自問自答
次回話、続けて投稿します(*‘∀‘)
11月4日。
今朝、洸が仕事でニューヨークへの飛行機に乗るために店を出て行った。帰りは明日の深夜らしい。
ニューヨークに既にいる依頼人がどっかの会議に出席する道中の付き添いだけだから、本当に短い間の海外出張だ。
そして、お店に残った僕達は少し静かな食事を取った。由宇麻の伝言もあって、みちるも一緒にご飯を食べているが、それでもいつもより席が一つ空いて寂しい。
早く帰って来て欲しい……。
夕飯の後、暇潰しにリビングのテーブルでトランプタワーを作っていたら、固定電話が鳴った。僕が電話を取ろうと振り返ると、お母さんが既に取っていた。
その時、肘をテーブルにぶつけて4段目まできていたタワーがあっけなく崩れる。
「あう……僕の暇潰しが……」
でも誰からだろう?洸かな?――と思ったら、お母さんの口からは予想外の名前が出た。
「あら、葵君」
「え、あおっ!?」
僕の聞き間違いじゃないよね?葵って言ったよね!?
「ええ、皆元気よ」
僕はお母さんの肩を叩いたが、お母さんは電話の相手に夢中だ。間違いなくあおだ。
「ねぇ、あおなの!?お母さん!あおなら代わってよ!ねぇ!」
「ちょっと待ちなさい。順番よ」
お母さんの意地悪!
「まぁまぁ、千里さん。ココアを飲んで待ちませんか?」
琉雨ちゃんが僕の好きなミルクココアを持って現れる。だけど、電話の主はあおなのだ。
僕がどれだけこの時を待ち望んでいたのか、お母さんは全然分かっていない。
「むむむ……お母さんは大人げないよ」
と、僕が拗ねると、
「ほら、葵君が『千里が不貞腐れる前に代わってもらってもいいですか?』って」
「あおぉおおおおおお!」
僕はお母さんから受話器を毟り取った。ぺちりと額にでこぴんをされるが、あおからの電話に比べたらどうってことはない。
『……千里、久し振り』
あおの声。
やっぱり記憶の中の声より生の方がいい。
「あお、久し振り」
『うん………………………………』
あ、止まった。
「……………………………………」
僕も止まってしまった。そしたら、あおから動き出してくれた。
『その…………まぁ…………』
言葉にはなっていないけれど、切り出してくれたそのことだけで僕には十分だ。
「会えるかな?」
『…………………………………………うん。今、実家にいる』
「じゃあ、僕が会いに行く。会って直接話したい…………駄目?」
『…………ううん。俺も、会って話したかったから』
本当は今すぐにでも話したいことがあった。でも、話そうとしたらきっと夜が明けるまで話してしまう。
だから今はこれだけ――
「愛してるよ、葵」
僕はお母さんに電話を返す前にそう小さく囁いた。
璃央がくれたミサンガを指先で弄りながら俺は近所の参道を歩いていた。
下駄をカランコロンと鳴らして石畳を進む。
そして、砂利道へと逸れる。
こっちの方が風が気持ちい。
竹林が風に靡き、葉を擦れさせて静かな音楽を奏でる。
タッタッタッ……――
この軽やかな足取りはきっと彼だ。
「あお!」
背後から抱き着かれ、俺を金色が包んだ。
「千里」
下駄を穿いていても俺の身長は千里に届かないらしい。
「よくここが分かったな」
「至るところで人に聞いてきたんだよ。そしたら、葵らしき人が神社に向かってったって」
千里が俺の手を握って隣を一緒に歩き出す。さも当然のように。
しかし、千里に会えて嬉しくもあったが、手は握れても俺は久し振りの再会に照れくさくなって直ぐ傍の千里の顔を見れずにいた。
なんか……恥ずかしい。
千里に掛ける言葉が思い付かない。
「ねぇ、あお。昔も二人でここ歩いたよね」
「何度かあったな」
「うん。あおのお気に入りの散歩コースだからね。夕陽見ながら歩いた。あっ、あそこで親子の三毛猫見たよね。親猫が子猫がついてきてるのを何度も確認してるの」
「よく覚えてるな。俺は忘れたみたいだ」
「僕はあおと一緒だったことはなんだって覚えてるよ。今日のことだって一生忘れない」
手をぐいと引かれた。
「え……!?」
千里に強く抱き締められる。
「せ、せん……ここ外……」
「これであおは忘れないでしょ?」
忘れるどころか、知り合いに見られたら一生の傷になるかも。
ここは都会に出ずに実家を継いだりの人間が多いのだ。観光地でもあるここは多くの旅館や古くからの職人技があり、かくいう俺も一応は緋沙流の後継ぎだし。
それについ先日も気晴らしに町の方へ出た時、幼稚園で同じ組だった遠野君に声を掛けられた。
あの笑窪は昔と全く変わっていなかった。
そして現在、彼はある旅館の若旦那であり、若女将は隣の組だったらしい宮さん。
世の中は本当に狭い。
確かにここは町からかなり外れてるけど、こっちにも何人か同じ組の子がいたはず。
「あっ…………駄目だ……っ」
「……僕も頑張って……自制して…………駄目無理駄目無理。いや、ホントに無理」
石垣に押さえ付けられ、首を噛まれる。これは千里にされるがままコースじゃないか。
「ちょっ……!」
早く千里を止めないと。
「あお、会いたかった。会いたかったよ。会いたかったんだよ」
千里に体臭を存分に嗅がれ、弾みか意図的かは知らないが、襟首の辺りがかなり緩んでいる。
なんて破廉恥な。
「わ、分かったから!家で!せめて家で!」
「……あおの家は視線が多いから別の場所がいい。道場は?」
「道場は駄目だ!」
緋沙流の道場だぞ。
父さんや晴滋さん、真奈さん、皆が稽古してきた血汗の染みた床……毎日綺麗にしてるけど。
「そしたら野外プレイしかないじゃん」
どういう思考回路をしているんだか。まぁ、もう既に慣れているが。
「野外は家より危険だから!」
どうにか千里を押し返せば、千里がふわりと髪を風に靡かせて俺の両頬に手を触れさせた。
千里の手はすべすべだ。
「ねぇ、葵。そうやって遠慮しないでこれからも僕に言って。もし遠慮したい時は僕に教えて。言わなくてもいい。手を握ってくれても袖を引っ張ってもどついても蹴ってもいい。少しでいいから僕に触れて…………葵……」
翡翠がゆらゆらと。
千里の瞳はいつも俺の全てを奪い去る。
虚勢も建前も。
やっぱりお前、髪結んでなかったんだ。
「俺、うまく言葉にできないんだ。いつの間にこんなへたれになったんだろうな……」
「ばーか。人間が言葉で伝えられる情報はたったの4割。あとは表情とか身振りとかで補われてる。で、言葉とその他が矛盾する時――例えば、笑いながら怒ったりした時は言葉で伝えられる情報はたったの1割。大切なのは言葉だけじゃないんだよ」
なら、今までの俺の“大丈夫”は1割しか伝わっていなかったのか……。
「――って、お医者さんに教えて貰ったんだ。あおの力になりたくて」
「ごめん……」
「うん。伝わったよ。でも、僕はあおの力になれたならそれだけで嬉しいんだ。伝わった?」
“嬉しい”と“笑顔”と“泣き顔”と“抱擁”。
伝わった。
お前の優しさが伝わってきた。
俺は頷いた。
「良かった」
クスリと千里が珍しい笑い方をして俺を解放する。
そして、千里が手を差し出した。
「今日のお夕飯は白子入り鍋だって。暗くなる前に帰ろう?」
遠く山の麓に半分沈んだ夕陽。
昔はカラス達がねぐらへ急ぐ時に俺も家へと走っていた。しかし、成長してからは俺は夕陽を気にすることはなくなっていた。
物寂しくなる夕方に俺は白熱灯と言う名の偽物の太陽の下に逃げ、孤独を忘れようとしたのかもしれない。
本当はずっと昔から家に帰りたかったのだ。
嗚呼、家が恋しい。
「帰ろう」
俺は千里の手を握った。
「千里。お母様は元気にしておられるか?」
「元気です。でも、来月には琴原さんの家に戻るって言ってます」
「そうか。あそこは今は春君が家に一人らしいからな。……お前はいいのか?」
「お母さんは僕のお母さんであり、琴原さんの皆のお母さんでもあるから。それに、お母さんとはいつでも話せるし、会えるから。だから、僕はいいんです」
晴滋さんと僕は崇弥家の縁側で月を見上げながらイカの塩辛をつまみに飲んでいた。
晴滋さんお手製の塩辛は絶妙な塩加減で美味しく、僕はお酒よりも塩辛に片寄り気味だ。
そして、お酒がからっきしの葵は酔い潰れて僕が用意した膝枕で眠っている。
葵は月よりも池の鯉に夢中で、座っているのが疲れた葵に膝を提供したら鯉を眺めながら上手い具合に寝てくれた。
「成長したな、千里。柚里も安心してるだろう」
晴滋さんの横顔は凛としていてかっこいい。お猪口を手に取る姿も決まっている。
「あらあら。一人でこんなに?飲み過ぎです。お酒は下げますね」
真奈さんだ。
エプロンをした真奈さんが茶の間の襖を開け、僕達は茶の間からの光を背に受けた。庭が僅かに暗くなる。
「ああ、真奈。それは私と千里と葵の分の酒だ。3等分だぞ?」
「葵君は早々に潰れたでしょう?それに貴方はペースが二人より早いです」
もしかして今、晴滋さんが真奈さんにお説教されてる?
真奈さんが晴滋さんの悪足掻きを軽く流して盆を持つ。
「最後の一杯を……」
「そのお猪口の一杯で満足してください」
問答無用。
僅かに酒の残るお猪口を晴滋さんに、塩辛の乗った取り皿と箸を僕に残して真奈さんは台所へと歩いて行った。
晴滋さんは暫く真奈さんの背中を恨めしそうに見詰め、僕に向き直る。
「今更だが、よく来てくれた。葵が電話の前で掛けもせずに長く考え事をしていてな。やっと電話をしたと思ったら一向に落ち着かない様子だった」
葵、すっごく頑張ってくれたんだ。
僕は葵から求めない限り、葵には会わないって誓っていたから、葵が沢山考えた末に電話してきくれて嬉しかった。
「本当に私はお前に感謝しているよ。お前に会わなければ、葵は今も洸祈に依存していただろう。葵が洸祈に依存していたならば、洸祈も葵に依存し続けていた」
猫みたいに背中を丸めた葵が裾を伸ばして拳を隠す。
寒いのかな。
――と、
「おじいちゃん!宿題分かんないよ!」
台所を抜けて茶の間から春鳴ちゃんが晴滋さんの背中に抱き付いた。
お鍋の時も思ったけど、春鳴ちゃんも乃杜君も暫く見ない内に随分と成長した。
特に彼らの身長の伸び具合は目に見える程だ。
「ズルいよ、春鳴!俺も分かんないのに!」
「おー、こらこら。喧嘩しない。二人とも教えてやるから」
「やったー!晴滋おじさんやさしー!」
完全に孫にきゃっきゃうふふのおじいちゃん状態である。
晴滋さんは空っぽのお猪口片手に茶の間の方へ移動し、散らかった座布団を直して胡座をかく。そんな彼を春鳴ちゃんと乃杜君が挟んで座った。
葵も寒いみたいだし、僕もそろそろ切り上げようかな。
「千里様、食器は僕が片付けますよ」
病み付きになる塩辛を口に入れた時、紫紋君が縁側を歩いて現れ、僕が持っていた取り皿と箸を受け取る。
「あ……それくらい僕が……」
僕が出した洗い物だし……。
「僕、食器は運ぶことはできても葵様は運ぶことはできないので」
「そうだね」
僕は紫紋君のお言葉に甘えて葵をおぶった。
うーん。葵の触り心地はいいなぁ。
「あの、葵を寝かせて来ます」
「千里君、ありがとう」
真奈さんに見送られる。
ぺったんぺったん。
少し冷えた廊下を僕は進んだ。
葵の部屋はさっぱりしている。
でも、所々が可愛いのだ。
木で出来た鯨の置物が円らな瞳で僕を見てくる。
「もーそんなに見ないでよ。パジャマに着替えさせてるだけだよ」
まぁ、ちょっとあおのお肌を堪能してるけど……いいじゃん。
くぅん。
「うげ……黒わんこ」
金柑がベッドの下から絶賛脱がせ中の僕を見上げて鳴いた。
「見張りに来たの?タイミング悪くない?」
くぅ。
金柑の頭をべちゃりと踏み潰したのは白わんこ。
伊予柑が金柑の後ろ首を噛んで床を引き摺り、部屋の外へ。
くぅぅうう……。
ごめんね、金柑。
ありがとう、伊予柑。
僕は部屋のドアを閉めた。
むにむにむに。
抱き心地がいいなぁ、これ。
触り心地もさらさらしてて……。
「え………………せん?」
「あおのえっち」
「お、お前、裸……!」
「堪能してくれちゃって構わないよ?」
「堪能するかよ!服を着ろ!」
日の出前に千里に服を着せないと、毎朝カーテンを開けに来る真奈さんや紫紋に見られてしまう。
そしたら、真奈さんに殺される!
「それは無理な要求じゃない?僕、欲求不満を妄想で補う為に脱いでるんだから。僕に服を着て欲しいならあおに服を脱いで貰わないと」
「妄想するだけなら服は脱がなくていいだろ!妄想の中で脱げっ!」
俺は裸の千里を跨いでベッドから降り、床に散らばる千里の衣服を拾った。
「大丈夫。妄想の中であおを脱がしてあげてるから」
「そんな不親切は要らないから!てか、早く服を着てくれないと真奈さんに――――」
ぱたん。
俺の背後でドアの閉まる音がした。
「あらまぁ……ここには年頃の女の子がいるのよ?」
「ま……真奈さん……」
「ひぁっ!」
先程まで裸を存分に晒していた千里が顔を赤くして俺の布団を体に巻き付ける。
そこで恥ずかしがるなら裸になるなよって思う。
「言い訳はあるの?千里君」
「ぼ……僕は…………そのぉ…………裸で寝るのが習慣で……」
かなりキツい言い訳だ。
千里の視線はあらぬ方を向き、汗だくである。
「千里く――」
「ごめんなさい!僕、妄想力の高い男の子なんです!あおの体で欲情してました!でも、あおは脱いでません!昨日、僕がパジャマに着替えさせただけです!」
おい!
おいおいおいおいおいおい!!!!
何言っちゃってんの!?
「僕はあおが好きです!だから、あおが嫌がることは何もしてません!その、ごめんなさい!!」
千里が土下座した。
そしたら、「お前が要らぬこと言ってることが俺へ嫌がらせだ」と言い掛けた俺の口は閉じてしまった。
しかし、これは俺が言いたかったことを言えなかったわけではない。
ただ、千里が俺が本当に言いたかったことを言ってしまったのだ。
「千里君、好きってどういう意味なの?」
「あ……」
千里が硬直する。
そして、彼は真奈さんを見上げた。
「僕は葵を……あ、あ……愛してますっ!!!!」
これは良く響いた。
「好きです!葵が好きです!葵を幸せにする確信があります!」
自信じゃなくて確信か。
真奈さんから俺へと千里の視線が移った。
“確信”に満ちた目だ。
「葵君はどうなのかしら?」
真奈さんは決して冗談半分で聞かなかった。
真奈さんならちゃんと聞いてくれる。
「……千里は大切で……好きです」
「昔もあなた達は互いが好きだったわね。あの時はまだ子供だからと思っていたの」
だけど、俺達はもう子供じゃない。
「用心屋さんで沢山の経験をして沢山の出会いをして、そうしてあなた達は決心したのでしょう?」
こっくり。
千里は俺を見ながら頷いていた。
俺は無意識に頷いていた。
「なら良いのよ、葵君」
「…………俺?」
「千里君、慎に代わって……葵君を宜しくね」
「は、はい!喜んで!」
…………何だろう、この空気。と言うか、今、真奈さんに認められた……?
「だけどね、千里君。このお家には春鳴ちゃんがいるのだから、全裸は控えてね。それに、お腹壊しちゃうわよ」
「う……ごめんなさい」
布団を纏った千里は箪笥の引き出しから俺の下着を勝手知ったる動作で選ぶと、平然と着た。
俺のなのに……。
「これからは気を付けます」
「わかったわ。朝御飯はもうすぐだからね、二人とも」
「はーい!」
「分かりました」
ぱたんとドアが閉じた。
「ねぇ」
「うん?」
「僕、何か言っちゃってた?」
「うん」
「真奈さん、普通だったね」
「うん」
「………………」
「………………」
千里が俺を抱き締めた。
自然だったような、人工だったような微妙な流れで抱き締めた。
「あお、急に勝手にごめん」
「いや、いいよ。寧ろ、ありがとう。お前のお陰で何かスッキリした」
千里が言ってくれたから俺は家族に隠し続ける罪悪感から救われたのだ。
「今更だけど、心臓がばくばくしてる……」
「俺も」
「足もガクガクしてきた」
「じゃあ、座るか」
その場に座る俺達。
千里が箪笥に凭れた俺に凭れる。
俺の指に絡まる千里の髪がひんやりとしていて気持ちい。
「僕、盛大なカミングアウトしたんだね……」
「うん」
「怖かった」
「うん」
「良かった」
「うん」
「キスして?」
「……うん」
俺はねだる千里に口付ける。
今日は千里の髪紐を買いに行こうと思った。