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櫻(14)

雨が止まない。

止まないよ……。









千里(せんり)が地下の一室、柵の中で疼くまっていた。

「千里!!!!」

生きてるよな!?

動かない千里に、俺は柵に近寄ろうと壁沿いに近付いた。


しかし、


「千里様に近寄らないでください」

踵落としだ。

振り返った俺の脳天目掛けて真っ直ぐ上がった踵が……。

(あおい)君!!!!」

咄嗟に腕でその攻撃を受けようとした時、腰にしがみつかれて後方へ突き飛ばされる。

痛いが、頭よりはマシなので、彼を抱き止めて背中から倒れた。

由宇麻(ゆうま)!?」

知り合いの気配で抵抗はしなかったが、何故ここに由宇麻がいるのか驚きだ。

麦畑色の髪が俺の顎の下でふさふさしている。

と、



ドンッ!!!!



馬鹿でかい音と振動がした。

由宇麻が肩越しにパッと振り返り、口をあんぐりと開けている。その先は、さっき俺が立っていたところだ。

呆然とする由宇麻を退かして、俺は上体を起こした。

……………………。


「う……嘘だろ?」


メイドと靴と、溝。

爪先をコンクリートの床でならしていたメイドの足元には深い溝というか穴ができていた。

つい先程まで俺が立っていた場所が抉れているのだ。

削り取ったというより、コンクリートを押し潰した。

これはもう……―

「か、怪力すぎやろ!!」

由宇麻の言う通り。

てか、由宇麻が俺を突き飛ばさなかったら俺はあれを腕で!?

絶対に折れてたな。それどころか、骨が粉砕されていたかもしれない。冗談ではなく。

―本人に悪いが―非力なのに無茶をする由宇麻に心の底から感謝した。

しかし、千里が……。

地下牢なるものが現代日本豪邸にあるとは、ファンタジーであるまいし。プラスして、出入口にはごつい南京錠の掛かった扉。

その前にメイド。

最強の門番だ。

「千里君や!!大丈夫なんか!?」

ガシャンと柵を掴み、由宇麻が必死に名前を呼ぶ。

「分からない……おい、千里!!」

俺達と千里の差は約2メートル。

何もない殺風景なそこの隅で、美しい金髪が千里の体を這いずっていた。

直ぐ近くなのだ。

けれど、こんなに近いのに、触れることも声を聞くこともできない。せめて、無事な顔を見せてくれ。


「もし……千里様が起きても、その時は、千里様はあなたの知る千里様ではなくなっています」


この地下に響かず、すっきりと硬い声が俺の鼓膜を貫く。

このメイドは何を言っている?

俺はそう思った。

「どういう意味だよ!千里が俺の知る千里じゃない?だったら確かめさせろよ!」

「できません」

無表情なのに冷淡な顔。

白いブラウスに黒のスカートと白いエプロンのメイドは淡々と否定ばかりしてくる。

「千里様は記憶をなくされています」

「千里の記憶が……ない?」

言葉の意味は分かる。

“千里が記憶喪失”

だから?

だから何だ?

メイドは何が言いたいんだ?

千里の記憶がない?

何故?どうして?

「千里が言うことを聞かなかったからか?…………お前が……(さくら)が千里の記憶を消したのかよ!!!!」

俺は拳を振り上げていた。

メイドが女だとか怪力とかはどうでもよくて、覚悟して帰った千里への酷い仕打ちにムカついた。

“櫻だから”ではない。

人として、家族として千里にしたことへの怒りが頭の中を埋め尽くす。こんな衝動的な性格に生まれたはずはないはずなのに、俺は千里から泣くことも奪ったということに激情した。

一発殴らないと気がすまない。

「何が“櫻”だ!!」

「葵君!」

「由宇麻、放せよ!」

邪魔だよ、由宇麻。

「駄目や!崇弥(たかや)も腕折られたんや!危ない!」

由宇麻は俺は洸祈(こうき)より弱いと?

弱いさ。

だけど、こんな寒いところに千里を置いていけない。

「千里がどんな思いでここに来たか知らないだろ!俺はどうなったって、俺はあんなとこに千里を一生一人にはしない!!」

俺はどうなったっていいから、もう千里を苦しめたくないんだ。

千里がこの一分一秒に痛みを感じているんだ。流せない涙を痛みに変えてるんだ。



パシッ……―



初めてだった。

由宇麻の平手打ち……。

「ゆう……―」

「葵君は阿呆や!!!!」

由宇麻は弱いくせにくっついて離れない。邪魔で、押し退けられない。

卑怯だ……。

「葵君がどうなってもええやと?冷静になれや!葵君がそうやって千里君助けて、千里君に何が残るん?千里君は誰よりも何よりも葵君が大切なんやろ?葵君が助けても千里君はずっと一人のままや!」

『ちぃが望んでんの?』


……望んでない。

でも……―


「守るって……約束したんだ……」

俺は弱い。

けれど、千里も由宇麻も強い。

羨ましい。

「なら、崇弥からこれ渡されたんや。魔法の鍵。葵君が願えばきっと開く」

古く錆びた、いかにもな鍵。由宇麻が言いたいのは、これが牢の南京錠の鍵だということ。

由宇麻は固めた俺の拳を開いて、代わりにその鍵をしっかりと握り込ませる。

「葵君も千里君も一人にはさせへん」

にっと笑顔を見せて俺の前に立った。低い身長で堂々とメイドと対峙した。

小さいのに広い背中。

洸祈がなんやかんやで由宇麻に従う理由が分かった気がした。

由宇麻は大人で、冷静で、間違いは間違いだとはっきり言う。餓鬼の俺達が間違わないよう見守ってくれている。

深呼吸をした由宇麻。

「先ずは聞くけど、千里君の記憶がないとはどういうことや?」

落ち着き払った声で由宇麻はメイドに訊ねる。

答えるとは思えなかったが、彼女は答えた。

「千里様は氷羽(ひわ)様の力をお使いになられて記憶を消しました」

千里が自分で?

そうだとしても……―

「言わせてもらうけど、千里君が記憶消したのはそっちが千里君を追い詰めたからやろ?」

率直に由宇麻が言った。

俺より素直でメイドが逆ギレしないか少し怖くなった。

「はい。私達が追い詰めました」

しかし、メイドも素直だった。

「千里様に御当主になられるよう説得いたしましたら、千里様は記憶を消されました。千里様は自分は道具だから、選べないのなら自滅すると」

千里は道具なんかじゃない。

でも、ここがそうならざるえない状況を作り出した。

「千里君の気持ちを分かっていて、千里君を追い詰めたんやな」

「はい、分かっていました」

だから、俺という枷をここに連れてきた。

「どうしてや?」

「私は勝馬(かつま)様に仕えていますから」

勝馬――千里の祖父だ。

今の櫻当主。

息子も亡くして、身勝手だ。

「せやったら取り引きしようや」

「由宇麻?」

取り引き以前に、あっちは一方的に千里を人権を侵したのだ。それに、俺達に櫻が望む何があると?

「千里君の記憶戻したる。せやから、記憶戻った千里君に当主になっくれるか訊いてや。メイドさんの勝馬様の前で。その勝馬様がもし、もう当主にならなくてええ言うたら、俺達は千里君と帰る。もし、当主になれ言うたら、俺達は手出しせえへん」

「は?その勝馬様が千里に当主になれって呼んだのに、意味分かんないよ!」

結果が決まった取り引きじゃないか!

「分かりました」

メイドはOKする。が、勝ちだと分かりきっているに決まっているからだ。

櫻勝馬が千里に当主にならなくていいなんて、ここに呼ぶ意味がない。

櫻勝馬は千里に当主になって欲しいから呼んだのだ。

「ちょっと!由宇麻!何て取り引きしてるわけ!?」

「大丈夫や」

何がどのように大丈夫なのだ。

全然大丈夫じゃない。

取り引きを破棄しようとしたのに、メイドが牢の扉から遠ざかる。

メイドはその気になっているようだ。

もうメイドの脳内では成立らしい……。

取り引きしたからには、破ったら今度こそ全身の骨粉砕でお陀仏だ。

けれど、

「葵君、魔法の鍵や」

由宇麻には文句ばかりあるが、やっと……千里に近付ける。

扉の前で立つ由宇麻を見、由宇麻が返すように頷いた。

俺は南京錠を手に取る。

千里は牢の中で動かない。


『大丈夫や』

そうだ。大丈夫だ。


俺は鍵をそっと差し込んだ。

奥まで入る。回す。


カチッ……―



開いた。



「千里っ!!」

冷たい。

でも、生きている。

拍動している。

金髪を掻き分けると、色白の肌が見えた。

少し顔色が悪い。

それに、眉が中央によっている。

悪夢を見ているのか?

俺は強く千里を抱き締めた。

腕の中に……千里がいるんだ。

「千里君……生きておる。良かったぁ……」

由宇麻が目尻に涙を溜めて嬉し泣きをしていた。

「良かった……千里……」

でも…………記憶がないのか?

眠る千里からは分からない。

けれど、起こした時、「誰?」と訊かれたら?

「千里……」

由宇麻は俺達が千里の記憶を戻すと言った。

どうやって?

由宇麻が咄嗟に嘘を吐いたとか?

「よし、記憶戻さなきゃやな」

「そうだけど……どうやって……」

白魔法と讃えられる忘却魔法。“白”であるから、忘却魔法は“善”であり、そうすると、“悪”となる思い出させる魔法など聞いたことがない。

魔法の力では無理だ。

化学の力?

他には……―

「紹介するけど、彩樹君や」

………………アヤキ君?

俺は千里を抱き抱えたまま、紹介する相手のいない由宇麻の紹介に首を傾げるしかなかったが、

「由宇麻!?」

由宇麻ががくりと倒れた。倒れないよう腕を伸ばすと、由宇麻の手が俺の腕を掴んだ。

意識が戻ったかと息を吐いた時、得体の知れない圧力を感じた。

何かがおかしい。

ゆらりと何も言わずに立ち上がる由宇麻。

いや、由宇麻じゃない。

「誰だ?」

閉じられていた瞼が開いた。

枯草色の瞳が覗く。


「自己紹介するけど、ぼくはサイジュ。由宇麻に彩樹って呼ばれてる」


少し低めの由宇麻の声だが、由宇麻が纏う澄んだ気配はあの時と同じだ。

洸祈の言葉に現れた氷羽と同じ。


「カミサマ……」


「正解」

無表情ではなく、感情が見えない。そんな顔で彩樹は笑顔らしきものを作った。

「初めまして、葵。君の兄とは犬猿の仲だけど、君とは仲良くなれそう」

由宇麻の顔で言われても……。

それに、洸祈とは既に知り合いなんだ。

まぁ、このことを俺や千里に言うのは少し憚れただろう。理由は説明できないが、何とも言いづらい。

「あの、どうしてあなたは由宇麻と……」

千里は実験でと言われたことがある。あやふやで曖昧に千里はそう言った。

しかし、由宇麻は?

由宇麻は持病がある以外、おっちょこちょいでお節介な男気ある賑やかな俺達の家族だ。

「由宇麻が二十歳の時、ぼくは由宇麻と出会った。ぼくは由宇麻を気に入ってね。それからはずっと一緒」

しゃがんで千里の顔を見詰める彩樹。由宇麻の指が千里の額を撫でた。

真剣そうだ。

暫くして、彼が顔の筋肉を緩めた。

「千里は……」

「大丈夫。彼はまだ諦めてない」

また“大丈夫”だ。

千里は諦めてないとはどういう意味だろう?

「千里は思い出しますか?」

「ぼくの名は生命の源、大樹から来ている。ぼくは生のカミサマ。だから、ぼくにできるのはきっかけを作ることだけ」

きっかけさえあれば、それだけで十分だ。

「彼は深い眠りについている。壊れた記憶の中で。君が彼を呼び起こして。そしたら、きっと彼は思い出すから」

カクンと膝を折って座り込む彩樹。

違うな…………由宇麻だ。

「由宇麻、無茶させた?」

ふるふると頭を振り、由宇麻がくりくりした瞳で笑む。

「無茶なんかしてへん。さ、葵君、千里君を呼ぼう?」

「うん」

彩樹が触る前と比べて顔色が良くなっていた。表情も固くない。

けど、迷ってる。


帰るか。

帰らないか。


逃げるか。

進むか。



「大丈夫だ、千里。俺達がいる。俺達が傍にいるから、お前はお前でいていいんだ」




大丈夫。





お前の心の声を聞かせてくれ……千里。

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