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櫻(11)

ぽたっ……。


血だ。




櫻勝馬(さくらかつま)の血だ。






コウキは踞る老体を傍らから刀を支えにして、見下ろしていた。緋色の瞳は冷めきり、無感情に弱らせた獲物を眺める。

「っ……(ゆき)……雪…………」

勝馬は同じ単語をいつまでも吐き出していた。

冬に降るその名を何度も。

「雪……雪……」

「雪ってあのメイド?娘に似たメイド作るとか、悪趣味にもほどがあるよ」

「違う……あいつには…………雪の脳を…………」

何かが喉に詰まったのだろうか。

言葉を止めた勝馬。

「自殺した娘に未練たらたらなんだ。あんたが彼女を死まで追いやったのに?」

「私が…………?違う!櫻の為に……櫻の……」

「“櫻”って、あんたは櫻を言い訳にしてる」

和やかな春の風の中で、コウキの発言に否定も肯定もしない勝馬。

いや、彼は応えることを拒否していた。

何枚もの重ねた布の下は誰にも見えない。彼の心も。

その時、勝馬の白くなった髪を見ながら、微かにコウキの瞳には同情の色が混じっていたのだった。

「確かに娘を差し出したのは櫻の為だった。あんたの父親の“櫻の為”だった」

「“櫻の為”……」

サクラノタメ。

「だけどさ、“櫻の為”に差し出された彼女の気持ちが分かるか?」


『私の生きる意味が踏みにじられた気がしました』


「“櫻の為”なんて、結局、誰の為でもない。あんたは“櫻”ってのを明確に示せるか?」

コウキが指を立てた刀の刃に添わせ、赤い筋が反りを描いていく。

「ありもしない“櫻の為”に生を否定されたら、どんな気持ちになるか分かるか?」

切っ先から溢れるかのような……血が木に染み込んでいた。

深く侵食してゆく毒のように。

流れた血は勝馬の軍服の裾から侵していく。


「『死にたい』」


毒は無慈悲に少女の体を侵した。







「雪を!?嫌です!父さん!」

「“父さん”?わしは“当主”だぞ!!!!」

「――っ!…………お父様……雪は私の娘で……」

「櫻の養女だ」

「だけど、雪は……」


亡き妻が拾い、愛した子。

柚里(ゆり)君と雪ちゃんは仲良し兄妹ね』


「お前はわしの跡取り、櫻の当主になるんだ!櫻の為なら娘だろうと差し出せ!」

“櫻の為”。

何て薄っぺらい言葉だろうか。

そう思っていたはずだった。

なのに、私は父に言い返しはしなかった。



「父さん!もうやめてよ!雪は体が弱いのに!」

柚里は私の部屋にずかずかと入ってきた。そして、開口一番に私に怒鳴る。

感情に任せてキンキンと……これだから餓鬼は。

「柚里、お前は櫻跡取りだぞ。“櫻の為”に雪は頑張ってくれているんだ」

「頑張る?雪、ずっと胸押さえて!“櫻の為”って、何だよ!父さんは雪を殺す気かよ!」

雪を殺す。

櫻の為に涙を呑む私にそんな言葉を向けた柚里にカッときた。

だから、

「ああそうだ!“櫻の為”なら私は娘も差し出せる!」

最も憎んでいた言葉を言ってしまった。

「あんたなんか雪の父親じゃない!!」

柚里は今までになかった大きな声で私の部屋を乱暴に出ていった。

私はそんな息子に言い返しはしなかった。



「雪……」

雪は塞ぎ込んでいた。

ごめん。

ごめんよ。

そう言えば、彼女が顔を上げてくれるならいい。だけど、彼女はもう私の言葉に反応もしないのだ。

「雪、ご飯をお食べ」

動かない肩を流れる黒髪に触れたい。

私を見なくていいから、せめて泣いてくれと……。

「置いていくよ。暫くしたらまた来るからね」

昔のように私の膝の上でご飯を美味しそうに食べて欲しい。

そんな資格、私にはないけれど。

結局、雪は私が彼女の部屋を出るまで何も言わなかった。



「柚里、病室を脱け出してばかり。熱も酷くなるだろう」

「来年は行くよ。行けばいいんでしょ。学校学校、軍学校。父さんと櫻の体裁の為に」

そっぽを向く柚里は反抗的だ。しかし、否定できない私は何なんだか。

“櫻”なのだろう。

妻はもともと体が弱く、僅かな気候の変化に体調を崩した。息子の柚里もまた、体が弱い。

現在、何やら肺炎を長々と患っている悪戯好きの柚里は入学延期状態だ。しかし、小さい頃は一切の運動は禁止とされたが、男の子だからか今では心臓も丈夫になり、軽い運動なら大丈夫だ。

そんな柚里だからか、柚里の魔法は後方援助として役立つ大型魔法だ。

それでも、他のものを傷付ける魔法に柚里は哀しそうに溜め息を吐いていた。

母親に似た優しい性格。


そんな柚里を私は誇りに想う。


お前ならきっと、大切なものを守れるよ。と。




「雪は私と妻の娘です!あなたのものでも櫻のものでもない!」

私は叫んだ柚里をはしたないと思いながら、主であり父に叫んだ。

もう堪えられなかった。

分かりきっていることを息子に言われるのも。

愛している娘を失うのも。

軍が何だ。

大切なのは軍より家族だ。

それが普通で、当たり前で、大事なことなんだ。

父は反対すると思った。

父や祖父、先祖達は今の軍での櫻の位置を手に入れる為に沢山のものを失っているからだ。

櫻は軍人一家。

沢山の人もモノも犠牲にして得た地位。

しかし、

「第5研究所に行け。お前の娘がお前を待っているぞ」

あっさり。

私は父の言葉に頭を下げて父の書斎を出た。


雪に会える。

やっと、父親として雪に会える。

お前に謝らせてくれ。

ごめん。

愛しているよ。


「父さん!!!!」

縁側を走る私に、柚里が庭から叫ぶ。

外で騒がしくするなと言いたいが、今はそれどころじゃない。

「柚里!雪と昔のように――」

一緒に暮らそう。

「軍が雪を壊したんだよ!!!!父さんが……父さんが雪を殺したんだ!!」

上着も着ずに寒いだろうに。心臓に悪いだろうに。柚里は目尻に涙を浮かべて女のように、泣いて叫んだ。

『私が雪を殺した』と。



「雪!!!!」

第5研究所。

雪は堅いベッドに座って、薄汚れた建物の白壁しか見えない窓を見ていた。

ワンピースから覗く膝小僧。腕。素足。

私は1週間の間に惨く窶れてしまった彼女に、頭の中が白くなってしまった。

「父さん!救急車だろ!」

人形と化した雪を抱き抱え、柚里が私に指示する。

私は震える指で救急のボタンを押す。

110、119……駄目だ。分からない。どっちだ?どっちでもないのか?

「代わって!!」

私に雪を抱かせる柚里。

柚里は素早い手付きで番号を押した。

柚里の荒い呼吸。

握った拳がワイシャツの胸元にシワを作る。

震える。

屈む。

堪える。

「柚里、大丈夫か?」

苦しそうだ。一旦横になって安静に……。

「雪を心配しろよ!!!!」

冷えて動かない棒人間になってしまった娘。

今にも倒れそうな息子。

私はどちらも失いたくない。

失うのは嫌だ。

「………………父さん……泣いて……」

何だ?泣いている?私が?

そんなはずはない。

私は次期櫻当主で……。

「父さん……オレは大丈夫。雪も……オレ達で守ろう」


私は雪と柚里の父親だ。


「ああ」


私と雪と柚里は家族だ。




雪を抱き抱える私。

倒れた柚里を乗せてずんずん進む吟竜。

「お前が柚里を選んだ理由が分かった気がする」

低く喉を鳴らして地面を這う竜はその昔、柚里を選んだ。

現れるはずはないと思った私の目の前で、『吟、友達になろう』と、天空を扇いだ小さな柚里の隣に降り立った櫻の守護。ずっと、私の呼び掛けにも応えなかった吟竜が幼い柚里には体を寄せた。

「柚里は櫻の誰よりも強い」

知能でも体力でも魔力でもない。

吟竜は柚里のほとんどの櫻の人間に欠けたあるものに反応をした。

「柚里には……失いたくないという意思がある」

失いたくないと思うから動ける。

失いたくないと思うから走れる。


吟竜は……―

「お前は失いたくないと思う柚里に手を貸したいと思ったんだな」

失ってきた櫻だからこそ、吟竜は私達の一族と契約した。

けれど、私達は諦めてきた。


失わないことを諦めてきた。


誰も諦めた人間に手を貸したいとは思わないな。


吟竜は前方を遮る窓ガラスを首を振り回して割る。

バリバリと裏の厚い足でガラスを踏みつけ、外へと出る。

柚里が失いたくない雪が少しでも早く救急車に連れていけるように。


違うな。


「私達を病院へ連れていってくれるのか?」

光り輝き、巨大化した吟竜は背中を私に差し出した。雪と柚里を胸に抱き、吟竜の背中に掴まると、一気に視界が高くなる。

広い羽は深く羽ばたく。

「私達はまた一緒に暮らせるか?私は父親になれるか?」

吟竜は咆哮する。

耳が痛い。

だけど、その一瞬で軍の敷地を囲う結界が割れた。


嗚呼……お前は進めと言うんだな。


「軍なんかざまぁみやがれ」


吟竜が、

家族がいるんだ。


「櫻なんかざまぁみやがれ」


櫻雪。

櫻柚里。


私の愛すべき子供達。

私の愛すべき家族だ。

前回の投稿内容が薄っぺらく、翌日も投稿したり。ということで、今度はもっと長くしたいです▄█▀█●

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