彼の選択(2)
「まあ、一度病院でちゃんと診てもらった方がいいよ」
蓮は聴診器を鞄にしまう。
「ありがとうございます」
葵は蓮に頭を下げてからTシャツを着ようとして、
「あおのお肌……ハアハア……」
金髪美少年が彼の上半身に抱き付いており、
「キモい!」
洸祈が千里を拳で殴った。
「葵さん、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
葵は琉雨の頭を撫でる。
「ココアは歯肉炎予防になるらしいですよ。どうぞ」
「うん?……ありがとう」
葵は呉の頭を撫でる。
「これ、戦隊ものアニメ。先週の回は新キャラ登場だった。けばけばしかった。録画しといたから、今から見るか?」
「え?俺はアニメ見ないけど…………じゃあ、あとで見ようかな……」
葵は洸祈に苦笑する。
「ヒトには猿の名残である尾てい骨があるね。いっそのこと、このバイブで尻尾生やしとく?」
「……………………」
「変態が!」
洸祈が千里を雑誌で殴った。
「――ったく」
今日の葵は逆上せてぐったりだ。
ただでさえ、暑いのは苦手なのに、風呂場でやりたい放題していれば、ふらふらに決まっている。
「お前ら、場所を弁えろ。特にちぃ」
「はぁーい。今夜はベッドでする」
「葵のことを考えろ」
千里に裸体を拭かれ、衣服まで着せてもらった葵は動く気配はない。目を回して“何が何やら”な状態だろう。
「葵、大丈夫か?」
「…………うう……」
千里によって引き摺られている葵は重たげに俯いて唸った。千里はクスクスと笑い、リビングまでの道のりを今にも躍りだしそうな顔で歩いていた。
無理だ。
全身筋肉痛で、一挙一動が激痛を生む。
なのに、千里は俺の寝込みを襲うのだ。
「あお、今夜もどう?」
それは昨夜も聞いた。
ついでに言うなら、今朝もどう?を今朝聞いた。
「筋肉痛で痛いんだ」
だから嫌だ。
「SMプレイ好きでしょ?痛みが好きでしょ?」
残念だが、そこまでの境地には到っていないし、到りたくない。
「千里、夕食前にしただろ?」
「お風呂で石鹸?」
石鹸でもなんでもいい。
俺の体は限界だ。
「今日は眠らせてくれ」
「えー。じゃあ、一緒に寝ていい?」
いつもなら駄目だと言いたいが、
「それは構わない」
俺だって、できるなら千里と離れたくない。
「わーい。一緒のおふとんー」
それに、千里の心の焦りを感じたから。
「おやすみー、あお」
「おやすみ」
千里は俺のパジャマの袖を掴んで目を閉じた。
千里は俺がいなくならないよう見張っている。
失って、失って、やっと一つ取り戻せて……。
もう千里は失うのが嫌なんだ。俺を失いたくないんだ。
「ごめん……」
俺だってお前に失わせたくない。
だけど、痛いんだ。
手も足も頭も胸も。
痛くて痛くて、死にたくなる。死にたくないけど、辛いんだ。
もし、俺も知らぬ間に死んでいたら?
苦しい夢を見ていたつもりで、実際には死んでいたら?
きっと、悪夢はいつまでも続くのだ。
今、お前の腕の中で死んだら、俺は幸せでいられると思うのだ。
千里、怖い。
1人は怖い。
ひとりぼっちは怖い。
「葵、寝ないのか?」
薄く開いたドアから漏れてくる光に影が映る。
「…………洸祈」
双子の兄がベッドで体を起こしていた俺を見詰めていた。
今日はまだ私服だ。
「それとも、眠れないのか?」
「……うん」
「そうか」
洸祈は部屋に入ると、ドアを閉め、足元に気を付けながらベッドに近寄る。
「ちぃと二人で狭くないか?」
「いいんだ。千里って温かいし、一緒に寝たいんだ」
「よし、葵、先ずは布団に入れ」
洸祈に押されて、俺は大人しく布団に入った。
首元から千里の寝息が聞こえる。
「目を閉じろ」
言われた通りに目を閉じる。
スースーと千里の寝息が更に大きく聞こえる気がした。
千里の爪先が俺の爪先に触れると、千里の頬が俺の肩にくっついた。
「何考えてる?」
「……千里がよく寝てるなぁって」
「ああ。呆けた顔をしているな」
千里の呆けた顔か。
見たいな。
でも、目を閉じろって言われたし。
「ちぃは今どんな夢を見ていると思う?」
どんな夢を……。
「好きなものに囲まれてるんだろうな」
「好きなものって?」
「お菓子とか」
「そうなのか?ちぃ」
洸祈が千里に語り掛けているのかと思えば、千里が隣で唸り、もぞもぞと揺れる。
「んんん……」
「違うな。お菓子じゃない。お菓子を夢見てる顔よりもっと呆けた顔だからな」
何故分かるのだろう。
「じゃあ、昼寝してる夢だ」
洸祈じゃあるまいし。と、自分で自分にツッコミを入れてみた。
「そうなのか?ちぃ」
再度洸祈の質問が入る。
「……いたっ…………ほっぺつねないでよぉ…………」
「違うのか」
質問と言うより拷問みたいだ。真面目に答えて早く正解にしてあげないと。
千里が見ている夢か。
「……お父さんやお母さんと一緒の夢」
千里が夢見ていたのは家族3人で一緒にご飯を食べることとか、3人で一緒に寝ることぐらいなんだ。何も特別なことはなかった。子供として親の愛情に少しでいいから触れたかっただけなんだ。
「ちぃ、そうなのか?」
「ううう……頭叩かないで……」
「違うのか」
千里がかなり可哀想だ。
「しょうがないな。ちぃ、今どんな夢見てるんだ」
「いたっ!髪引っ張るなぁ!」
もぞもぞと俺の脇腹辺りまで潜る千里。
「ちょっと洸祈、千里が起きちゃうだろ」
「ふぇ……あおぉぉ、こーがあぁぁ」
「俺がちょっと意地悪すると直ぐに葵にくっつく。お前の夢はいつも葵か」
俺の…………夢?
今、千里の中で俺は何をしているんだろう。
千里を洸祈から守ってるのかな。
『あお、助けてよ!』
昔から千里は、洸祈がいる時は洸祈の背中に隠れるけど、洸祈が苛める時は俺の背中に隠れた。
俺は洸祈より弱い。千里も分かっている。だから、まず洸祈の背中に隠れる。
だけど、次に隠れに来てくれるのは俺なんだ。
それは現在も変わらない。
洸祈の次でも、俺より強くなっても、俺を頼ってくれるんだ。
優しいよ、千里は。
「葵の夢は何だろうな?」
洸祈は千里と額を付けて眠る弟を見下ろす。
「ああ、ちぃの夢か」
親友達は眠っている時は子供だ。
本当はいつまでも子供ではいられない。
でも、今夜はいいだろう?
「旦那様、電話です」
「今行く」
千里と葵の頭を撫でた洸祈は部屋を覗く琉雨を振り返える。
「至急と。急いでるようです」
「仕事か。琉雨、今夜は帰れないかもしれない」
「いえ。ルーも行きます。旦那様がお家に早く帰れるように」
「お前に夜更かしさせないよう早く帰らなきゃだな」
「はい」
もう時間がない。