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啼く鳥の謳う物語2  作者: フタトキ
短編5
223/400

海の見える家(2)

あけおめです!

「どちら様?」


眼鏡の奥は冷えていて、俺はぞっとした。


このヒトは恐い。


それが俺の第一印象だ。





市橋(いちはし)です」

知らない苗字で陽季(はるき)は自己紹介し、女のヒトに頭を下げた。

陽季と似通うところがない。とか、少し残念だ。

「あー……春海(はるみ)さんの……名前は……」

「陽季です」

違うよ。

陽季は陽季の本当の名前じゃない。


“市橋”の名前は陽季じゃない。


なのに、女のヒトは思い出した風に笑顔を顔に貼り付けた。

「陽季君ね。お母さん達のお家に行くんでしょ?はい、鍵。窓は開けないでね。あと、鍵はポストに入れといてくれればいいから」

約7秒。

剥き身のただの鍵が一本。

一本きり。

鍵以外、何も……ない。

俺達の眼前で合金の扉は閉じた。

「……陽季…………」

何で?

何であんな態度なの?

陽季が何かした?

「ん?また坂道だよ。行こうか」

何で?

何でそんな態度なの?

陽季の心が痛そうだよ。



ぽんっ。



「ま……つのさん……」

「君が分かってあげていれば、陽季君はいいんだよ」

陽季に届かない俺の手。

松野(まつの)さんは俺の頭を撫でた。


陽季の背中が遠い……。




「陽季……あの……」

「ようこそ、市橋家へ。埃っぽいけど、窓開けられなくてごめんね」

上林(かんばやし)家から再び坂を上がること約10分。

奥之井市と呼ばれる山の上の市は閑静な住宅地だ。

不便な為か、家々の数はかなり少ない。その不自然に空いた間を埋めるように、花や木が植えられていた。

誰が世話をしているのか知らないが、美しいツツジだ。

煉瓦の小道があり、車道は車道で別にある。芝も整えてあるし。

そして、『市橋家』。

極普通の平屋だ。壁はクリーム色。煉瓦柄の線が入る。

庭は芝と椿。ここも整えてある。

俺は陽季に通されて、玄関に入った。

何だか明るい。と、思って見上げれば、吹き抜けの天井から光が射していた。

埃がキラキラしている。

「あがって、洸祈(こうき)。リビング行こう」

陽季は「床に埃が積ってる」と苦笑いして、つま先立ちで歩いていった。

俺と松野さんは陽季の後から付いていくだけだ。

「ここがリビング」


空っぽだった。


「陽季………………ごめん」

何か言わなきゃいけない。

でも、なんて言えば?

分からない。


…………言葉が出ない。


そしたら、陽季の腕が俺を抱き締めていた。

体が熱くなる。

目尻が震える。

胸が…………苦しい。

「っ…………あう…………あ……」

何か……何か言わなきゃいけないんだ。

なのに……―

「言わなくていい。洸祈の気持ち分かるから。だから、無理しなくていいんだよ」


ここは陽季とお父さんとお母さんの家なんだ。

陽季の愛する両親との家。

陽季を愛する両親との家。

沢山の思い出が詰まった家なんだ。


「ありがとう。お前は俺の代わりに泣いてくれてるんだよな」


陽季の胸の痛みに俺の涙は止まらなかった。


ごめん。とはもう言えなかった。




「洸祈ったらさ、松野さんもいるのに」

「だ、抱き締めてきたのは陽季からだし!」

「頑張って堪えてて痛々しかったんだよ」

それは陽季だよ……肩震えていたよ。

「おや?陽季君、この部屋……!」

松野さんが陽季より先にとある部屋のドアを開けていた。

勝手に失礼だと思ったが、陽季の瞳に光が射す。その顔は何かを慈しむ顔。

松野さんに続いて陽季が一際明るい部屋に入った。俺も続いて入った。



「わあ!」



サンルームと言うのだろうか。

ドアから入って正面一面がガラス張り。巨大な長方形のガラスが4枚並んでいる。光に溢れた部屋。

それだけじゃない。

窓ガラスの向こうには木でできたベランダ。


そして、海。


視界一杯に広がる大海原。

「凄い!海だ!」

一級のホテル以上の絶景がそこにはあった。

「天気のいい日はよくここにいたんだ。窓を開けて、父さんが新聞を読んで、母さんが切った果物を持ってきてくれて……皆でベランダに出てそれを食べて……」

陽季の思い出だ。


俺は迷わずに窓を開けた。


「洸祈君!?」

「洸祈!?」

『窓は開けないでね』だって?

ここは陽季達の家なんだ。

「行こう!」

行こう、陽季。

陽季の大切な思い出を探すんだ。

「ああ!」

俺と陽季はベランダに出た。


潮の匂いだ。

ここで陽季や陽季の両親は海を見た。

無限に続く空を見た。

遠くの鳶を見た。

「綺麗だね」

「うん。綺麗だね」

俺の手を握って、肩をくっ付けて、陽季は笑う。

懐かしむ顔で微笑む姿はとてもいとおしく思えた。

俺は陽季の思い出の中にいる。

また一歩陽季に近付けたと思ってもいいよね。




(うみ)君!!」




しゃがれても覇気のある声。

俺達はベランダの右側、裏庭を見た。

そこには、タオルを首に掛け、土で汚れた作業着をきたおじいさんがいた。

見知らぬ人だ。

でも、

「海君!!帰ってきたんだね!」

陽季に笑いかけていた。

「陽季、知り合い?」

越美(えつみ)さん。近所の歩道脇の花とかを育ててくれてるんだ。あと、この家の庭も」

知り合いなんだ。

なら……。

「『海君』って……」



「俺は市橋海。市橋幸哉(ゆきや)と市橋春海の息子です」



それは陽季の本当の名前だった。







越美さんに挨拶をし、越美さんも手伝ってくれながら、家の中を掃除をした。そして、岬にあった陽季の両親のお墓参りをした。

越美さんの家からお昼ご飯を陽季の家まで持ってきてあのベランダで皆で食べた。その後、陽季と越美さんは沢山の市橋家の思い出話を俺と松野さんにしてくれた。

事故の話も。


四国に旅行に行く途中、栃木の山間で乗っていた列車が脱線した。前日の激しい雨の影響で崖上の岩が落下し、運悪く列車にぶつかったのだ。

何の弾みか、やがて、ある車両から火の手が上がった。前日の雨とは無縁の晴天からの乾いた空気の夜、その火は山の木々に燃え移った。

あっという間だったそうだ。


後日、この事故は『泉野列車脱線事故』と呼ばた。史上最悪の脱線事故となって、多くの教訓を生み出したのだ。


『俺は父さんと母さんの体に守られていたんだ』

陽季は必死に父親と母親の名前を呼んだ。

岩に潰れた車両からは離れており、その時はまだ火災から免れていた。

『父さんも母さんも血塗れだったよ』

俺には想像できない。したくなかった。

陽季の呼び声に両親は目を開けた。そして、陽季と最後のゲームをしたのだ。

『あの窓から出て逃げなさいと言われたけれど、俺は嫌がった。独りは嫌だった。そしたら、ゲームをしようと言われた』


鬼ごっこ。


鬼は父親と母親。

『海、俺達から逃げなさい。父さんはそう言ったんだ』

だから、陽季は逃げた。

鬼から……両親から。

“死のゲーム”

『何故、父や母から逃げなくてはいけないのだろう。俺はそう思って引き返した』

そしたら、陽季は見てしまった。


炎と燃える車両。


誰かの悲鳴の中で、陽季は火に呑まれる両親の顔を見てしまったのだ。

『二人とも驚いた顔してた。そして、何か言ってから笑った』

だけど、俺には分かった。

陽季の両親の最後の言葉。



“あいしてる”



俺は泣かなかった。

だって、陽季が笑みを見せていたから。

陽季が愛している思い出話だったから。

絶対に泣かなかった。

話の最後にテーブルの影で俺の手を強く握るから、俺も握り返した。


陽季の思い出、ちゃんと俺が受け止めたよ。






帰りのバスの中。

隣に座った陽季が俺に凭れて寝ていた。

心地良さそうな寝息だった。


「洸祈君、やっぱり君は陽季君の大切な人だね」

前の席で松野さんがそう言う。

「もう陽季君は大丈夫みたいだ」

「最初から陽季は大丈夫でした」

俺を鳥籠から救い出したその時から、既に陽季は両親の死を克服していた。じゃなきゃ、俺達は出会い、こうして寄り添っていることはなかった。陽季は陽季の籠の中に、俺は俺の籠の中に一生いただろう。

「次は俺の番なのかな」

何も言わずに俺の番を待ってくれている陽季。

陽季が両親の死を克服した時のように、俺が克服するのを待ってくれている。

「俺、海って嫌いだったんです」

暗くて深くて落ちたら最後。呑み込まれ、沈むだけ。

「でも、あそこから海を見たら、俺の海に対する考えは間違っていたのかもって」


包み込む青。

そっと見守る青。


「大好きな陽季とおんなじだなって」

陽季の両親はきっと陽季にあの永遠に続く海のように育って欲しいと願っていたのだ。


「市橋海……陽季の大事な名前だ」






陽季のポケットには市橋家の合い鍵がある。

上林家に返す前に作ったのだ。

多分、いけないことなのかもしれないけど、言い訳したい。


あの家は陽季の家。

もう、二度と来ないとしても、あの家は決して上林さんの家じゃない。



俺と陽季だけの秘密だ。

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