秘め事(7)
『一体全体、何様なんだよ。あんたのとこは』
『どういう意味だ?用心屋』
『司野を無意味に全国に振り回して、何様なんだってきいてんだよ』
『無意味じゃない』
『無意味じゃないなら意味を言えよ』
『お前は部外者だ』
『司野は家族だ』
『ああ、お前達の養父なんだってな。いい迷惑だ、あいつにとって』
『なんだよそれ』
『お前みたいな疫病神は存在自体が迷惑だと言っている』
『……俺は司野を守っている』
『守るだと?誰から司野を守るんだ?そいつらの目的はお前だろう?お前が厄介を引き寄せ、周囲を捲き込んでいる。違うか?』
『…………司野は家族だ……』
『………………』
『………………俺は……司野の願いを……守っている……』
『――手紙は渡した』
用心屋2階、リビングにて。
テレビと向かい合わせに位置する一人用ソファーに琉雨が膝に乗るようにして洸祈が座っていた。
「あの……旦那様……?」
「ん?」
「……ルーはもういいと思います」
「僕もそう思うよ。だってもう1時間は解かしてるじゃん」
洸祈の左斜め向かいの千里は膝に肘を突き、手に顎を乗せて喋る。彼の目の前のテーブルには醤油味のゴマ煎餅の乗った小皿だ。
「でも、なんか足りない気がする」
そう言って、洸祈は止まっていた手をまた動かした。彼はそれはもう念入りに琉雨の髪に櫛を入れる。
「あんまりやり過ぎない方がいいんじゃないの?ほら……抜けたり……」
「…………禿げる?」
「はひっ!!!?厭ですぅ!!!!」
洸祈の膝から飛び降りた琉雨は光り、小さくなると、羽を使って千里の背中に隠れた。そして、千里の着るパーカーの帽子を抱き締める。
「うう……禿げちゃいますよう……」
「琉雨ちゃん、大丈夫だよ。僕がもうそんなことはさせないからね」
「はうぅ……」
ソファーの背凭れの縁に座った琉雨は小さな手のひらで頭に触れて撫でた。
「って、あれ……洸?どうしたの?」
「旦那様?」
洸祈の手から櫛が落ち、彼はぼんやりとした表情をする。実際に千里や琉雨の問いかけに返事はなく、宙を見、口は半開きだった。
「…………琉雨ちゃん、洸固まってるよね?」
「………………はひ……」
「洸、しっかりして」
千里が洸祈だけ時間が止まりでもしたのではないかと、慌てて彼の肩を掴んで揺さぶる。しかし、前後に揺らされた洸祈は動き出すどころか、開いていた瞼を閉じてしまった。
「ちょっと洸!冗談じゃないよ!起きてって!」
「旦那様!旦那様!」
遂には勢いに負けて千里に被さり、それでも洸祈は自力では動かない。まるで電池が切れたロボットのようだ。
「洸……一体どうしたのさ……」
千里は洸祈を抱えて途方に暮れた。
「どうですか?」
「熱は……ないね。でも、だからと言ってこれは寝不足だけではないみたいだ」
董子の手を借り、千里に頼まれて店にやってきた蓮は洸祈の部屋のベッドに寝かされていた彼の額に真っ先に触れた。
「陽季さんも由宇麻も遠くにいるからかな……あおも……」
「葵君か」
その時、千里と蓮の視線が絡み、離れる。千里が僅かに蓮から遠ざかった。互いの間を満たすのは味気ない空気だけ。
「あの、蓮さん。今朝、これを旦那様が」
二人の微妙な空気を洸祈の机の引き出しを開けた琉雨が横切り、蓮に紙袋を渡した。
「君に崇弥が確認を頼んだのかい?」
「はい」
「お薬?洸の?」
紙袋は千里でも覚えがある近所で一番大きい病院の処方箋だ。
「向精神薬……またこういうものを…………」
沈黙。
「…………ルーが止めなかったからですね……」
この薬が洸祈にどういう影響を及ぼしたのかは蓮が深く溜め息を吐いたことから明らかで、洸祈の為と思い、彼が薬を飲むのを見届けた琉雨は目尻に涙を浮かべた。
「ルーは役立たずです……!」
俯き、握る洸祈の手に雫を落として琉雨が嗚咽する。
護鳥として主人を守るはずが、逆に守られてきた。だから、役立たずなのは分かっていた。
それでも琉歌に貰った“洸祈の監視”という役目が洸祈の傍にいてもいい理由になると思っていた。しかし、効果を知りもしないものを安易に飲ませ、挙げ句にこの結果では本当に役立たずだ。
「琉雨ちゃんは悪くないよ。お医者さんが出したお薬なんだし」
「向精神薬は副作用が強いんだ。正直、僕はこれを飲むのはお奨めしないよ。崇弥の場合、依存症になりかかっているし。薬はやたらと飲ませればいいというものでもないしね」
千里は泣き崩れてしまった琉雨をすかさずフォローするが、蓮はお構い無しに早口でぼやいた。珍しく千里が険しい顔をしていることにも気付かずに。
「蓮様、自分へのお説教は心の中でしてください」
董子だ。
蓮が診察している間、全く喋らなかった彼女が、千里が肩を強張らせたその時に口を開いた。
「…………僕は口動かして耳で聞く方が頭に残るんだよ。それに心理学上にも証明されている」
「分かりました」
蓮の見ていないところで董子が軽く千里に頭を下げる。そんな彼女の姿に千里は蓮への怒りを納めると、琉雨の肩を抱いてそっと部屋を出た。
「二之宮?」
「そうだよ。二之宮蓮だよ」
「なんで二之宮の家に連行されてんの?」
「お医者さんプレイ?監禁プレイ?君達の間ではどっちかな」
「何が?」と聞こうとしてカシャンと物音がした。微かな振動がして頭上に纏められた手首を見れば、手錠だ。多分、アルミ製だろう。気分だけの玩具だ。
「…………束縛プレイ辺りに入るけど」
「興奮する?」
「正直、全然だけど」
怖い目付きの二之宮を前にして興奮などできるはずがない。怖い目付きの陽季ならともかく。
「じゃあ、僕も正直に聞くけど、崇弥にしては陽季君とご無沙汰だけど、どうなの?」
「二之宮にセクハラされる日が来るなんて……」
驚愕だ。
俺は地下の冷えた作業台に上手いこと両腕を捕らえられ、二之宮は台に腰掛けるようにして俺を見下ろす。
眼鏡の奥の眼光とか、少し汚れた白衣姿とか…………陽季に着せてお医者さんプレイはどうだろう。
眼鏡効果も付けて、命令口調とかいいかも。
「君、今、気色悪いこと考えたでしょ。顔がキモい」
「へ?何?」
俺は患者だから医者の陽季の命令は絶対なんだろうな。
「…………なんかぞくぞくする……」
「…………………………寒いって意味だよね?」
「陽季不足……今、陽季不足だ」
「一昨日、僕の家に二人で来たよね?」
だけど、不足しているものは不足しているのだ。
「今朝も電話くれた。おはよう、洸祈って」
電話越しだと朝の苦手な陽季の吐息が良く聞こえてエロかったりする――とは付け足さなかった。二之宮の額の火山が爆発しそうに見えたからだ。
二之宮に怒られるのはいやだ。怖いし。
「君、なんなの?毎朝、陽季君の電話貰って、それで自分を慰めなきゃ満足しないの?」
別に慰めはいらない。
ただ――
「陽季に触れたい……陽季に触れて欲しい」
もし許されるなら、陽季の腕の中に一生いたい。
髪を撫でて欲しい。
耳に触れて「愛してる」って言って欲しい。
「陽季君中毒。陽季君依存症。今の君なら陽季君を監禁しかねないね」
「…………しない。陽季が触れてくれなくなるから」
俺を嫌いになる。そんなのは嫌だ。もう陽季に嫌われたくない。
「あ、そう」
「うん」
「ならどうして向精神薬を服用した?」
……俺は何かやらかしたらしい。そして、琉雨が二之宮にきちんと報告した。
「いらいらしたから……」
「ストレス解消したいなら男と寝てくれた方がまだマシだね」
「酷い」
「薬に頼る君の方が酷い」
「だって……」
俺には本当に分からなかったから。
どうしたらこのいらいらが消えるのか。
「俺、どうしてあげればいいんだよ」
「君はどうしてあげたい?」
二之宮は優しい目付きで俺を見る。狼と同じ。
「一緒にいたい。でも、俺が一緒にいたら迷惑掛ける」
「例えば、童顔君?」
二之宮は知っているのだろうか?
否、知っているはずだ。二之宮は小鳥を司野のもとに置いている。
それもこれも俺のせい。あの男の言う通り。
「司野は優しいだろ?本当に優しくて……でも、俺は司野を守れない。分かってるんだ。司野は俺に守られたくなんてない」
「“だけど”なんだね」
そうなんだ。
「だけど。俺は司野のお願いを叶えたいんだ」
「童顔君のお願い事は家族。もう失うことない家族を手に入れること」
それはきっと司野にとっての魔法の言葉。
“家族”がいればそれでいい。
普通は持て余してしまう欲求の全てが司野の場合は“家族”に割り当てられてしまっているように思える。
「もう司野に悲しい思いはさせたくないんだ。司野を泣かせたくない」
「そうだね。家族は本当に大事」
「俺は疫病神だ。司野の傍にいて司野を傷付けるぐらいなら、俺だけ皆から離れれば――」
ぱしりと二之宮に頬をはたかれた。
「君は何も分かっていないね」
「?」
「君が大切な人を――家族を守りたいと思うように、君の家族も君を守りたいと思っている。君の暴走を止めるのは誰だい?君の家族だろう?」
「…………うん」
「君が家族のもとから離れれば、政府や軍が今がチャンスと君を誘拐しに来るぞ」
「…………………………二之宮、俺の肩の魔法陣……」
「まさか、また出てきたわけじゃないよね!?」
パーカーの長袖を無理矢理上げられる。しかし、そこまで薄い布地ではないため、半袖並みにしか上がらない。
「手錠外すから脱いで!」
「そうじゃなくて。もし、俺の肩の魔法陣が復活したら、もう二之宮には手に終えないんだよな」
「この僕の処置が失敗するなんて有り得ないんだよ?」
「………………ごめん」
二之宮が泣きそうな顔をしていた。そして、俺の視界を手で塞いだ。
泣かせた?
3分ぐらいだったかもしれない。
時折、衣擦れの音がし、ようやく二之宮が喋った。
「どうする?僕の許可なしに薬剤をもう飲まないってんなら、その手錠外してあげるけど」
「無理……かも」
「無理じゃない。まぁ、陽季君を辞職させたいのなら構わないけど」
「どういう意味?」
「崇弥がして欲しくない陽季君の拉致監禁だよ」
駄目だ。
月華鈴は陽季の家族なんだ。
陽季に家族を辞めさせるなんて絶対に嫌だ。
でも、二之宮ならする。
強制的に……否、二之宮なら陽季を追い込む。強制はしないがとことん追い込むだろう。
「陽季は関係ない」
「連帯責任。いや寧ろ、陽季君ならきっと君の為に全てを投げ出せるよ」
「陽季はそんな人間じゃない」
そんな人間にはさせない。
「じゃあ、一体僕はどうすればいいって言うんだよ!!」
手が外れ、視界が回復し、眼前には激怒している二之宮だ。
俺、二之宮を怒らせたんだ。
「…………なら、二之宮の携帯の番号教えて」
「…………は?」
二之宮が眉間に火山を作って器用に首を傾げる。
「あと、二之宮の家の鍵。あと、二之宮のベッド使用許可。あと、杏と遊ぶ許可」
「どれか一つにならない?」
「全部いる」
全部なきゃ俺のむしゃくしゃは治まらない気がするし、二之宮の携帯番号を知りたい。陽季だけ狡い。
序でに鍵があれば二之宮の居心地のいいベッドでこれからの季節、ぬくぬくできるし。好きな時に嫌がる杏を弄れるし。
二之宮は目一杯嫌そうな顔をする。
そして、俺が折れるのを根気強く待っていたようだが、二之宮は遂にがっくしと肩を落とした。俺の我慢勝ちだ。
「分かった……分かったから!携帯番号と合鍵、ベッドの使用許可と遊杏と遊ぶ許可ね」
「携帯、着信拒否したら許さない」
「しないよ。でも、仕事中は出れないから。それと、僕は清潔が好きだから、くれぐれも家の中をぐちゃぐちゃにするなよ」
「はーい」
二之宮は俺の頭に触れると、強く掻き回す。きっと俺への静かな抗議だと思うが、俺には二之宮に構ってもらえるだけで嬉しい。
だって、構ってもらえるってことは、二之宮の中には俺という存在が確かにいるという証明になるからだ。
「なに笑ってんの」
呆れられてもいい。
二之宮が俺を見てくれているのだから。
「一緒に司野を守って」
「言われなくても。僕も何かと彼には助けられてるしね」
「ありがと」
手錠が外され、二之宮が俺を抱き締めた。
「童顔君には僕の蝶を付けているから」
耳元に囁かれ、首筋を舐められる。
確かそこは……。
「陽季君は分かってないよね。これ牽制のつもり?アホでしょ。こんなの興奮させるだけだから」
「二之宮は興奮した?」
「しない。あくまで君が選びそうな相手に関してはだよ。……さ、家に帰っていいよ。君用に薬を調合しといた。代金は付けとくから」
陽季が付けた痕をもう一舐めし、二之宮は俺のパーカーの襟首を直して俺を放す。そして、現れた董子に抱えられて地上へと階段を上がっていった。
「陽季ー、…………ってるよー?」
「えー?聞こえないです」
シャワーの音で菊さんの声が良く聞こえない。
「だーかーらー!陽季の携帯、鳴ってるの!『毒舌野郎』って人から!」
そんな辺鄙な名前で登録した奴なんて居たっけ?居たとしても相当ヤな奴なんだろうな。
「……毒舌…………俺、知らな…………あ!!」
二之宮だ!相当ヤな奴!
――と、シャワー室から出ようとしたら、閉めていたはずのシャワーカーテンが大胆に開け放たれていた。そして……ジャージ姿の菊さんが立っていた。
「ちょっとぉおおお!!!!」
1・2・3でカーテンを閉め、仕切りの壁に引っ掛けたタオルを巻き、しゃがむ。
……もう婿にいけない。
「耳が痛いじゃない。陽季の裸なんて見慣れてるわよ」
「き、菊さんが見慣れてるとかじゃなくて!見ないでよぉ!」
「はいはい。分かったから。まだ陽季は思春期なのね」
思春期とか関係ないでしょ!
「それより電話に出ないの?」
あ。そうだ。
オルゴールアレンジの某アニメ映画の曲――人面トナカイが出てくるあれの曲が耳に入ってくる。
二之宮のは何が何でも出とかないと。相当ヤな奴の割に相当重要な情報を持ってくるからな。
「出る……」
俺はカーテンの隙間から手を伸ばして携帯を受け取った。
ぴっ。
『遅い。これだから電話なんて嫌いなんだ。出る気がないなら着信拒否にしてくれよ。拒否されたら僕も無駄な時間を食わずにいられるんだから』
俺の中で二之宮は“開口一番、面倒くさい奴”ナンバーワンだ。
「さっきまでシャワー浴びてたんだよ。それで?一体、何の用なんだ?」
『崇弥の為に電話中。でも用事あったんならもう切るよ』
「あ、あああー、待てよ!洸祈が何!?」
意味深なこと言うな。気になるだろ。
すると、カーテンが開き、「洸祈に何かあったの!?」と俺の頭上から菊さんが顔を覗かせる。だから見ないでよ。
『崇弥の為に僕から君にアドバイスしたいのさ』
「アドバイス?」
『今度崇弥に会う時は白衣に眼鏡、聴診器姿で会うといいよ』
白衣に眼鏡、聴診器……医者?なんで俺が二之宮みたいな恰好をしなくてはいけないのだ。
『束縛されたいらしいよ』
「おまっ……何言ってんだよ!」
つい洸祈を縛った時の姿を思い出してしまった。あいつは恥じ入っているのか誘っているのかホントに分からないんだよな。
……いやいや、待て!俺はタオル一枚で、近くには菊さんもいるんだぞ!
しゃがんでいたけれど、できるけ更に前かがみになっておいた。もし二之宮の追撃にあっても俺の尊厳を守れるようにだ。
「ねぇ陽季、洸祈は?大丈夫なの?」
俺は親指を立てて受話口をぴったりと耳に当てた。
「洸祈に何かあったのか?」
『ないよ。だから君は仕事に専念するといい。仕事にね。一心不乱に』
俺をからかっているわけではないのは分かる。だけど、この雰囲気は気に食わない。
「本当だろうな?」
『ああ』
ぷつり。
「………………切れた」
嗚呼、もう。二之宮は気に食わない野郎だ。




