君だけの桜(9)
この前、とうとうマフラーを押入れから引っ張り出しました。寒くなってきましたね(>_<)
風邪引き大魔神『洸祈』みたいにはならないように注意しましょう!
今朝は我ながら早起きだった。
窓もドアも全開にしていたのに、窓の風鈴はピクリとも動かず、多分、早起きの原因は暑さだ。
暑い……んだと思う。
何だか、頭がぼーっとして良く分からない。
ただ、いつもと違う何かのせいで、俺は起きてしまった。
窓の向こうは星空で、まだまだ朝早いことが分かる。耳を澄ましてみても、朝ごはんを用意する真奈さんの包丁の音すら聞こえない。
夏は日の出が早いが、それよりも前の時間なら、きっと家の皆は寝ている。
だから、俺は二度寝をしようとした。
起きていたって日中眠くなるだけだし、もう一度寝て、頭のぼーっとしたのを取り除きたい。
しかし、どんなに目を瞑って待ってみても、やはり“何かのせい”で俺は眠れそうになかった。
ならば、起きるしかない。
俺は多分暑いらしいので、取り敢えず、部屋から出た。
ドアが開いていたので、隣の部屋を覗けば、ちょうど葵が寝返りを打った時だった。ぐっすり眠れているみたいで、羨ましい。
俺は軋む階段を降りた。
1階は2階と違って、個人の部屋よりも茶の間、台所などの共用のスペースが多いから少し怖い。
だって、普段から空いている部屋なら慣れているが、いつもなら皆がいるところが空っぽになっているのは、何だか不気味だ。
「……洸祈……?」
「!?」
縁側を歩いていたら、不意に声をかけられて驚いた。と言うより、腰を抜かしかけた。
「まだ朝早いぞ…………寝なさい……」
晴滋さんだ。
開いていた襖から月明かりが入り、部屋の中央で寝ていた晴滋さんの顔が見えた。どうやら、俺はいつの間にか晴滋さんの部屋の前に来ていたらしい。そして、晴滋さんは俺の気配に起きてしまった。
「……起こしてごめんなさい。……暑くて……氷枕借りてもいいですか?」
「そうか……もし……氷枕でも暑かったら私の部屋においで……上よりも風通しがいい…………後で扇風機を出してやろう…………暗いから……足下に気を付けるんだぞ……」
「はい」
晴滋さんは優しい。起こしてしまった俺を叱りもせず、眠たくても俺の心配をしてくれる。晴滋さんは俺の本当の父親ではないけれど、俺にとっては第2の父親……二人目の父親みたいな存在だ。
俺は晴滋さんに頭を下げ、足音を立てないように静かにその場を離れた。
縁側の窓ガラスを通して、廊下を月明かりが照らす。
俺の吐息と足音以外はとても静かで、時折、フクロウの鳴き声が遠くから聞こえてくるだけ。
慣れ親しんだ家なのに、何だか、冒険している気分になってくる。
晴滋さんには寝るように言われたけど……もっと“今だけのもの”を見たい。
どこかに特別な“今だけ”はないだろうか?
暗くて静かな建物の中は昼間でも場所によってはある。道場側の廊下とか、空き部屋とか……。だから、あまり特別じゃない。
その時、俺は縁側から庭を見た。
「庭……外……」
そうだ。
外だ。
まだ太陽も出ていない早朝の外なんて初めてだ。“今だけ”の特別。
でも、勝手に家の敷地から出ると父さんに怒られるから、庭までにしよう。
庭なら父さんのいる離れからも見えるし。
父さんにも、真奈さんや晴滋さんにも近い……安心だ。
お化けが出ても直ぐに助けに来てくれる。
だから、俺は庭用のサンダルが並ぶ場所へと向かった。
サンダルは、普段は4足。ただし、父さんが離れにいる時は1足減って3足になる。
しかし、父さんが離れで寝ているから、サンダルは3足のはずなのに、そこには2足しかなかった。
1足足りない。
けれども、サンダルがどっかに行くことは稀にあり、そういう時は大抵、いつの間にか元の数に戻っていた。
だから、俺は特に気にもせず、無くなっていた子供用サンダルの代わりに女物の花柄サンダルを履いて庭に出た。
「おいで……おいでってば……ねぇ、おいでよ」
ぱちゃぱちゃ。
尻を俺の方に向けた誰かが、池に顔を寄せて何やら騒がしくしている。
「ねーえー……遊ぼうよ……おいでってば」
…………何してんの?
「んー……んー……こっちだよぉ」
尻が揺れてる。
どんどん尻が上がり、あれでは池に頭から突っ込まんばかりの勢いだ。
「……ねぇ……寝かせてあげなよ。朝っぱらから苛めてさ」
「………………別に何もしてないよ。手を洗ってただけだし」
朝から池で手を洗うとは。
彼はそっぽを向きながら濡れた手を然り気無く浴衣で拭いた。
そして、石畳に胡座をかき、何故か不機嫌顔で俺を睨む。
「鯉と遊びたいなら毎日餌あげたらいいよ。そしたら、餌なしでも集まってくるようになる――」
葵とかがそうだ。葵が池の周りを歩くと、鯉も一緒に泳ぐ。
俺には見向きもしない。葵が羨ましくて、鯉が俺の葵に馴れ馴れしくてむかつく。
「――でも、今はまだ、皆寝てるんだ。睡眠の邪魔したら嫌われるよ」
「……なら、どうしてきみは起きてる?」
彼は極当たり前に訊いてきた。
「今日は何か起きちゃって……眠れないから散歩してたんだ。君は?」
「ぼくはきみの言う“皆”とは違う。千里が“皆”と同じで昼間起きてるから、ぼくは“皆”と違って、千里が寝ている時間――夜しか起きられない。つまり、ぼくは“皆”が寝てる時間に起きるんだ。起きたら、遊ぶ。どうせなら、遊び相手が欲しい。と言うわけで、ぼくは遊び相手を探していたんだ」
長々と説明してくれたが、結局は、彼は夜行性で「暇だから遊び相手を探していた」で良いのだろうか?
「うん。それでいいよ」
立ち上がった彼の月に負けない金髪が月の明かりを反射して眩しく光る。
そして、びしょびしょにした髪から跳ねた水滴がキラキラと月の涙のように散った。
宝石みたい。
ううん。宝石よりも綺麗で儚くて……触りたい。この手に入れたい。
しかし、池を囲む石の上を駆けた彼は、体重を感じさせない軽やかさで石灯篭の屋根に乗った。
遠い。
俺の手は届かなかった。
きっと、近付いたらまた逃げられちゃうんだ。
だって、彼には羽がある。
そうだろう?
氷羽。
「それで?」
「………………“それで”って?」
「きみは自分の家の中をうろうろと徘徊中。ぼくは遊び相手を探してる。それできみはこれからどうするの?散歩を再開するの?」
「俺を遊び相手にはしないの?」
この流れだと、俺と遊ぶんじゃないの?
しかし、氷羽は俺から視線を逸らすと、道場の方を向いた。
「きみは遊び相手にはならないよ」
「どうして?」
「ついうっかり、きみを押し倒しかねないから。ぼくもきみも虫だらけのこんなとこじゃ嫌だろう?」
ついうっかり押し倒して、次に何をするんだ?立ち上がればいいだけなのに。
「………………普通に遊ぼうよ。友達なんだから」
ばちゃ。
氷羽は石灯篭から降りると、池を挟んで向かいの俺に向かって池の水を蹴り上げた。
4、5メートルもある距離を水が跳んでくることはなかったが、氷羽の履いていたサンダルが弧を描き、俺のパジャマのズボンに泥を付けて池に落ちる。
プカプカと池に浮かぶ片足分のサンダル。
「酷いよ、氷羽」
パジャマが汚れた。
「――取って」
「え?」
「サンダル取って」
人使いの荒い……てか、氷羽が勝手に投げたくせに、俺に命令するの?
「ぼくの友達なら、取ってよ」
「………………友達ならすること?」
「すること」
「……………………分かったよ」
俺と氷羽は友達だから。
しかし、サンダルは池の中央だ。手を伸ばしても届きそうにない。
「箒取ってくる」
「何で?深くないでしょ。池に入って取って」
「濡れちゃう」
箒は縁の下で、直ぐそこにあるのに。箒の柄を使えば、わざわざ濡れる必要なんてないのに。
「サンダル」
氷羽が俺を睨む。
「う…………分かったよ……」
俺は自分のサンダルを脱ぎ、恐る恐る池に足を入れた。
ひんやりと気持ちい。冬じゃなくて良かった。
でも、半ズボンの裾がびちょびちょ。捲っておけば良かった。
そして、葵の鯉が慌てたように水の中で暴れる。
ごめんね、鯉さん。
ごめんな、葵。
――ばちゃんばちゃん。
「……え?」
俺が発てているのとは別の水音が。それも、鯉を気遣う俺とは違う乱暴に水を掻き分ける音。
「ちょっ、氷羽!?」
何で氷羽も池に入って来てんの?
「サンダル取って」
「分かってるよ。でも、何で君まで入って――」
しかし、池の中央に浮かぶサンダルを手にした途端、俺は氷羽に抱き着かれた勢いで後ろに倒れていた。
ごちんと頭をぶつけ、鼻から僅かに水が入り、頭に激痛が走る。
月明かりと氷羽の影。
水。
そして、氷羽の口付け。
「!?」
何これ。どういうこと?
起こしてよ。
息が出来ない。
苦しい。死んじゃう。
なのに、氷羽は俺の腹に乗ってキスしてくる。
違う。
氷羽が舌で固く閉じた俺の唇を抉じ開けてきた。
そして、気泡をブクブクと作る。
……俺に空気を送ってるの?
凄く効率が悪くて息が苦しいんだけど。
『じゃあ、面白い遊びをしよっか』
氷羽の声が水を通して微かに聞こえる。
『これは、きみがぼくに生かされる遊びだ。きみはぼくがいなくちゃ生きていけなくなる』
ごぼっと気泡で何も見えなくなり、次の瞬間には氷羽の顔がどアップに。再び、唇を俺の唇に合わせる。
彼の舌が歯を舐める。
……苦しい。
俺は口を開けた。
そしたら、氷羽はやはり俺の口に空気を送り込んできた。
俺はその貴重な空気を逃さないように自ら空気を吸った。
でも、どうして氷羽はこんなことを……。
友達だから?
氷羽は従順になった俺に微笑むと、顔を離した。
遠くで氷羽が霞んでいる。
『どう?面白い?ぼくは面白いよ?』
俺は必死だ。少しも面白くない。苦しいだけ。それに、池の水は綺麗とは言い難いし、病気になりそうで嫌だ。
『嗚呼、洸くん。ぼくはね、きみが好きなんだ』
それは友達の好き?
『だけど、どうしてきみはぼくを愛してくれないの?』
それは友達の愛する?
『分かってる。それはぼくの時間がどうしても足りないからだ』
氷羽は俺が苦しくて堪えきれなくなる直前に空気を与えてくれる。俺もそれを少しでも無駄にするまいと吸う。
『嫌だな……千里はちっともぼくに時間をくれない。千里ばっかり狡いや』
どうして君は千里に嫉妬する。
君は千里であり、千里は君。二人で一人だろう?
『だから、ぼくを求めて。千里が葵を求めるように、きみはぼくを求めて』
求めてる。
俺は氷羽を求めてる。
その為の“氷羽に生かされる遊び”だろう?
『洸くん、ぼくを求めて。ぼくを呼んで』
氷羽。
君は氷羽。
ちゃんと呼んでる。
『ちさと』
?
『千里を“ちさと”と呼んで。きみとぼくだけの千里の名前だ。千里の中で眠っている間も、きみが“ちさと”呼んでくれたら、ぼくはきみを感じられる。お願い』
水面に映る君の表情は良く分からない。
ただ、美しい金髪に反射した光がチラチラと水面を彩る。
『そうさ。ぼくらは二人で一人だよ?だけど、ぼくが眠っているとき、ぼくは千里の中から排除される』
そんなことは……苦しい。
息が……。
空気を頂戴。
『どうして?ねぇ、どうして?どうしてぼくは一人なの?一人で暗い中に取り残されるの?嫌だよ。ぼくを呼んで!ぼくを求めて!一人は嫌なんだ!』
俺は氷羽を忘れたことなんてない。
千里といる時も君のことを忘れたことなんてないよ。
ああ、頭がくらくらしてきた。
でも、分かったから。
君が安心するなら、君を呼ぶから。
だから、泣かないで――……。
ちぃ。
「どうやら、僕は陽季君を追って正解だったらしい」
「に……の…………」
シャツ1枚の陽季は、狭い階段を董子に背負われて現れた蓮を見上げた。
口がぽかんと開いたままの陽季。
しかし、蓮は地下室を一瞥すると、背後を振り返る。
「遊杏、僕の鞄の中」
「そこの鍵?」
「うん。開けれる?」
「開けれるよ」
遊杏が董子の足元から現れ、前へ。陽季が柵を掴む檻へと駆け寄った。
「に……二之宮……」
「良く頑張ったね。でも、話は後だ。彼の措置が先だ」
「勿論だ……司野さんを助けてくれ」
「うん」
陽季は直ぐに口を閉じると、座り込んでいた床から立ち上がり、遊杏が持ってきた折り畳み式の車椅子を組み立てる。董子が頭を下げ、蓮を座らせた。
同時に、ピッキングツール一式を床に広げた遊杏が牢の鍵を開けた。
「蓮さん、背面に切創、酷いのは大腿の銃創。弾は貫通してます」
「彼の意識は?」
「数分前に寒いと。途切れ途切れです。血が……」
笹原のスーツと陽季の上着にくるまる由宇麻が床に横たわる。蓮は由宇麻の太ももの根本を押さえる笹原を見、陽季に代わるよう言った。
陽季は何も言わずに代わる。
「直ぐに輸血が必要だ。これは由宇麻君の直近のカルテ。紫水の研究室には血があるだろう?用意を。上に担架も。それと遊杏、君も彼に付いてってくれ」
「うん」
「もしも彼の邪魔をする奴がいれば、問答無用で殺せ」
「分かった。殺す」
遊杏はすくっと立ち上がると、恐ろしいことをさらりと言った蓮に戸惑った笹原の横をすり抜けて階段を走って上る。しかし、笹原も勢いで舞った彼女の髪にハッとして彼女を追った。
今は一刻の猶予もないのだ。それこそ、邪魔をする奴を殺して黙らせないといけないくらいに。
「董子ちゃん。これ使って陽季君が押さえてる太股の付け根をきつく閉めて。きつくね。後で僕が調節するから」
「はい」
自らのズボンからベルトを外して董子に渡す蓮。
そして、彼は片手で前髪をかき揚げると、息を吐く。
長く。
「陽季君、手を離していいよ」
身体中の酸素を出し切ったかのように、長い吐息の後、蓮が車椅子を進めた。が、牢の入り口に車輪が引っ掛かる。
「ああ。……次は?」
陽季が蓮を抱き抱えて由宇麻のところへ。
「直ぐに彼の足の傷を塞ぐ。感染だけは絶対に避けたいから。…………だから、魔法を使う。陣魔法は得意ではないけれど、これが一番有効で手っ取り早い」
「なら、お前だな」
「うん。陽季君は由宇麻君の無事を祈って。僕は幽霊は信じないけど、魔法は信じる。それに――」
神様も信じる。
あるビルのコインロッカーで、利用方法の説明が書かれた張り紙がしてあったのですが、「入れないで欲しいもの」の中に、貴重品等に混じって「死体」が書かれてありました( ゜Д゜)・・・