言わない。
「そんな服じゃ風邪をひく。待ってろ。柚里のコートを取ってくる。あいつは直ぐに風邪をひくからな。特別暖かいコートがあるんだ」
「あ…………はい」
ぱたぱたとスリッパを鳴らしたお祖父様はもと来た道を戻って行った。
『ぼくが言わなくても、彼はツンデレだ』
「…………言わなくていいよ」
『素直じゃないね。櫻の男は皆ツンデレになる奇病にでも掛かってるのかい?』
「煩いよ、氷羽」
僕のお父さんはツンデレじゃないし。それに、僕は絶対にツンデレじゃないもんね!
ツンデレは崇弥の双子だけだもん!
「おい、千里。俺の服返せ」
噂の葵が僕がすり替えた服に着替えて部屋を出てきた。
パーカー。されどパーカー。
パーカーのフードを被った葵はむすっとする。
「あおが実家に帰ってる間に僕が調達した服だよ。コンセプトは可愛い系猫耳男子」
やっぱり、猫耳パーカーは可愛いな。葵が着ると更に可愛い。
前に猫耳と猫尻尾であれやこれやした時に、葵は猫もイケるって思ったんだよね。写真も残ってるんだ。
タイトルは黒猫「アオイ」ちゃん。
――僕もちょっとはおかしいかなとは思ってるよ。だけど、葵に関しては抑えられないというか……って、誰に言い訳してるんだろう。
「いいから服返せ」
「裏起毛だよ?暖かいでしょ?あおが今から行くって我が儘言ったんだから、僕の我が儘も聞いて。それに、フード被らなきゃ猫耳見えないんだし」
葵がばさりとフードを脱いだ。天然さんめ。
「…………これ以上の我が儘は聞かないからな」
後で牛さんパーカーとアルパカさんパーカーとウサギさんパーカーも着てもらおっと。
「千里、コートとマフラー、手袋…………」
「お祖父様!ありがとうございます!」
葵を見て固まるお祖父様を見付けて、僕は慌てて葵の前に出た。葵も小さく頭を下げると、即座に部屋に戻る。察してくれたみたいだ。
「お祖父様」
「……柚里のだ。これを着るといい」
お祖父様は足早で僕に近寄ると、僕の腕にコートやマフラーを乗せ、再び足早で去って行った。
これは暫くお祖父様の不機嫌が続きそうだ。
『ツンデレ』
「氷羽」
『静かにするよ』
「これ。お父さんのだ……」
このコート知ってる。黒のモッズコート。襟首とか袖の部分が少し擦れている。だけど、きちんと手入れがされているからまだまだ使える。
「柚里さんのコートか。特殊繊維かな。軽いけど、暖かそうだ。良かったな」
「うん」
ジャンパーを着込んだ葵がドアを薄く開けて微笑んでいた。
そして、コートを手に取ると、「ほら」とコートを広げる。
記憶の中のお父さんは凄く背が高かったけど、コートに袖を通すと、裾は膝丈程だった。
このコートには見覚えがあるから、膝丈なら僕はほぼお父さんと同じ身長だ。
胸ポケットの魔除けの刺繍もちゃんとある。この刺繍はお父さんのお母さん――僕のお祖母様が縫ったもので、お祖母様が亡くなる以前に将来のお父さんの為に買ったコートに刺繍したらしい。そんな風に、お祖母様は子供達が大人になった時に必要になるであろうものを色々用意していた。
僕はそっとコートに鼻を近付けて父の匂いを探してみたが見付からず、洗い立ての匂いがするぐらいだった。しかし、隠れてしたつもりなのに「お前の体臭が柚里さんと同じ匂いなんだろ」と葵に言われた。
「千鶴さんに聞いてみたら分かるんじゃないか?」
「もう……聞けるわけないじゃん」
僕の体臭ってお父さん似?なんて……。
「なら、お前のお祖父様に」
「あーお」
「冗談だ。ほら、マフラー貸して」
葵はお父さんの紫色のマフラーを僕の首に優しく巻いてくれる。葵が巻いてくれると温かいのは、巻き方にコツがあるのだろうか。
「行こう」
部屋の中で眠る洸祈や琉雨、由宇麻を見詰めた葵は部屋の電気を消し、僕は手袋をして葵と一緒に玄関に向かった。
玄関先で僕がブーツを履くのに苦戦してから顔を上げると、葵が浮かない顔をして宙を見ていた。
もしかして、陽季さんに会いに行くの後悔してるのかな。
会いに行って、由宇麻みたいに拒絶されたら……。
それに、僕達の行為は陽季さんを危険に晒す行為でもあるし。
『ねぇ、千里』
うん?
『どうしてきみが悩むのさ。言い出しっぺはきみだろう?』
まぁ。そうなんだけど。
『きみは我が儘ぷーなんだろう?』
え?何?
『洸くんが自己犠牲万歳派。葵がうだうだ考える派。なら千里は我が儘ぷー派でいいじゃないか』
貶してる?
『違うよ。一人くらい我が儘を言う奴が居なきゃ、悩みに悩んでる間に洸くんが自己犠牲して終わるぞ。それに考えるのは知性派の葵だけで十分だろう?きみが考えてもろくな答えが出ないから』
「……励ましてる?」
「え?何か言ったか?」
ついうっかり口に出してしまっていた。
葵が怪訝な顔をする。
「ううん。……あお」
「ん?」
「ありがと。傍に居てくれて」
僕は葵の横を通り過ぎてドアを開けた。冷たい夜風が僕の頬を撫でる。でも、お父さんのコートもマフラーも手袋もあるから平気だ。
「…………急にどうした」
葵も玄関を出て僕の後を追って来る。そして、僕が周囲に人影がないのを確認して手のひらを葵に向ければ、彼は戸惑うこともなく僕の手を握ってくれた。
「一人も欠けちゃいけないなって。僕にとってあおや洸が必要なように、洸にも陽季さんが必要なんだよ。パズルのピースみたいにさ。別の何かじゃ埋められないんだ。同じ大きさの同じ形の同じ色じゃなきゃ」
「パズルのピースか。なら、俺にとって千里のピースは虹色の大きな円形だな。キラキラなピース。目立つんだから無くならないでくれよ」
葵は楽しそうに笑った。
~おまけ~
用心屋2階。ベランダにて。
「あお、ここから見る夜景ってロマンチックだね」
「…………っくし!っくし!」
「……あお、明日のデートはどこ行こっか?」
「へっ…………っくし!……ふえ、っくし!」
「………………あお――」
「くしっ!」
ずずず……。
「あ――」
「くしゅっ!ふえっくしっ!」
「分かったよ!お部屋デートね!外出は諦めるから!」
「うん」
「…………春はお部屋デート以外選択肢なくてつまんないよぉ!」