彼の役目(2)
午前5時30分。
崇弥葵は用心屋の居住区である2階の自分の部屋で目を覚ました。
「ん…………」
「おはよう、葵君」
薄暗い室内で、微かに見えた輪郭と声から、葵は自分の顔を覗き込むのが陽季だと気付いた。
「……おはようございます」
「うん」
「あの――」
「君が言いたいことは分かるよ。ちゃんと話すから、楽にして俺の話を聞いて欲しいんだ。喉渇いているなら水もあるし」
体力を消耗させないようにと葵の言葉を遮った陽季は「水を……」と掠れた声で囁いた葵に頷いた。水差しからグラスに水を注いだ彼は葵の頭を支え、少しずつ飲ませる。
「あ、額の替えさせて。あと、熱計らせてね」
陽季にされるがままで額の冷却シートを替えられ、体温計を脇に挟まさせられる葵。彼はぼーっと宙を見詰めていた。
「…………ごめんなさい……」
葵は謝る。
「そうだね。……でも、千里君にはありがとうって言ってあげなよ。君はもう十分に千里君に謝ったから」
陽季は葵の額に掛かる髪を分け、毛布の位置を調整した。そして、彼は予告通りにゆっくりと葵が倒れてからを語り出した。
吟竜のことも。
洸祈と琉雨のことも。
陽季が「千里君達は今、こっちに向かってるところ」と言い、「君が一眠りする時間はあるよ」と助言すれば、葵は“千里達が帰ってきたら絶対に葵を起こす”という条件で眠った。
「ちぃ、着いたぞ」
「んん………………あおっ……!」
用心屋前に着いたので寝ていた千里を起こせば、彼は珍しく直ぐに覚醒した。そして、転げ落ちそうになりながらも伊予柑から慌てて降りる。
ま、いつもなら危ないと怒るが、今日は構わない。と言うより、千里の気持ちは良く分かる。
「ちぃ、先ずは葵。次は風呂な。約束だぞ。風邪引く」
「分かってるからっ」
息荒くして……俺には止められないな。
「千里!!」
パジャマ姿の葵が、用心屋のドアを開けかけた千里に抱き付いた。千里は咄嗟にドアノブを離して葵を抱き締めてバランスを整える。
「あお……葵……良かった」
千里は葵の頭を撫で、葵は千里の肩口に顔を埋めた。
「うん、心配させてごめん…………守ってくれてありがとう」
そして、二人は用心屋の玄関先で黙って抱き合う。
と、
「洸祈、お帰り。琉雨ちゃんも」
陽季がドアを開けて現れた。そして、俺に笑みを溢し、パーカーのフードで眠る琉雨にも笑顔を向けた。
「ただいま。葵の体調は?」
「二之宮のお陰で大丈夫だよ。でも、熱が出て。山は越した。けど、まだ微熱がある」
「そうか。ありがと…………んぅ!?」
陽季は俺の頭を抱えたかと思えば、噛み付くみたいに俺に口付けしてくる。
「んんっ!?」
「……心配しまくったんだよ、洸祈。本当はお前を彼処に置いて行きたくなかった」
路上でキスとか、ヤバい。
ちっちゃい伊予柑がジーンズ越しに俺の足を引っ掻いてくる。
「怪我、してない?千里君は大丈夫?琉雨ちゃんは?」
「怪我してない。伊予が泥ですっ転んだけど。な?」
くぅん。
膝が泥だらけの伊予柑は切なく鳴いた後、べちゃりと泥まみれの四肢をジーンズにくっ付けた。
…………わざとらしいぞ、それ。
「そっか。それだけで済んで良かった」
「あ……うん」
よしよしと陽季に頭を撫でられたら、葵の気持ちが分からなくもない。
いいなぁ、撫でられるの。
「千里君、葵君、冷えない内に中に入ろうね」
「はい。……あお、中に入ろう」
「うん」
さっきはキスが恥ずかしいとか思ってたけど、もう少し撫でて欲しかったな。
なんて、俺も疲れてるな。
俺は泥を必死に俺に擦り付ける伊予柑を抱いて、陽季が開けて待つドアを通った。
抱き締めた葵の体は熱くて、僕の冷えた体には心地好くもあった。
でも……――
「千里君、葵君、冷えない内に中に入ろうね」
葵の体まで冷やしちゃった。
「はい。……あお、中に入ろう」
「うん」
僕は葵の肩を抱いて何だか懐かしい我が家に入った。
「千里、直ぐに風呂の用意するから」
「風呂の用意は僕がする。それより……あおの部屋、行くよ」
「…………うん」
……葵が赤面した。
僕はもともと熱で火照っている頬を更に赤くした葵の腕を掴み、葵の部屋に向かった。
「葵」
僕は葵をベッドに座らせ、名前を呼ぶ。
と、そわそわし出す葵。
可愛いなぁ。
「あのさ……千里…………」
「あお、服脱いで」
「え……!?」
「全部ね」
「!!!?」
葵は林檎のように真っ赤になる。この反応はレアかも。
全然使わないケータイで写メりたい……!
赤面葵の待ち受けとか、毎日ケータイを開いちゃうよ。いや、エロい葵の待ち受けとかも……ケータイ持ってトイレに隠っちゃうなぁ。
「全部って……」
「下着も全部」
僕は部屋を見回し、エアコンのリモコンを探した。
ローテーブル上に水差しやタオルと一緒にそれを見付けた僕は風速最大で温度を高めに設定した。
間もなく、冷えた体には丁度いい熱風が吹き出す。
「下着……も?」
「そうだよ。全部。裸になってって言ってるの」
「は、裸……っ」
いやはや、こんなプレイも楽しいなーとか思ったり。
だけど、僕の本意は性欲の満足ためではない。それだけは分かって欲しい。
と、それを伝える気もなく、心中で僕は暴露するのだ。
「それとも、脱がせて欲しい?」
「あ……それはちょっと……」
遠くの空が明るみを帯びてきている。
葵の部屋も少しずつ明るくなる。
葵は明るくなる前にとパジャマを脱ぎ始めた。
ベッドの上で僕に背中を向け、葵はパジャマの上を脱いだ。汗ばんだ背中にシャツが張り付いている。
「…………せ、千里……吟竜……あの後、どうなった?」
見え見えの意図の話題作り。面白いからその意図に乗ってあげようかな。
「吟ちゃんはどうにか説得して、あとはアリアスって人達と政府をどうしようかって話になって」
濡れたシャツを脱ぐ葵。
僕が汗の染み込んだパジャマの上を回収しに葵に近付くと、葵はびくりと縮こまる。僕はそっと脅かさないように葵から離れた。
「そこにシュヴァルツ商団が現れて、あれって貿易商か何かかと思ってたけど、実動部隊?なんだね」
僕はベッドに座っておどおどとズボンを脱ぐ葵の傍らのシャツを回収しておく。ぐっしょりと汗で濡れていた。
葵の汗の匂いがしてくる。
「最初、シュヴァルツ商団もお役人だから僕らの敵だと思ったんだけど、洸って交友関係広すぎだよね」
シュヴァルツ商団のリーダーらしい人と親しそうにしていた。
「で、商団の人達はアリアスとその他だけ捕まえに来たみたいで、僕ら放置の大乱闘」
「あっ……」
葵の膝に引っ掛かっていたズボンを、僕は当然の義務のようにちゃっちゃと脱がせる。強張った葵の肩は、頭を撫でてあげれば、まぁまぁ治まった。
んで、ズボンは回収完了。
あとはパンツ1枚残すのみ。
「……千里…………その……」
「僕に脱がせて貰いたいの?」
「…………っ!!」
パプリカのように真っ赤。
少し意地悪だったかな。
僕は朝陽射し込む室内で、震える指を自らの下着に掛けた葵を、綺麗なバスタオルで包んだ。
「あ…………千里?」
「僕のせいで濡らしちゃったし、あお、汗かいてるから、服替えてあげたいなぁって。だから脱いでもらったんだ」
「それ、先に言って……」
だって、言ったらつまんないじゃんか。
それにある程度脱がせてから真実を教えた方が、葵の身体中を拭かれる恥ずかしさが和らぎ、あまり暴れなくなるからだ。
これって、僕、葵の調教師みたいだなぁ。……“調教師”って、響きが卑猥な気がしてきた。
「腕上げて。脇、拭くよ」
やはり、葵は肌にべったりと吸い付いた汗が気持ち悪かったのだ。葵はバスタオルで体の隅々を拭かれることに文句を言わず、大人しい。胸元にタオル滑らせても何も言わないし。
調教の賜も……自主規制しておこう。
「新しいシャツだよ。パジャマもね」
「ありがとう」
葵にシャツを着せてやり、新しいパジャマを羽織らせる。そして、ボタンを閉めてあげた。
ではでは、パンツも……。
葵は本当に素直だった。
「…………」
僕もびっくりで、葵はバスタオルに隠しながらだが、パンツを脱ぐ。それを先程脱いだ衣服の山に重ね、葵はストンとベッドに座り込んだ。
「……あ……拭くよ?」
「…………うん」
抱き締めたいけど、雨で濡れたままだから無理なんだ……けど……葵は脚をタオル越しでも好きなだけ撫でさせてくれる。
てことは、お尻を触っても怒らないかな……――
「千里っ!?」
びくんと震えた葵。
「…………興奮させちゃった?」
僕が興奮させたんだけどね。
葵は俯き、袖に隠れた手でタオルを握っている。
葵の後ろ首に手を回し、引き寄せれば僕の濡れた服越しの胸元に額をくっ付けた。これも冷えぴた越しだけど。
「あお……」
「千里……脱げ。お前だって……濡れてる」
僕の衣服をひっ掴み、葵は僕の服を乱暴かつ素早く取っていった。
手際の良さは追い剥ぎのプロですか?と聞きたくなる。
が、丸裸にされた僕は葵のバスタオルに逃げ込むしかない。僕と葵は二人でベッドにダイブしていた。
「半裸に冷えぴた……なんか面白い」
「お前は……全裸だ。……髪濡れてる。タオル……ほら」
僕の頭の下にバスタオルを敷く葵。僕は葵の腰を引き寄せた。
「千里……っ」
「エッチは絶対にしないから。あおに負担は掛けたくないし。だから、その熱を出すだけさせて」
「いや……それは千里に悪い……」
あら、良く分かってること。
「あおが感じて見せてくれれば……僕はお風呂場で妄想に耽るから」
「妄想って……」
「あおが沢山エロい顔をしてくれれば、僕ももっと気持ち良くなれる」
僕は葵の股に僕の片足を挟ませた。
すべすべだ。
「!?」
葵は電光石火でだんごむしのように丸くなる。それも、僕の足を挟んだまま。
「…………俺には……エロい顔とか……できない」
冗談な。
ベッドに押し倒したら毎回乱れ淫らなエロさ全開だよ。
「勝手になるから安心してよ」
「逆に安心……できるかよ」
葵はいつもは怒るところで、僕を呆れたように力なく笑う。
つまり、葵は限界みたいだ。
「もう喋らなくていい。僕を感じるだけでいい」
僕はこくりと頷いた葵にキスをした。
うわっ!伊予、泡跳ねらかすなよ!!
くぅ!
目!目入った!!痛い!!!!てか、逃げるな、伊予!!
ガシャン、ドカッ、ガンッ……――
「崇弥ぁー、生きてるかー?」
「…………死んでる……」
風呂場で小さい狼を腹に乗せ、大の字に倒れた洸祈は、ドアの向こうから自らを見下ろす由宇麻を見上げた。
「頭打っておらへんなら大丈夫や」
「いや、膝とか肘とか打った……」
「頭じゃないんやろ?なら平気や。それより、何で俺んとこの風呂をわざわざ使うん?」
「……ちぃがいつ入るかわからないから」
「え?」
しゃがんだ由宇麻は首を傾げる。
「二人が家でいちゃこらしてるんだよ。んで、風呂場でかち合ったりしたら嫌だろ?」
「用心屋にはそういう気苦労が……」
「必要なんだよ」
「陽季君はどないしてるん?」
「さぁ。間違ってばったり会っちゃったりして」
由宇麻はその場面を想像して、心の中で笑った。
「葵君、朝ごは…………」
パタン。
陽季はドアをそっと閉めた。
それから20秒、30秒……1分。
『陽季、ドアを開けるときは注意するんだ』
洸祈の忠告とは思えない忠告を反芻し、やっと陽季はその言葉の真意を理解した。
「注意って……!もう少し詳細に話せよ、馬鹿洸祈!」
陽季が朝ごはんに呼びに、眠っているだろう葵を気遣ってノックせずドアを開ければ、千里が葵を組み敷いていた。それも、千里は隠すものなく真っ裸だったのだ。
千里と葵が相思相愛の仲であることは、彼らの親友である洸祈から聞いて知っていたが、前の現場で二人が勤しんでいることは1つしかない。
「!!俺、何見た?……いや、見てない!何も見てない!」
まさしく自問自答。
頭を抱えた陽季は1階へと繋がる階段でぶつぶつと呟く。
「陽季さん?葵兄ちゃんと千兄ちゃんは……」
陽季の背後、リビングのドアから少年と少女が顔を覗かせた。
「……呉君は見ちゃったり…………いやいや、二人とも疲れて寝ちゃってたよ。起こさない方がいいかなって」
「旦那様は由宇麻さんのところですよね?由宇麻さんも朝ごはん一緒に――」
「俺、呼んでくるよ!」
「あ、でしたらお願いします」
陽季は「よっこらせ」の掛け声で階段を駆け降りた。
「琉雨姉ちゃん」
「何ですかー?」
「今日も平和ですね」
「平和ですねー、呉君」




