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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
彼の決断
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彼の決断(6)

ある夏の日に全ては遡る。

そして、その時起きたほんの数週間の出来事が彼らの心に一生癒えない傷を深く刻んだのだ。





(せい)だよね、君の名前」

「………………」

俺の身体中の完治していない傷を見ても彼は動じなかった。

「清だよ、君の名前は」

「……………………せい?」

「うん。清らかって言う字で清」

「……………………清らか?」

「綺麗で澄みきっているって意味だよ。君、凄く綺麗だし」

鏡に映る彼は手のひらのタオルを見、タオルを鏡の前に置くと石鹸を直に手のひらで泡立てる。そして、優しく優しく俺の背中に手を当てた。

僅かに傷口に染みる。

「あ……痛かった?」

「自分でやらせて……」

体を洗うぐらい一人でできる。

「気を付けるから。清はリラックスしてて。疲れてるでしょ」

なら寝かせて欲しい。ほっといて欲しい。一人にさせて欲しい。

「ねぇ、清。君はここがどんなところか知ってるの?」

「………………」

「清?」

「あ…………え?」

清が自分のことだなんてまだ慣れない。

「君は屋根裏で暮らすらしいね。なら、わざわざ知る必要はないか」

彼の指が肩から首をなぞり、左腕を滑った。そして、俺の指に絡み付いた。


…………これが彼の技術なのか。


「俺、いくら払えばいい?」

「………………プライベートだからお金は取らないよ」

彼はここの従業員だ。

それも、客へのサービスのみでお金を稼ぐ。

そんな彼に体を手で洗われるなど、普通ならお金を払うものだ。

「そっか。知ってるんだね…………僕みたいなのには幻滅する?」

まさか。

「俺は先生の恩情でここに住まわせてもらえるんだ。寝る場所もご飯も食べさせてもらえる。…………でも、君は自分で自分の分を稼いで生きてるんだ。凄いよ」

「ありがとう。でもさ、君はまだ子供なんだから、貰えるものはありがたく貰っときなよ」

まだ子供の彼は鏡越しに俺に微笑んで脇から腹、腿に指を忍ばせる。

「…………あの……わざと?」

「答えたくないなら答えなくてもいいけど……清はもう誰かと……」

そう言うのって、分かる人には分かるんだ。

凄いと思ったから、隠す必要もないと俺は素直に答えた。

「まだ友達だった時に友達とした」

彼の表情が固まった。

「友達と……どうして?」

どうしてって……。

「友達だったから。友達だったからしたんだ」

「友達だから?」

友達だから。

だから…………――。

「だから友達を……俺は……」


『なんで……なんでさ……』

あいつの声が響いてくる。

何度も何度も……声に声が重なる。

『どうしてきみはぼくの言葉を信じてくれないの!?』

違う。

信じたかった。

信じたかったんだ。

だけど、頭の中が混乱して……何もかもを壊したい衝動だけが俺の脳内で強く拍動して……。


氷羽(ひわ)…………氷羽っ!…………氷羽っ!!」

あの時、俺は氷羽に何か言わないといけなかったんだ。

今の俺には何も考えられないと。


だから、俺を止めて――と。


「ちょっ、清!どうしたの!?」

「氷羽が!氷羽が!!」


紅く青い炎が氷羽を包み込んだ。

もう俺には止められない。

『熱い!熱いよ!!痛い痛い痛い痛い痛い!!』


氷羽が俺を殺さない限り……――


「清!ねぇ、清!清!!」


『許さない……許せないよ……』

氷羽は俺を許さないし、殺してもくれない。

ただ、俺が苦しむように。



ぱしっ。


「清、正気になってよ!!!!!!」

彼の平手打ちに俺は床のタイルに滑り込むように倒れていた。泡のお陰で良く滑ったが、浴槽の縁に体を打ち付け、痛かったことに変わりはなかった。

「い……たい……」

「うん。痛かったよね。ごめんね。ごめんね、清」

爪先に感じる温水。

彼が心底謝りながら俺の体にシャワーを掛ける。俺より痛そうな顔だ。

「ううん……」

彼は俺を止めてくれたんだ。

嗚呼、起きなきゃ。

「お風呂に入りなよ。お湯溜まってきたし」

俺に肩を貸し、彼は俺をゆっくりと風呂に浸からせる。覚悟していたが、傷口にお湯が染みた。

「うう……う……」

「染みるでしょ。でも、あと少し我慢したら気持ち良くなるから」

彼はお湯の中で縮こまる俺の髪を撫で、自分は浴槽の外から俺の頬に濡れたキスを落とす。すると、不思議と俺の心は落ち着いた。

体ももう痛くない。

「我慢できたね、清。よく頑張ったね。偉いよ」

彼は広い浴槽に入ってくると再び俺の頭を撫でた。そして、彼の薄っぺらい胸と細い腕が俺を包み込んだ。

「だからね……清。今は泣いてていいよ。我慢しないで沢山泣いてていいよ」

何だろう……似ている気がする。

程好く温かくて、安らぐ。


まるで、氷羽に抱き締められた時のようだ。


「俺は…………」

「清?」


「俺は氷羽を殺したんだ……そして、殺し続けている……」


全ては彼の温もりのせいだ。

温もりのせいで気が狂ってしまったのか、俺は彼に全てを喋っていたのだ。




「ちぃ!」

千里(せんり)の入った部屋のドアが閉まろうとしている。

早く。

早く。

「千里!!!!」

俺は閉まりかけたドアを開け放って部屋に入った。


『よく来たね、洸くん』


走って入った俺はその勢いを利用した腕に軽々と傍のベッドに突き飛ばされた。そして、間を空けずに細っこい体が俺を跨いでのし掛かってきた。

「……氷羽…………」

『うん、氷羽だよ。普通の洸くんとは久し振りだね』

千里の顔で千里の体で氷羽は俺の首筋に鼻を埋める。

『ああ……お日様の匂いだ。それと…………』

氷羽の指は俺の胸を撫で、俺の前髪を上げた。

そして、俺に口付けをする。

「んっ……」

生ぬるい舌が俺の唇を舐め、歯列をつつく。

だけど、俺には氷羽とキスなんて無理だ。


だって、氷羽の体は千里のものだから。


『はぁ……洸くん、再会のキスをしてくれないの?』

キスなんてしたくない。

千里とは親友であって俺の恋人じゃない。

それに、千里は俺ではないから“誰とでも”を許すはずがない。(あおい)以外を愛しはしない。

『………………』

氷羽は俺の目だけをじっと見詰めると、暫くして俺を解放してベッドに寝転がった。

『普通の洸くんはちっちゃい洸くんよりウザくないけど、可愛くないんだよね』

“ちっちゃい洸くん”の意味が分からない。

氷羽はシーツを手繰り寄せて丸くなった。心なしか散っている金髪がくすんでいる。

「氷羽……千里は大丈夫なのか?」

と、氷羽に睨まれた。

『大丈夫?大丈夫なわけないでしょ。パンに水だけって、二之宮蓮(にのみやれん)は酷いヤブ医者だよ。胃が異常に収縮した感じで気分悪い。それに、お陰様で千里の真っ白な腕に赤い縄の痕が付いたし』

日焼け嫌いな千里が着ていた長袖をたくしあげて腕を見せた氷羽。服から覗く千里の腕にはくっきりと縄の痕が残る。

『千里はあの男に強制退場まで追い込まれた。最後まで葵の名前呼んでさ……今も耳を済ますと聞こえるんだよ?』

この場にいない二之宮は千里の心が壊れるまで千里を追い詰めた挙げ句に失敗したということか。

『千里の髪紐もどっかいっちゃったし……葵が千里にくれたものなのに』

氷羽が千里の為に悲しんでいる。俺の記憶の中の氷羽と違う。なんか変だ。

千里を心配する氷羽が変で……変だと感じる俺が変で……。

「氷羽……二之宮は?」

『ぼくより千里ならともかく、ぼくより二之宮蓮が心配?』

「!?」

俺は油断していたのだ。

氷羽がいつもよりヒトらしいかったから。

そのことが俺の思考を掻き乱した。

『二之宮蓮なんかどうでもいいんだよ。それとも、洸くんは今の関係がそんなに大事?ぼくのことなんかどうなったって構わないって思ってるの?』

俺の首を締め付けて俺をベッドに押さえ付ける氷羽。

息苦しい。

『洸くんは自分を守るために過去に縛られたままのちっちゃい洸くんを作った。だから今のきみはぼくに恐怖も悲しみも湧かないのかな。でもね、このぼくの前で頭のおかしい二之宮蓮の心配なんて…………洸くん、ぼくはきみを僅かでも許したことなんてないんだよ』

氷羽が再び俺に口付けをしてきた。


いや、俺の口での呼吸を止めたのだ。


「ん!!!?」

喉は押さえられ、鼻からの呼吸だけでは足りない。

苦しい。

苦しい。

焦れば焦るほど苦しさは増す。

『崇弥葵の生死はぼくが握っている。葵を生かすか殺すかはぼく次第。そして、きみ次第』

俺が死ねば氷羽は葵を助けてくれるのか?

俺がこのまま苦しみ続ければ……――。

『洸くん、ぼくからは一つだけ。今のきみの中の違和感に会わせて』

俺の中の違和感?

氷羽の言っていることが分からない。

「洸くんの中にいるきみのことだよ」


“きみ”って誰なんだ?









「くそっ!どこ行ったんだよ!」

陽季(はるき)は自分の拳を廊下の壁に強く叩き付けた。そして、直ぐに手のひらを胸に抱いて縮こまる。

「いてっ………………洸祈は平気な顔してたのに、物凄く痛いんだけど……」

「洸兄ちゃんはあなたとは少々感覚が違いますから」

陽季は「それは知ってるよ」と長い長い溜め息を吐き、走り疲れた体を壁に付けた。

洸祈の体は20代の平均男性の体力より丈夫であり、丈夫は丈夫でも異常に丈夫なのだ。洸祈本人もそれが分かっているからこそ、平気で悲しみよりも痛みを選ぶ。

陽季には、洸祈のその行為こそがとても悲しくて仕方がない。

「洸祈……一体どこに行ったんだ……」

「陽季さん、僕はエレベーターの前で角を曲がった時、確かに洸兄ちゃんを見ました。そして、洸兄ちゃんはこの一本道で消えた」

「洸祈の気配が突然消えたんだ」

陽季が振り返った時には洸祈は居らず、急いで来た道を戻ったが、洸祈を見付けることはできなかった。

「でも、ルーはこの階から旦那様の魔力をちゃんと感じます」

ポーチから和紙に包まれた饅頭を取り出した琉雨(るう)は陽季にそれを渡す。

「ありがとう、琉雨ちゃん」

洸祈の厚顔に陽季はこの時は感謝した。

甘いものは脳によく効く。

先から頭痛に悩まされていた陽季は痛みが和らぐのを感じた。

しかし、何か気になる。

(くれ)君、琉雨ちゃん……頭痛はしてないかい?」

陽季は陽季の回復を待つ二人を見た。

「え?頭痛ですか?僕は全然ですが」

「ルーも痛くないです。陽季さんは痛いんですか?お休みします?」

そうではない。

洸祈探しに夢中になっていたが、大事なことを忘れていたのだ。


このホテルには二之宮蓮がおり、二之宮蓮の施したまじないがある。


「違和感……だ」

陽季は呟いた。

「陽季さん?」

琉雨が首を傾げる。

「洸祈が言ってた違和感の差だよ!洸祈がいなくなる直前も少し頭痛がしたんだ。ここを離れたら頭痛が消えたけど、今はさっきより強い頭痛がするんだ」

魔法使いでもある呉と琉雨は頭痛がしていない。

そして、魔法使いでない陽季は頭痛がする。

「額の位置も、他は廊下を挟んで等間隔なのに、ここは何だか近い気がする」

頭痛に関して気にし出したら、陽季は妙に壁にかかった絵が気になった。絵画が気になると、天井の電球の位置も気になる。

「ここは違和感だらけだ」

こんなにも違和感があるのに、今の今まで何とも思わずにいた。

間違いなく、二之宮蓮のまじないの影響である。

「あんなに注意深く見てきたはずなのに……」

琉雨も目を見開いて辺りを見回す。

「なら、ここら辺に洸兄ちゃんの言う“あるモノ”があるはずです」

「あるモノ……」

しかし、モノならいくらでもある。

天井の電球、壁の絵画、窓枠……釘とネジの数に至っては計り知れない。カーペットもだ。


「…………あれ?」


その時、陽季は廊下の隅に光るものを視界に捉えてしゃがんだ。

手を伸ばし、それを摘まむ。

「ビー玉?」

色のない透明なビー玉だ。

カーペットの赤色を透かしていたそれは、陽季の手のひらで肌色に染まる。

「何でこんなところに……」

ホテルの廊下にビー玉一つ。

子供の忘れ物だろうか。

陽季が小さい時は、月華鈴がお祭りに招待されると必ず、菊菜に露店のラムネをねだってビー玉を集めていたものだ。現在は陽季が世話になった児童養護施設に遊び道具として仕舞われている。

ただのビー玉だが、陽季はそれに懐かしさを感じてポケットに入れた。

綺麗に洗ったら、呉や琉雨が欲しがらないかなと思って――――。

「あるモノ……見付かりませんね」

「ルーもです……」

額をひっくり返す呉と花瓶の中を覗き込む琉雨。

陽季もあるモノ探しを再開しようと立ち上がり、

「何だよ……これ」

陽季が立つ真横に一本だったはずの廊下の脇道ができていた。

隠し通路どころではない。2メートル幅はあり、今まで歩いてきた廊下と変わらない。

しかし、そこにあったのに陽季も呉も琉雨も見ていなかった。

事実、呉と琉雨は脇道を見ずに通り過ぎていく。自然な動作で脇道から視線を逸らし、あるモノを探している。

「さっきビー玉があるモノってことか。……呉君!琉雨ちゃん!」

「あるモノが見付かりました?」

琉雨が陽季を見上げるが、陽季の背後に伸びる廊下に気付かない。呉も琉雨の隣に立つが、同じく気付かない。

「あるモノを見付けたよ。だから、二人とも目を閉じて」

素直に目を閉じる二人。

取り敢えず、陽季はビー玉を握り、その拳に二人の手を被せさせた。

「いいかい。俺の後ろに廊下がある。一直線に奥まで続いている。…………目を開けて」

人避けみたいなものなら、気付かせてやればいい。

見ようとしないなら見させればいい。

廊下は存在しないわけではなく、ちゃんと陽季の背後に存在するのだから。

呉が先ず目を開け、続いて琉雨が目を開けた。

「ほぇ……廊下がある」

「洸兄ちゃんはここに……」

一本道で消えた洸祈の謎をこれで解ける。つまり、そもそも、一本道ではなかっただけの話だ。

「このビー玉を拾ったら見れるようになったんだ。あるモノがこのビー玉なら、洸祈はどうして見えたんだろう?洸祈の魔法とか?」

「洸兄ちゃんの魔法でも無理ですよ。しかし、この廊下が見えていた者になら洸兄ちゃんに見せさせることはできます。今さっきの陽季さんみたいに」

となると、洸祈をこの空間に誘い入れた者は……――

「二之宮か」

陽季には洸祈を怒らす蓮の意図が見えない。確かに、いつだって洸祈が正しいわけではないが、今回のは勝手過ぎる。基本スタイルが蓮の敵である陽季だが、蓮は自分なら洸祈に何をしても許されると思っているのではと考えてしまう。

しかし、同時に自らは洸祈に甘いのかとも考えてしまう。陽季には蓮のように洸祈のことを強く否定することはできない。洸祈の味方でありたいと……それが恋人の役目だと思っているからだ。

かと言って、陽季の立場のその先はいつかの黒歴史の再来だ。

『君、崇弥に嫌いって思うことないの?』


「嫌いになれるわけがない」

洸祈に叫んだ「嫌いだ」という言葉。

男の肩に頬を付ける洸祈。

結局、俺はあの男を憎んでいただけなのかもしれない。

嫌いなのは洸祈以外。

洸祈は悪くない。

悪いのは………………俺だ。


「陽季さん、陽季さん?」

呉が立ち止まった陽季を振り返る。

「陽季さん、千里さんと旦那様を探しましょう?」

琉雨は既に新しい扉をノックしている。

「……うん、そうだね。二之宮を殴るのはあとあと。1つずつ調べて行こう」

陽季は固く拳を握った。

活動報告には既に書いてましたが、クリスマスイベ用短編、「とある家族のクリスマス」を12月26日ですが投稿済みだってので、ちょこっと告知です(*´▽`*)


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