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友が……泣いていた。


『馬鹿野郎……』


ごめんな。


お前のそんな辛そうな顔が見たくないから、沢山謝りたい。


けど、


無理だ。


『お前……奥さんのことどうすんだよ……』


愛している。


『お前……息子のこと……どうすんだよ……なぁ……』


愛している。



だから、



『二人をよろしくな…………』




『…………よろしく頼まれた』




ありがとう、(しん)







柚里(ゆり)は軍に殺された」

(ゆき)の二の舞となろうとしていた息子を守ろうとして。

柚里はいかにカミサマの支配が愚かか訴えた。そして、まだ千里(せんり)を道具にして利用する気なら、軍は敵だと叫んだ。

既に、柚里が直談判する前から軍での食事に毒が盛られていたとは知らずに……。

柚里は軍の罠に嵌まり、あっさり諦めたと言う軍を信じて軍の為に献身的に働いていた。しかし、最初から、軍は柚里を信じていなかったのだ。

「柚里は任地でろくな治療も受けられずに死んだ」

死を待つだけとも言える医者に放棄されたベッドに寝かされ、内臓を犯す毒に魘され……彼の最期に、彼の親友は息を切らして現れたらしい。そして、柚里はその親友に妻と息子のことを頼んだ。

親友の名は崇弥(たかや)慎。

彼は死んだ柚里をおぶり、私の前に柚里の冷えた体を横たえた。私は何となく死因を解っていても、崇弥慎に柚里の死の原因を押し付けようとした。

“柚里が死んだだと?”

“嘘だ!”

何度も何度も崇弥慎の顔を殴った記憶がある。しかし、崇弥慎はその理不尽な八つ当たりを無言で受けていた。目を閉じる眠ったままの柚里の横顔を見下ろすように、俯いて私の暴力を受け入れる。

『何故……何故!抵抗しろ!』

私は彼の反応に戸惑った。

寧ろ、いくら殴っても虚しさが、悲しみが大きくなるだけで……とうとう私は拳を下ろした。

柚里は死んでしまったのだ。

軍の繁栄を願わない裏切り者として殺されてしまったのだ。

柚里は……もう生き返らない。

拳を下ろして、冷静になる。


“柚里は死んだ”


頭の中が真っ白になった。




本当は千里に柚里の死の事実を伝えるのは私の役目だった。

“柚里はお前の浅はかな発言に命を落とした”

“お前のせいで柚里は死んだ”

そう、伝えるのは私しかいなかった。

けれど、私は事実を伝えるどころか、使用人にその役目を押し付け、『任務中の事故死』という偽りの死因を伝えるよう命令した。

もし、事実を伝えれば、千里に死因を擦り付ける前に、私は自分の罪を認めるということになるからだ。

そもそも、千里が軍に好き勝手使われているのは?


私が許可したから。



使用人が地下室の鉄格子の前で伝える。

最初、父親の名前に笑顔で鉄格子を隔てて使用人に駆け寄った千里だが、千里のすがるように持ち上がった腕は垂れた。

そして、


『パパが……死んだ?』


千里の目が完全に死んだ。



「そんな千里を見た時、千里の背後に雪を見た」

無垢で……全てをなくした空っぽの人間。

「私は千里を見るのが嫌だった」

あいつのあの目には確かに、柚里や雪の光を感じた。

そして、消える光も。

「千里の存在は……私の罪の象徴」

私が死ぬまで付きまとう二人の亡霊。

「“罪の象徴”……そうだとしたら?」

「?」

「あんたは自分の罪を認めた。なら、次は?」

「次……」

次があるのか?

私の未来はもうないのに。

「あんたが罪を認めたって、あんたが消した他人の大切なものは戻らない」

そんなの……―

「どうしろと言うんだ!戻らないから……私は罪を認めるしかないんだ!」

「千里に真実を言うんだろ!」

しゃがむ私の前には立って私を見下ろす崇弥洸祈(こうき)がいた。

彼は、私のところまで――柚里の故郷まで連れてきた崇弥慎と同じ目をしていた。

「千里は薄々勘づいてる。自分の父親は事故死じゃない。でも、本当の理由は知らない。その理由が知りたい。だけど、知るのが恐ろしいんだ。あんたに何でか分かるか?」

その答えは明らかだ。

「千里は自分のせいで柚里が死んだと思っているからだ」

もし本当だとしたら?

いや、本当だと思い、だからこそ知ろうとしない。

「子供ってのは他人の感情に敏感だ。素直なんだよ。だから、千里は周囲の人間のちょっとした躊躇いに気付いてしまった」

だから?

「千里は苦しんでる。そのせいで母親にも会えない。今のままだと、あいつは母親と一緒に父親の墓参りすら行けずに一生を終える。つまり、あんたは千里の未来も奪うんだ」

私が?

千里の未来を?

私の罪は“逃避”。

罪は“逃避”だった。そして、私はその罪を認めて死ぬんだ。

「また“逃避”か?」

「!?」

「あんたはまた逃避する。逃げて逃げて逃げて……死ぬまで逃げるのか?逃げ勝ち?」

嘲笑う崇弥。

高く大きな声で私を笑うのだ。

「私は(さくら)だぞ!逃げてばかりの小心者ではない!」

言ってからは遅い。

「“櫻”って口癖?千里は“櫻”って言われるのは嫌うのに」

柚里も嫌っていた。

「“櫻”はあんたを助けた?守った?逃げ場を作ったが、結果がこれだ。あんたの手には何が残っている?」


地位、名声……―


「………………………………千里」


その千里も……。

「『私は本当は全部覚えていました。私は軍に櫻の為にとパパに差し出され、見捨てられました。痛かったこと、悲しかったこと。何より、私はパパでもお兄ちゃんの為でもなく、櫻の為に見放されたことは――』」

崇弥の言葉じゃない。どうして、雪の言葉なんだ。

「『私の生きる意味が踏みにじられた気がしました』」

まるで雪と話したかのように……。

「『死にたい。そう思いました』」

そうして雪は死んだのか?

雪は櫻や私を恨んで自殺をした?

崇弥の突き付ける言葉が赤の他人のものとは思えなかった。寧ろ、雪本人の言葉として疑わなかった。

「『だけど、パパとお兄ちゃんと過ごした日は温かく、私は死ねなくなった。このままずっと幸せな日が続いて欲しかった』」

雪が死んだのは私の責任では?

「雪は私の行いに絶望を……」

「彼女は手紙を残していた」

「手紙!?」

彼女は何も残さずに自殺したはずだ。崇弥は嘘を?

「パパとお兄ちゃんとミカ君」

“ミカ君”は私達家族しか知らない。今では私だけ。

彼女が将来を誓った相手。

私は彼を『日比野(ひびの)君』と呼んでいた。

「……私が櫻当主となり、雪の望んだ暮らしを壊したから雪は……」

そういうことか。

やはり、原因は私。

「彼女の脳は毒に侵されていた。彼女が死んだ本当の理由は、彼女は自分が自分でなくなる前に雪のままでいたかったから」

「雪が?雪の魔法は攻撃吸収魔法。毒など……」

「魔法は万能薬じゃない。限界がある。彼女が攻撃吸収魔法なら、体内に長くいる有害物質に魔力を消費し続けていたはずだ」

「魔力が尽きれば……雪は魔法は使えない」

魔力の枯渇は魔法使いにとって、最も注意すべきこと。

「もともと軍の実験は無理を承知の実験だったんだ」

私は雪を見殺しにしたのか。

「私を恨みながら死んだのだな」

空笑いもできない。情けない自分に涙もでない。

すがるあてもない。

これが千里の気分か?

私には絶望しかない。

「彼女は恨んでない。彼女は、あんたが櫻当主となった理由を分かっていた。だから、彼女はあんたを恨んでなんかいない」

「嘘だ!」

私を恨んだはずだ。

じゃないと……私は許されてはいけないんだ。


カチャ。


銀色の刃が私の顎を上げる。

私は顔を上げ、崇弥洸祈に唐突に押し倒された。

薄暗い空と崇弥洸祈。

彼の顔には痛みが混じっているようだった。腕の傷ではない、見えない苦痛と闘う顔。

「これを見ろよ!」

紙切れ……いや、雪の……。

「『パパ、ママ、私を娘にしてくれてありがとう。お兄ちゃん、私を妹にしてくれてありがとう』。見えないか!櫻当主じゃない!彼女はあんたに感謝していたんだ!」

雪の字。

小さくて丸くて、柚里に教わったから『う』の形が歪で……。

「雪……っ」

「“櫻”がそんなに大事か?彼女の父親をやめて“櫻”で有り続けるのか?あんたの罪は“櫻”だよ!たった一つのあんただけの名前をなくしたことだよ!」

笑う雪。

泣く雪。

『父さん、ありがとう』

雪が自殺した時、泣かなかった柚里が、式に隠れて来ていた私に感謝した。

卑怯な私に雪も柚里も感謝するのだ。

子供達が“パパ”“父さん”と呼ぶのだ。

勝馬(かつま)さんは不器用だから、私が一緒にいて、皆があなたを誤解しないようにしてあげる』

小百合(さゆり)が私を“勝馬さん”と呼ぶのだ。

「あんたは“櫻”にあんたを殺されたんだ」

私は“櫻”ではない。

ならば……。

「私は……―」


「あんたは櫻勝馬。櫻雪と櫻柚里の父親。そして、櫻千里の祖父だ」


私は生き返られたのだろうか。名前を取り戻し、私は何でもない櫻勝馬になれたのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。

大事なのは雪も柚里も、もう生き返らない。死者は甦らない。

だから、私は生き返らなければいけない。それが、生者ができる死者への償い。

私ができる家族への償い。

「だが、千里は壊れてしまわないだろうか……自分を責めて……」

泣き虫で柚里以上に女っぽくって、傷付きやすく、同情ばかりし、我が儘で自分勝手で……。

「千里は壊れない。壊れても俺達があいつの心を死なせない。馬鹿やってアホやって……俺と葵と千里は3人で親友やってる。1人も欠けちゃ駄目なんだ」

柚里と崇弥慎。

二人はとても仲が良かった。

同学年の他の者より年上で“櫻”の名字。友達作りの仕方を知らず、病院で生きてきた柚里に学校は辛かった。けれど、そんな柚里と友になり、雪との会話に増えた崇弥慎の名前。

今、私の孫の千里も崇弥慎の息子達に笑顔を貰うのだろう。

『父さん、オレに何かあれば、千里のことを守って欲しい』

あの日、柚里が軍へ直談判しに行った日、帰ってきた柚里は玄関先で倒れた。助け起こせば、千里を軍に引き渡した張本人の私に千里を頼んできた。

もしかしたら、既に柚里は悟っていたのかもしれない。

自分の体は毒に侵され、長くはないと。

『千里に自由をあげて……』

そう、柚里は私に言ったのだ。

何故、私は忘れて……。

「私は崇弥が嫌いだ」

崇弥が憎い。

「崇弥は柚里を“櫻”から奪った」

柚里を完全に“櫻”から遠ざけた。

「嫌いで……羨ましい」

崇弥慎の私に向けたあの顔。

きっと柚里に向けた顔と同じ。


“こっちにこい”


臆病に逃げた私に手を差し伸べていた。

空に飛べる機会をくれていた。

凍り、動かなくなった羽を温める光。

二人の瞳に宿っていた光と同じ。


雪には愛した人に。

柚里には友に。


光を貰い、

二人は自由に空を飛んだ。


そして、二人は私を同じ空へ連れてこうとしていた。

失われた幸せだった日々のように。



「私に……父親の資格はあるのか?」






「あるさ。だって、あんたはもうただの櫻勝馬だから」


崇弥洸祈は私に手を差し伸べていた。

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