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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
匂へどもしる人もなき桜花 ただひとり見て哀れとぞ思ふ
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日記

銃と剣では圧倒的に銃が有利だと思っていた。じゃなきゃ、誰も銃を開発なんてしないと思う。

でも、現に俺は刺突剣とダガー相手に苦戦中だ。

「っ!」

「今ので手の甲が切れたぞ」

そう言われずとも俺の左手の拳銃は衝撃で床に落ちた。しかし、右手の拳銃は健在で、ダブルアクションだがこの近距離なら絶対に外さないと――


カチ。


右腕に局所的な強い痛み。

「くっ……!!」

足を払われ、右腕を庇ったせいで背中から固い床に倒れた。

起き上がろうとして、首筋には刃。

「両腕負傷。頸動脈切断。まだ息はあるか?」

ああ、負けた。

「…………俺は死にました」

俺は死んだ。

「お前の敗因は?」

「弾切れです」

「冷静さに欠けてたな」

そして、俺は彼の手を取って生き返った。



「痛っ!」

畳みに寝転がったら右腕に強烈な痛みがして俺は飛び起きた。そっとパーカーの袖を捲れば案の定、右腕に百円玉ぐらいの青痣ができていた。

これは痛いはずだ。

「見事な円形だな」

「綺麗な痣とか別に嬉しくないから」

「そうだな」

笑い、食べ掛けのうどんに箸を入れる彼は俺に痣を作った張本人の璃央(りおう)だ。

正確には痣を作ったのは璃央先生。痣は璃央が教師として俺に指導してくれた結果だ。

「璃央って実戦は強いんだね」

模型のダガーで切れ味ゼロだと言うのに、前の模擬戦では本当に切られた感覚がした。

「お前は宝の持ち腐れをしているだけだ」

“宝”ねぇ。

そんなキラキラしたものを俺は持っていただろうか。

「お前は射撃テストの点数は学年トップだったろう?」

「まぁね」

満点だから学年トップだ。

「そこを活かす為にも近距離戦は避けるべきだ」

「避けられなければ?」

「いや、避ける為に魔法を使うんだろう?」

それは多分、そうなんだけど……。

「俺の魔法、遠距離だし」

銃撃戦では弾の速度を格段に上げたり角度を変えたりと便利なのだが、近距離には不向き。避ける為に使おうにも近い者に対しての効果は大して得られない。

遠距離型の魔法は距離が長い程威力が増すのだから。

崇弥葵(たかやあおい)が何を言うんだか。緋沙流の本家だろう?魔法の欠点を補う為に陣魔法を編み出した家系じゃないか」

「ご先祖と俺は赤の他人同士みたいなものだって」

ま、貧乏なのは昔も今も変わらないらしいけど。

「お前、陣魔法はいくつぐらいできるんだ?」

「目眩まし系のだけ。洸祈(こうき)は空間系も水系も風系も……それに複数の属性を組み合わせてくるし」

時々、洸祈が応接室で店番しながら陣紙を弄っていたのを知っている。

それに洸祈の陣魔法の実力は軍学校時代の模擬戦で十分に体に叩き込まれている。誰の嫌がらせかは知らないが、双子の力比べ見たさに俺の相手は大抵洸祈だった。そして、俺が負ける。

いつしか洸祈は模擬戦どころか授業自体に出てくることがなくなった。

敵なしだからつまらなくなったのだろうか――これは俺の嫉妬か。

「陣魔法は威力には欠けるが自らの属性に囚われないから魔法の幅が広がる。魔法構築の基礎は教えたろう?あとは葵の発想次第だ」

璃央がマトモな先生っぽい……正真正銘の教師だけど。

「ねぇ、璃央」

「ん?」

生卵に箸で穴を開け、一気に残りのタレとうどんを口に入れた璃央。満足そうにお茶を啜り、息を吐いた。

「俺、将来について今更迷ってる」

「20代で今更なわけあるか」

「………………千里(せんり)が好きなんだけど」

璃央が俯いた俺の横顔を真剣な顔で見ている気配がする。

だけど、もう俺には止められない。

璃央に全てを聞いて欲しい。

「千里とずっと一緒にいたいんだ――」

璃央は保温ポットと茶葉の入った缶、急須を持ってきた真奈(まな)さんにお礼を言い、俺の湯飲みと自分の湯飲みに注ぎ足した。

「だけど、俺は千里の足枷になる……。千里は櫻じゃなくて俺を選んだんだ……俺には何もないのに」

俺の湯飲みの茶に茶柱が立っている。

隣の璃央は舌をちろりと出し、日本茶の熱さをみようとして止めた。

璃央は猫舌だ。

お昼のうどんも真奈さんが気遣ってうどんとタレを別々にしなければ、汁を十分に吸って重くなったうどんを食べることになっていただろう。

因みに、冷めるまで待つとしても冷やうどんよりは温かいうどん派らしい。

「お前に何もないのに千里がお前を選ぶはずがないだろう」

俺にあるもの……。

「俺のカラダとか?」

「…………身体な。身体。あと、身体は違うと思う」

カラダ以外で……。

「俺、知識はあるけど、千里は勉強が嫌いだし」

「お前なぁ……。お前は何で千里を選んだんだ?」

何故?――真面目な話は苦手だ。

ここまでぶっちゃけてから俺の胃が痛みだした。

これ以上は続けたくない。

「そうだった。金達の散歩行かないと」

舌が火傷しようと構わない。

俺は熱い茶を喉に押し込み、立ち上がった。

璃央がポカンと俺を見上げる。

「葵?」

話はいいのか?と問い掛ける目。

俺から“幼なじみ(男)が好きなんだけど、どうしよう”的な会話を始められたら俺自身でもびっくりする。そして、その会話を突然止められたら唖然とするだろう。

「葵君、蜜柑ちゃん達は紫紋(しもん)君とお使い中よ」

「真奈さん……」

「今日のお夕食は海鮮丼。璃央君も勿論食べて行くでしょう?」

「お言葉に甘えて」

「葵、少しいいか?」

丹前を着た晴滋(せいじ)さんが千里の祖父とはまた違う静かな雰囲気を纏って襖を開けた。

「俺?構わないですけど……」

(しん)の部屋に来てくれないか?」

「父さんの部屋……分かりました」

晴滋さんに個人的に呼ばれると緊張する。それでも俺は自分の心を奮い立たせて晴滋さんを追い掛けた。





こけし人形と本が並ぶ部屋を過ぎ、家の奥へ奥へ。

庭を横目に縁側を進む。

やがてガラス戸越しに見えてきたのは父の部屋。離れだ。

サンダルを引っ掛けて石畳に沿って歩く。

晴滋さんの背中は真っ直ぐで大きい。その後ろを付いて行くと安心感が沸くと同時に自分がとてもちっぽけなものに思えた。

「葵?……ああ、鯉か。春鳴(しゅんめい)が毎朝餌をやっている」

「コウがいつの間にか大きくなってて驚きました」

「コウ?」

そうだ。

晴滋さんは俺が鯉に付けた名前は知らないんだ。

「銀色の銀松葉と言う種の鯉です。洸祈に似てるからコウって名付けたんです」

「他にも名付けたのか?」

晴滋さんに俺が勝手に付けた鯉の名前を聞かれるとは思っていなかった。

でも、銀松葉のことを話してしまったからには鯉の紹介に関しての恥ずかしさはいくらか和らいだ。


無垢な洸祈。

全身が銀色に染まった銀松葉の名前はコウ。

芯の通った千里。

千里の髪と同じ黄金色一色の山吹黄金の名前はセン。


「――青っぽい灰色の空鯉がアオです」

「葵の鯉だな」

「アオは洸祈が名付けたんです」

光の加減では空色にも銀色にも見える空鯉。

洸祈にコウとセンを紹介したら「葵のも!」と言って名付けた。

「空みたいに広過ぎて何も分からないねって……洸祈が……」

あの時の洸祈は怖かった。そうじゃない。

俺はいつも洸祈を恐れている。

「葵。慎の部屋へ行こう」

「晴滋……さん」

腕を引かれ、離れへと連れていかれる。

どうして皆の手はこんなにも温かいのだろう。



晴滋さんに手渡されたのは一冊の本だった。分厚い……。

「これは?」

「慎が書いていた日記だ。ギターも将棋も三日坊主だったあいつが珍しく続けていたことだ」

父さんの日記を渡されても――もし父さんがここに居たら「恥ずかしいから駄目だろう!?」と怒ってから照れそうだ。

でも、晴滋さんは何か意図があってこれを俺に渡すに違いない。

「慎は酷い喘息が長続きして軍学校も留年しっぱなしでな。医者に休むよう言われては暇だ暇だと騒いで、私は冗談半分で暇な慎に日記を書くことを薦めたんだ」

父さんなら晴滋さんの冗談半分が逆に愉快で日記を書くことに夢中になりそうだ。

「慎は毎日欠かさず日記を書いていた。……最期まで」

父さんが死ぬまでということ?

「でも……父さんは……」

父さんは病気の発症初期に失明していた。それでも欠かさずに?

「目が見えなくなって、慎は私に代筆を頼んだ。その時、慎はいつかお前にこの日記を渡したいと言っていた」

それは言い方が間違っている。

「“お前達に”だよ。晴滋さん」

“俺に”ではない――なのに、晴滋さんは首を横に振った。

「この日記には慎の半生が書かれている。慎の親友達のことも。お前達のことも」

ほら、“お前達”じゃないか。

「慎の懺悔が書かれている」

「父さんの懺悔……」

「そして、小さい頃の洸祈のことが書かれている。だからお前にこれを渡すんだ」

父さんの懺悔と昔の洸祈のこと。

頭を過るのは洸祈が売春館にいたということ……俺の知らない洸祈がいたということ……何故、言ってくれなかったのかと洸祈を責め立てたこと。

「どうして……今?」

「今のお前なら全てを理解してくれると。今のお前にはこれが必要だと。私がそう思ったからだ。慎は日記を渡す時期は私に委ねると言った」

最初の日付は6月13日。

長い耳が二つの多分兎の顔から吹き出しが書かれ、そこには『雨のバカヤロー』と呟かれている。

一日目から何だか可愛い。

『セイジに日記を貰った。分厚いけどいつまで続くかな?』

大丈夫。ずっとずっと続くよ、父さん。

『リンが好きみたいだ。どうしよう。』

ああ、母さんのことで一杯だ。

『リンが可愛いからからかってしまう。嫌われたくはないけど、拗ねたリンも可愛い。オレはガキだ。』

『リンに会いたいなぁ……』

『今から会いに行く』

最後は殴り書き。

前日のページで学校が冬休みに入って母さんに会えなくなったからって……たったの1日も我慢出来ないなんて。

「父さん、よく母さんに嫌われなかったなぁ」

「葵。立ちながら読まずに座って読むといい」

「後で読むことにします。晴滋さん、父さんの日記をありがとうございます」

母さんが大好きな父さんの日記を少し読んだだけで俺の中の重たい何かが消えた。父さんの優しい想いに救われた気がする。

「すまなかったな、葵。慎に最期まで会わせてやれなくて」

「いいんです。それが父さんなりの俺達への愛情でしたから」

父さんは俺達に沢山触れて沢山愛してくれた。会えなくなる代わりに沢山のものを俺達に残したんだ。

今はそう理解している。

「そうか」

晴滋さんが俺に微笑んでガラス戸を引いた。ひんやりした風と午後の匂いが俺を包む。

俺は宝物で埋まった少年の部屋のような部屋をじっくりと見、父さんと母さん、柚里さんと千鶴さんの笑う姿が収まった写真立てを最後に離れを出た。








俺は罪を犯した。

洸祈に全てを忘れるよう命令をした。

俺は息子のそれまでの人生を否定したんだ。

洸祈の為だと言い聞かせても言い聞かせても歩くことも喋ることも忘れた洸祈を見ると、林に抱かれたことも忘れているんだと思ってしまう。

赤子の洸祈がそんなことを記憶するはずはないとしてももう洸祈が母親に抱き締められることはないんだ。


俺は洸祈の大切なものを奪ったんだ。

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