彼の選択
葵が倒れたのはちょうど3日前になる。
そして、倒れてから3日経った今日も、葵は自分の部屋のベッドで静かに眠っていた。
「旦那様、お茶にしませんか?」
「んー……ありがと」
用心屋1階。
今日も来店ゼロの店内で、洸祈はぼーっと揺り椅子を揺らしていた。様子見に降りた琉雨の声にも反応は薄い。
花粉防止用に置いた空気清浄器3台の内、招き猫の小型清浄器1台を洸祈は手遊びしていた。薄暗い空間を口を半開きにして見詰め、肩を竦めて息を吐く。
琉雨は踏み台に乗って水を入れたヤカンを火に掛けると、洸祈のもとへ駆けた。そして、一瞬だけ元の姿に戻ると、洸祈の膝の上で少女の姿に戻る。
「旦那様、花粉症ってそんなに辛いんですか?」
「さあ」
「………………」
琉雨の始めた会話は終了した。
暫くの沈黙。
琉雨は彼女の膝の上で弄くる招き猫清浄器を見下ろすと、洸祈の手から奪う。
「………………」
「………………」
洸祈に変化はない。
琉雨は招き猫清浄器を洸祈の手に戻した。すると、完全停止していた洸祈の手が招き猫清浄器を弄りだす。
琉雨は再び招き猫清浄器を取った。
「………………」
「………………」
洸祈に変化はない。
琉雨は自分の拳を洸祈の手に乗せた。すると、洸祈の手が琉雨の拳を包み込む。
しかし、今度は琉雨が外そうとしても、ガッチリと捕まれた拳は洸祈の手から外せなかった。
「……旦那様、葵さんはいつ起きますか?」
「…………二之宮が言うには、葵は眠ることで体力の消耗を抑えてるんだって」
「自分を守っているんですか?」
「みたい。あれから毎日、二之宮が来てるだろ?葵に体力あげてるんだ。だから多分……もうすぐ起きてくれる」
それだけ言うと、洸祈は招き猫清浄器をテーブルに置いて琉雨を抱き締める。彼は自分の顔を琉雨の背中に隠していた。
ぽつんと置かれた招き猫清浄器を見下ろした琉雨は少しだけ頬を膨らませる。そして、遠くにヤカンから洩れる音を聞いていた。
カランッ……―
彼は今日も客が一人もいないことを見込んで正面から入った。格子の入った木の扉が背後でゆっくりと閉じるのを感じながら歩みを進める。
どれくらい歩いたろうか。
右手に鳥を模した色付きガラスがはまったドアがあった。
彼はなんの躊躇いもなく開ける。
ぎぃ。
蝶番が軋んだ。
「?」
何だろう。
ピーピーと甲高い音がする。
「ヤカン……危ないやんか」
「わりぃ。止めてくれ」
「なんや、起きてたん?」
「琉雨が寝てるから起きれない」
洸祈の腕に頭を乗せる琉雨はすやすやと寝ていた。
由宇麻はコンロを止めると、近くに準備されていた2つのマグカップにお徳用パックで紅茶を注ぐ。そして、今は使われていない暖炉前のローテーブルにカップを置いた。
「葵君、まだ起きんの?」
「ああ」
「千里君はお母さんにやっと会えたけど、素直に喜べへんな」
「ずっと葵の傍にいる」
葵の名前を呼び、葵の傍から離れない。
千里の母、千鶴は用心屋の掃除などをしたりと、呉や琉雨と過ごしている。寝食すら葵とともにしている千里に何も言わず、ただ彼をそっと見守っていた。
「でも、泣いてない。葵は直ぐに起きるって信じてるんだ」
「葵君は直ぐ起きる……せやな、葵君は時間きっかり派やもんな」
「そうだな……」
琉雨用のピンク色水玉マグカップに口を付けて紅茶を啜った洸祈は、由宇麻に自分用の赤色水玉マグカップを寄せる。そして、招き猫清浄器を見下ろしていた。
白く細い指先が葵の唇に触れた。
乾いている。
彼は自分の指を舐めると、唾液の着いたそれを再び葵の唇に付けた。そして、唇を撫でる。
赤くなる。
彼は指を離すと、膝をベッドに上げ、乗り上がった。
毛布の下で微動もしない葵。
彼は葵のパジャマの釦に指を掛ける。
1個……2個…………。
青いパジャマの釦を外しても葵は怒らない。
目も開けない。
「起きないとやっちゃうよ?」
と言っても、返事はない。
……………………。
千里は葵に抱き付いて眠った。
「起きて……早く」
あおの夢がよく見れないよ。
小さく口を開けていた。
触れると、乾いている。
彼は千里の唇に口付けした。
「おはよう、千里」
「おはよう……あお」