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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
彼の選択
242/400

彼の役目

書いていたら長くなってしまいました♪ヾ('∀'o)ノ

「吟……ちゃん…………なの?」

口をあんぐりと開け、吟竜を呼んだ当の本人――千里(せんり)は、ゆっくりと降りてくる巨大な竜を見上げた。







「おい……あれ……!!」

(さくら)の吟竜……だね」

千歳(ちとせ)が指し示す先。

月に浮かぶ灰白色の翼竜の影を見上げた(れん)は、目を見開いた。

「何でこの結界の中で喚べるんだ!?俺のレイヴンは喚んでも現れないってのに!」

「君の大黒鴉は桐と代々、支配契約を交わして主従関係を築いている。だから、この結界の中ではその支配が及ばないから、大黒鴉は現れない。だけど、櫻の吟竜は契約という契約はしていないんだ」

「じゃあ、どうやってあんな大物を!?」

「古くからの付き合い。としか言えないよ。だからこそ、櫻の血筋でも選ばれた者だけに吟竜は応え、力を貸す」

「てことは、あの子は……」

満面の笑顔で吟竜に向かって手を伸ばす金髪の彼を見詰めた千歳。

「君は初対面だったね。彼は櫻千里。約200年振りに吟竜を喚ぶことに成功した櫻柚里(ゆり)の一人息子だよ」

「あの子が櫻の……正直、最近の櫻は落ち目かと思っていたが、違うみたいだな」

「確かに櫻の影響力は最盛期よりは薄れてきた。櫻柚里を失ったのは軍の馬鹿のせいとしか言えない。だけど、千里君を見ていると、個人個人では良い人材が揃っていると思うんだよね。少なくとも、所得税をがばがば納めてる足の不自由な要介護者の僕を、雨ざらしにして野山で拘束する日本の経済を省みない政府よりは」

ぎろりと囲む役人の一人を蓮は睨んだ。睨まれた男はサングラスに目を隠していたが、この場の誰もが、蓮から視線を逸らしたのは分かった。

「おっと、千里君を税金を使うだけの政府と比べちゃあ、悪かったね」

直ぐにニコニコとなった蓮は膝の上でうとうとする遊杏(ゆあん)の髪を撫でながら吐息を洩らす。

「でも……なんて綺麗なんだろう」

「そうだな。噂に違わない美しさだ」

蓮と一緒に息を吐く千歳。

「うん。同じ竜のミミズと大違いだよ」

「……蓮様、ミミズですか?」

千歳への返事にきょとんとした董子(とうこ)が車椅子のグリップを握ったまま蓮に尋ねる。

しかし、

「漢方ではミミズを地の竜と書き、表皮を乾燥させてから磨り潰して使ったりするんだよ」

彼女は蓮の言葉に直ぐに耳を塞いだ。

「ミミズですよね……」

ぶんぶんと頭を振って、董子は目をぎゅっと瞑る。

そんな彼女の様子にクスリと蓮は微笑む。

「漢方の売りは天然物で体に優しいってとこなのに。特にミミズの場合は解熱作用があるんだ」

「なぁ、蓮。蓮の薬は薬草だけを使ってるんだよな……?」

吟竜から目を離す千歳。

「必要があれば化学薬品も当然使うよ。大丈夫、地竜は僕が家に置いておきたくないから使ってないよ」

「だよな、ミミズは嫌だよな」

千歳はホッと胸を撫で下ろした。

「漢方薬なら神影(みかげ)さんが作ってくれますよ」

「神影さん?」

神影を知らない千歳が聞き返すが、それに蓮が答える。

「僕のオトモダチさ」

「棒読みの友達か。分かった」

師と仰ぐ神影を楽しそうに語るシアンに対して、蓮は大して興味が無さそうだ。

「さて、崇弥(たかや)を待つにしても、これ以上は(あおい)君がマズイ。君のボディーガードは何かできないの?」

「できない!」

「なんで君はそんなに自信満々なわけ?」

「情けないからだよ!(きり)のボディーガードは正直、メイドより弱い!な?」

千歳がボディーガードことスーツばっちりのイケメン達を振り返れば、皆が後ろ首に手を当てて苦笑していた。

「桐って女傑が多いけど、そういうこと?」

「そーゆーこと」

大きく頷くのは、母親には絶対に逆らえない千歳である。

「じゃあ、メイドさんに――」

というわけで、この状態でも果敢に千歳とボディーガードを囲んで守るメイド達を見る蓮だが、

「蓮様!女性に何をやらせようとしているんですか!」

董子が一蹴する。そして、董子には頭の上がらない蓮である。

「…………董子ちゃんが怒るなら何もやらせないよ」







ヴゥ……ヴヴゥ!!!!


「どうして……どうして、吟ちゃん!」

尖った牙は男の足を引っ掛け、吟竜は高く咆哮した。

すると、その振動で男の足が更に深く牙の間に食い込む。

「ひぃ!足が!!足がぁああ!!!!!!」

「あぅ!」

政府代理人の男の悲鳴が上がった時、千里は奪い返した葵の胸に頭を隠した。体を丸め、彼は動かない葵を必死に掻き抱く。

“葵を放せ”という願いは叶った。しかし、千里の呼び掛けに現れた吟竜は間もなく暴れ出した。

周囲にいる者を襲っては巨大な四肢を振り回す。

千里が「もういいよ!」と訴え、吟竜の尾が彼の頭上を掠めると、彼はやっと友として呼んだ吟竜の異常に気付いた。

「あお……あおっ……」

「放してくれ!!!!!」

「あおっ!」

葵を離し、千里は縮こまる。

「せ、千里君!もうやめてあげなよ!」

唖然とする役人の手から逃れた陽季(はるき)が千里の肩を揺する。しかし、千里は震えたまま反応しない。

「千里君!」

「違う……吟ちゃんは違う……違うから……!」

「分かったから!あれは君が呼んだんだろう!?何故、君の言うことを聞かないんだ!!」

「いや!怒らないで!!」

葵を引き摺り、千里は頭を振って陽季から退く。

「僕は悪くない!吟ちゃんはパパの言うことは聞いていたんだ!だから、やめて!やめてよ!!!!」

あまりのことに千里は完全に混乱してしまっている。

「怒ってない!怒ってない………………お願いだ、落ち着いてくれ」

陽季は自らも荒げていた息を止めると、千里を宥めることに徹する。

「あう……」

「葵君の為に落ち着いて欲しい」

「あお……葵…………」

息を整え、千里はどうにか落ち着いた。文字通り、雨で頭を冷やす。

「吟ちゃんが言うことを聞いてくれないんだ……助けて……。陽季さん……助けてください……。僕はやっぱり無力なんです」

ポロポロと涙を落とし、千里は陽季に葵を凭れさせると、葵の肩に目尻を押し付けた。

「無力じゃないよ。一緒に考えよう。そして、葵君を助けよう」

「…………うん」

自分の言うことを聞かずに暴れる吟竜を見上げる千里。

木々を薙ぎ倒し、破壊の限りを尽くす吟竜に役人もアリアスの仲間も皆が我を忘れているようだった。


「吟ちゃん……どうして……」

千里は悔しそうに俯く。

その背中に水滴が流れた。





「おいおいおいおい!おいぃいいいいい!!!!!!」

現れて早々に暴れ出した吟竜が近付いて来たことに、桐一同(メイドを除く)が政府代理人達と共にジリジリと後退する。その時、首を振り回した竜の口からは失神して泡を吹いている政府代理人の男が落ちた。

「ひぃ!!!!」

仲間の筈だが、落ちてきた男を中心に避ける役人。端から見れば何とも言えない阿呆の様だが、本人達は必死である。


吟竜が前進する。


「遊杏……っ」

「蓮様!」

車椅子の蓮は、膝で眠る遊杏を身体で覆い被さって隠す。その上から董子が被さって蓮を守ろうとした。

「蓮さん!」

董子の前にはシアンが立つ。

そして、千歳が蓮は自力では動けないことに今更のように気付いた時には遅く、蓮達の直ぐ前には巨体をしなやかに動かす櫻の守護。

「蓮!!」

太い前肢の爪が蓮や董子、シアンに向けられる。そして、吟竜の瞳が彼らを捉えた。


『これが攻撃最強の魔獣と名高い吟竜か。しかし、落ちぶれたものだな。主人の言うことを聞かないとは』


思わず目を瞑ったシアンの前には黒尽くめの女。

アリアス・ウィルヘルムが吟竜の眼前に立ち塞がっていた。

そして、片手で簡単に吟竜の爪を横に流す。深い地響きと共に吟竜がバランスを崩して倒れた。

「な……お前は……!!」

蓮のもとに駆け寄った千歳は彼女を見る。

「アリアス……さん」

『久し振り、シアン君』

「っ…………リトラさん!!」

黒尽くめの彼女――アリアスは赤茶の髪を垂直に足らした少女の衣服の首根っこを掴んだまま、その場に立ち尽くすシアンを振り返った。

「リトラさん!リトラさん!」

『嗚呼……これか。君の大切な子だったね。返そう』

彼女はぼろ布を扱うかのようにリトラをシアンに投げる。少女を抱き締めたまま尻餅を突いたシアンは体の至るところに傷を付けたリトラを見て、唇を震わせた。

「リトラさんっ…………酷い……」

『シアン、リクは自らの意思で私達と共にいる。リトラに説得は無駄だと言ってくれないか?』

「あなたの考えは間違っている!リクさんもです!戦争の先には悲しみしかありません!!」

『ならば聞こう。君は一瞬の死と誕生から10歳までをもう一度繰り返す……どちらがマシかな?』

「誕生から10歳…………っ……僕は……」

狭い小部屋に飼育されていた実験用モルモット。光を失い掛けた両目が疼き出す。

シアンが前のめりなった。

「シアン君?大丈夫かい?」

千歳がシアンの腕に触れる。

「シアン、戯れ言だ。耳を傾けるんじゃない」

しっかりとした声音で、蓮が言った。それがシアンの顔を起こさせる。

「……蓮さん…………」

「アリアスの言うことは所詮、他人の弱味に漬け込んだ脅迫でしかない」

『それの何が悪い?私はその弱味や恐怖を取り除こうとしているんだ』

真っ向から蓮とアリアスの視線がぶつかった。

数えるほどしか顔を合わせたことがない二人だが、醸し出している雰囲気は一触即発の四字熟語で表現するのが妥当である。

僅かな火の気で導火線に火が付きそうだ。

「悪いさ。お前達と違って僕らは喜怒哀楽が必要なんだ。快楽が必要なんだよ。怒りと哀しみがあるからこそ、喜び楽しめる。お前達の目指す世界がどんなものかは知らないが、僕は過去があっての僕であり、喩え何度繰り返そうと、僕は何もない死よりはマシだと思うね」

洸祈(こうき)が同じ過去を繰り返そうと?』

“洸祈”に蓮の拳が肘掛けに落ちた。けれども、握ったそれは暫くしてから開く。

「言っただろう。今の僕は過去の洸祈や今の洸祈に会ってできている。会わなきゃ別の僕になるだけのことさ」

『凄まじいドSっぷりだな。本当に洸祈のことが好きなのかい?』

「好きだよ。だからこそ、僕は決して洸祈を否定しない。僕は僕の大切な人は絶対に否定しないさ」

本人も無意識に董子を抱き締めた蓮は、鼻を鳴らして深く溜め息を吐く。馬鹿馬鹿しいと言いたげに長く。

董子の方は両目をぱちぱちしていた。


「未来も過去もそれはそれ。下らない質問をしないで欲しい」

蓮が先に会話を降りた。今は、歪み合いをしている暇ではないのだ。

『それは失礼』

アリアスも蓮に興味が失せたように、唸って手足をバタつかせる吟竜に目を向ける。そして、陽季に泣き付いている千里にも。

すると、陽季がキッと彼女を睨み返した。アリアスはそれを毛ほども気にしない。

『ちゃんと陣を使って呼び出さないから、吟竜は昔の主を探しているのか』

「へ?」

千歳がおどおどと蓮の背中に隠れて呟く。蓮は雨から守るように遊杏にひざ掛けを掛けてやると、濡れた董子の髪を撫でた。

「蓮様……」

「吟竜は櫻柚里に呼ばれたと勘違いしている…………董子ちゃん、遊杏を預かってもらってもいいかな」

「お任せください、蓮様」

蓮の手のひらから離れた董子は遊杏を抱っこし、シアンと一緒にそっと退く。

「千歳」

「はいよ、蓮」

蓮の背中で怯えていた千歳は、一瞬で真剣な顔になっていた。

『どうするつもりだい?もう吟竜は誰の言うことも聞かないよ』

「だけど、吟竜は千里君の呼びかけに応えた。それだけでまだ、吟竜の主を千里君にできる可能性は十分にある」

打ち合わせをした訳でもないというのに、千歳の首に捕まった蓮は彼に軽々とお姫様抱っこされる。そして、泥を撥ねらかせながら、千歳は蓮を千里の隣に座らせた。


「二之宮……葵君を――」

「分かってる。だけど、この薬を飲んでくれないと……」

青白い頬の葵は指一本動かさない。すると、蓮が手のひらに乗せた錠剤を意気消沈していたはずの千里が摘まんで口に含んだ。

「え?それ、葵君の……」

陽季が首を傾げた時、千里は葵に口づけをする。

最初は唇を触れ合わせるだけ。しかし、それでは薬を葵が飲まないので、千里は口を抉じ開けて舌を入れた。

つまり、濃厚な口付けを、だ。

「あの、千里君……えっと……」

恋人の親友と恋人と顔の良く似た双子の弟との熱いキス。

陽季は何となく立場がない。

「まぁ、手っ取り早くて確実だからいいよ。崇弥の親友だしね」

蓮はもう慣れたと言いたげだ。

「んっ……く…………」

そして、表情を引き攣らせた葵の喉が上下した。

千里の作戦は成功である。

千里は唾液が糸を引くのも構わずに唇を離すと、葵が息をしやすいように体の位置を変えてやる。

葵は脱力し、ぐったりとするが、若干、肌に赤みが差した。

千歳が桐の男として勇敢にも、戦意のない役人と対峙している背後で、千里は優しい笑みを残す。

彼は目に掛かる葵の前髪を掻き分けて額を出してあげていた。

「葵君はもう大丈夫みたいだ。それじゃあ千里君、陣魔法は使えるよね?」

180度違う話題に切り替えるのが早い蓮。

「あの……僕、陣魔法使えないです」

千里はどうにか蓮のテンポに付いていく。明らかに蓮が求めているであろう返答ではないが。

「君、基礎陣魔法とか学校で習ってないの?」

「軍は緋沙流だから陣魔法は最初の方に習うと思ったけど」と、蓮は葵の顔色を見つつ、ぼやいた。

「僕…………魔法制御の授業が他の人より沢山あって。……だから、陣魔法は習えなくて……」

正確には陣魔法の仕組みは簡単に知っているが、実践したことはない。同級生達が陣魔法の演習を行っている間、氷羽のこともあって魔法制御の授業を受けていた。

陣魔法を習うぐらいなら氷羽を制御しろと……。

「君は空間魔法だからね。そっか」

蓮の提案したことが否定せざるおえなくなったと言うのに、当の本人はあまり気にせず軽い調子で返事をする。そして、彼は鼻先を天に向けた。

「吟ちゃん……どうしよう…………蓮さん」

千里には何も策が思い付かない。

「君は葵君を守りたいと思っていてくれればいい。君の大好きな葵君をね」

「蓮……さん」

「最後はやっぱりこうなっちゃうか」

蓮の右手は高く空へと伸びる。


そして、ここら一帯を覆う結界が光の粒となって壊れた。


「結界が……あれ?」

「僕は早くいつもの日常に戻りたいんだ。だから、君を頼ってしまうよ」


「構わない。頼れよ」



白い獣に跨がった男――崇弥洸祈が蓮の頭上を飛び越えて現れた。

「洸!!」

「ちぃ、葵は?」

「大丈夫。……でも、吟ちゃんが……」

「二之宮、俺達に残された選択肢は?」

崇弥の護衛魔獣、蜜柑の2体の内の片割れである伊予から降りた洸祈は着ているパーカーの帽子を探る。

「選択肢は2つ。今、あの吟竜は千里君のお父さんに呼び出されたと思っている。だから、千里君に主の権限を移すために吟竜に事実を伝え、説得する必要がある」

「因みに、もう1つの選択肢は?」

「…………吟竜を消滅させる」

苦々しげに蓮は一言。

「吟ちゃんを消しちゃうの!?嫌だよ!!!!ねぇ、洸!!」

自分も危うく殺され掛けた身だが、千里は嫌だと首を振る。

「吟竜はちぃのお父さんからの形見みたいなものだよな。だから、絶対に消滅なんてさせないさ」

帽子から離れた手のひらには小さな琉雨(るう)。彼女はピョンと洸祈の肩に跳び移った。

「だけど、千里君は陣魔法ができない」

「なら、俺が教える」

「今から千里君に?」

「ちぃの魔法は空間断絶魔法。人一倍コントロールが難しい。だからこそ、ちぃは魔力のコントロールには慣れてるんだ。陣魔法は魔力のコントロール以外は簡単だ」

琉雨は背中の羽を消し、人間の少女と大きさになると、子供の遊びのように地面に指先で溝を作る。しかし、その溝は落書きではなく、対称に描かれた立派な陣だ。

「今夜はお月様の日なのです」

円形の陣の真ん中でしゃがむと、彼女は手のひらを地面から幾らか離して陣をなぞるように水平に動かした。彼女の手の動きに軌跡を作るかのように陣が光りだす。青白い光が溝から零れ、最終的に陣全体が光る。

そして、雨雲が琉雨達の頭上で分かれて散ると、月が顔を出した。

「旦那様、これでいいですか?」

「ありがとう、琉雨」

洸祈の頭を撫でてくる手に琉雨はこくりと頷く。

「ね、洸。吟ちゃんのこと消さなくてもいい?」

「お前が望むなら」

「うん!」

「じゃあ、少し待ってくれ」

もう一度フードに手を入れた洸祈は今度は黒い毛玉を鷲掴みしていた。そして、陽季の胸で眠る葵の膝にそれを乗せる。

「それ何?」

「金柑。起きろ、金」

クルルル……丸い毛玉はモゾモゾと震えると、小さな乳白色の爪のある黒い四肢が毛玉から生え、葵のコートを掻き分けて彼の体を上った。

くぅ……ぅう。

成人男性の手のひらより少し大きいぐらいの金柑は葵の肩に辿り着くと彼の顔を舐める。

「金、陽季と一緒に葵を用心屋に連れてってくれ。陽季、葵のこと――」

「分かってる」

「じゃあ、頼んだ」

喉を鳴らして体を大きくした金柑。陽季は葵をその背中に乗せ、自らも跨がると、葵を支えた。

「陽季さん!あおのこと、直ぐに迎えに行くから。あおに伝えて!」

「うん」

「金!行け!!」

夜風を切る金柑。

洸祈の掛け声に黒い巨体は跳躍する。

「行かせるか!あの魔獣を止めろ!!」

銃の先端が陽季の背中に向いた。迅速にだが、慎重に照準が陽季の後頭部に合わせられる。

しかし、


「陽季の頬と肩と腕、足……見えるとこで5ヵ所はあった。これ以上は許さない。てか、許す許さない以前に死ねよ」


緋色の瞳を光らせ、銃器を構えた男の足を引っ掛けて倒すと、洸祈は男の頭をスニーカーの靴底で踏んだ。

泥にめり込む男の顔。

「ぐぅっ!!!!」

鼻と口に泥が入り、噎せては足をばたつかせる。

「お前、私達に逆らうのか!!」

震えた声。

それは同じ格好で見分けのつかない政府代理人のものである。

「はぁ?裏切ったのはそっちだろ?嘘の依頼で囮にさせるとか、最低だ。それに、お前達は関係のない葵に依頼をしたんだ。覚悟しろよ」

「それはお前の弟から依頼を受けたいと言ったんだ!」

「…………それってつまり、あんたが葵に依頼話した人?」

とっくに金柑が森の奥に姿を隠したのを確認すると、洸祈の片手が叫んだ男の胸ぐらを掴んだ。男が咄嗟に押し黙ると、洸祈の眉間に深いシワが刻まれる。

「お前の指を一本一本ゆっくり切り落として、火炙りにして焼き爛れた肉で切り口を綺麗にしてやっても足りない。髪の毛10本ずつ引っこ抜いて、沢山の十円禿げ作ってから火炙りで毛根殺しても足りない。だから先ずは指を一関節ずつ切り落とすかな。いやいや、足首落として動けなくしてからかな」

長いライフルを構えられないような至近距離で洸祈は男の耳に囁いた。

男は噛み合わない歯をぶつけてはガチガチと鳴らし、空いている片手で洸祈の動かない方の腕を捕まえようとする。

「緊縛調律」

少女の高い声と共に、青白い光は男と洸祈の足元で幾何学模様の陣を形取る。そして、男は洸祈の手から滑り落ちて倒れた。

「旦那様、大丈夫ですか?」

「ああ…………悪い、琉雨」

「ルーは旦那様のブレーキです」

完治していない洸祈の手を握った琉雨は地に転がる男達を見下ろし、湿った空気を吸い込む。

「それに……ルーもこの人達には怒ってますから。この人達は他の人達の幸せばかり食べる。その幸せは皆が必死に努力してやっと得たものだと言うのにです。許しがたいです」

無垢だった少女は良くも悪くも成長した。しかし、これはもともと住み処を奪われた護鳥にはあって当然の感情であり、無ければ良いものでもない。

時には怒りも憎しみも必要である。

洸祈は腰を屈めて無言で琉雨を抱き締めた。


「蓮、ここは俺と千里、琉雨に任せてくれ。だから、お前は呉と一緒に大切な人を連れて家に」

「それが僕にできることなら。だけどね、肩は大事にしてね。君の大切な人の為に」

「……大事にする」

洸祈の隣の空間が歪んだかと思うと、小柄な黒髪の少年がそこに立っていた。

「洸兄ちゃん!」

「葵を助けてくれてありがとうな」

「はい」

その時、吟竜が声高々に咆哮する。

アリアスに往なされていた吟竜が不意に迫力を持った。

「洸っ!」

「呉、蓮達を家に連れてってくれ!」

「分かりました」

洸祈の足下が現れた火に呑まれたかと思うと、幾つかに集束し、火の玉のようになったそれは吟竜の頭部に当たる。吟竜の顔が洸祈を向く。

「こっちへ来い、吟竜!」

洸祈は再び小さくなった琉雨をフードに入れてから千里の手を取ると、緊縛調律で気絶した男の頭を容赦なく踏んで停車中の列車に駆け込んだ。





「旦那様、ルーの結界はもって5分です」

「5分あれば問題はない。千里、この紙を持つんだ」

「うん」

ポケットから2枚の陣紙を取り出した洸祈は既に描かれていた図形にボールペンで何やら付け足すと、千里に渡す。

「これは魔獣と意志疎通に使う陣紙と思え。注意して欲しいが、これを使えば吟竜を操作できるとかじゃない」

「なら僕は吟ちゃんに何て伝えればいいのかな……」

「それはちぃが考えるんだ。俺には答えられない。それに吟竜のことは俺よりお前の方が詳しいだろ」

「そうだよね」

陣紙を窓で屈折した月光に透かした千里。

「あと必要なのはお前の魔力と技術、血だ」

「血……僕の中の櫻の血?」

「この陣紙にお前の血を染み込ませる。俺が今から描くお前の補助用の陣にこれを置き、お前の血を染み込ませると同時に魔力を流し込め。で、そのまま魔力を陣紙から陣へと送る。そしたら、吟竜と意志疎通が可能になるはずだ。簡単だろう?先ずは魔力だけ流してみろ」

「やってみる」

目を瞑ると、千里は2枚の陣紙に集中する。

すると、仄かに陣紙が光り出すが弱々しく、時々、光が消えたりしている。

「……洸、どう?」

「落ち着け。焦っているぞ」

「だって……あおが」

陣紙は強く輝いては輝きが消えた。

それはまるで、千里の感情の高ぶりが直接反映されているようである。

「帰ったら抱擁でも何でもしてやるといいさ。何度も言うが、葵は大丈夫。先ずはお前が信じてやれよ」

「うん……僕のすべきは吟ちゃんにお父さんは死んじゃったんだよって伝えること。だよね?……帰ったら、あおから離れないんだから」

「期限未定の休暇をやるよ」

「…………ラブホ行っていい?」

「いい…………が、琉雨の前で言うな」

琉雨は吟竜を恐る恐る見ながら、洸祈を振り返ると頭上に疑問符を出した。

「気にしなくていい」

「あの、旦那様……あの人は……」

「いや、気にしなくていいよ」

「そこは気にしてくれませんか?」

優雅に座席に座ったリク・シノーレントは血にまみれたナイフで窓を傷付ける。

「大衆の前で俺を土下座させないと気の済まない小さい人間に興味ないし」

「ねちっこいとは君のことですね」

「ちぃ、どうだ?」

「……………………」

無視されたリクはつまらなそうにそっぽを向いた。

「何故、軍学校をやめたんです?」

「自分探し」

「ね、こんな感じー?」

「呑み込み早いな、ちぃ」

「うん!」

ニコニコと笑みを花咲かせ、千里は陣紙をペラペラと棚引かせる。洸祈も千里の頭を撫でていた。

「旦那様、結界が壊れます!」

「お前のことは守る。だから、吟竜は頼んだぞ」

「吟ちゃん、お父さんを探してる。探して……僕と一緒。ずっと探してる。教えてあげないと」

今度は千里が真実を教えてあげるのだ。

「琉雨!黒曜石!」

「はひ!」

腰の花柄ポーチから尖った黒い石を出した琉雨は洸祈に黒曜石を手渡す。洸祈は直ぐにそれを床板に滑らす。

ガタンと車両が震え、吟竜の胴がぶつかったようだ。

「洸、大丈夫?というより、凄いね」

「陣か?俺の十八番って奴だ」

カタカタと黒曜石を滑らし、数十秒で補助の中でも高度な陣を描き上げた。

「焦らず落ち着けよ」

「う!」

千里は腕捲りすると口にくわえたナイフに両の親指を押し付ける。一瞬、顔を歪めるが、ナイフを吐き捨てると陣の中心に立ち、目を閉じる。


「吟ちゃん、一緒に昔話しよう?」


千里は両手の陣紙を洸祈の描いた陣に押し付けた。







「…………っぁ……」

「葵君、もうすぐお家だからね」

「………………千里……」

「うん。千里君なら直ぐに君を迎えに来るからね」

「千里……ごめん…………」

「葵……くん……」

陽季は葵の涙を拭ってやった。

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