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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
匂へどもしる人もなき桜花 ただひとり見て哀れとぞ思ふ
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君だけの桜(3)

(さくら)の契約魔獣……やはり来たか、櫻千里(せんり)

男のオフィスであるこの小さな部屋の窓も、巨大な翼を持つ竜の咆哮にビリビリと音を発てて震動した。

そして、とても小さい割に鋭く耳に響く高音がどこからともなく鳴る。

それは結界が破壊され、砕けた音だった。

「お前を助けに来たようだな」

「…………知らない……」

「なんだ。やっと目を覚ましたのか」

「………………」

赤黒い瞳を揺らし、男の背後でソファーに横たわる青年が身動ぎをする。男は青年の方を振り返ると、彼を見下ろした。

「取り敢えず、起きたのなら、最も厄介な護鳥との契約を解除しろ。あれはお前の魔力がなければ魔力の集合体でしかない」

「………………」

「命令だ」

「………………知らない。知らない。俺は何も知らない」

男の“命令”を青年は拒みはしないが、実行もしない。ただ、青年は「知らない」と繰り返す。

「…………そうきたか」

青年は男の“命令”には逆らえない。しかし、“護鳥”について何も知らない以上、青年は男の“命令”を遂行できない。

「まぁいい。お前が本当に知らないのなら契約解除は諦めてやる。どうせ魔獣は自然消滅するからな。だがな、いつまでも知らないふりが通用すると思わないで欲しいな。複数の人格を持つとは聞いていたが、私は近い内にお前の他の人格も手に入れる」

「知らない。誰も何も知らない」

ぶらりとソファーから垂れて揺れる青年の指先から、青い火の粉が落ちた。蛍火のように微かで儚い小さな光の粒は宙でその姿を完全に消す。

そして、瞬く僅かな光達は青年の頬を伝う涙でそっと反射した。



「命令だ。吟竜の主を殺せ」


「…………はい」








「ここって……」

「高性能ロボに追い掛け回された例の中央ビルだな」

あの時は本当に酷い目にあった。終始、死にかけていた気がする。

まぁ、全部の場面で千里が助けてくれたんだけど……。

「取り敢えず、裏口を探して中に入るか」

くぅ。

「あ、金ちゃん!」

虎がビルの壁面へと走り出し、金も間髪入れずに追い掛ける。

幸いか、周辺に人はいなかったが、虎と狼はビルの壁を通り抜け――なかった。


ぷぎゅう。


「………………」

虎は壁をすり抜けて中へと入って行ってしまったが、金は壁に勢い良くぶつかり、反動でこてんと背後に倒れた。

何て言うか、金は片割れの伊予と比べずとも、かなりのドジっ子だ。

「金ちゃん、大丈夫?」

見張りもいないようなので、千里が茂みから飛び出して金を回収し、俺の隣に戻る。

俺には動物の表情は分からないけれど、金は驚いたらしい。メデューサに睨まれたかのように固まり、千里にお腹を擽られても30秒は身動き一つしなかった。

そして、千里の擽りから30秒後、ばた足をした金は千里の腕から落ちた。

「ねぇ、あお。金ちゃんって伊予ちゃんと違って壁抜けできないんだ?」

「いや、できるはずだ」

金も伊予も壁抜けをする姿を俺は過去に見ている。

「ただ、魔力を消費するだけで…………おかしいな……」

「おかしい?」

「金、お前……」

いつもなら直ぐに起きて俺の胸に飛び込む金が、地面にべたりと貼り付いたまま伸びている。それ以前に金の中の魔力に違和感があった。

「金ちゃん、本当に大丈夫?ぐったりしてない?」

「金の中に洸祈(こうき)の魔力が殆どない」

「え?洸の魔力?どういうこと?」

「金も伊予も主が俺と洸祈の二人なんだ。だから、金も伊予も俺と洸祈の魔力を半分ずつ平等に得ている。主の権限が同じだからな」

なのに、今の金からはあって当たり前だった洸祈の魔力が殆ど感じられない。

「洸祈からの魔力の供給がストップしかけてるんだ」

「それって洸の残ってる魔力が全然ないから?」

「洸祈の魔力は膨大だし、何より、生産速度が高い。それに、守護魔獣は主を守る為に優先的に主の魔力を取得することができる。一気になくなるならまだしも、少しずつ供給が減っているとなると……」

守護魔獣との契約よりも高位の契約が守護魔獣への魔力供給を抑えさせているとしか思えないのだ。

「金ちゃんに僕の魔力はあげられないの?」

「無理だ。だが、半分でも俺の魔力でもつ。休ませよう」

「うん」

俺は千里から金を受け取って自分のパーカーのフードに入れてやった。パーカーを着てて良かった。

背中からはくぅくぅと弱々しい鳴き声が小さく聞こえる。

無理していたのか。

今まで気付かずにごめんな。

「行くぞ、千里。早くしないと洸祈の居場所を見失ってしまう。それに、蜜柑には俺の魔力があるが、琉雨(るう)には洸祈の魔力しかない」

「琉雨ちゃんへの魔力供給が止まったらどうなるの?」

「契約魔獣はその存在の維持にも魔力が必要だ。消費は少ないけれど。主からの魔力がなくなれば……存在を維持できずに……」

琉雨の故郷はスウェーデンの緑豊かな森と聞いている。傍には劇場があり……琉雨はどうなるのだろう。

故郷に帰るのか?

その時、彼女の記憶は?

「琉雨が消費を抑えていてくれれば、洸祈からの供給が止まっても暫くは存在を保てる。琉雨の中の魔力がなくなってしまう前に洸祈の問題を解決するんだ」

「うん」

洸祈の魔力がないのなら、帰りが少し不安だ。しかし、もし仮に“契約”が原因なら……不安どころではない。

厄介なことになりそうだ。

俺達は同じ神域内でありながら、一部を除いた殆どの軍人達に犬猿されているそのビルに真正面から入った。


人間の警備はいない。

理由は、ここには侵入者を無差別に排除するロボットがいるから。下手に人間が見回りをしていると、とばっちりを食らうのだ。

――と、前回ここに来る前に璃央(りおう)が言っていた。

あの時は、一応“招待”だったから、そのロボットに追い掛けられるとは思っていなかったが。

「エレベーターか階段か」

入り口から入って直ぐにエレベーターが3台。

2つはここ1階で、1つは42階で停まっている。

「金ちゃんは休まないとだし、虎さんもいなくなっちゃったから、階段……55階まであるんだよね?」

「階段で行くしかないな」

と、その時だ。

『非常階段』へと通じるドアへと向かおうとした時、エレベーターの位置を示すパネルの数字が変化した。

3つ並ぶ内の一番右端。

42を示していたパネルの数字は41から40、39へと下がってくる。

「あ、あお。降りてくる……」

途中で停まるかと思ったが、既に20をきった。

どうする?

一本道の非常階段に逃げると、気付かれた場合に後が怖い。

「あお!こっち!!」

「え?」

今、外に出ようと考えたところで……。

俺は千里に強く腕を引かれて足を縺れさせる。前へ前へと引くものだから、勢いを殺しきれずに千里の胸にぶつかった。

「っ……ここに隠れるのか?」

「思い付かなくて」

俺達は左端のエレベーターの中にいた。

俺も千里も心臓を煩く鳴らし、俺は千里と向き合うように抱っこされたまま耳をすます。

エレベーターは非常階段よりも危険な選択だと思うが、文句は後だ。


チン。


俺達の隠れるエレベーターの扉が閉まると同時に例の右端のエレベーターが降りてきた。

しかし幸いして、聞こえたのはたった一人だけの足音だった。

『それで?マハネはまだ見付からないのか?…………琴原夏(ことはらなつ)が……崇弥(たかや)への情か。切り札として身内を残して置いたらしいのだがな。裏目に出たな。…………いや、処罰を考えるよりも、今はマハネの確保が先だ。……ああ。私も行く』

夏君?

(あき)君の双子の弟の?

夏君は軍人になっていたのか?

崇弥への情って?

まさか、夏君が軍の意思に反して俺達の為に何かをして……?

「夏君……っ」

また母さんの家族に迷惑をかけていたなんて。

俺達が母さんを奪ったから、琴原の皆にはとても悲しい想いをさせたんだ。なのに――

「あお、優先順位を間違えないで。夏さんが僕達の手助けをしてくれたのなら、僕達は洸を見付けなきゃ」

千里の言う通りだ。

だけど、頭の中がぐるぐるするのだ。

気を抜いたら洸祈の姿が霞んでしまいそうなのだ。

「せん…………洸祈は俺達の助けを……望んでいるのか?」

洸祈は俺達の助けを望んではいないんじゃないのか?

(あおい)!君がそんなこと言わないでよ!」

千里が俺の肩を掴んで揺さぶる。

「だけど、洸祈はいつだって他人の為だ!」

洸祈は自分のせいで家族が傷付くのを恐れる。絶対に俺達の助けを望んではいない。

「バカ!葵は僕を助けに来たじゃないか!僕は君を巻き込みたくはなかった!だけど、君は櫻に来た!」

そんなの――

「お前が好きだからだろ!離れたくなかったから!」

俺の我が儘なんだ。

だけど、もう俺達は我が儘を言う年齢じゃないだろう?

いつまでも嫌なことに背を向けてはいられない。

だから、俺は……正しいはずだ。

なのに、千里はその美しい顔を歪めるのだ。

「僕の一番は君だ、葵。二番は洸祈。だから、どんな結果になろうと僕は君を選ぶ。でもね、僕は洸祈を選ばないわけじゃない。まず君を選び、次に洸祈を選ぶ。たとえ洸祈が僕を拒否をしても、僕は君の次に洸祈を選ぶんだ」

「それは……我が儘だ」

勝手で押し付けがましい。

「そうだよ。僕は我が儘だよ。だけどさ、他人のことしか考えない洸祈だって我が儘だよね?」

千里に言われて気付いた。

洸祈の“自己犠牲”も我が儘だ。

俺は洸祈の言葉は無意識に正しいと思っていた。しかし、洸祈がいつも正しいとは限らない。

洸祈だって隠し事をするし、嘘も吐く。

「……すまない……」

「いいんだ。朝から色々あって少し疲れちゃったもんね。だからね、あおも我が儘言っていいんだからね」

よしよしと千里に頭を撫でられ、俺の役が取られたと思いながらも彼の手のひらを堪能した。


ガタッ。


このまま目を閉じて眠ってしまおうかと酷い考えが過った時、床からまあまあ大きい震動を感じた。

俺達は咄嗟に立ち上がり、身構えた。しかし、次に浮き上がる感覚が足元から頭頂へと伝わってきて、俺達は互いを見詰めた。

「あ、上がってるよ!?」

エレベーターが上昇している。

「上の階で誰かが呼んだんだ!」

「なら早く停めないと!」

目的の階まで上がってしまう前に、どこかの階で降りるしか俺達に道はない。

現在地は20階を過ぎたところ。

ならば、25階から30階ぐらいで停まるようにボタンを――

「55階でしか降りれない!!!?」

普通は1からの自然数が並ぶはずのパネルには1と55のみ。縦に並ぶそれらは、55のボタンの横に御丁寧に『最上階』と書かれたプレートを付けていた。

「どうしようっ!?」

俺達は最上階直通のエレベーターに乗っていたのか。

「千里、俺の後ろにいろ」

「でも、僕には魔法があるから……」

確かに、千里の空間断絶魔法の方が防御面では俺の肉体より優秀だ。だが、相手は自分でエレベーターを呼んだから、油断しているはず。だったら魔法なしの対人戦での成績が勝る俺が前に出た方がいい。――俺はそう判断した。

俺を守ろうと一歩前に出た千里に、俺はズボンに隠していた小型のナイフを見せた。

「あお……」

「俺に先手を打たせてくれ」

「…………うん」

40階を越し、55階は目前だ。

俺達は入り口からは影になるよう隅に身を潜めた。一度だけ、千里は空いている俺の手を握って放す。

俺は振り返らなかった。

分かってる。

無茶はしない。

でも、他人にお前を触れさせもしない。

絶対に。


上から圧される不愉快な感覚の後、エレベーターは最上階で停止した。

大丈夫。

相手の動きを封じて脅すだけだ。

簡単なことだ。

ゆっくりと開く扉。

まず、右手が見える。

一人だ。

何も握っていない。

袖が見える。

私服か?

軍人じゃない?

余裕のある黒のパーカーにジーンズ姿。

ラフな格好。

まるで――

「動くな」

匂いも雰囲気も慣れきった懐かしいの一言に尽きる男。それでも俺は彼の背後に回り、その首に刃を添わすしかなかった。

何故なら、彼の腰には武器があったから。

この場で武器を持っている以上、彼を見逃すわけにはいかない。

彼は首だけを器用に回し、横目で俺を見る。

紅い目で。

俺は彼のこの目が苦手だ。

千里の視線とはまた違う――皮膚を貫いて心臓を突く視線。築いた壁の奥すら見透かすのだ。

「あ、あれ?……洸!?洸だ!」

「千里は離れてろ」

困惑する千里に洸祈の刀を目で示す。再会に喜びたいところだが、千里も察して脇に避けた。

「洸、帰ろ?」

「洸祈、契約をどうした?早く琉雨に魔力を送らないと」

洸祈の魔力は琉雨や蜜柑に送っても問題ない量はあるように感じる。

ならば、原因は守護魔獣との契約よりも上位の契約か。


嫌な予感がする。



「葵!」

「……っ」

油断してた。

洸祈は普段から小さな武器を体の至るところに隠し持っている。

右手と刀に集中していたら、左手がジーンズとベルトの隙間に隠していた柄もない刀身を手にしたのを見逃していた。刃渡り約5センチの刃が俺の右腕をなぞり、切れ味が良いそれで皮膚は豆腐のように簡単に切れる。

「洸!やめてよ!!」

血が腕に筋を描いた。

綺麗に一閃。

そして、線は歪み、重力に従って落ちた赤い雫が床で跳ねた。

ぽたぽたと……案外、出血が多いな。

「あおっ、止血!」

俺を洸祈から引き離した千里は頭のリボンを外して俺の手首にぐるぐると巻く。

正直、細いリボンが長い傷口をカバーしきれるわけはなかったが、俺は千里の好きにさせた。

ただ俺は、洸祈が俺を襲ったそのことで頭が一杯だった。

「嫌だよ、あお!洸があおを傷付けた!」

洸祈は新しい強力な契約に縛られている。

魔力の自由だけではない。

体の自由すらも契約に奪われている。

あれは俺達の知る洸祈じゃない。

「逃げるぞ!洸祈は魔法で命令されている!」

「え!?」

ゆらゆらと揺れ、俯いたまま刀の柄に手を掛ける洸祈。

左手には柄のない小刀。

鞘から抜かれる刀は赤色に光り、火花を散らす。

「…………洸、本気なの!!!?」

しかし、千里の問い掛けに洸祈は応えない。

いや違う。

洸祈には千里の想いなんて聞こえていない。聞こえなければ、応えもしない。

「……殺す…………」

駄目だ。そんなことを言うな。

洸祈とはやり合いたくないんだ。

勿論、俺が対人戦で洸祈に劣っているのも確かだが、何より、これ以上俺達が傷を増やせば、洸祈が自分から正気になることを拒むかもしれない。

洸祈は何かと責任を自分に求める。

だから、俺達が傷付けば、きっと自分を責めるだろう。


でも。

それでも。

洸祈が千里に刀を向けるなら――


「洸祈は俺達の敵だ!!」


俺はナイフで洸祈の刀を受け止め、片手で硬直する千里の背中を力任せに押した。

「葵っ!」

「行け!俺達が飛び降りた窓の前で待ち合わせだ」

「でも……」

「金を連れて早く!」

俺が怒鳴ると、千里はびくりと肩を震わし、俺のパーカーのフードから金を抱えて非常階段へと駆けた。すると俺の予想通り、洸祈は刃を擦らしてナイフを弾くと、千里の背を追いだす。

やっぱり。

狙いは千里だ。

予想通りだからこそ、俺は彼の進行方向に足を伸ばした。

転ばせられずとも、邪魔にはなる。

「吟竜……主……殺す……」

「なら俺は洸祈の今の主を殺す」

前に洸祈が用心屋に依頼をした。

自分が誰かに利用されそうになったら、止めて欲しい。と。


俺は店長代理としてその依頼を果たすんだ。









「っくし」

少し寒い。

『上着探す?』

「ええよ。鼻むずむずしただけや」

長い廊下だ。

長くて……綺麗だ。

「出口ってホンマにこっちやろか?」

『……分かんない』

どんな技術かは知らないが、一直線の廊下は天井も壁も床も星空を写し、まるで宇宙を歩いている感覚に陥る。

最初はリアルな星空にワクワクが止まらなかったが、流石にこうも終わりが見えない廊下に不安感が募ってきた。

第一、この先に出口がある保証はないし。

『でも、多分もう直ぐ――』

「!!!?」

もう直ぐ出口なのだろうかと期待した瞬間、俺の足は床を踏み外した。

周囲は星空のまま。

擬似宇宙空間を歩いていたせいで、足元に気を付け損ねていた。

落ちる――。


「っぅうう!!」

2メートルぐらいは落ちた。

腰が……死ぬ。

由宇麻(ゆうま)、大丈夫?』

「だ、大丈夫……や」

まだ俺は(気持ち)若いんだから。

それにしても、偽物の宇宙は残酷だ。

無重力じゃない。

お陰で一気に現実に引き戻された。

彩樹(あやき)君……ここは……」

広い部屋だ。

床が広く、天井が高い。

息を吸うとそんな気配がした。

そして、星明かりの下に浮かぶカーテンが見えた。

いや、あれはベッドだ。

(れん)君のベッドみたいにカーテンが下がっているお姫様仕様のベッド。

『由宇麻、気を付けて』

「うん」

周囲を見渡しても異物はベッドのみ。

俺は足音を殺してそれに近付いた。

起こさないようにそっと……。


俺がカーテンを開くと、そこには不機嫌顔の青年が胡座をかいていた。シーツを肩まで被り、まさかの裸で寝る人が現実にいたなんてとか思い、目を逸らそうとしたら別のものに視線が釘付けになった。

シーツの隙間から出た彼の手には黒い拳銃が握られていたのだ。


「俺の寝室に入ったお前は解体決定だ」


俺は綺麗な顔でなんて物騒なことを言うのかと思った。

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