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避暑の頃

「ん、大丈夫そうだな」

「ありがと」

(あき)はシャツのボタンを掛けると、手櫛で自分の髪を整える。

「体調で気になることとかあるか?」

「……ない。でも、最近は暑くて夏バテ中な気がするけど」

「今年の猛暑は本当にヤバいな。受験生はただでさえ体力が落ちてるんだから、気を付けろよ。ま、ここは避暑地だから勉強に集中できると思う」

「うん」

一息吐き、秋はズボンのポケットから携帯を取り出した。そして、携帯を開いて目線を上下させた彼はあからさまに眉をしかめた。

「どうしたんだ?」

それを見て、秋の向かいの椅子に座っていた片野(かたの)は手を動かすのを止めずに聞き返す。

暫く無言だった秋だが、不意にベッドに寝転がった。そして、ぼそりと一言だけ返す。

「………………メーワクメール」

「迷惑メール?メール設定でブロックとかしてないのか?」

「してるけど……」

ピッピッとボタンを鳴らす音がし、秋の表情は迷惑と言うより、諦めが滲み出ていた。

「チェンメだな。お前の友達もいい年だろ?」

病院と母親からしかメールが来ない片野には、堅物なメールと顔文字たっぷりメールしか見たことがなかったりする。

「……先生、修一郎(しゅういちろう)に今日こっちに来るって言ったでしょ」

片野は自分の携帯を開くと、“病院”と“母親”……そして、“吉田(よしだ)修一郎”がアドレス帳に並んでいた。

「まぁな。お前のことを俺に聞くためだけに、俺の携帯勝手に弄くってメアド交換させられたぞ?で?言ったことがどうかしたか?」

新しいメール相手につい色々と教えてしまった片野。やはり、病院と母親以外のメル友ができたのは嬉しかったのだ。

「これ」

と、秋が見せてきた画面には――

『今、菅瑞木(すがみずき)の先生の別荘にいるんでしょ?邪魔しないって条件で先生に許可貰ったから、僕もそっちに泊まるからね。あと2時間で着くよ』

送信者は勿論、秋の幼なじみの修一郎だ。

片野に画面を見せたまま秋がボタンを押すと、『あと1時間半』『あと1時間』『あと50分ぐらい』などと今では10分置きのメールが秋の携帯に入っていた。最新のメールから察すれば、修一郎が片野の別荘に来るまで、あと“30分ぐらい”だ。

「奴が来る……」

ごくりと秋の喉が上下した。

心なしか顔色が悪い。

「マジでホラーだな、あいつは。俺は修一郎がこっちに来るとか許可とか聞いてない。もう部屋はないってのに……」

「相部屋は絶対に厭だ」

「追い返さないところは優しいんだな」

片野は使った器具を鞄に片付けると、むっつりした秋の体に布団を掛けた。

「俺、あいつに文句言わないと。だから――」

秋は起き上がろうとするが、

「お前は休め。かなり歩かせたからな」

片野がそれを止める。

そして、ベッドからずり落ちた布団を秋に掛け直した。

秋は片野を見上げると、閉じた携帯を彼に渡す。

「修一郎の相手しろって?」

「……迷子になるかも。てか、迷子になってる」

「迷子になってる?分かってるのか?」

「こんなにメールしてくるとか、あいつの場合は切羽詰まってる証拠」

素直に布団に潜り、秋はすぐに寝息をたて始めた。

片野は『あと27分ぐらい』と、新着メールが入った秋の携帯を開いて閉じる。

とうとう、3分置きらしい。


「本当にお前は優しいな」





琴原(ことはら)秋が先月、体調を崩した。体調を崩すだけなら大して問題はないが、1週間と長引いた挙げ句に一時期はベッドから起き上がることもできなくなったらしい。

見かねた秋の兄である(ふゆ)が裏で秋の元担当医である片野に電話をし、片野は数日間、秋を自分の別荘に泊まらせることにした。

その事をどこからともなく嗅ぎ付けたのか、修一郎が片野に確認してきた。それも修一郎から彼に送られたものとしては、初のメールで。



ふぇ……あう……ぅぅ……。


さらさらだった黒髪が汗に湿って青年の頬にへばりついていた。青年はスマートフォンを握り、その暗くなった画面にポタポタと滴を落とす。

傍らには白猫が一匹。


にゃあ。


「シロぉ、早く秋に会いたいよ」

修一郎は携帯をポケットにしまうと、しゃがんで白猫を胸に抱く。そして、光沢のある猫毛を撫でた。

「返事ないし、秋ぃ……あっちゃんん……もう6時だよ……暗くなるよ……死んじゃうよ……」

「吉田弟よ、迷子だったのか?」

「迷子だよ!!迷子何だよぉ!!!!悪いかよぉー!!!!」

青年が逆ギレした。

「………………って……せんせぇ?」

真っ赤に泣き腫らした瞳の青年が片野を見上げる。

吉田弟――修一郎の腕から猫が飛び降り、秋の言葉に従って修一郎を迎えに来た片野の足に尾を擦り付けた。

「お、こいつが行儀のいいにゃんこさんか。まさか、吉田弟が連れてくるとは。(はる)君は?」

「用事ができたから僕にって」

豪快に鼻を啜り、修一郎は濡れた目を擦る。片野は医者として修一郎の手を掴むと、修一郎が更に擦るのを阻止した。

その時、修一郎に合わせてしゃがんだ片野の肩に白猫が乗る。

「うわ、俺の服が汚れる」

片野は手で払おうとしたが、白猫にはさらりとかわした。

にゃあ。

「シロ、先生怒らせたら別荘から追い出されちゃうよ?」

修一郎が片野の手助けをするが……――

「いで!!」

白猫は片野の肩から修一郎の隣に飛び降りた。

それも、片野の頬を足蹴にして。

「先生、大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけあるか」

咄嗟に押さえた彼の指の間から赤くなった頬が覗く。修一郎は猫を腕に確保して苦笑するしかなかった。



「春君は来れないのか……」

「だから僕が来たんですよ」

「春君は家事が完璧なお母さんだと聞いて、期待してたんだが」

農家には羨ましい男4人兄弟――しかも、春夏秋冬の季節一巡りの名の兄弟は地元の谷では有名。その谷の出身である片野も隣町から実家に帰った時は、まあまあ彼らのことは耳にしていた。

なんやかんやで頼れる長男の冬。

暴力断固反対の小さな番人の春。

家族が大好きだけどツンデレな秋

冷静沈着なのんびり屋の夏。

年齢順に上げるとこうなるが、片野としては“春夏秋冬”の順に名付けたらどうだろうかと思っていたりする。

まぁ、最初から4人のつもりなどなかっただろう。三男の予定が双子など、普通は予想外だ。

そして、不幸なことに両親と長女を亡くした彼らの家を守るのが、番人の琴原春である。早くに頼るべき人を亡くした彼は、良くも悪くも成長が早かった。

「僕、カレーライスだけは得意ですよ?カレーライスだけは」

重要だから2回言ったようだ。

けれども、修一郎が正しく得意げに返事をしてきたが、彼は1日3食が基本であることを知っているのだろうか。

「………………確認するが、春君は大事な用事で来れなくなり、たまたま暇をしていたお前に代わりを頼んだ。そうなんだよな?」

冬経由だが、春は受験勉強で実家に帰って来ず、今年は会えないと思っていた秋の傍にいる理由が出来て、前々から別荘での泊まりを楽しみにしていたらしい。

「……う…………そうです」

片野の確認に視線をうろちょろさせた修一郎。

物凄く怪しいが、大きなボストンバックを抱えた彼は、これまで自力で山を登り降りしてきたのだから、片野には問い詰められなかった。

それに、彼は片野にとって、少ないメル友の一人だ。大切と言えば、大切な友達だ。

「そうか。でだな、俺は仕事があるから、明日には帰るわけなんだが」

「つまり、僕と秋の二人きりになるんですね!」

片野には“二人きり”がやや強調されているように聞こえる。

「いや、スケットが入る」

「は?」

一瞬だが、美少女風美少年の修一郎の声が、ドスが効いたように低くなった。片野は咄嗟に隣を歩く修一郎を見下ろすが、修一郎の表情は上手い具合に髪とキャップ付き帽子で見えない。

しかし、修一郎は確認せずとも不機嫌だろう。

苦労して“一緒にお泊まりの座”を手に入れたのだから、他人には邪魔されたくないのだ。

その点、片野は修一郎が秋を好きで、アタックに燃えていることを知っている。かつ、片野はそれを広い心で見て見ぬ振りしていた。

つまり、色々企む修一郎にとって、片野は有益でなくとも、邪魔ではないのだ。

「……スケットって誰ですか?」

にゃあ。

白猫が修一郎の代わりに片野を見上げる。

「秋の親戚。冬さんが紹介してくれたんだ」

「親戚?僕の知らない人…………」

「秋は知ってるぞ。家事万能で頭も良くて秋に勉強も教えてくれるらしい」

「僕だって……」

言い掛けて口をつぐむ修一郎。

片野の歩調に急ぎ足で付いてきていた彼はゆっくりと、やがて、足を止めた。

「……修一郎?」

「僕は……邪魔者ですよね……。何の役にも立たない……」

にゃあ。

猫が鳴き、修一郎の腕から逃げる。そして、修一郎は空いた両手で顔を覆った。

片野の別荘はすぐそこだと言うのに、これでは遠くなりそうだ。

「お前は……秋の友人だ。それも、1番親しい間柄だろう。つまり、お前は秋の親友だ」

「親友じゃ……駄目なんです。先生は分かってるでしょう?」

修一郎が目指しているのは親友の上。

秋の恋人だ。

「僕は軍学校の作ったエスカレーターの1つを登っているだけ。立っているだけで前へと進む。でも、秋は先生みたいな医者になろうと本気で頑張ってる。僕はそんな秋を尊敬するし…………妬ましくもあるんです」

謙虚なわりに大胆さも秘めた修一郎が安っぽい笑みを片野に見せた。

何だか、珍しい。

「お前は本気で秋が好きなんだな」

「そうですよ。妬ましくて憎たらしくても、優しくてカッコいい秋が大好きです。だけど、僕は大好き大好きって言うだけで、秋の苦しみも辛さも分からないし、消してもあげられない。無力の役立たずです」

弱気の修一郎というのは片野の調子が狂う。

秋が見掛けによらず繊細だと言うのは、彼の長い入院生活を一緒に過ごしてきて知っていたが、よく秋の見舞いに来ていた修一郎のことは詳しく知らなかった。秋の友達としか思っていなかった。

吉田家の養子である兄がいて、魔法使いだから軍学校で寮生活をしていて、毎週遠くから電車で秋の見舞いに来ていて、秋を男と自覚して好きになっている。

こんなことを秋の入院中にやっと知ったぐらいだ。

だから、片野には『修一郎は明るくておっちょこちょいで暴走すると手が付けられなくなる』という、そんなイメージしかない。

「秋……あき…………ぅう……ううぅう!!!!」

号泣。

大号泣だ。

高原脇の歩道で修一郎は男前に泣き出した。赤く腫らした目や喉で泣くのは辛いだろうが、彼は豪快に泣く。

「泣き止め。隣近所がびっくりするぞ」

と言っても、隣近所は近くて50メートルの距離だ。しかし、徐々に暗くなっており、僅かに肌寒くなってきた。

早く帰って夕食の準備もしたい。

受験生の為にも食事の時間は規則正しくしたいのだ。片野の医者としてのポリシーもある。

「でもっ……うっぅぅ」

ぽろぽろぽろぽろ。


「修一郎、久し振り。迷子っての伝わってきたけど、俺が迎えに行かなくてごめん」


「秋、休んでろって……」

「秋ぃぃいいいい!!!!!!」

片野の隣を修一郎が駆け抜けた。そして、別荘の門柱に凭れて立っていた秋に修一郎が抱き付く。

秋が修一郎の背中をぽんぽんと触れた。

「僕、迷子だったんだよ!秋に必死に必死に……秋なら分かってくれるって――」

「本当にごめん」

修一郎の鼻にティッシュを付けた秋は「ごめんごめん」と、今度は修一郎の髪を撫でる。

「ごめんじゃないよぉおお!」

修一郎は大きな音を発てて鼻をかみ、影で秋の手を握った。秋は手を握られていることに気付いていないようで、ただ修一郎を宥める。

「お前だって、突然だろ?」

「2時間前からメールしてるじゃん!!」

「そうだけど……」

「秋、修一郎、俺は夕飯作るから。体冷やす前に入れよ」

修一郎の駄々は続いているが、程々に泣き止んだ。片野は何故かムカついてくる二人のいちゃ付き振りに、早く別荘へと入りたくなっていた。

「修一郎、寒いだろ。入ろう」

「でも、僕は秋の温もりだけで……」

すんと鼻を鳴らし、修一郎は秋に体を限界まで寄せる。秋は飽きれ顔にどことなく修一郎の全てを許す眼差しがあった。

それを見た片野は素早く退散した。


「なんてマセた餓鬼共なんだか」








避暑地に来たというのに、リビングに何やらお熱い空気が流れていた。

「背中が痒い……」

テレビの前に陣取った修一郎が持ってきたお土産をカーペットの上に広げ、ソファーに座ってそれらを眺める秋と談笑している。


それも、黙々と料理を作る片野の背後で。


「修一郎、土産食うのは飯のあとにしろ!」

「ひぇ!!……もしかして、先生の背中には目があるんですか?」

花のデザインの入った透明のセロハン。それに包まれた黒い饅頭を取り出そうとした修一郎が、饅頭を箱に戻して秋にくっついてソファーに座る。

修一郎はスキあらば秋にくっついていた。秋もそれを怒らない。

「背中が痒いんだよ」

「痒い?痒いんですか?だったら、僕が背中掻きましょうか?」

これは掻いたら治まる痒みではないのだ。

寧ろ……――

「お前が掻くと余計に酷くなるから」

「えー!……じゃあ、お手伝いします!!」

「今日のメインメニューはカルパッチョだ。そうだな……玉ねぎ切ってくれ」

「はーい!」

と、ノリノリで手伝い出してくれたのはいいが……。


「見えない攻撃だよぉお!!痛いよ!前が見えないよぉおおおお!!!!」

玉ねぎにやられた修一郎が目を押さえて身悶えている。

本来なら目が痛くなる前にさっさと切り終えて玉ねぎを水にさらせばいいのだが、彼は威勢は良くても不器用過ぎた。

「修一ろ――」

片野が修一郎を助けようとし、

「手と目、洗ってこい。ほら、擦るなよ」

秋が彼らの間に割り込んだ。彼は修一郎の両手を掴む。

「あうぅ」

修一郎が赤子のようにイヤイヤと首を振るが、涙に濡れた瞳を薄く開けて秋を見ると……修一郎の頬が赤くなった。

真剣な顔の秋に手を掴まれている――そのことに修一郎は赤面していたのだ。

すると、遅れて秋の頬も赤くなった。

今更、距離の近さに気づいたらしい。


「ねぇ、秋……このまま押し倒してもいいよ?」

潤んだ修一郎の瞳。

声音だけで分かる熱を含んだ吐息。


「っ!!………………………………んなこと、するかよ!!」


秋のツンデレ…………いや、ツンツンだ。





「…………お前ら、リビング行ってろ。………………全身痒くなる……」



片野は凝った肩で頑張って腕を回し、指先で背中をぎこちなく掻く。

そして、彼の足元では猫が鳴いていた。


にゃあ。

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