秘め事(13)
「おじさん達、だぁれ?」
“おじさん”……だと…………!?
違う!
断じて違う!
紫水さんと笹原さんは“おじさん”でも、俺は違うったら違う!
「僕の推理では、市橋君は今『二人は“おじさん”だけど、自分は違う!』と、思っているよ。ほら、そんな顔をしているだろう?おじさん」
「私は“おじさん”ではありません。それに、年齢で言えば、あなたの方が私より“おじさん”です」
「君、仮にも僕の部下でありながら、上司を“おじさん”呼ばわりとは。……それにしても、このちびっ子が僕をライバル視しているという狭間さんかい?」
背筋の通った少年を見下ろした紫水さんははぁと長い溜息を吐き、さり気なく笹原さんの背後へ。
紫水さんは子供が苦手とか?
「違います。けれども、狭間さんに子供がいるという話も聞いていませんが」
「ただの子供でもないけどね」
「と言いますと?」
「僕の技術が使われている。この子は人工魔力の持ち主と言うこと」
人工魔力?
人工的な魔力?
それってつまり、元々は魔法使いじゃなかったけど、人工的に魔法使いになった子供と言うこと?
魔法使いって人工的になれるの?
「目の敵にしていても技術には正直なんだね」
「そこがマサヒロのいいところだよ」
少年が紫水さんの言葉に微笑む。無垢な笑顔がそこにあった。
しかし、紫水さんの顔は歪む。紫水さんは冗談抜きで子供が苦手らしい。
「現在、ここ第三研究棟は大掃除の真っ最中。で、おれはマサヒロに土下座されたからサボってるところなんだけど…………おじさん達も大掃除の邪魔しに来たの?」
邪魔しに来たわけではないけれど、多分、邪魔になるんだろうし。返事に困る。
「えっとですね……。私は笹原。こちら、紫水と市橋さんです。第一研究棟から来ました。あなたの名前は?」
ナイス笹原さん。子供相手でも揺ぎ無い話しっぷりだ。
「マサヒロはおれをホマレと呼ぶよ」
「では、ホマレさん。私達はある人を探してここに来ました」
「へぇ。ヒトを探しているの」
小さな顔には危うく零れ落ちてしまいそうな大きな瞳。
夜空のように深く広い、キラキラと光る藍色の瞳。
ホマレ君はフフフと掴めない笑みを見せ、その場でくるりと回転した。
つい整った少年の美しい顔ばかりに目が向いていたが、俺の目の前をひらりと舞った蝶に俺は目を奪われる。
「ようこそ。ようこそ。おれがここを案内してあげる」
鮮やかな深緑の振り袖を知っているかのように効果的に見せてくるホマレ君。普段から着物を着ている証拠だ。
それにしても、普通は怖がるか怪しむか追い返すかなのに、ホマレ君は無防備過ぎないだろうか。
同じ研究棟の人間とはいえ、俺達はアポも取っていなければ、名指し拒否されている紫水さんも一緒だぞ?
「別に案内してくれなくても、司野由宇麻がいるかいないかだけ教えてくれたらいいのに」
紫水さんは嫌々そうに提案するが、すっかりその気のホマレ君に聞こえてるはずもなく……。
ホマレ君は遊び相手ができて嬉しそうだ。
そんな彼を俺には無視できないし……。
「二人は彼に案内してもらって。僕は別行動だ」
「え……紫水様、私も――」
「いや。君達はあのちびっ子のお守りしといて」
扉を閉じると、紫水さんはホマレ君の進む方向とは別の右の通路へと逸れる。秘書の笹原さんも当然、紫水さんに付いて行こうとするが、それを紫水さんが止めた。
俺達はお守りらしいが、それぐらいは一人でもできる。
ようは紫水さんは一人で動きたいと言うことだ。
笹原さんは「分かりました」とだけ返し、離れていく紫水さんの背中をじっと見つめていた。
「おじさん達、こっちだよ」
ついさっき、笹原さんが紹介してくれたのに……。
「笹原さん、こっちは俺一人でも」
「いえ。ホマレさんに付いて行きましょう」
笹原さんは紫水さんに向けていた視線をホマレ君へ向ける。
きっと、それは信頼なのだろう。
「早く早く!」
「あ、うん。行くよ」
俺達はホマレ君の背中を追いかけた。
狭間さんのいる第三研究棟は紫水さんのいる第一研究棟とはかなり趣が違った。
いや、紫水さんのところは研究所らしい無機質さがあったが、ここは研究所にしては異質だった。
とても生活感が溢れ、それどころかまず、畳の床だった。
学校の床みたいなクリーム色の床からある所よりフローリングの床に。
そして、段差付きで畳の床に。
段差の前で靴を脱ぐように言われ、ホマレ君は下駄を、俺達も靴を脱いで彼について行った。
一面が畳で、場所を襖で仕切られているという感じだ。
ホマレ君は襖を開けてはその部屋の説明をしてくれるが、大きく分けて『遊び部屋』か『眠り部屋』しかなかった。
遊んでは寝て、遊んでは寝て……と言うことだろうか。まぁ、子供らしいけど。
「君は狭間さんとはどういう関係なの?」
俺は前を行く少年に訊ねた。
「おれとマサヒロ?……マサヒロはおれのオトウサンだよ」
父親?狭間さんに子供はいないって……。実子でないなら、ホマレ君は養子か?
その時、足に何かがぶつかったと思ったら、シャランと音がし、赤い鞠がコロコロと転がった。俺も笹原さんもその鞠に目がいく。
鞠は散らばった積木の間をすり抜け、でんでん太鼓の縁に触れて更に進む。
一体どこへ。
「皆を紹介してなかったよね。おれ達大家族だから、皆の名前覚えられるかなぁ」
ホマレ君が開けた襖から音を鳴らしながら階下へと弾み降りて行く鞠。
俺達は薄暗いそこへと落ちていく赤い目印に目を凝らす。
「え…………」
「あ。今はまだ皆お休み中なんだ。起きて挨拶してくれたらいいんだけど、マサヒロは時が来たら起きるからって」
俺は目の前の光景を見たことがある。
だけどそれは映画の中でだ。
「あの……笹原さん……彼らは生きているんですか?」
俺には見ただけでは分からなかった。だけど、科学者の秘書である笹原さんなら彼らが生きているかどうかぐらいは分かるのではと思ったのだ。
「いえ……もう少し近付いてみないとなんとも……」
俺は勿論、笹原さんも動揺を隠せなかった。
だって、ホマレ君の笑う背後には無数の柱が並び、それぞれには液体が満たされ、ガラス張りのそこには人間が浮いていたのだ。
だって、こんなのSF映画でしか……。
「これが狭間さんの研究……と?」
もっと近くで見ないと分からない。
「駄目だよ。これ以上は」
ホマレ君が俺の進行を阻んで立つ。
何でもかんでも喜ぶホマレ君が初めて俺達を拒んだ。
「でも……」
液体の中にいるのは明らかに人間だ。
紫水さんは人体実験などずっとされていないと言っていたのに、十数人の人間がここにはいる。
それにもしかしたらここに司野さんがいる可能性があるのだ。
俺は一歩足を進めた。
「これ以上は駄目!」
「市橋さん!彼から離れて!」
笹原さんの取り乱した大きな声が聞こえたが、俺は藍色だった瞳を光り輝く空の色にしたホマレ君に見知った奴の姿を見て動けなくなった。だって、その眼はあいつと同じ目で……。
上腕を強く掴まれたと思うと、ぐいっと後ろへ引かれる。
「うっ」
5段しかないが、それでも階段でずっこけた分、足の至る所をぶつけた。先日の稽古中にできたものと打撲箇所が重なったところは半端なく痛い。
「子供と言えど、彼は魔法使いです。あまり彼の機嫌を損ねることはお勧めできません」
いつも涼しい笹原さんの顔が眉を寄せて俺に手を貸して起こしてくれる。
俺は先走り過ぎる。
「あの中に司野さんがいるかもって思って」
「そうですね。見る限り、彼らは子供のようですが……ホマレさん、あなたの家族に最近増えた方はいらっしゃいますか?」
「おれが起きたのが丁度2年前だけど、それからは増えてないよ。皆、ずっとあの中で眠ってる。いつ……起きるんだろうね。でも、マサヒロがなんか言ってた。家族が増えるとか……」
まさか……司野さんのことなのか!?
あんなのの中に入れる気か!?
「さ、笹原さん!」
「狭間さんに直接聞いた方が早そうですね。狭間さんのところまで案内してもらえませんか?」
「どうする気なの?おれの家族を奪う気?」
俺達はホマレ君の琴線に触れた。
「皆皆そう!二人もそうなんだ!皆おれから大切なもの奪うんだ!」
“皆”って誰?
俺達は何も奪う気なんてないと伝えようとしたが、驚きで体に力が入らない。無様に笹原さんに凭れてしまっている。
「くそっ……市橋さん彼の目を見ないで!」
無理だ。
宝石よりも眩いそれから目を逸らすことなど俺にはできない。
「っ……はぁ……はぁ…………」
吐き気がする。気持ち悪い。
『鬼ごっこをしよう、海』
父さんと母さんが笑う。幸せそうに。
どうして?
これからあなた達は死ぬのにどうして笑っているの?
全てが赤く燃え盛る。
死の匂いが立ち込めてくる。
獣の唸りのような悲鳴が耳をつんざく。
不愉快で痛い断末魔の叫び達が。
父さんが笑っている。
母さんが笑っている。
開いた口が言っている。
『一緒に死んで』
――と。
分かった。
行くよ。
行くから。
一緒に死ぬから。
「ホマレ、やめろ」
「…………マサヒロ……っ」
階段で崩れた俺の足を少年が跨ぐ。
何でこんな時に俺は夢を見たんだ。この状況下で眠れるわけないのに……それも後味の悪い嫌な夢だった気がする。
「それがあの少年の力だ。本当に、君はしぶといね。蓮を押し退けてあの子の傍に居るだけのことはある」
「紫水……さん」
紫水さんが俺を見下ろしていた。
「残念だが、ここに司野由宇麻とやらはいない。お前たちが望んでいるとは思わないが、敢えて誓うなら俺の科学に懸けて、司野由宇麻はここにいないと誓おう。散らかさず、元に戻すと約束できるならここを探し回っても構わないが」
マサヒロこと狭間さんが自らにへばり付いたホマレ君の頭に触れて立っていた。
白衣姿なのは紫水さんと同じで、狭間さんは細い銀のフレームの眼鏡をした男性。年齢も紫水さんとあまり変わらなそうだ。
そして、ホマレ君とは対照的で神経質そうな第一印象だった。
「駄目!あいつらはおれの家族を奪う気だよ!」
「彼らは何も奪わない。安心しろ」
「でも………………うう…………取らないでよ…………」
「それに、奪われたお前のものは全部俺が取り返してきたろ?」
「……うん…………」
「だから泣くな」
「……………………うん」
盛大に鼻をすする音がし、ごしごしと顔を狭間さんの白衣に擦り付けるホマレ君。
ああ、狭間さんはホマレ君のオトウサンだ。
「彼の言った通りだ。ここに司野由宇麻はいない」
紫水さんが断言してくるが、だとしたらさっきホマレ君が増えるかもと言っていた家族は誰なのか。
それが誰かは聞いておかないと……。
「ホマレ、前に言ったろ?家族が増えると」
「う、うん。増えるの!?おれと遊んでくれる?」
「……それはどうだろうな。新しい家族は心に傷を負っているから」
短い脚が狭間さんの白衣の裾から覗く。ホマレ君がそっと足元を見た。
あれは獣の脚だろうか。
「わぁ!何これ!何これ!!」
さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。目一杯にその小さな毛玉を視界に入れて笑顔になる少年。
しかし、毛玉は少年の期待に満ちた表情に対して、ぷるぷると震えて白衣の中へ。
「あ…………」
「俺の話を聞いていたのか?こいつは心に傷を負っている。慌てるな」
「…………おれと同じ?」
「そうだな。お前に最初会った時と同じだな。泣いて怯えていた」
「なら教えて。この子の名前。おれはマサヒロに名前を貰って嬉しくて嬉しくて」
俺はとんだ勘違いをしていたようだ。
二人の関係は俺の考えていた以上に深い。
俺はホマレ君に狭間さんは父親だと言われながらも、不気味な研究を見て狭間さんを疑っていた。もしかしたら、ホマレ君も実験台なのではとか。
だけど、たどたどしくも二人は家族だった。
「名前はないんだ。お前が付けてやれ。お前がこいつに名前をあげてやれ」
「おれが?」
「ああ」
「おれが名前を……………………アサヒ……アサヒがいい!」
「アサヒ、アサヒっ」と指を狭間さんの白衣の中に入れてばたばたと動かすホマレ君。楽しそうだなぁ。
子犬が鳴く。
「アサヒっ、アサヒ、お前の名前はアサヒ!マサヒロと最初に見たお日様の名前!アサヒ!」
「お、おいっ。ちょっと暴れ過ぎだ。お、おいって!」
「あ、狭間さん!」
俺が呼んだ時には遅く、狭間さんが転び、白衣からは焦げ茶色の子犬が飛び出してホマレ君の胸へ。
赤い舌先がホマレ君の頬を舐める。
どうやら、仲良くなったらしい。
狭間さんも腰を擦りながら、喜び笑うホマレ君に眩しそうにした。
「新しい家族とはあの子犬のことでしたか」
良かった……のか?
司野さんでなかったのは良くもあれば、結局、見つからず仕舞いとも言える。
「しかし、紫水様、どこへ行っていたんですか?」
「僕?勿論、司野由宇麻探しさ。三人で同じ箇所を探すより、別々に探した方がいいだろう?」
「でしたらどうして………………」
「なんだい?」
「いえ…………行きましょう。次は第二研究棟ですね」
笹原さんはぴっちりしたスーツのポケットから白い手袋を取り出し、徐に両手に嵌めると、紫水さんを置いてきぼりにして歩いて行ってしまう。
紫水さん一筋かと思っていたのに、どうかしたのだろうか?
「あれ……笹原さん…………」
「いいのいいの。拗ねただけ。笹原は委員長タイプって言うんだっけ?それだから気にしなくていいよ」
そういうわけでもなさそうだけど。
「でも、笹原を一人にはできないから行こうか」
アサヒを追いかけて遊ぶホマレ君。
もう心配することもなさそうだし、これ以上家族の邪魔をするのも悪い。
「紫水。第五研究棟に行け」
狭間さんが静かに退散しようとする俺達を引き留めた。
「第五研究棟かい?あそこは確か……」
覚えているぞ。
第一が紫水さんのところで、第二と第三が不老不死の研究。第四が異種交配……第五研究棟は何だっけ。
「カミサマの研究をしていたね」
「ああ。お前と違って俺は他の棟の情報に目を光らせているからな」
「ここで光らせても見えなくない?」
紫水さん、狭間さんにそんなに嫌われたいんですか。
「……………………笑っていたよ。井津は面白い人間を手に入れたと言っていた」
「面白い人間?」
「カミサマみたいにとても哀れな人間を手に入れたと」
司野さんは哀れなんかじゃない。
司野さんの過去が壮絶だったのはなんとなく分かる。だけど、司野さんはいつでも明るいから。
俺達が司野さんを哀れなんて言っちゃいけないんだ。
「でもいいのかい?君は僕を目の敵にしているらしいじゃないか。さっきだって、初対面で怒鳴り散らしてきたし」
「それはお前が俺が片づけたばかりの本棚を漁ってぐちゃぐちゃにしたからだ。それに俺はお前が嫌いだが、井津はもっと嫌いだ。だから、俺はホマレの友達に協力してやる」
“友達”というフレーズで俺を見る狭間さん。
俺はもう友達でいいのか。なんかくすぐったいな。
「気を付けろよ。井津は……危険だ」
「カミサマを研究している時点でろくな人間はいない。僕を含めて。まぁ、気を付けるよ。……忠告をありがとう」
紫水さんは凄い。
飄々としているようで計算高い。冷酷な言葉遣いに懇篤な言葉遣いが混じる。
独特の価値観を持ち、他人には決して曲げられない芯がある。
きっと世界一の弁論家の言葉でも紫水さんの決定は翻せないだろう。
そしてその決定は優しいのだ。
――二之宮みたいに。
俺達は笹原さんを追って第三研究棟を後にした。
「ねぇねぇ、マサヒロ!アサヒがお腹空いたって…………あれ?おじさん達は?」
「帰った」
「んー……また会いに来てくれるかな?」
「お前が忘れた頃にな」
「えー、それってもう会えないってことでしょ?おれ忘れないもん」
頬を膨らます誉は不服そうにしていたが、彼は腹を見せたアサヒを見て直ぐにご機嫌になった。
「そいつを預かった時、そいつ用のドッグフードも貰ったんだったな。お湯でふやかしてあげてくれと言われた」
「アサヒだよ!」とすかさず誉の訂正が入る。
「すまん。アサヒのご飯は玄関に置いてきたんだ。お湯用意してるから持ってきてくれ」
「うん!いこっ、アサヒ!」
まだ子犬は自らの名前にしっくりきていないようだが、走り出す誉の背中を追う。
狭間は彼らの背中を見送ると、目の前の薄暗い部屋を見下ろした。
そこには眠る誉の〝家族”達がいた。
寂しがる誉の為に用意した家族達が。
「俺には無理だ。俺には命なんて扱えない」
その理由は簡単で狭間には人形達に命を宿す技術がなかった。
そして何より、彼にはその度胸がなかった。
それでも、決して起きることのない家族が起きることを期待して待ち続ける誉の為に、狭間は保健所で安楽死させられるところだった子犬を預かることにした。
とても安易な選択だとは分かっていても、それしか誉の為にできることが思いつかなかった。
「だけどこれで……いいんだよな」
狭間は部屋へと続く扉を閉めた。