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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
彼の決断
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彼の決断(5)

『さっきと立場が逆転したね』

背後から腕を回して首を絞め、小さなナイフを(れん)の頬に添わせて立つのは、現在千里(せんり)の体の主導権を握る氷羽(ひわ)である。

彼は立ち尽くす遊杏(ゆあん)に見せ付けるように刃先で蓮の頬の肉をつついた。




『千里がうんともすんとも返事をしないお人形になった代償をどう払って貰おうか』

「氷羽、僕はただ君に(あおい)君にカミサマを入れて欲しいだけだ」

蓮は僅かに切れた頬に血を滲ませながらも冷静な声音で言う。

カーテンを閉め切った個室には三人。氷羽と蓮と遊杏だ。

そして、彼らの横顔を照らすのはシングルベッドのヘッドライトだけである。

『なら最初から千里にそう言えば良かっただけじゃないか。ぼくがそれをするかどうかはさておき』

氷羽は関心もなさそうに今更話で返した。

返事も無く、意識の無くなるまで氷羽を表に出すことを拒んだ千里は数分前にぷっつりとその所在を消した。そして、力無く項垂れた千里が次に顔を上げた時にはそこに千里はいなかった。

正確には千里の意識は消え、氷羽が目覚めたのだ。

「そこだよ。君に拒否されたら千里君が葵君に対して何をするか……」

『全財産持って葵をホテルの一室にご招待。少し濃い薬をシャンパンに盛って乾杯。夕食食べてから葵と一晩楽しむ。翌日は昼まで眠って、シャワーに入って昼食を注文。くたくたな葵に食べさせる。葵を風呂に入れてやる。で、シャンパンで乾杯だよ。このサイクルがいつまでもいつまでも繰り返される。葵が死ぬまでね』

くすくす。

長く細い金髪を揺らして氷羽は楽しそうだ。

そして、足の動かない蓮を拘束する必要はないと思ってか、ナイフをポケットに仕舞って蓮の首に回した腕を解いた。当然、蓮の体は足下から一気に崩れる。

「!」

彼は片手で体を支え、どうにか地に頭をぶつけるのだけは防いだ。しかし、氷羽は容赦無く蓮の後頭部を鷲掴んで絨毯の床に押し付けた。

「いっ……」

『痛い?だけど、千里の痛みに比べたら羽虫に当たった程度だよ。なのに、千里にあることないこと吹き込んで……。葵とホテルに籠ることになろうが構わないだろう?だって、そこには愛があるんだから。葵だけに向けられる深い深い愛。千里の全てを懸けた愛だ。素晴らしいじゃないか。葵は何て幸せ者だろう。死ぬまで千里に一心に愛され、死ぬときは千里も一緒。何が悪い?』

もがく蓮の頭を強く押さえる氷羽。

「千里君が死ねば……お前は千里君の体を手に入れられる……違うか?」

『別にいいでしょ。心のない脱け殻をぼくが譲り受けたって』

千里を椅子に縛り付けていた鎖はばらばらになって床に散らばっており、その断片を手に取った氷羽は蓮の両腕を纏めるように巻き付けた。そして、椅子に捨てられた南京錠を手に取ると、ベッドの柱に鎖を回して南京錠で止める。鍵は氷羽の手のひらだ。

『さぁて、きみ達の魔法は少々厄介だが、目を潰せば使えないよね。きみの片目は死んでるし、もう片目は刺す?抉る?削る?溶かす……は無理か。どれがいい?ニュープランの提案でもいいよ』

「っ…………目はやめてくれ。布か何かで目隠しすればいいじゃないか」

蓮の計算では早々に千里が折れる予定だった。けれども、千里は粘った。

お陰様で氷羽は目覚めた瞬間から千里を傷付けたとキレたのだ。

千里に魔法が効かなければ、氷羽にも魔法が効かない。

関節を外すという荒業をやってのけた氷羽は防御のできない蓮と遊杏に対して形勢を逆転させた。

『詰めが甘くて失敗って良くあるケースだよ。確実にいかないと』

それは正しく蓮だ。

けらけらと嘲笑の止まない氷羽は鍵を手のひらで遊ぶ。

「僕は医学知識と経験は誰よりもあると自負している。お前の愛する洸祈の体に何かあった時、最も有効な処置を行えるのは僕だ」

『ほうほう。最後の切り札が自己アピールか。だけど、根本から間違えてる。ぼくは洸くんを苦しませたいんだよ。お前の目を殺して洸くんに後悔と苦悩を与えたいんだ』

再びナイフを取り出した氷羽は流れるような動きでベッドの柱に鎖でくくられた蓮の手首を切り付けた。

「っ!!」

『きみの体はリアルだね。動脈を切ったらちゃんと血が沢山出るんだから。ねぇ、ちゃんと出血死する?』

「…………っ……するさ。僕の体はちゃんと人間の体で作られたからな」

止めどなく床に滴る蓮の血液。遊杏は氷羽の命令に従って蓮の為にも口を閉じて固まっていたが、流石に彼女は小さく悲鳴をあげた。しかし、蓮が遊杏を真っ直ぐ見れば彼女は一度だけ頷いて静かにする。

「氷羽…………結論を聞かせてくれ」

大きく息を吸った蓮が氷羽に向かって顔を向けた。

『結論?何の?』

「葵君を助けてくれるかだ。僕はそれだけを聞くために千里君を拘束したんだ」

喩え自らの無茶が招いた窮地だとしても氷羽は現在蓮の前にいる。

目的は果たさなければならない。

『まぁ、ぼくからしたら葵を助けなければ近い内に葵は死んでくれて、千里も迷わず後を追う。ぼくは体を手に入れ、洸くんは絶望する。素晴らしいバッドエンドルートを急降下だ』

蓮は自分が危険な立場であると理解していながら、高笑いする氷羽を睨んだ。

「君は千里君の為に葵君を助けてくれると信じていた。でも、君には最終的には自分の欲望しかないんだな」

『はっ、馬鹿らしい。ぼくは千里。千里はぼくだけど、ぼくはぼくでもある。(さくら)はぼくを檻に閉じ込めた。ただ静かに身を潜めていたぼくを騙し、兵器と呼んでね。櫻なんて嫌いだ』

「でも、千里君は君の友だった。千里君は君と同じだ。千里君も騙され、兵器として生かされていた。違うか?」

『………………』

「君たちは支えあって生きているんじゃないのか?」

ぽたりと血が赤い水溜まりに跳ねる。蓮が額をベッドの柱に付けた。心なしか彼の顔色が青白い。

瞳も虚ろだ。

『ぼくは櫻が嫌いだ。だけど、ぼくは千里が大好きだ。……もう二度と千里の心を泣かせたくはない』

「君は葵君を助けられる。そうだろう?葵君を助ければ千里君の心は泣かない」

蓮に残された武器は言葉だけ。

そしてそれは、氷羽の心を揺さぶった。

『……………………条件がある』

ベッドシーツを手繰り、ナイフで引き裂いた氷羽。彼は血の止まらない蓮の腕に裂いたシーツを乱暴に巻き付ける。蓮が閉じていた目を微かに開けた。

『この条件が呑まれなければ、ぼくは葵にカミサマを入れはしない。絶対にだ』

「条件は?」

本当は条件の中身などどうでも良いのだ。

どんな内容だろうと、目的達成の為には蓮に“条件”についての拒否権はない。

拒否すれば命諸共、蓮は全てを失う。


『洸くんと二人きりの時間が欲しい。護鳥も洸くんの恋人も邪魔しないぼくと洸くん二人だけの時間だ。……1時間欲しい』


蓮の視線の先、しゃがんだ氷羽の表情は真剣だ。蓮は氷羽の影で唇を開いてきつく閉じる。

――――拒否権はない。

洸祈(こうき)が君に会えば、洸祈が暴走する可能性がある……今の君には暴走した洸祈は止められないだろう」

『ぼくの条件はそれだけだ』

蓮の言葉を遮った氷羽は血の付いたナイフを毛布で拭い、蓮を見詰めて動かない。

『条件が呑めないなら蜜柑を葵に縛り付けるのは絶対にしない。ま、ぼくに頼むぐらいだし、他に宛はないんだろうね』

全くその通りである。

だが……――

「………………洸祈を壊さないで欲しい」

『きみも条件?千里を壊しておいて図々しいね』

「違う。条件じゃなくて……願いだ」

ぼろぼろになったシーツの切れ端をロープにして遊杏の腕に巻いた氷羽は蓮から離れたテーブルの柱にそのロープを繋げる。そして、残ったシーツの切れ端で遊杏の視界を塞いだ。

『きみの願いは頭の隅に置いとく。だけど、ぼくは葵にカミサマを入れる条件に洸くんとの時間を提示しただけだ。千里を壊した代償はいつか必ずきみに払わせるから』

「……分かった」

電池の切れたロボットのように床に倒れた遊杏を尻目に、氷羽は蓮の視界も裂いたシーツで塞いだ。

薄いシーツからは淡くオレンジの光が透ける。しかし、氷羽の言う通り、これでは蓮の魔法は使えない。

『さ、仕上げだ。……飲み込んでね』

「んっ!!!?」

蓮の舌に感じたのは冷えた独特の味を持つ固いもの。

そう、氷羽が蓮の口に無理矢理突っ込んだのは小さな金属片――南京錠の鍵だ。蓮も直ぐに舌の上のものが鍵であると気付く。しかし、蓮には吐き出せない。

親指一関節ほどの長さのある鍵を蓮に飲み込ませようと、氷羽は蓮の顎を手のひらで押さえていたからだ。

「んん!!!!」

『暴れて喉につっかえて窒息しても知らないよ』

蓮の青白かった顔色は白くなる。

焦ってか、呼吸さえ困難になる。

『ほら、器用に飲み込みなって』

ついに蓮は目尻に涙を溜めて素直に喉を大きく上下させた。

「っぅ」

『鍵ってちゃんと消化できるのかなぁ…………ま、いいか』

離れていく氷羽の手のひら。

そして、異物の存在に直ぐに蓮の胃は鍵を吐き出そうとし、込み上げる吐き気に彼は自ら自分の喉を手で押さえた。

「約束は……守ってもらう……からな」

『分かってるよ。洸くんとたっぷりお話した後でね。それじゃあ、お仲間が優秀な君の珍しい失敗に気付くまで、そうしててね』

一通りお遊戯を済んで満足した子供のように、氷羽は微笑しながらヘッドライトを消す。

そして、部屋には蓮と遊杏を残して闇だけが広がった。







「あっさり通してくれたね……」

それはもうあっさりと。

「俺は今後の為にも桐とやりたかったけど」

「千歳さんからそのつもりはないって言われたんだから、それでいいんだよ」

あっさり具合は気になるが、無駄な争いは誰だってしたくはない。

陽季(はるき)は窓の外の生憎の曇り空を見上げた。


桐千歳(きりちとせ)はボディーガードを引き連れて待ち構えていたというのに、それはもうあっさりと陽季達を通してくれた。

千歳――本人曰く、

『俺は蓮に場所の提供をしただけだ。だから、君達を止める気はない。ただ、このホテルを頼むから壊さないでくれ』

――とのこと。



「こーら、勝手に何してるわけ?」

見れば分かるのだが、陽季は敢えて洸祈に訊ねた。

「えー。菓子は美味いんだし、別に貰ったっていいだろ?壊してないし」

熱心に茶菓子を頬張る洸祈。

いや、“熱心”というのは可笑しい。むしろ、“夢中”が合うだろうか。

「美味いからって理由は筋が通ってないから」

陽季の目の前の洸祈の両頬はリスのように膨らんでいた。そして、次の瞬間には洸祈は口の中のものを全て食道に押し込んだ。

陽季にはできない業である。

「ホントに美味いって。ほら、琉雨(るう)。ポケットにこれ入れとけ」

洸祈は傍を通りがかった琉雨を引き留め、彼女のポーチを開くと、まだ残っていた客室のお茶菓子をそこに全て突っ込んだ。ぽろぽろといくつかのお菓子が床に零れ落ちる。

「あわわ。入れ過ぎですよぉ」

包装のされたものだから問題はないが、落ちたお菓子を放置する洸祈に対して、琉雨はそれらをお茶菓子の置かれていたお盆の上に返した。

洸祈と大違いである。

「それにさ、これ無料なんだから。いくつ俺たちが貰ったって、どうってことないだろ」

と、琉雨が折角返したお菓子もぎゅうぎゅうと琉雨のポーチに詰めてチャックを閉める洸祈。彼は一仕事終えたように大きく伸びをして、次に棚の中などの物色を始める。

「あのねぇ、お茶菓子は泊まってくれているお客様へのサービスなの。お客には無料でも、ホテルとしては無料じゃないんだよ。とにかく、見たんだから次行くよ」

「うーん」

しかし、陽季の呼び掛けに洸祈の返事は曖昧だ。

「………………洸祈、まだ?」

一体、洸祈は千里を探す気があるのだろうか。

茶菓子や備品を弄る洸祈に対して、次の部屋から次の部屋へと急く陽季は自分だけが必死なような気がしてならない。あんなにも千里を心配していた洸祈本人が一つの部屋に入る度にお菓子をばくばくと食べて時間を無駄に消費している――陽季にはそうとしか思えないのだ。

かつ、琉雨も(くれ)も洸祈に何一つ文句を言わない。

部屋に入れば二之宮達がいるかどうかなど、一瞬で分かるはずなのにだ。

「洸祈、お菓子は後で俺がロビーで買ってあげるから。いい加減、早く次の部屋見に行こうよ」

陽季はドアを開けて洸祈が出るのを待つが…………。

「………………埒が明かないな、琉雨」

「そうですね。人除けのようなものを感じます」

液晶テレビの前に佇む洸祈。

琉雨は至って普通の室内をぐるりと見渡した。

「呉はどうだ?」

「先程より違和感が強くなってきていますね」

「そうだな」

洸祈の表情は真剣だ。

陽季は洸祈なりの探し方をしていたのかもしれないと、再び客室に入った。

「洸祈、二之宮達はこの階じゃないのか?」

千歳にマスターキーを渡された際、千歳が蓮に用意したのはホテルの最上階だと陽季は言われたのだ。

「多分、この階で間違いないと思う。だけど、二之宮がよそ者が邪魔しないように魔法を使ったみたいなんだ」

「あ、だから琉雨ちゃんは「人除け」って言ったのか……でも、人除けみたいなもんされてて俺達は見つけられるのか?」

「この手のはまじないみたいなものだから、絶対に無理ってわけじゃない。それに魔法使いかそうでないかで効果が微妙に変わると思うんだ。つまり、どこかで陽季と俺達の違和感に差異が生まれるはずだ。そこに人除けに使っている何かがあるはず」

「違和感って……全然だけど……」

言われると違和感というのは、あるのかないのかは分からなくなってしまうものだ。

陽季はこの場で唯一の魔法使いでない者として役に立とうとするが、廊下の花瓶もエレベーターの位置もなにもかもが違和感の様に思えてきてしまった。

「だめだ……言われたら洸祈の身長が昨日より2ミリ大きくなったような気がしてきた。髪の毛の本数が2本ぐらいいつもより多い気も…………」

陽季の周囲は違和感だらけだ。

「俺の違和感は別にいいから。この建物のことで、ここから先で何かハッとしたことがあれば教えて。些細なことで構わないから」

「うー……まぁ、分かった……」

気になってしまった洸祈の髪の毛の本数のことを無理矢理外に出し、陽季は一度深呼吸して調子を整えることにした。






知っている匂いがした。

懐かしい匂いだ。


そして、俺は振り返った。


「ちぃ?」

見えた。

とても美しい金色の髪。

見えたのだ。

細められた翡翠の瞳を。

「………………………………氷羽」






「……あれ…………洸祈?」

陽季が振り返った時、そこには今までいたはずの洸祈の姿が消えていた。

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