彼の決断(1.5)
琉雨が1階のソファーでお昼寝をし終えて2階のリビングのドアを開けると、エアコンの冷気が彼女の頬を撫でた。
そして、ドアを閉めて眠っている間にいなくなった洸祈がいないかとリビングを見渡したが、お目当ての人物はいない。
探して用事があるわけではないが、琉雨は何となく探していた彼が見付からなくてがっかりした。
「おやつの時間はまだですし……お買い物はしちゃいましたし……お夕飯の下準備もしちゃいましたし…………ルーは暇です……」
「暇なんですか?なら、僕と一緒にトランプしませんか?」
ソファーからひょっこり顔を出した呉が琉雨を手招く。
「いいですけど、旦那様を知りませんか?」
「伊予さんとお外に行きましたよ。葵兄ちゃんが金さんを連れてっちゃったから、伊予さんはお暇だったのかもしれません」
琉雨がテーブルの上のお煎餅の入った皿を持ち、両手を出した呉に皿を渡すと、お茶を用意しに台所へ向かう。
「ルーもお散歩に連れてって欲しかったです」
「なら、僕と行きます?あ、洸兄ちゃんがいないと意味ないですよね」
ぼそり。
洸祈が琉雨にご執心なのはどうしようもないと諦めているが、琉雨も同じくらい洸祈が大好きなことは認めがたい呉は、好きな子に対して卑屈な言い方でしか自分をアピール出来ない。
「はひ?あ……いえ!でも、お家にお留守番がいないのは良くないです」
琉雨は呉には見えないと言うのに、急須を用意しながらブンブンと首を振る。その時、彼女の頬が少し赤くなったのは乙女への成長の証か何かであろうか……。
「そうですね。千兄ちゃんも千鶴さんもお休み中ですし」
「お部屋でお昼寝ですか?」
お盆に湯飲みと急須を載せる琉雨。
「一緒にトランプしてたら、いつの間にかそのまま寝ちゃったんです」
「ほへ…………」
向かい合わせのソファーで見えなかったが、お盆を持った琉雨と呉の目の前には、ソファーに座ったまま眠る千鶴と千鶴の膝枕ですやすやと眠る千里だ。
千鶴の金髪に千里の金髪が絡み、千鶴の指が千里の頭を撫でたまま止まっている。
「天使様が二人いるみたいですね」
「はぅー、お二人ともお綺麗です」
呉の隣に座った琉雨は呉と一緒に彼らを見、眠る母子に感嘆の溜め息を吐いた。
鮮やかな髪と透き通る肌。
そして、寝顔。
二人は紛れもない親子だ。
「千里さん、嬉しそうです」
どんな夢を見ているのだろうか。
「きっと、幸せな夢を見ているんでしょうね」
湯飲みをテーブルにそっと置いた呉は、彼の肩に凭れて眠る琉雨の手から零れ落ちたトランプをテーブルに移してから目を閉じる。
「ふあ…………お休みなさいです……」
一つ欠伸をし、呉は意識を手放した。
「たっだいまぁー」
リビングのドアを開けた洸祈。
彼の足下から伊予柑が顔を出し、スタスタとクーラーが一番効く特等席へと向かう。
「あれ?」
「おかえり」の返事がない。
「誰もいないのか?」
………………………………と、
「……皆寝てるし……」
ソファーに4人が寝ていた。
洸祈は無理に起こすわけにも行かず、することもなく暇で一人用ソファーに座ろうとした。
くぅん。
一人用ソファーには先客がいる。
伊予柑だ。
「伊予、俺とそこシェアしようか」
ぷい。
そっぽを向く伊予柑。
普通は洸祈の提案への拒否であるが、洸祈の中の伊予柑はツンデレの位置にいる。つまり、『座りたかったら座れば?』である。因みに、語尾にはピンクのハートマークだ。
「ありがと」
洸祈は暴れる伊予柑を問答無用で抱っこしてソファーに座った。
「ふぅ……見ろよ、伊予。こーゆーのっていいよな」
くぅ。
早々に洸祈の腕を抜け出し、彼の頭に定位置を移した伊予柑は高い位置から眠る4人を見下ろす。
洸祈の手が伊予柑の背中を器用に撫でるが、彼女は嫌がりもせずにさせるがままだ。
「どうしよっか……結婚式…………陽季、真剣で本気だし……」
くぅん。
ぺしりと伊予柑の前肢が洸祈の額を打った。
「そうだな。今は葵だよな。お前達の力を借りるには氷羽の手助けが必要……か」
膝を立て、そこに顎を乗せ、洸祈は首を竦めて眠る千里を見る。
伊予柑が用心屋と道路を挟んで隣の司野由宇麻宅へ飛び出してから2時間。由宇麻経由で彩樹の言葉も交え、洸祈の弟を病から救うには伊予柑達――癒しのカミサマに頼るしかないということ。そして、問題なのは弟の葵に癒しのカミサマの効果を得るには特殊な操作がいるということ。
人形を取れるカミサマ――彩樹やアリアス、雪癒などと人形を取れないカミサマ――伊予柑と金柑では使える力の権限が大きく違うらしい。
その内の1つにヒトへの干渉の程度の違いがある。
結論から言えば、伊予柑と金柑だけでは葵の病に干渉することはできないということだ。
人形を取れるカミサマの助けがいるのだ。
そこで、助けてくれるカミサマを探したが――
彩樹には『無理』と言われた。しかしこれは、単に洸祈への嫌がらせなどではなく、彩樹は由宇麻に合わせて力を抑えている状態で、葵にまでは力が使えないようだ。
アリアスには頼むに頼めない。というより、葵が逆に危険に晒される。
そうなると、頼りは蓮の知るカミサマである雪癒なのだが、雪癒は傍観者と呼ばれるカミサマ。
名の通り、傍観しかしない。
つまり、“無理”なのだ。
そして、残されたカミサマは…………氷羽だ。
氷羽は千里と対等な立場で力を貸す契約をしているため、彩樹と違ってその力に制限は掛かってないらしい。
しかし、氷羽には洸祈が残し続けている傷跡がある。
彩樹はそのことに関しては分からないと答え、本人に直接聞けときた。
「それこそ無理だ…………俺には絶対に無理だ…………」
千里を通して聞くことがもしかしたら可能らしいが、葵の状態が悪化していることを千里には伝えたくない。
氷羽という希望が絶たれたら、千里が暴走し出す可能性がないわけではない。千里のことだから平気で葵を拉致監禁するだろう。
千里の場合、愛情への対処が2次関数のように過激になる。
セックスが良い例だ。
最近はかなり高度なSMへと発展することもあるらしく、たった一人との一夜にしては異常な程の痕を洸祈は葵の体に見たことがある。葵は洸祈の追求に何も答えなかったが、葵は自分なりに千里の気持ちを理解して受け入れているとだけ言っていた。
そう言われれば、洸祈は千里を怒るに怒れないのだ。
第一、過去に洸祈は心などないセックスを一夜にとっかえひっかえでしていたことがある。
洸祈に“言う筋合い”がなければ、千里に“言われる筋合い”もない。
「はぁ……」
くぅ。
洸祈の頭からずり落ちた伊予柑が洸祈の背中とソファーの背もたれに挟まった。
前肢を動かすが……上手く動けない。
くぅくぅ。
くぅくぅくぅ!!
背中に足蹴を食らった洸祈は伊予柑を腕に入れ直し、ソファーの上で丸くなった。
「お休み。伊予……」
くぅ。
伊予柑は洸祈の懐から出て床に降り立った。
そして、確りした足取りでリビングを進み、ドアの前で一瞬で体を大きくすると、前肢で軽くスライドさせてリビングを出る。
右は階段。
左は個室や浴室などへと続く。
迷わず階段を降りる。
「忠犬わんこの蜜柑やないか」
1階の玄関前でお座りした伊予柑は事務室の揺り椅子に座る少年を見詰めた。
「え?我がここにいる理由か?決まってるやろ。散歩や」
少年はテーブルのバスケットに山盛りにされた飴やラムネやらを鷲掴みすると、自分の膝にばら蒔く。ミルクチョコの包装を解いて口に入れた。
「いや別に崇弥の餓鬼には用はない。ま、蓮を待つならここほど快適な待合室はないやろ?涼しいし、菓子もあるし、茶も淹れようと思えばある。この椅子も座り心地がええしのぉ」
サイダー味のラムネを摘まむ少年。
「崇弥葵にお前達の力を貸したいと?それで?我は傍観者やで?傍観者は傍観が仕事。誰の何にも干渉しない。見て、記憶する。ただひたすら……」
揺り椅子から立ち上がった少年は膝のお菓子をテーブルに落とし、包装から出したラムネを手のひらに乗せて伊予柑の前に差し出した。
伊予柑はラムネを舌で掬い取る。
「せやけど、蜜柑が我の許可が欲しいと言うなら、我は許可する。蜜柑は崇弥をずっとずっと護ってきた。それは崇弥の人間が好きやからや。特に崇弥慎の子供達は何に代えても護りたい。約束だから。そうやな?」
くぅん。
「好きにすればええ。……でも、お前は我が思った以上に崇弥に馴染んでるんやな……何て言うんやろ……知らん間に我が子が予想以上に立派になってた感じや」
くぅ。
再び体を小さくした伊予柑は雪癒の細い腕をよじ登り、肩から頭に登る。
「彩樹に会わんのかって?それは遠慮させてもらうわ。それにしても、蜜柑は誰とでも仲良くするのが上手いんやのぉ。お前の良いとこやな」
くすっと雪癒の唇から笑みが零れた。そして、彼はぴくりと体を震わせると、その場でしゃがむ。
「それじゃあ、我は行く。蓮が帰るみたいや。それに、ここに長居したらアークに目を付けられるしな」
雪癒の額を軽くパンチした伊予柑は優雅に階段に降り立ち、その場で丸くなった。そんな彼女の頭を優しく一撫ですると、雪癒は立ち上がり、テーブルに乗ったお菓子をポケットに適当に突っ込んだ。
「我のことは気にせずに。バイバイや」
くぅ。
ふさふさ尻尾が手を振った雪癒に応えるように左右に揺れ、雪癒は軽い足取りで用心屋のオフィスを出て行った。
そして、床にしょんぼりと尻尾を垂れた伊予柑が目を閉じた。
近日、続き投稿予定です^^