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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
匂へどもしる人もなき桜花 ただひとり見て哀れとぞ思ふ
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秘め事(6)




こぽ。

ごぼごぼ。

ごぽっ。


水面を揺れる光。

ああ、今見ているのは太陽だ。

水を通して太陽を見上げているのだ。

眩しい。

けど、手を伸ばせば掴める。


ごぼ。

こぽこぽ。

ごぽっ。


届かない。それどころか、沈む。

しかし、浮けない。

だって、浮き方を知らないから。

太陽は遠ざかり、闇へと沈んでゆく。


ごぽ。

こぽこぽ。

ごぼっ。


足が掴まれた。

『沈め』


分かった。沈むよ。


その時、ぼくは“彼”を見た。

間違いない。あれは彼だ。

彼は薄目を開けてぼくを見詰める。

紅く暗く冷たい瞳。

そして、彼がその繊細な指先をぼくに向けてきた。

手を取ってと言いたげに。


――――。


ごぼごぼごぼ……。

こぽ。

ごぽっ。


彼は上へと。

ぼくは下へと沈む。

ぼくにはもう彼の小さな背中しか見えない。


『沈め』

沈むよ。


だけど何故、彼はあんな冷めた瞳でぼくにああ言ったのだろうか。


「ころして」


彼は殺される側ではなく殺す側。そう深く刻み込まれている。感情を奪われ、兵器に改造された憐れな欠陥品。

死を望むなど……。

ぼくの役目は彼の殺人衝動を抑え、ぼくの感情を与えて彼をヒトにしてやること。

死を望むということは、彼は彼自身の感情に通ずる何かを得たということだ。


まさか、彼はヒトになりたがっているのか?

そして、彼は自らの死でもって、この運命を終わらせようとしているのか?


ならば、彼の望みはたった1つだ。



“ぼくの友達”に殺されること



ぼくの伸ばした手は闇を掴んだ。

駄目だ。

そんなことはぼくが許さない。

彼が殺されれば、もしかしたら全てが終わるかもしれない。

でも、彼だってぼくの友達だ。

喩え、感情を無くしてぼくを殺そうと――殺したとしても彼は紛れもないぼくの友達なのだ。


手を取らなきゃ。

彼の手を。


『沈め』

嫌だ。

邪魔をしないでくれ。

ぼくは彼を止めなくちゃいけないんだ。


『沈め、コウキ』


もう何も見えない。

嗚呼、誰でもいい。


誰でもいいから、彼の手を取ってくれ。




――な様!旦那様!

「…………る、う?」

琉雨(るう)姉ちゃんと僕です」

肩を揺さぶるのは琉雨。

顔を覗き込んでくるのは(くれ)

二人ともパジャマ姿だ。

それも琉雨に至っては泣きそうな顔。

心配させたのか?

「俺、何か言ってた?」

俺は良く寝言を言うらしい(陽季(はるき)談)ので、大声で二人を起こしてしまったか……。

「だ、旦那様は……悪い夢を見ていたんです……だから……」

“だから”何なんだろう?

「洸兄ちゃんはとても物騒な言葉を連呼し、叫び、泣いていました」

「……………………俺が?」

「はい。洸兄ちゃんが」

物騒な言葉を吐いて泣き叫んでいた――とは。琉雨が取り乱すわけだ。

「二人とも、すまない。俺は大丈夫だ」

呉はいつもの淡白な表情で分からないが、琉雨には怖い思いをさせてしまった。

カーテンを透かす光は弱く、日の出前。子供の成長には睡眠が命だと言うのに、本当に申し訳ない。

「ルーは旦那様が大丈夫なら……タオル、今出します」

あーあ。服がぐっしょりだ。

布団も湿っぽい。

今日、晴れてたら干すかな。



夜中の2時に琉雨と呉を起こしてしまい、二人を部屋に帰してからすっかり覚醒してしまった俺はベッドで横になって時計の針が刻む音を聴いていた。

チクタクチクタク。

俺はこの音が好きで電波時計の他にアナログ時計を買った。それに秒針の先に付いたヒヨコがカタカタと動く姿はアナログならではの深い味わいがある。

チクタク。

『あ、あの』

『すまない、司野(しの)。話している余裕はないんだ』

『手紙は書いたんやけど、従弟のみちる君のこと……』

チクタク。

「あんの野郎……」

現在、午前5時。朝っぱらから司野にちょっかいを出しに来たってのか。

俺はベッドから降りて部屋を出、司野の家が見える窓を探した。リビングまで行かずとも、俺や千里(せんり)の部屋が並ぶ廊下の窓から見えるはず。

「ちぃ?」

「あ…………おは」

濡れた髪をタオルで拭きながら廊下を曲がってきた千里と鉢合わせした。

こんな朝早くからシャワーとは。

「えーっと、その…………何してるの?」

「あ、司野が誘拐されかけてたんだった」

由宇麻(ゆうま)が?」

俺と一緒に窓にへばりつく千里。

『これで全部か?』

『あ、あと崇弥(たかや)に手紙書いたんやけど……』

『俺が渡しておく』

「絶対に渡さないな。誘拐犯め」

「誘拐犯じゃなくて由宇麻の上司さんじゃん……って、行くの!?」

「行く!」

がしり。

「駄目だよ。由宇麻はお仕事なんだから」

千里に引き止められるとは思いもよらなかった。(あおい)の一件以来、千里は待ち上手になったようだ。

でも――

「司野の出張は異常だ。あの男が予定通りに動かないのも異常だ」

司野の仕事が“出張”でもない限り、司野の出張回数はおかしい。

それに、俺は待ち上手じゃない。

「由宇麻は本当に嫌ならはっきり言うよ」

瑞牧(みずまき)さん、俺はホンマにあんたのこと信用しておるから』

『ああ』

『これで安心したわ。みちる君、崇弥、行ってくるな』

司野が自分の家と店とを見上げ、窓から覗く俺達と目が合った。大きく手を振り、司野は車の中へ。

「ほらね」

千里のしたり顔に思うところがあって、俺は取り敢えず千里の首のタオルを千里の頭に巻いておいた。

「前見えないよ」

「ミイラごっこ」

「はぁ?」

「なぁ、朝ごはん作って。みちるの様子見てくる」

「えー……僕、当番じゃ――」

「俺が作るか?」

「分かったから。僕が作るよ」

何が分かったのだろう。

ミイラ千里は床を熱で曇らせ、足跡を残して部屋に入って行った。

そして俺はあと20分でかかってくるモーニングコールを待って司野の家に行くことにした。






とうとう鹿児島県に着いてしまった。

『おはよう、童顔君』

「……おはよう?(れん)君」

大きな翅を持つ黒い蝶々がさも当然のように俺のキャリーバックに留まり、俺に話し掛けてくる。

『急な出張の前倒しだったね』

「みちる君にホンマに悪いことしてもうたわ」

『みちる君?ああ、君の従弟さんか。スイが教えてくれたけど、君に似ているとか』

似ている?

確かに従兄弟同士似通うところもあるだろうが、みちる君は俺よりももっとこう……きらきらと輝いている。

『素直だよね、君達の家系は』

「良くも悪くも素直」

『そう、素直』

蝶々が俺の肩に移った。

優雅に羽ばたく蝶々の姿はまるで蓮君自身のようでもあった。

見た目は綺麗で安らぐけど、捕まえられない。捕まえたくない。ずっとのびのびとしていて欲しい。

『ともあれ、君の従弟君はスイを通して僕も見守っておくから、君は自分のことに気を付けなよ』

「俺は別に……」

出張にはすっかり慣れてしまっている。

『君の職業には危険が伴う。出張だろうと慣れてしまうべきではないよ。慣れは心にゆとりを生み出すけど、注意を怠ってしまうことがあるからね』

蓮君の言葉はいつも優しさで溢れている。思い遣りの言葉だ。

『それに、君だってこの出張には疑問を感じているだろう?』

「……まぁ…………でも、瑞牧さんは――」

『分かっているよ。君の上司はとてもいい上司だ。だからこそ……君の上司の行動は気になるねぇ』

語尾を伸ばし、蓮君代理の蝶々は『あまり人混みから離れない方がいい』と付け足してキャリーバックで翅を休めた。朱色に紺色の蝶々がいい感じだ。

様々な形の日影が行き交う中を俺も小さな影を連れてのんびりと歩き出した。

しかし、つい人を目で追いながらだが。




人混み探しにも限度がある。

真夏の住宅街や寂れた団地の公園、早朝の商店街。そして何より、トイレだ。

人が多いトイレは探すのが難しい。駅構内は割と見付けられるが、大抵の場合、外出先のトイレは人気がない。それも平日の昼間は尚更。

そして、鹿児島に来て4日は経ち、労働課ビル内の食堂で昼食を取った俺は「流石に……」と考えながら、同じく労働課ビル内のトイレでまんまと一つしかない出入口を塞がれていた。

服装が俺と同じ黒スーツの男が見える範囲で3人いる。

3人とも目付きをサングラスで隠し、怪しさ抜群。

両手は空いているが、スーツの上からでも体格の良さが分かる。

1対3で身長差20センチ以上…………圧倒的に不利だ。

ここは大人な解決をするしかない。

「俺に指一本でも触れたら大声出すんやからな」

俺がいるビル2階のトイレは人の出入りの多い食堂と同じ階だが、少々距離がある。かといって、このトイレの近くには何もないというわけではない。しかし、近くにあるのは倉庫や資料室だ。階段やエレベーターからも遠く、用がない限りそうそう人は来ない。

では何故、そんなところに俺がいるかと言えば、昼休み明けの仕事で必要な資料を探しに来ただけということだ。

つまり、今、俺が大声を出しても誰も助けには来ない。

「人が集まって来たらお前達に逃げ場はないで」

が、男達は俺の脅しに逃げ出すどころか、真ん中の一人が堪えきれずに吹き出した。

笑うな。

「大声を出したければ出せばいい。このビルは現在、我々の監視下にあるのだからな」

「なっ……!?」

後半は警察が立て籠り犯に言うようなセリフだった。

俺は抵抗も出来ずに両脇を二人に抱えられ、足が浮く。肩が痛い。

「放せ!放せや!!放さんとお前達の会社を監査して営業停止にするで!!!!」

ぷっ。

また吹き出した。

だから、笑うな。

真ん中は一通り笑ったあと、サングラスを外した。

露になる男の目付きは想像通り鋭く、瞳の色が黒から薄く明るくなる。

「司野由宇麻。我々は政府代理人だ。一緒に来てもらおうか」

「その目……!?」

波の色だ。

蓮君の目の色。


蓮君が魔法を使うときの――


『童顔君!!奴の目を見るな!!!!』

蓮君の焦りきった声が脳に響くが、多分、その助言は役に立たない。

俺は視界の隅に蝶々の姿を捉え、急激な疲労感と頭が重くなるのを感じた。

力が抜け、抵抗すらできない。


何で政府代理人が動く?

何で蓮君と同じ目を持っている?



何で俺なんだ?


俺にはそのどれも答えが分からなかったが、みちる君や崇弥達が無事でいればいいと――崇弥の足手まといにだけはなりたくないと思った。

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