彼の選択(8)
『それが君の存在理由なのかもしれないね』
アリアスは立ちながら壁に凭れ、窓から流れる風景を見て言った。
『君は誰かに頼られたい』
それはつまり、俺は世話好きということだろうか。
確かに、小さい時は洸祈の世話を焼いていた。だけど、それは俺が世話好きというより、洸祈が単に頼り無さすぎただけだと思う。
本当の本当に、小さい時の洸祈は赤ちゃんみたいだったのだから。
『それか、君は崇弥洸祈に嫉妬している』
ああ……嫉妬か。
何となく、しっくりくる。
「俺は……嫉妬を……」
ロープでぐるぐる巻きにされ、砂で汚れた床に座らされた俺。そんな俺は洸祈に嫉妬している。
言われずとも分かっていた。だけど、実際に言われたら胸が痛くなる。
心の壁に爪を立てられている気分だ。
『“嫉妬”は人間らしい感情だよ』
たとえそうだとしても、同じ母親から生まれた双子なのに、兄の才能に嫉妬とは恥ずかしいだろ。
それに、俺は兄に手を引かれて生まれたのだから。
「………………」
『おや、黙ってしまったね。図星かい?』
図星だよ。
「アリアスさん、キエさんは準備万端だそうです」
屋根からまたもふわりと下りてきたリク・シノーレントは第三者の名前を出す。
どうやら、アリアスとリクだけでなく、キエという3人仲間のようだ。
人数が増えて益々厄介なことになっているが、俺は敵が2人だろうと3人だろうと構わない。アリアスに背中を取られた時から依頼遂行は諦めてる。
アリアスには勝てない。
『目的地も制圧できたし、あとは列車の旅を満喫するだけだな』
「はい。しかし、月葉さんは停車の仕方が分からず焦ってますが」
『月葉が運転?車掌は?』
「月葉さんがやりました」
車掌がいない?
それって、ヤバいよね?
俺、機械少女は諦めたけど、命は諦めてないんですけど。
『はぁ。月葉がなぁ……』
カミサマが溜め息を吐く。
「『このセクハラ親父、天国見たいなら見せてあげる』と言って、気絶させました」
列車に乗り込む前に見たが、車掌はオジサンみたいなオジサンだった。セクハラを働くなど、しょうもないオジサンだが、この状況で悪戯できるだけの度胸のあるオジサンだったらしい。
てか、アリアスの仲間が3人に増えた。
『最悪は強行すればいい』
強行って何すんだか。
思い当たるのは飛び降りなんだけど。
『弟君、到着まであと1時間強だ。ま、寛ぎたまえよ』
縛られて寛げるのはM属性の人間に限る。
『窓を開けとくから、自然の恵みを堪能しとくといいよ』
そう言って、窓を全て開け放ったアリアスはぽいぽいと転がる用心棒達を捨てて笑った。
これは……縛られて放置されてるだけマシなのかも。
俺は命の尊さを堪能していた。
「お嬢様、アリス様からお電話です」
「あら、アリスから?アリスは私が珍しく暇している時に電話してくるから好きよ」
長い金髪を高い位置で一つに結んだ彼女は執事から受話器をもらって深くソファーに腰掛ける。
「アリス。私、今忙しいのだけど」
ティーカップに唇を付けたりしながら、彼女は紅の瞳を細めて受話器に話し掛けた。
『東京から大阪行きの貨物列車で、政府が外部の強者雇って荷物守らせてるのって、今どこら辺にいるかな?』
彼女の事情にお構いなしで相手は訊ねてくる。
「荷物って具体的には?」
彼女はその無礼に怒ることなく聞き返した。
『兵器』
「あら、物騒ね」
『オズには無理かい?』
気遣う風を装った相手の声音。
分かりやすい挑発。
「私のダミーがぴったり1週間で解読できる暗号を作ってちょうだい」
『“ぴったり”というからにはぴったりですか』
「リアルタイムな実況が欲しいならね」
『…………期限をぴったり1週間にしてくれるなら』
「構わないわ。ぴったり1ヵ月でもいいぐらいよ」
『いえ、1週間で。まだ聞きたいことがありますから』
「何かしら?」
笑いを堪えながらも、肩と耳に受話器を挟んで軽快に指を動かす彼女は画面を見詰めていた。
『積み荷の具体的内容と敵の具体的戦力』
「………………」
すると、彼女は回線向こうの相手の言葉にぴたりと手を止める。そして、漆黒のドレスの中で足を組み換える。
「積み荷は兵器でしょ?それに、“敵”って何かしら?」
『兵器とはどんな兵器か。敵については、アリアス・ウィルヘルムです』
受話器を持ち直し、片手がマウスを動かした。
クスリ。
『……オズ?』
ブゥンと低く唸る換気音に交じって、「笑いました?」と訊ねる音声が冷えた室内に溶ける。
「あなたが外に関心を示す時はいつもそうなのね」
『そう?』
「ろくなことがない」
でも、愉快だわ。
計8つの画面の正面でキーボードを2つ操作する彼女は髪を束ねるゴムをほどいた。
「さぁ、アリス。やるなら盛り上げてちょうだいな」
彼女の指先のステップが徐々に早くなる。
お嬢様の外見には不気味な程爽やかな笑顔。
「世界はなんて、狭いのかしら!ねぇ、エリス!」
彼女は小刻みに震わせた喉で終始笑っていた。
「…………二之宮か」
陽季は受話器片手にベランダから広い庭を一望していた。
『お守り有り難う。ちゃんと、バイト料はあげるからね』
「夕食代にするし」
『要予約、三ツ星レストランのフルコースなんてどう?』
「そういうのは苦手だから、近所のファミレスに行くさ」
サンダルを履き替えて部屋に入ると、陽季は真ん中に置かれたベッドに腰掛ける。そして、大きな枕に埋もれて眠る彼の赤茶の髪を撫でた。
『崇弥は花より団子だしね。それがいい。あと、冷蔵庫の中身は好きにしていいよ』
「ああ。……洸祈、熱っぽいから風邪薬飲ませた。汗かいてるし、着替えとかないのか?」
冷却シートを額に乗せた洸祈の寝息は荒い。
『2階の一番大きい部屋のタンス。僕の寝室だ。そこから適当に。でも、下着は駄目だ。必要なら経費で買って』
「分かった。じゃあ」
『じゃあね』
ぴっとボタンを押して電話を切った陽季は受話器を壁の充電器に戻した。
「陽季……どこ……」
「ここだよ」
「いた……。いなくなってない」
愛しい彼は愛しい恋人を見て安堵し、手を握りあう。
「いなくならないよ。ここにいる」
重たげに瞬きする洸祈。
陽季は左手で彼の視界を塞いだ。
「怖い夢を……見た…………」
「洸祈?」
洸祈の陽季を握る手に力がこもる。
「女が…………俺は何か大切なことを忘れて…………俺は……」
「大丈夫。夢は夢だから。俺はここにいるから」
「そう……だよね」
「うん」
どこかで柱時計が鳴った。
17時。
陽が落ちていく。