柚里
約1時間前ですが、投稿いろいろミスってしまいました。
読んだ人はわけが分からなかったかもです。すみませんm(_ _"m)
1週間、みっちり入った稽古の数々。
勉学、武道、舞踊、音楽、華道、作法、戦術……。
「お坊っちゃま、お稽古を始めましょうか」
毎日毎日、
「はい、先生」
名前も知らない『先生』に挨拶をし、
「もう少し……」
理想の“櫻”を求められた。
「はい、先生」
オレはただ与えられた課題をこなそうとしてきた。
小学校の帰り道、遊びの待ち合わせをして別れる同級生を尻目に、オレは家に向かう。
それが当たり前だと思っていた。
「柚里!遊ぼう!」
オレの名前を呼んでくれたのは父でも母でも『先生』でもなかった。
「こんなに天気がいいのに、勉強してたら損だ!」
問答無用で腕をぐいぐい引っ張り、オレを太陽の下に引っ張りだしたのは崇弥慎。
「………………慎……眩しい……」
「じゃじゃーん!柚里君、はっぴーばーすでー!」
太陽より眩しい笑顔ではしゃぐのは琴原林。
「はっぴーばーすでーって……誕生日は明日だけど?」
「天気予報だと明日は雨だから。今日に前倒ししたの」
紙コップにオレンジジュースを注いで渡してくるのは狩野千鶴。
「柚里、誕生日おめでとう」
儚く微笑む千鶴は、琴原の笑顔を向日葵にたとえれば、白百合だ。
「……ありがとう」
この三人に出会えて、オレは本当に幸せ者だった。
「お兄ちゃん、学校は楽しい?」
妹の雪はいつもオレの帰りを笑顔で待ってくれた。
「楽しいよ」
オレに手を伸ばす雪にセーターを肩に掛けて抱っこする。長い黒髪に隠れた細い体を壊さないようにそっと。
そして、縁側に座らせてあげる。
「お兄ちゃんが楽しい学校……雪もいつか学校に行きたい」
セーターを抱く雪をオレの上着に入れて体を支えると、小さくなってオレに凭れる。
「学校が楽しいのは友がいるから。オレは親友達がいるから楽しいんだ。雪もかけがえのない友達を作ろう。そしたら、学校に行かずとも毎日が楽しい」
「友達……雪に?」
「友達。雪が外に出れるようになったらオレが好きなところに連れてってあげる。それで、先ずは誰かに話し掛けてみよう」
“話し掛ける”の言葉に顔を曇らせる雪。雪はずっと家にいるから他人が怖いのだろう。しかし、「オレと一緒に」と付け足せば、こくんと頷いてくれた。
「雪……友達欲しいな」
「うん」
オレは雪の頭を撫でた。
「来週の木曜、櫁の娘と会いなさい」
オレを書斎に呼んだ父は唐突にそう切り出した。
櫁家は祖父の妹の方だ。
本家と分家の格とやらは小さい時から何度も言われてきたから、オレの頭の中には大きな家系図が出来上がってしまっている。
『櫁の娘』は櫁愛子。
「愛子さんに……ですか?」
正月に横顔だけは見たことがある気がする。
いかにもという感じの大人しそうなお嬢様。いい教育受けてますという雰囲気があった。
「櫻に魔法使いでない者の血を入れるのは気が引けるが、優秀だし容姿も悪くない」
それはつまり……。
なんだか嫌な予感がした。
「結婚前の顔合わせだ」
嫌な予感どころか、絶対にお断りだった。
“だった”はずだった。
「はい、父さん」
誰かオレを殴ってくれ。
お前は馬鹿だと言ってくれ。
「お前は馬鹿だ」
“来週の木曜”、愛子さんと会う日、オレは慎に電話していた。慎は冬休みの山梨の実家から数時間で、ゲームセンターでむしゃくしゃしていたオレのところへやってきた。
「けど……」
「千鶴はどうするんだ?」
“どうする”のだろう……。
「千鶴が好きなんじゃないのか?」
好きだ。
誰よりも彼女を愛してる。
だけど……。
「お前の好きは“だけど”で諦められるのものなのか?もしそうなら、俺はお前に失望する」
慎は踵を返してオレに背を向けて行ってしまった。
わざわざオレに会いに来た慎は、立ち尽くすオレを一度も振り向きはしなかった。
慎の背中が見えなくなった時、UFOキャッチャーで何も取れなかったオレの両手が不自然に軽い気がした。
「櫻当主様のお孫様ですよね。私、分家の櫁家長女、櫁愛子です」
いつからオレの名前は『櫻当主様のお孫様』となったのだろう。
それに、この人は毎度『分家の櫁家長女、櫁愛子』と自己紹介をするつもりだろうか。
「オレは……」
オレは何だろう。
『本家の櫻家なんとか、櫻柚里』?
その前に、『オレ』じゃなくて『私』か……。
艶々した黒髪。
ふっくらしたシミ一つない肌。
薄い化粧と口紅。
派手すぎず地味すぎずの服装。
理想の日本女性……和美人とか?
炊事も洗濯も知らない綺麗な手。
丁寧に丁寧に育てられた生粋の箱入り娘。
「櫻様のご趣味は何ですか?」
唐突に話が展開した。
“櫻様”か……。
「趣味?」
趣味は何だろう?
野球、サッカー、バスケ……悪戯とか?
言えないな。
「…………ピアノ……でしょうか」
嘘だけど。
父に言われて参加したコンクールでの賞状が何枚かあるが、ああいう座って指と足ばかりのは好きではない。
頭も体も限界まで使う悪戯ほどハマるものはないと思う。
悪戯は犯罪であってはならない。あくまで遊び。
誰かに取り返しのつかない損をさせてはならないのだ。
そして勿論、足がついてはいけない。
実行する体力と逃げる体力が必要だ。
「音楽ですか?私はフルートを少々」
和美人と洋美人を兼ね備えた和洋折衷美人か。
膝の上で手を組んだり解いたりと忙しない愛子さん。
多分、彼女は神経質だ。
オレのワイシャツが第二ボタンまで開いているのが気になるのかもしれない。
もし、彼女と結婚したら、彼女は益々この第二ボタンが気になるのかもしれない。
だらしない。直したい。
だけど、彼は“櫻様”だから。
『柚里、だらしない。ワイシャツのボタンは開けていいのは第一までよ』
千鶴はそう言ってオレの首元に手を伸ばして整えてくれる。
ぐちゃぐちゃなネクタイの結び目をほどき、普段はどうやってネクタイを結んでいたか考える。分からない。
ネクタイを自分の首に掛けて結び目を作る。出来上がる。
そっと外して背伸びをしてオレの首に掛けようとする。
『背高い……ちょっとしゃがんで』
腰を屈めたらオレの首に手を回すように……。
その腰を抱き寄せたら彼女はどんな反応をするだろう。
彼女の手を払い、顔を近付けたらキスしてくれるだろうか。
やんわりと止められるだろうか。
「…………櫻様?」
「え?あ………………」
ガラス越しに光の射す中庭を見詰めたままぼーっとしていたようだ。テーブル隔てた愛子さんが口を付けたコーヒーカップを置いてオレを見上げていた。
「心ここにあらずですね」
彼女はやんわりと不快感を示すが、テーブルの上に乗せた彼女の手がオレは気になった。
組んだり、ほどいたり。
ほどいたり、組んだり。
組んだり、ほどいたり。
ほどいたり、組んだり。
「櫁愛子さん」
「はい、櫻様」
『はい、先生』
いつも、
『はい、母さん』
いつまでも、
『はい、父さん』
オレはこのままか?
「今日は時間を取らせてしまい、すみません」
「え?」
「父が勝手なことを。迷惑を掛けてしまいました。今日のことはなかったことに。オレが約束をすっぽかして来なかった。そういうことにしてください」
オレはちゃっちゃと会計に向かう。
そして、唖然とする愛子さんを置いて店を出た。
店員が慌てて「お車のご用意を」と“櫻様”に過度なサービスをしようとするが、オレは断った。
だって、オレはジジイじゃないのだから。
「櫻様!」
愛子さんだ。
ピンクの鞄を手に、オレの背中に叫んだ。
「私……っ」
「オレも好きな人いるんだ」
組んだり、ほどいたり。
ほどいたり、組んだり。
彼女の薬指には跡があった。
まるで指輪の跡みたいな。
振り返って手を振れば、彼女は嬉しそうな泣きそうな顔をして小さく手を降り返してくれた。
「フラれた?」
「ん~……そう」
「じゃ、これ。恋のキューピッドちゃん。ゲーセンでゲットした」
紙の羽を付けた兎。目がでかく、キラキラしている。
兎の前足でどうやって射るのか分からないが、弓矢を一式背負っていた。
頭のリングはない。
「頼りないキューピッドだな」
「要らないのか?」
「貰う」
「あげる」
慎は家の近くの公園でブランコに座るオレにぬいぐるみをくれた。
「失望した?」
「して欲しかったのか?なら、してあげないでもない」
「はは…………馬鹿だけじゃ足りないよ」
「は?」
「殴ってくれよ、慎」
「…………………」
オレの膝からキューピッドちゃんを持ち上げる慎。
そして、
ぽすっ
オレは恋のキューピッドちゃんパンチを頬に食らった。
「…………………」
「キューピッドちゃんのパンチを食らうと新規の恋が逃げるんだ。痛いだろ」
オレの膝にキューピッドちゃんを戻すと、オレに背を向けて歩きだす。
どんどん遠くなる。
だけど、
「新規の恋なんていらない」
そうだよな。
オレも愛子さんみたいに叫んでいいんだよな。
「オレは千鶴だけを愛してるからな!」
止まってオレを待つ慎は親友だ。
「千鶴、好きだ」
「柚里……」
「父は許してくれないと思う。だけど、オレは千鶴が好きなんだ。オレが千鶴を守るから。だから……」
「俺も守るよ」
「私だって!頑張って、柚里君!」
「ちょっと二人とも」
慎と林が応援だか茶化してくる。
だけど、お陰様で吹っ切れた。
よし、言おう。
「…………………千鶴」
「はい、柚里」
オレの名前。
オレ専用の名前。
櫻じゃない。
“柚里”
「結婚してくれ」
「喜んで」