秘め事(10)
「あお、あのね、今回のことに関係あるかは分からないんだけど、出張前に洸が携帯を壊したんだ」
「壊した?壊れたってことか?」
「ううん、壊した。何か興奮してて、黙れって電話の相手に怒鳴ったんだ。それで、洸が魔法を使って自分の携帯を壊した。もう携帯は熱でぐちゃぐちゃになってて、洸は隠れてしたつもりだろうけど、スーパーのゴミ箱にそれを捨てたんだ」
「電話の相手に心当たりはあるか?」
「ううん。でも、陽季さんではないよね」
「だな」
またいつの間にか洸祈は悩みを抱えていたらしい。
――いや、いつの間にかではないか。俺が洸祈を見てやれていなかった間にだ。
だけど、だからといって俺が落ち込むわけにはいかない。落ち込む前に洸祈を見付けるんだ。
くぅ。
金が体を大きくしたかと思うと、空き地で背を低くした。
どうやら、俺達に乗って欲しいらしい。
こういうジェットコースター的なのは苦手だが、しょうがない。
「あお、僕の前に乗って。落ちないように支えてあげるから」
「…………ちゃんと支えてくれよ?」
「うん」
俺は千里に背中を預けることにした。
これだから金持ちは……と言うのも面倒だと思わせるのがあいつ――二之宮蓮である。
陽季は大きな門からこれまた広い敷地へと入った。
カーン。
陽季はインターホンを押した。
と、直ぐにドアが開かれる。
「こんにちは、陽季さん。どうぞ中へ」
「あ…………はい」
蓮のことだろうから理由はどうあれ、いちゃもんを付けて追い返してくると思っていたが、陽季はドアを開けた董子によって蓮の邸宅に迎えられた。
「蓮様、陽季さんですよ」
「……んー。出迎えありがとう、董子ちゃん」
「はい。陽季さん、こちらにどうぞ」
窓から庭を眺めていた蓮が車椅子の向きを変えて動かす。董子はリビングに入った陽季をソファーに案内し、二人分の紅茶を用意した。
陽季は蓮宅での歓迎のされ具合に牙を抜かれつつ、本題を切り出す機会を伺う。すると、蓮が先に話を始めた。
「君が僕のところに来るのは決まって崇弥のことだ。そうだろう?」
「ああ、そうだ。昨日の午後から洸祈と琉雨ちゃんの行方が分からない」
「そう。君は僕に二人の居場所を訊きたくて来たんだね?」
「知っているんだな」
カップに口を付けた蓮は紅茶で唇を濡らす。
それはとてもゆっくりした動作で、先を聞きたい陽季には苦痛だった。しかし、普段の陽季なら急かしたであろうが、その時は蓮の表情から滲み出る疲労の濃さが陽季に待つことを選択させた。
「昨日から僕の家は政府に監視されている。それも厳重に」
洸祈達が消えた日と同じ“昨日”だ。
「不審者は見なかったぞ?」
金持ちの集まるエリアだからか、土地の割りに人が少なく、最寄り駅からの道中、陽季が擦れ違ったのはほんの数台の車だけだった。それも、どれもこれも気取った外国車ばかりだ。
「結界だよ。かなりの人数を動員して、この家に何重にも施してあるんだ。お陰様で僕も遊杏もダルくてね」
だから、そんなに疲れているのか。
陽季は蓮に合わせて紅茶を飲むことにした。
「それでだ。惜しむ必要もないから言ってしまうと、今の僕は政府による軟禁状態にある。脅迫も受けていてね。家族の為にも無闇に動けないんだ」
「脅迫…………」
政府は蓮の弱点を的確に突いてきていた。
蓮の視線は董子へと向き、それに気付いた董子は蓮に微笑む。たとえ弱点であっても、蓮には絶対に手放せない大切な家族がそこにいた。
「僕はね、君を待っていたんだ。僕の代わりに――」
「癪だけどお前の足になってやる」
「君は優しいね、陽季君」
「洸祈の為だ」
「それでも君は優しいよ」
蓮に優しいと連呼されたら調子が狂うのが陽季である。
陽季は紅茶を啜る振りをして色々誤魔化した。
「で?俺は何をすればいい?」
「司野由宇麻を奪還してきて欲しい」
「……奪還?司野さんを?何で奪還なんだ?“連れてくる”だろ?」
「いいや。奪還だ」
洸祈を探す筈が思いがけない方向に話が飛び、しかし、蓮は至って真面目な顔だ。それどころか少々険しい顔つきになっている。
「司野さん、仕事中だよな?」
陽季の記憶では現在、由宇麻は鹿児島に出張中だ。
「昨日の正午、司野由宇麻は鹿児島の労働課ビル内で政府代理人に拉致された。僕が彼に付けていた蝶は破壊され、それと同時に僕の家に結界が施された。だけど、結界が施されるより前にセイが外へ逃れていてね。崇弥達が消えたのが昨日の午後なら、案の定、セイが由宇麻君の誘拐を彼らに伝えたんだろう」
「洸祈は司野さんを奪還しに?」
「ああ。だけど、これは僕の予想でしかない。何分、この結界の中ではどうにもね」
「何で司野さん?司野さんって公務員だろ?」
「崇弥を誘き寄せるにはいい餌だと思うけど?」
その点については陽季も葵の件で理解している。
蓮と同じで洸祈の弱点も家族だ。
洸祈は自分よりも家族の痛みに敏感なのだ。寧ろ、自分の痛みに鈍感なのかもしれないが。
「見え透いた罠なのは崇弥も分かっているだろう。でも、由宇麻君を見捨てることもできない。それに、崇弥はキレると僕には手が付けられないほど好戦的になるからね」
「洸祈を止めるには司野さんをいち早く奪還することか」
「崇弥が目的と方法を取り違える前にね」
洸祈が惨殺に走る前に。
「ここを出たらこの番号に電話をして。そして、彼に全てを説明して。彼はきっと君を導いてくれる」
「彼って?信用できるんだろうな?」
「安心してよ。彼とは信頼云々以前のもっと根深い関係だから。僕達は互いの秘密を握っているんだ。彼は必ず君に協力する」
他人の秘密ならごまんと知る蓮が敢えて“秘密を握っている”と言ったそのことに陽季は内心驚く。そこまでいけば、信頼ではないかとも思った。
「今回、奴等はかなり計画的だ。僕も正直、疑っても疑いきれない。僕の行動をここまで制限するのは僕の想像以上に複雑な理由があるのかもしれない。もしかしたら、今僕が君に頼んでいることだって……」
「考えても仕方がないことを考えるな。お前らしくない。たとえ、俺が助けに行くこと事態が罠だと分かっていたとしても、俺は司野さんを連れ戻す。洸祈に殺しは絶対にさせない。洸祈を人の道から外させることは絶対にさせない」
コウキに“洸祈は人のフリをした人形”と言われても、陽季にとっては大切な人。そして、コウキと洸祈は別人であり、陽季が愛しているのは紛れもない洸祈の方なのだ。
それにもし、徐々に“洸祈”が消えてきているとしたら、それこそ洸祈に刺激を与えてはいけいない。少しでも非現実から洸祈を引き離しておかなくてはいけないのだ。
「………………そうだね」
陽季は蓮に貰った紙片をジーンズのポケットに突っ込むと、ショルダーバッグを肩に引っ掛けた。
そして、立ち上がる。
「俺はお前のことを認めている……洸祈にはお前が必要だ」
「僕のことを褒めてくれるなら、無事に帰ってきてからにしてほしいかな」
「………………褒めてない!」
蓮の性格は分かっていたが、それでも素直に受け取ってくれない者に陽季は素直にはなれない。特に蓮に関しては。
俺がこんなにも珍しく褒めてんのに!このツンデレ(洸祈談)が!
と、陽季が腹立つが、
「だけどね、崇弥に本当に必要なのは君だと思うよ。崇弥が心の底から欲しいものは、僕には絶対にあげられないから」
…………ここで俺を褒めんなよ……。
「ほら、行って。手遅れにはしたくない」
「言われなくても行く」
陽季は今度こそリビングを出た。
二之宮に言われた通り、何もなかった風を装って駅まで歩く途中、電話ボックスに入った。そして、周囲に怪しげな行動をする人間も見当たらないので、ポケットから例の紙片を取り出す。
二之宮の字は細くて綺麗。あいつの繊細な性格そのまんまだ。否、繊細なくせにどぎつい性格だな。
俺は数字の羅列を目で追いながら電話を掛けた。
一体、相手はどんな人間なのだろうか。もしかしたら、第二の二之宮かもしれない…………そうだったら嫌だな。
開口一番、堂々と悪口を言われるに決まってる。
『はい、第一研究棟の笹原です』
どっかの社長秘書か何かのようにハキハキし、コンピュータみたいに正確に原稿を読み上げたような男性の声。
研究棟ってことはこの人も研究者か。
第二の二之宮の線が濃くなってきてしまった。しかし、後には退けない。
「俺、二之宮の知り合いで、ある事情について貴方に頼れと言われました」
『二之宮…………蓮。ああ、彼ですか。でしたら、頼るよう言ったのは私にではないでしょう。少々お待ちを』
と言われて保留用のメロディーが流れてくる。これは「森のくまさん」か?………………これの歌詞がすごく変だったのだけは覚えてる。着替えながら洸祈が歌ってたことがあったよな。
どんな歌詞だったろうかと考えながら、メロディーだけが幾らかループしたところでぷつりと音が消えた。
『……………………』
2分待っても無言。
俺から話すべきなのか。
「俺、二之宮の知り合いの陽季って言います。ある人を捜していて、二之宮にあなたに頼れと言われました」
『……めんどくさそうだ…………』
この人は間違いなく、第二の二之宮だ。
「あの……」
『僕は紫水。取り敢えず、君の話を聞こうか』
面倒だと言いつつも直ぐに冷静になるのは二之宮にとても似ている。
俺は出張から帰ってきた司野さんと一緒に葵君のベッドで寝た日のことから話すことにした。
「千里…………なぁ、ここ……」
千里に背後から確りと抱き付かれた葵は頭を後ろに倒して千里を見上げる。
「僕もなーんか、見覚えがあるんだけどなー……」
「ほら、高性能ロボの……」
「あー……ロボぉお?」
葵の臍の辺りで組まれていた千里の指がほどけ、何故かじわじわと上がっていた。骨格をなぞるようにゆっくりと。
「金、降ろしてくれ」
金柑の胴に触れた葵が前屈みになったせいで千里の手は彼から離れる。
「むー」
ぷくりと頬を膨らませた千里は金柑がしゃがむより前にその背中から飛び降りた。
葵はと言うと、片足だけでも地面に付けようと頑張り、足を吊っている。
「ぃっ…………痛くない………………痛くないし……」
「あー……そうだね」
痛む足を押さえたいが、両手は金柑の胴に掴まるのに使用済みだ。「うううう」と唸る葵を見上げた千里はどう頑張っても地に着きそうもない彼の足がバタつくのを観察してから葵に声を掛けた。
「ほら、あお。抱っこしてあげるから」
「い、いらん!痛くないし!…………っぅ…………」
痛くても我慢する葵。
「そんなところで意地張んないでよ」
「だって、お前、さっき変なことしようとしただろ!」
葵には葵なりの理由があり、その原因は千里だったらしい。千里は「あれくらいで……」と思いつつ、暫く葵が自力で降りるのを諦めるのを待っていた。しかし、頑固で頑張り屋な葵はなかなか諦めず、降りれそうもなく――千里は問答無用で彼の腰を掴んだ。
「せんっ!?」
「僕に掴まって。早く見つけなきゃでしょ?」
「う……」
「あおは正論に勝てない」
「ううう…………」
とうとう葵は諦め、彼は渋々と千里に体重を預ける。
「あおは温かいなぁ。髪からはいつもいい匂いが……」
「早く、降ろ、せ!」
「はいはい、分かりましたー」
細身の千里に素面で幾らも抱っこさせられていたくないと葵が暴れると、やっと千里は葵を降ろした。結局、葵がデレたのはたったの10秒だけだ。
「ったく……お前は……」
不機嫌にしながらもその場で屈伸をした葵は安堵の溜息を吐く。
「でもさぁ、何で洸達はここへ来たんだろう?」
「そうだな。洸祈は軍を毛嫌いしているから、特にここには来たがらないはず」
軍事の中枢。
日本にあって日本政府が関与できない独立地域。通称『神域』。
葵と千里の目の前には神域を囲む高い塀があり、金柑は間違いなくこの塀の向こうに洸祈の存在を感知していた。
「そうせざるおえない事情があったってことだよね」
「ああ」
一瞬、二人の手の甲が触れる。そして、30秒間だけ握り合い、離れた。
「…………行くぞ」
「うん」
葵の半歩前を千里が歩き出す。
葵が追い越そうとして、辞めた。
「千里」
「ん?」
「お前のサポートは任せろ。変な方向に突っ走ってたら、注意してやるから」
「なら、葵を守るのが僕の役目だね」
千里の髪が弧を描き、葵の手に触れる。
くぅ!
黒わんこも千里の隣に参加するが、瞬時の躊躇の後、葵の足に擦り寄ってきた。
まぁ、これぐらいが金柑っぽいところだろう。
それでも堪えきれずに葵と千里は笑った。