君だけの桜(13-2)
「千里、心配だからと言っても、ちゃんと部屋で寝…………」
ばたん。
部屋の障子が開き、廊下から射した灯りが俺の顔を照らした。
そして、障子を開けた彼と暫し見詰め合う。
「…………今晩は」
「………………ごほんっ」
ばたん。
咳払いを一つし、部屋の障子が閉じた。
「ふぇ…………今……」
俺の膝枕ですやすやと寝ていた千里が、物音に反応して目許をごしごしと擦りながら顔を上げた。
「……お前のお祖父様が来て……それから戻って……」
「へ……………………え!?」
目を真ん丸にした千里ががばりと起き上がる。
そして、寝起きで赤い頬に手のひらを添えると、口をぱくりと開けて固まった。
アホ面で……あれだ。
ムンクの叫び状態。
「おじ……おじいさまが…………一体何を……」
「いや……ただ、見たくなかったんだろうな。孫が俺の膝枕でぐーすかしてるのを」
そして、孫が洸祈の見舞いで腹を出したままぐーすか畳で大の字寝をしていないか心配でつい顔を出してしまったところを“崇弥洸祈の弟”兼“孫の恋人”に目撃されて咄嗟に踵を返した――とは千里には教えないでおいた。
千里は「イチャイチャが見られちゃったよぉ」と愕然とし、ぱくりと開けた口を更に縦に伸ばしてムンクを悪化させる。
「でも――」
ぱくんと口を閉じた千里の細く白い指が灯りのない部屋でも目立ち、それは布団で眠る洸祈の鼻筋をついっとなぞった。
僅かに伏せた瞼と長い睫毛が揺れる。
「洸は……起きない」
「千里……」
店番をしていない間はずっと櫻の屋敷の一室で眠る洸祈の傍にいる千里。
それは勿論、洸祈の親友として。
そして、罪悪感だろう。
しかし、洸祈が一向に目を覚まさないのは千里のせいじゃない。
確かに、洸祈は千里の幻影に魅せられて夢に落ちたが、千里の魔法はもう切れている。だから、洸祈はいつでも起きることができる。
ただ、洸祈が起きることを拒んでいるだけ……。
――――さて、『神域』での一件についてだが。
琉雨達が洸祈の契約をどうにかしてくれた後、俺と千里は呉の助けを得て洸祈を連れて『神域』を脱出した。
店では千鶴さんが待っていてくれたが、桐の動きが気掛かりで、千里の提案で櫻の家に洸祈を匿ってもらうことにした。
櫻も軍を抜けたばかりで微妙な立場だったが、千里が櫻現当主である櫻勝馬に頭を下げ、翼さんの助言もあってどうにか許されたのだ。
櫻勝馬は崇弥の面倒事には絶対に関わらないからなと言っていたが、櫻の結界の強化及び屋敷の周囲を練り歩く軍人に目を光らせてくれているようだった。
しかし、酷い話しかもしれないが、ここまでは良かった。否、マシだった。
洸祈が起きてくれないのも問題だが、心の傷は本人次第だ。俺達は今は洸祈の傍にいてやることぐらいしかできない。
だが、洸祈の件に絡んで政府研究所に誘拐されていた由宇麻は、現在、蓮さん宅で昏睡状態。片足を銃弾が貫通したらしい。
洸祈の為に由宇麻を助けに行っていた陽季さんは研究所でのことをあまり話してはくれなかった。それどころか、俺達よりも良い薬になりそうな彼は、1週間以上眠り続ける洸祈の見舞いに未だに一度も来ていない。
まぁ、俺も洸祈の為とご近所さんの為に代理店長として店を開けているが……。見舞いも定休日や休日、千里が店番を代わってくれる時ぐらいしか行ってやれていない。
それに、蓮さんも由宇麻に付きっきりで、研究所での詳細は聞けていない。
そして、琉雨。
彼女は起きない洸祈の隣でずっと泣いている。泣いて泣いて、泣き疲れては洸祈の傍らで眠る。
千里が琉雨のことも見守ってくれているが、洸祈がもしも起きる理由を探しているのなら、琉雨の為に起きて欲しい。琉雨の泣き腫らす姿を見ていると俺達も辛いのだ。
加えて、夏君だ。
現在、店に居候してもらっているカミサマの眞羽根君に『神域』で琉雨に出会った経緯等は教えて貰ったが、母さんの親戚まで巻き込んでしまった。
夏君は琉雨と眞羽根君を牢から逃がしたことで軍の尋問……拷問を受けた。
正式に軍に追われている彼の身を守る為、今は蓮さんの紹介と思いがけない縁から、神影さんの家で治療を受けている。
そして、琴原家にはまだそのことを伝えていない。あそこは俺達の側じゃないから。しかし、琴原の皆にこのままずっと隠しておく訳にもいかない。だから、夏君の容態が安定し次第、琴原家に出向き、謝罪をする予定だ。
今回のこと、一言で言えば最悪だった。
俺達はただ大切なものを失っただけ。
けれども、一度洸祈の見舞いに来た璃央は皆の無事だけを喜んでくれた。
本当に、皆が無事だったのは良かったんだと思う。
「なぁ、お前の傷はどうなんだ?」
「お腹の?」
「ああ」
「はしゃいだら体の中から傷が開くかもって氷羽には言われたけど、今はお腹使った時にちょこっと痛むだけ」
えへへと笑いながら、痛みに千里の頬がひくついたのを、視界が暗くとも俺は見逃さなかった。
「千里、ちょっと膝に乗れ」
「え…………え!?あおの膝に!?僕が!!!?待ってよ!あおが僕の膝に乗るんでしょ!?」
「……は?」
「まさか……腹痛プレイでドSアピールからの攻めに転向とか!?確かに、敢えて傷を抉っちゃうドS看病プレイもありだけど、僕が攻めだから!いくら傷口ぐりぐりされても僕が攻めだから!だから、僕のお膝にあおが乗るの!!!!」
…………こいつ、元気だな。
実は腹の傷が今もかなり痛むんじゃないかと心配したが、心配損だった。
だが、両脇に手を添えられた思ったら、ぐいっと持ち上げられて俺は千里の膝に乗せられる。
「もう、発情するのは良いけど、僕の立場は揺るがないからね」
「お前、俺を馬鹿にしてないよな?」
「するわけないよ。あおの頭の良さに敵うわけない」
その“馬鹿”じゃないんだけどな。俺が頭脳明晰なのは誰もが認める事実だし。
「葵」
千里が俺の名を呼んだ。
「僕は洸祈に魔法を掛けた。君の兄に魔法を掛けた。そして、洸祈はずっと起きない。もしこのまま…………葵、僕のことを恨んでいいから。全て僕の責任だから」
責任か。
「今回のことは誰にも責任はない。悪いのは洸祈を利用しようとした奴らだ」
それに、千里は洸祈がこれ以上大切な人を傷付けてしまうのを止めてくれたんだ。
千里に責任なんてない。
第一、千里が言ったんだ。
これで皆傷付いたんだと。
「洸祈は俺達を襲おうとした。だが、俺は洸祈に切り付けたし、お前は洸祈に幻影を見せた。そして、皆、家に帰ってきた。……おあいこだ」
千里は周囲には自由奔放意気揚々に見られがちだが、思いがけないところで沢山悩む。切り分けたケーキの大きさ比べしかり、俺との新しいエッチしかり、櫻のことも母親のことも洸祈のことも店のことも良く考える。
悩んだ末に逃げたり怠けたりもするけれど、案外しっかりしているものだ。
言うときは言うし。
「……ありがとう。洸は起きる。そうだよね?」
絶対に起きる。
家族想いな洸祈だからこそ、俺達を独りぼっちにはしない。
「ああ」
俺が頷くと、千里は俺の胸元に顔を押し付けてぐりぐりと額を擦った。そして、俺の体臭を目一杯嗅ぐ。
「……お前は犬か」
「わんわん」
素直で……可愛いかもしれない。
しかし、神域から帰って来てから千里は依頼と店番がなければ櫻家に泊まり、俺は店が休みじゃないとここには来れずで、千里とは殆ど触れ合っていなかった。今日も久し振りの膝枕だし。
だから、普段の俺なら千里の犬みたいな行為を鬱陶しく思ったりするが、今だけは千里に好きなだけじゃれつかれるのも悪くない――そんな風に思った。
「洸が起きたら、僕のお誕生会してね?サプライズ期待してるから」
神域から夜な夜な帰ったのは11月10日。千里の誕生日。
俺は疲労で翌日まで忘れてしまっていたが、崇弥家で静養していた時に千里の誕生日プレゼントは既に用意している。洸祈も毎年プレゼントの用意を忘れたことがない。
何故なら、たった一人の大切な親友の誕生日だから。そして、千里にとっては両親の愛情を一番身近に感じる特別な日だから。
「期待されてたらサプライズじゃなくなる」
「えー、僕、毎年サプライズを期待してるんだよ?でも、毎年サプライズに吃驚してるよ?あおが――してくれたりとか、あおが――着てくれたりとか、あおが――を――して――――できちゃったりとか」
「寝てるとは言え、洸祈と琉雨の隣だぞ。怒るぞ」
てか、毎年お前が「今日は僕の誕生日だから、――――して?」って言うからしてるだけだ!
それに千里にとって、サプライズが俺とのエッチの類いしかないのは流石にいらっとする。
「もう、嘘だよー。毎年、僕のお誕生会してくれるのホントに嬉しいんだ。ケーキ食べて、プレゼント貰って、ゲームして、映画見て。だから、待ってるからね」
「ああ。待ってろ」
洸祈が起きたら盛大なパーティーしてやるから。
それから俺達はどちらかが眠りに就くまで、洸祈が起きた後の予定を話し合っていた。
旅行、買い物、掃除当番の変更、毎日の献立、天気、大晦日。
小さなことや下らないこと、洸祈が一緒に笑う未来をひたすら話していた。