彼の決断(7)
忘れてました(>_<)
あけおめです!
『洸くんの中のきみ。きみは誰?最近、きみのことが目につくんだ。誰?誰?誰?』
氷羽は彼の肩口に鼻を近付ける。
『お日様……と、僅かにミルクの匂い。きみの匂いだね』
彼の指に指を絡め、彼の隣で体育座りする氷羽。
『誰?誰?誰なの?』
氷羽は彼の耳たぶをつまみ、身を屈めてそっと甘噛みした。
『聞こえてるでしょ、きみ。寝た振りは困るよ。きみと会うための1時間なんだから』
誰?
誰?
誰?
きみは誰?
「そんなにぼくに会いたい?」
彼が唐突に氷羽を退けた。
対して、氷羽は瞳を細め、次に微笑んだ。
『洸くんの中のきみだね』
氷羽の手が彼の顔に触れようとして、彼が体を起こしたため、その手は空を切った。氷羽は何も触れなかった手を見詰め、ぱんぱんと両の手のひらを重ねる。
『…………初めましてだよね。ぼくは氷羽だよ』
声掛けで再度、彼にコンタクトしようとする氷羽。
「………………」
しかし、彼は全くの無言で脇に畳まれたパーカーに袖を通す。
氷羽はパーカーを着る彼を見詰めてじっと待つことにした。
「もしかして服脱がせてたのは洸祈の体とセックスしようとしたから?ぼくはそういうの嫌いなんだよね。ぼくに会いたいならああいうあからさまなことはしないで欲しいな」
彼が口を開いたのはパーカーを着終え、トイレから戻った後だった。
『ごめんね。ぼくはきみのことを全然知らないんだ。だから、きみの名前を教えてよ』
「ぼくはコウキ」
『洸くんと同じ名前?』
コウキは長椅子に座ろうとして、そこに散らばった氷羽の衣服を見て眉をひそめた。そして、全裸でベッドに座る氷羽に向いた。
「洸祈が同じ名前なんだ。ぼくが同じ名前なんじゃない」
捨てられた衣類を拾ったコウキは氷羽の眼前にパンツを突き付けた。
『えっと…………それ、ぼくの……』
「今すぐ穿いて。じゃなきゃ話しなんてしない」
『あ、ごめん。本当にきみは洸くんと違うんだね』
氷羽はパンツを受け取ると、直ぐ様穿こうとしたが、コウキに真っ向から睨まれて背を向けて穿いた。
「それじゃあ、全部着たら、話しに付き合うよ。…………氷羽」
「あ…………あれ?」
「どうかしましたか、陽季さん」
琉雨ちゃんの言う通り、どうかした。
「マスターキーなのにこのドア開かないんだ」
「ほへ……マスターキーってどのドアでも開ける魔法のカギでは……?」
そうなのだ。
どこか開かない場所があるなら、マスターキーなんて呼ばない。
「スペシャルルームって書いてありますね。だからじゃないですか?」
ドアにはナンバープレートではなく、『special room』と刻まれていた。
スペシャルはマスターを凌ぐということか?
「でも、どうしましょう……もしかしたらこの部屋にいるかもしれないのに……」
全くその通りだ。
てか、開かない扉ほど怪しいものである。
「よし。……一度やってみたかったんだよね」
俺は腕まくりをし、背伸びをし、深呼吸した。
準備体操は万全にしないと、捻挫なんてしたら蘭さんにどやされる。
「あの、陽季さん、どうするつもりですか?」
「大丈夫。琉雨ちゃん、ドアから離れて」
「ほへ?何を?」
「やってみたかったんだ、ドア破りってやつ」
洸祈には悪いけど、お前より先に刑事っぽいことしちゃうからな。
俺はドア目掛けて全速力で駆け出した。
「いでっ!!!!!!」
有り得ない。
有り得ない!
有り得ねぇ!!!!
「何でドア破りできないんだよ!?」
真っ向から衝突して、弾みでドアが開く前に後頭部をドアにぶつけただけでびくともしなかった。「大丈夫ですか?」と俺よりも痛そうな顔をして琉雨ちゃんが俺を心配する。
「陽季さん、金属製でも果敢に立ち向かう姿はとてもかっこいいですが、先ず何より、このドアは外開きです。外開きを内に押しても、そうそう開きませんよ」
呉君が何やら教えてくれる。
「外開き……」
外側に開くってことだよね?
「アメリカは内開きが基本なので、『FBIだ!』とか叫んで入れちゃったりするんですよ」
あ、そうなんだ。
「日本でも刑事ドラマだとドア壊して入ってない?」
「壊してるのは外開きドアではまずなかったと思いますよ。多分、どっかの倉庫の軟弱なドアとかでしょう。それに、刑事ドラマはあくまでフィクションです。所謂、草食系イケメンのタックル1回で開くのは蝶番に細工がされているからですよ」
呉君ってとても冷静で、冷静過ぎるよ。でも、俺の後頭部に瘤ができる前にそのことを教えてくれたらすごく嬉しかったかな。
「じゃあ、どうしよう。呉君、ピッキングとかは効果的じゃないかな?」
フィクションがダメならリアルに考えよう。ピッキングなら現実でもやっている人がいた気がする。
「ピッキングは犯罪ですよ?」
呉君に真顔に言われたら罪悪感が湧いてくる。
そうだそうだ。
ピッキングは犯罪だ。勿論、ドアの破壊も。
マネをしても許されるのはフィクションの世界だけだ。
「ですが、僕にお任せいただければ、このドアをどうにかしましょう」
「え?開けられるの?」
「あ……呉君に任せるのは……」
琉雨ちゃんが俺を止めるが、何故止めるのだろうか。ドアを開ける方法が俺にはないし、琉雨ちゃんに力仕事やピッキングができるとも思えない。
それに、犯罪だからね。
大切だから繰り返すけど、犯罪だからね。
何も手が思いつかない今、呉君ができると言うならそれに頼ろうじゃないか。
しかし、琉雨ちゃんは不安そうで堪らないといった表情だ。
「では二人とも目を瞑ってください。すぐにどうにかしますから」
「あわわ……陽季さんが言ったんですからね。ルーは知りませんから」
琉雨ちゃんが責任放棄をした。
「え?」
一体何の責任なのか……。
最後の最後で琉雨ちゃんの忠告が妙に耳に残った。
「ドアは木端微塵!大破です!修正不可能って言うんですよ、これは!」
「いやぁ……これはピッキングの方がマシだったね……」
「何を言っているんですか、二人とも。悪いのは僕ではなく、マスターでもないマスターキーを渡してきた桐千歳さんですよ」
琉雨ちゃんがぷくりと頬を膨らまし、怒っている。……が、可愛い。
そして、呉君は金属製のドアを木端微塵――正確には金属の粉に変えて開き直っている。
「それに、見つけましたよ…………蓮さん」
カーテンが閉め切られていて薄暗いが、何者かの気配がはっきりとしており、次に呉君が部屋の電気を付けた時、その何者かをはっきりと見ることができた。
「にの……みや……!」
布きれで目隠しをされ、鎖でベッドの柱に手首を繋がれた男。うなだれた顔をくすんだ彼の金髪が隠していた。
「おい!二之宮!」
「杏ちゃん……!一体何が!!」
二之宮の妹の遊杏ちゃんも二之宮と離れて両手を布で縛られている。
異様な光景だ。
俺も二之宮を放置して――ロリコンじゃないが――彼女の心配をしたかったが、二之宮の腕に巻かれた布らしいものが真っ赤に染まっていてそれどころじゃなかった。
「二之宮!お前、大丈夫か!?」
「………………っ…………はる……」
俺の名前もまともに言えないとは重症だ。しかし、恋敵だろうと、目の前にいる重症の二之宮を放ってはおけない。
「くそっ、鎖が……」
絡んだ鎖が外れない。追加して、俺が苛立てば苛立つほど複雑になっている気がする。
早く二之宮を楽にしてやんなきゃいけないのに!
「陽季さん、僕に任せて」
背後から伸びた小さな手が鎖に触れたかと思うと、鎖が俺の手の中で粉塵と化した。
二之宮の手がペタリとカーペットに落ち、僅かに跳ねる。そして、支えを失った二之宮の体は俺の胸に倒れた。
「え……すごい……」
「これぐらいのものなら時間を早めるのは容易いです」
時間?早める?
俺にはよく理解できないが、多分、呉君の魔法のことだろう。
それよりも今は二之宮か。呉君も助けてくれたし。
二之宮の腕には血で真っ赤に染まった布きれこと裂いたシーツ。きつく巻かれており、二之宮が自分で巻くことは難しそうだ。
そうなると、二之宮と遊杏ちゃんにこのようなことをした第三者がいる。
例えば、全くの赤の他人。それよりも可能性が高いのは、二之宮か遊杏ちゃんの知り合い。
そして、より有り得るのは……千里君か洸祈。
もしくは――
「陽季君…………洸祈は……」
やっぱり、お前は自分よりも洸祈の心配をするのか。意識もなくなりかけているのに。
二之宮はどうしようもない思考回路を蓄えてるにちがいないな。
「洸祈とは途中ではぐれた。今、探してるとこだったんだ」
「……そう………………」
俺は呉君の手を借りつつ、二之宮をベッドに寝かした。遊杏ちゃんの方は外傷はなかったようで、自力で立ち上がると、二之宮のもとに駆けてきた。
「にー!大丈夫!?」
「ふふ……遊杏が元気なら、僕も元気だよ。……遊杏は分かるだろう?」
俺には二之宮が元気には全く見えないが、遊杏ちゃんは泣き笑いして二之宮の首に抱き着く。
これを家族の絆というのだろう。
父と母が生きていたら俺も分かってあげられていただろうか。
「陽季、くん」
遊杏ちゃんの好きにさせて泣き付かれている時、二之宮は遊杏ちゃんの肩越しに俺を呼んだ。目は閉じたままで、二之宮は相当疲労しているようだ。
「ああ。お前、誰にやられたんだ?」
「……ひ……わ…………氷羽だ」
氷羽。
洸祈のトラウマ。
「洸祈をお前のまじないの中に引き入れたのは氷羽。そういうことか」
「僕は……約束した。1時間、氷羽に洸祈と話す時間を……」
「お前、分かってるのか!?氷羽って奴は洸祈にとって爆弾みたいなものだろ!?」
「分かって……る……分かってるんだ……!」
分かってない。
二之宮は絶対に分かってない。
「にーを責めないで!にーは悪くない!」
俺を反対したのは遊杏ちゃん。彼女は二之宮は悪くないと言う。
また、二之宮と彼女だけに通じる何かが二之宮は悪くないと言わせているのか。
だけど、洸祈は俺の恋人で家族の様に絆があると信じている。
二之宮が悪くないのなら、誰が悪いと言うのだ。
「悪いのはくぅちゃん。くぅちゃんが悪いんだよ。全部全部全部。氷羽も言ってるよ、くぅちゃんが許せないって」
波色に光る遊杏ちゃんの目。
電球によって照らされた空間でも眩い彼女の瞳が俺をじっと見詰める。
彼女の目を見ていると心臓が鷲頭掴まれた感覚に襲われ、一瞬だが、無意識に俺の呼吸が止まった。しかし、再び動き出した心臓は俺の呼吸に合わない。鼓動と呼吸がずれているのだ。
「杏ちゃん、駄目!絶対に駄目!」
琉雨ちゃんが俺と遊杏ちゃんの間に割り込んだ。そして、呉君が俺の腕を強く引く。
突然のそれに俺は絨毯に転がる。
「陽季さん、大丈夫ですか?」
「呉君……っ、さっきのは……」
心臓が俺の呼吸に合わせて動き出した。
どうにか空気が吸える。
「先ずは呼吸を。あなた、生身で遊杏さんの魔法を食らったんですよ」
これが魔法の威力か。息切れするどころか、呼吸困難で死ぬかと思った。
「杏ちゃん、陽季さんは旦那様の大切な人です。だから、陽季さんは傷付けさせません」
「でもね、うーちゃん。悪いのはくぅちゃん。くぅちゃんだってうーちゃんは知ってるでしょ?」
洸祈は悪くない。
悪いなんて言わせない。
「知ってるよ」
琉雨ちゃんが俺の霞む視界の中で頷いた。
「だけど、旦那様の願いが氷羽さんへの償いだから。だから、ルーは旦那様と旦那様の大切な人達を護ります。それが護鳥であるルーの役目であり、ただのルーの願いです。旦那様が選ぶ道がどうだろうと、ルーは止めない。その代り、旦那様のたった一つの願いを邪魔するものには容赦しません。杏ちゃんでもです」
琉雨ちゃんはどうしてそんなにもひたむきなんだ。
遊杏ちゃんとの友情を壊してでも洸祈を護りたい。琉雨ちゃんは洸祈の為に全てを捨てる覚悟ができている。
洸祈を悪いと言いながらも、彼女は洸祈の味方でいれる。
「俺には………………できない……」
俺はどうだろうか。
俺は洸祈は悪くないと思っている。
だってそうじゃないと、俺は洸祈の味方になれないからだ。
「洸祈は悪くないんだ……」
洸祈に見捨てられるだけではない、俺自身が洸祈を信じてやれなくなりそうなのだ。
怖い。
俺には洸祈を悪いと言ってまで、洸祈の隣に立ち続けられる自信がない。
きっと俺は臆病なんだ。
「何をぶつくさと……誰が悪かろうと、この状況に変化は訪れませんよ。今は原因を言い合っている場合ではないのでは?」
「そのとーり!」
「え?誰?」
威勢の良い声音だが、ホントに誰?
「誰?と聞かれたらぁ?答えてあげるが世の情けぇ!世界の破壊を防ぐためぇ、世界の平和を守るためぇ、愛と真実の悪を貫くぅ?ラブリー・チャーミーな敵役ぅ!ムサ――」
「待て、ボディーガードD!なんでお前が決め顔して俺のセリフ奪ってんだよ!てか、色々ギリギリなこと言うな!あと、言うなら3人でやれ!あとあと、一々語尾を間延びさせんな!」
このグダグダ感は……やっぱり、桐千歳さんとその一行だった。
木端微塵となったドア(ただのゲートと化しているが)の前にボディーガードDさん、その背中から必死に顔を出す桐千歳さん。
「あーあ、ありえねぇ。ばあ様のホテルが、2人で1泊15万のスペシャルなスイートルームが……」
ベッドは氷羽のせい。
ドアは…………肝心なとこで役に立たないマスターキーのせい。
だが何故、千歳さんはここまで来れたのだろうか。ビー玉は俺のポケットの中だというのに。
いや、よく考えれば彼はこのホテルの部屋を二之宮に提供した本人だ。ここに部屋があると分かっていれば、まじないなど意味はないのだろう。
「おい、ボディーガードBから……Sぐらい?えーっと、ボディーガードは何人いたっけ?とにかく、A以外全員、蓮を病院に連れてけ。Aはばあ様に連絡。1秒でも遅いとばあ様に桐を追い出される」
Aさんが不憫過ぎる。
五分刈りのAさんはガタガタと靴音を盛大に鳴らして震えて部屋から飛び出して行く。Bさんから多分Sさんまでは二之宮の周囲にわらわらと集まる。一人くらい救急に電話しても良さそうなのだが。
そして、遊杏ちゃんは誰よりも早く二之宮の上半身を抱きかかえた。
「蓮、俺は予定通り行く。いいな」
予定?
一体、千歳さんは二之宮と何の話をしているんだ?
「……千歳…………駄目だ……あと30分待ってくれ……約束をしたんだ」
「無理だ。桐は氷羽を危険だと判断した。正確には洸祈君にとって氷羽は危険ということだ。洸祈君に暴走でもされたら……。弟君のこともあるだろう?」
そのことなら分かる。
今月は頻繁に医者の名刺を洸祈から渡された。
医者の話を聞く限り、最近の洸祈はイラつき具合が半端ないらしい。洸祈の我が儘で医者を変えているとも聞く。
用心屋ではそんなそ素振りを見せないが、内心では葵君の心配が尽きないのだろう。
「兎に角、俺は洸祈君を探す。問題があれば、桐が千里君を引き取らせてもらう。櫻には了承を得た」
「そんな……千歳……」
「すまないな、蓮。俺は桐。中立なんだ。誰かの味方になってやることなんてできない。早く蓮を病院へ」
「駄目だ」と微かな声だけが空しく響き、二之宮はボディーガード達に連れて行かれてしまった。遊杏ちゃんは二之宮の衣服の袖を掴んで付いて行く。
部屋に残ったのは琉雨ちゃんと呉君と俺、千歳さんと一人のスーツ着用の物腰柔らかい男。男は千歳さんの執事、雅さんだ。
そして、一羽の鴉がベッドの上を跳ねる。
「雅、行くぞ」
「はい。千歳坊ちゃま」
鴉が千歳の肩に乗ると、彼は部屋を一瞥して俺達に背を向けた。
「千歳さん」
「俺は言った通りだ。誰の味方にもならない」
それだけ俺に言い残して彼は部屋を出て行く。
前回同様のアロハ姿なのに、千歳さんの後ろ姿は芯が通って見えた。
誰にも曲げられない固く冷えた芯が。
「行きますよ、陽季さん。彼らより先に洸兄ちゃん達を見つけなければなりません」
「千里さんを引き取るなんて絶対にさせません」
俺は走り出した二人を追った。