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おかあさん

櫻編終わりっ^^

(あおい)さんっ!…………と……」

千里(せんり)君だね」


千里に肩を貸して貰って玄関を出ると、大きな噴水近くに一台の車と(あき)君と(ふゆ)さんがいた。

秋君が俺達の姿を見付けて兄の肩を叩く。そして、俺達に手を振ってきた。

「初めまして。俺は琴原(ことはら)冬。こっちは弟の秋。葵君や洸祈(こうき)君のお母さんの兄弟だよ」

軽く自己紹介をする冬さん。

(さくら)千里です……えっと……」

日が落ち、千里の寒さからくる振動を感じていると、秋君が察してくれた。

「兄貴、自己紹介は車の中でしようよ。葵さん熱あるんだし」

俺のことを俺より気遣ってくれる秋君は人付き合いで苦労してきたか、根から優しいのだろう。

「あ、忘れてた!悪化してはマズイ!後ろに乗って」

冬さんの天然は洸祈と似ている。

というより、今朝から一緒にいて分かったのだが、冬さんも秋君も、琴原家の人々は皆何処か天然だ。その血を継ぐ洸祈も天然さでは似ているのだろう。

そうすると、俺もか?

「はい、どーぞ」

後部座席のドアを開けてくれる秋君。

「ありがとう」

車内からの温かい風に俺は感謝しつつ乗り込んだ。

運転席には冬さんが既に乗っており、後ろに身を乗り出して自分のコートを俺に掛けてくれる。

「迷惑掛けてすみません」

「いや、俺の方こそ。葵君、困ったろう?寝てたら違う場所にいて」

そのことに冬さんの責任はないと思う。千里の足枷にと、まんまと捕まった俺の責任だ。

もしかしたら、俺を条件に、千里は無理矢理次期当主にされていたかもしれない。自惚れているつもりはないけど、千里は多分、俺を使われたら当主になったと思うから。

「はぁ……」

「葵君?辛いかい?薬あるけど……」

「いえ、大丈夫です。ちょっと気が抜けただけですから」

自分のいたらなさに溜め息が出てきてしまっただけだ。


ふと、千里が遅いなぁと思った時、


「千里」


冬さんでも秋君でもない第三者の声が聞こえた。


どこから?

外から。


誰の?




「…………千鶴(ちづる)さん……」



櫻千鶴。

千里の母親の声が、後部座席に座っていた俺の背後から聞こえた。

つまり、千鶴さんがこの車の後ろに……。

「おかあ……さん」

開きっぱなしのドアの前に千里が立っていた。

車内から顔は見えないが、千里の声が震えているのは分かる。

俺はいてもたってもいられず、反対側のドアを開けて外に出た。

そして、そこには白いコートに白いマフラー…………美しい女性がいた。


長い金髪。

翡翠の瞳。


間違いない。


でも、どうしてここに……。


「どう……して……」

千里が祖父に柚里さんの死の真相を告げられた時以上に驚き、困惑していた。

「お義父様から電話がありました。あなたに会ってほしいと」

千里の祖父が千鶴さんに……。

「だから会いに来ました」

千里と千鶴さんの距離は約10メートル。

近くて遠い。


俺はこの日をずっと待っていたはずなんだ。

でも、千里は……―


「僕は……会いたくなかった」


秋君も俺も千里と千鶴さんを交互に見ていた。

遠くて千鶴さんの表情は分からない。

千里も肩を竦めて俯いていた。


「千里……」

千鶴さんが千里の名前を呼ぶ。


しかし、

「僕はお母さんが嫌いだ!」

闇に響いた。


「…………」

千鶴さんは何も言わず、微動もしない。


「僕はずっと待っていたんだ!」


そうだ。

千里はずっと待っていた。


「だけど、迎えには来てくれなかった!」


ずっと……ずっと……寒くて寂しい闇の中で千里は待っていた。


「どうしてさ!!僕が大切じゃなかった!?」


大切に決まっている。

千里だって分かってるはずだ。

でも、これしか言えない。

だって千里は……―



「千里、愛してる」



ただ、その一言が欲しかっただけだから。




千鶴さんが千里を抱き締めた。

「あ……う…………」

「ずっと迎えに行けなくてごめんね」

「待ってたんだよ……」

待ち続けた母親の胸元に顔を押し付ける千里。千鶴さんは千里の頭を撫で、頬を寄せていた。


少しだけ背の高い千里が背中を曲げる。

少しだけ背の低い千鶴さんが踵を上げる。


秋君が嬉しそうに照れくさそうに車に凭れていた。

冬さんが運転席で笑顔を見せていた。

櫻宅から現れた洸祈と由宇麻(ゆうま)

由宇麻がもらい泣きしていた。

洸祈が声をあげて泣きそうな由宇麻を宥めていた。


俺は心の隅に固くなっていた何かが解れていく気がして……。


嬉しくて泣きたいのに泣けなかった。




手摺代わりにしていた車のドアから手が滑り落ちる。

屋敷から母子をそっと見守る千里の祖父とメイドが見えた。

星空が見えた。


何もない黒に俺は沈んだ。







「櫻(ゆき)さんには弟がいます」

「……どうやって……」

「知り合いの情報屋からです」

「信用できるとは思えないな」

常磐翼(ときわつばさ)。ごく普通の一般家庭の常磐家に生まれ、戸籍上、彼は常磐家長男。4年前に両親と死別しています。今はボランティア団体の力を借りて東京の大学へ。特待生枠として授業料は無料ですが、住んでいるアパートの家賃もあって、アルバイトを2つ掛け持ちしています」

「………………」

「姉を捜しています。4月27日生まれの魔法使いの姉を」

「!!……雪を見付けた2週間前」

「彼の実家は、ここ、東京にあった」

「それじゃあ、雪には弟が……」

「会いたくなったら、この番号に。友人の二之宮(にのみや)が出ると思います。二之宮は事情を分かっているので」

「………………何故、そこまでする?崇弥(たかや)が櫻に……」

「俺は親友の千里の為にしただけです。あなたが千里や千鶴さんの為に電話したように」

「…………!!」

「さようなら。櫻勝馬(かつま)さんと櫻由紀(ゆき)さん」

「貴様は本当に……」

「さようなら。崇弥洸祈様」




「待ってたのか?」

明かりの灯った廊下で司野(しの)が壁に凭れていた。

「腕。何かあって転んだりせえへんようにな」

階段を降りようとする俺を支えてくる。

こういうところは司野が超人みたいに見えてくるのだ。本人も気づかないことに鋭い。

捩じ込んでくるのではなく、俺の繭を溶かして入ってくる。そして、じわじわと俺の核に近付いてくる。

才能なのだろうが、俺はそれが怖い。

「はいはい。右の感覚ないし、不味いかなとは思うんだけどなー。病院行きたくないなー」

「だーめーや!病院行かんとか、絶対許さへんからな!」

そのままその台詞を返したら司野はどんな反応をするのだろう。

怒るかな。

困るかな。

それとも……。

「はい」

「なんや?………………これ……」

「お前のだろ?」

桜。

「池に落ちたはず……」

「櫻御当主と一緒に手探りで探した」

最初は「知るか」とツンツンしていたが、結局は軍服をびしょ濡れにしてまで司野が俺を守ろうと投げたものを一緒に探してくれた。

もし見つけたものが司野にとって何でもないものだとしても、一瞬、池を見て泣きそうになった理由が知りたかった。

「ありがとうな……」

桜をモチーフにしたそれは、司野がいつも肌身離さず首に掛けているネックレス。俺は司野がネックレスを首に掛けるのを見ていた。

桜のピンクと葉の深い青。

司野の枯草色の細い髪に似合う。

「これな、俺の初恋の人の形見なんや」

形見……もうこの世にはいないのか。

「そんな大事なものを投げて……」

「投げてまで崇弥を守りたかったんや」

眼鏡の奥、枯草色の瞳はズルい。

“そうじゃない”

“違う”

俺の否定を奪う。

「今は崇弥が大切な人やから」

酷いタラシだ。

だから恋愛っぽい恋愛ができないんだ。こんなこと言われたら男の俺だってホレる。

もしかしたら、司野は初恋を今も続けて……?

馬鹿馬鹿しいか。

「俺も司野が大切だから、あんな無茶やめろよ。軍人相手に突進とか、危険だ」

「言ったやろ?葵君探してたんや。それに、俺が無茶せえへんやったら、崇弥が危なかったんや」

まぁ、司野の言う通りだ。

「せやけど、ホントにありがとうな」

「俺もありがとう」

「いんや。俺は崇弥の代わりに二人を探しただけや。崇弥が説得してくれたから、千里君のお祖父さんは千里君に好きにしろってゆうてくれたんやろ?」

「あの人は最初から千里に罪悪感があった。俺はそれに素直になれって言っただけさ」

本当は櫻雪の手紙がなかったら、二之宮に情報をもらうこともなく、櫻勝馬の事情など気にも止めなかった。乱闘の末に、一方的に櫻勝馬の非を捲し立てていただろう。

しかし、櫻勝馬に手痛くやられた気がするのに、気づいたら形勢逆転になっていた。

刀には櫻勝馬の血。

『貴様……二重人格者か』

司野が投げたもの探してやっと見付けたら、櫻勝馬に二重人格説について聞かれたり。そりゃあ、見付かってちょっとはしゃいだと思うが、俺は二重人格ではないはずだ。残酷なところもみんな俺だ。

だが……なんかおかしい。

二重人格は否定したいが、俺の意識の外で俺の体が勝手に動いている。

そんなはずはないのに。

「崇弥?」

「え?…………あ……何?」

「…………いや。俺の車で病院直行やからな」

「分かった」

司野は頑固で誤魔化しにはそうそう引っ掛からないんだよな。




「綺麗な人や……」

夜風に緩かに舞う髪は僅かな光でも輝く金色。白いロングコートと白いマフラー。

「司野、あの人はちぃのお母さんだ」

「千里君のお母さん……」

千里が何か叫んでいる。

俯いて必死に。

そして……―



待ち焦がれた母親に、千里はやっと抱き締められた。



司野が小さく呻くと、口許を両手で隠した。溢れる涙を拭えず、けれど、この雰囲気を壊したくなくて声を抑える手は外せない。

俺は司野の頭を撫でてやることしかできなかった。



その時だ。

軍学校で無意味に培った反射神経が視界の端で素早く動いたものに反応した。

一台の車を隔てた向こうの男。


黒髪の俺と顔の良く似た弟。




「葵!!!!!!」


葵が倒れた。

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