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櫻(7)

殺風景な和室だった。


隅に勉強机と簡素な木の椅子が一つ置かれているだけ。そして、入って真正面の窓からの光が装飾枠の隙間を通り、黄土色に変化した畳に影を落としていた。

細い花びらを何枚も重ねる一輪の花と、そこで翅を休める蝶。


今の今まで西洋式の豪邸の寒い廊下を走っていた俺は唖然とした。どこも新品のピカピカ。逆に、綺麗過ぎて萎えていたが、ここはとても変だった。


古風なスライド式のドアが現れて開ければ、和室。それも使い込まれた名残を残す和室。

触れれば砂のように崩れる壁の塗装。埃を被った天井から下がる木でできた籠の中の電球。日焼けした畳。

無機質なタイルと大理石に囲まれた空間とは異質な別空間。

きっと、ここは誰かが生活していた部屋なのだろう。

そして、その誰かの為にこの部屋は残っている。

取り壊されも、改装されもされずに、部屋はじっとその人を待っている。

ずっと。いつまでも。


勉強机を眺めていたら、机の下にもある本棚でそれを見付けた。

「…………写真」

写真立てだ。

純和風のこの部屋には似つかわしくない、プラスチックでできたそれ。幾何学な模様……黒地の上には水色の雪の結晶が散りばめてある。

そして、写真立ての中にはガラスの板を隔てて写真が一枚挟まっていた。

男と女と男。

青年と少女と少年。

青年は多分、櫻千里(さくらせんり)の父親、櫻柚里(ゆり)

耳が隠れる長さの黒髪と柔和な顔立ち。目元が千里にそっくりだ。そして、隣の少女の手を握って優しく笑っている。

黒髪長髪の美しい少女と黒縁眼鏡を掛けた無表情の少年は検討がつかない。

しかし、この少女と少年はどこかで……。

誰かに似ているような。


「あ」


写真立てを裏返した時、カランと中から聞こえた。

振ってみれば、カラカラと、確かに写真以外の何かが入っている。写真立ての裏は扉がついており、側面から見ると厚みがあった。

なんか気になる。

俺は興味のみで、この写真立ての持ち主の許しも得ずに、その扉を開けた。片手しか使えないので、開けるのにかなり手こずったが。


「…………………鍵?」

写真と扉の隙間にあったのは、ごく普通の鍵。

それと、紙切れ。

手紙か何かに近そうなそれを読むことは流石にいけないと思ったが、俺はある二文字を見てしまって読んでしまった。


それは“私”の遺書だった。



出てきた鍵の使用場所は難なく見付かった。

机の鍵付きの引き出しだ。

鍵穴にその鍵を差し込んで回すと、カチリと音がして開いた。

そして、引き出しを引けば、再び写真だ。

あと、鍵。

写真と鍵が入っていた。

今度の鍵は、錆び付いて赤銅色になっていた。だが、幸いにも、その下に敷かれた写真は裏面に鍵が乗っていて、錆で写真が見えなくなることはなかった。


引き出しの中で無造作に散る何枚もの写真には、千里の父親や少女や少年。


そして、千里の祖父。


そして、父さんもいた。




「………………千里」



なんてことだ。



千里の父親の死は…………。




柄にもなく、俺はそれらの写真を見て泣きそうになった。



ごめん。って千里に謝りたくなった。




「ごめん、ちぃ」








「何でお前がいる」

いつものことだが、この時はぎょっとした。そして、ムカついた。

こいつは毎度毎度計算したかのような登場をする。というより、計算しているのだろう。しかも、車椅子での移動時間も計算済み。

「そりゃあ、ここに来る理由は一つだろう?」

そりゃあ、ここは墓場だからな。

「だが、お前の知り合いは眠ってないぞ?」

「知り合いの知り合いまでは僕の知り合いだよ」

嘘つけ。他人と関わるのは嫌いな癖に。

「君に会いたくなったんだ」

「………………嫌がらせか?」

「やめてよ。僕は友人の墓参りを邪魔するような奴じゃない」

知ってるさ。

だからこそ、ムカつくんだ。

静かに墓参りができない。

「なら何しに来た?タクシーでわざわざ坂上がってきて」

「僕の友人が君に渡さなきゃいけないものがあるんだって」

「お前の友人……」

生憎と、俺は知り合いの知り合いは他人だ。

「お前の知り合いの知り合いに渡されなきゃいけないものなんてないと思うが?」

「あるよ。だって彼女が君に残したものだから」

“彼女”とあいつが指差す先、俺が今日、花を届けようとした相手の墓があった。

「…………本当か?」

彼女には何も残っていない。

俺に渡せるものも。

何もかも奪われたはずだ。

「うん」

あるはずはないのに、あいつはしっかりと頷いた。






「う、巧い冗談やなぁ……」

「冗談なわけないでしょう!」

一人は現実逃避。

一人は焦るだけ。

「現にマイカーはどこにもない!」

「マイカーより(あおい)君やろ!」

車の心配する(ふゆ)の横で、由宇麻(ゆうま)はようやく現実を受け入れた。


窃盗と誘拐。


冬と由宇麻がコンビニから帰ろうとして、その途中で息を切らす(あき)と出会した。事情を聞いても、単語を並べただけの説明に、二人はとにかく急いで駐車場に戻った。

そしたらこれだ。

「お前、携帯で知らせろよ。犯人見付けられたかもしれなかったのに」

「ケータイは中!くそっ!!あの――――で――な――――――野郎!!!!」

「秋君、口が悪い…………」

由宇麻が一社会人としてそう言えば、

「そうだ!あの――――――――――野郎!!!」

一社会人の冬は、やはり秋の兄だった。



「警察……いや、何て言えば……」

突然現れた親切にしてくれた人は実は窃盗と誘拐犯で、盗んだ車で親戚を誘拐して逃走した。

とは、冬にはそれを説明して警官に鼻で笑われる想像がついていた。

「嗚呼……保護者失格だ」

「なぁ、秋君。車、どっちの方行ったか覚えてへん?」

「駐車場出て右に真っ直ぐ」

「う~ん、もう少し情報ないと何も思い付かへんな」

公園のベンチでメロンパンをかじる由宇麻は、ぴょこんと跳ねた寝癖もあって子供みたいだ。隣に座る秋はちゃっちゃと昼飯を済ませて9つの野菜入りミックスジュースを飲んでいる。

「だけど、不自然なくらい唐突だった」

「そうやな。秋君中に居たのに盗もうなんて、それも葵君まで。まるで計画犯や」

益々迷宮入りしそうな謎で、由宇麻がぽつりと言ったその言葉に冬が反応した。

「…………………計画……」

「冬さん?」

「唐突じゃなくて計画なら……。重要なのは……葵君を誘拐すること……」

「…………兄貴、電話!」

神妙な顔をした冬に、秋が飛び付くように叫ぶ。その勢いに半ば放心状態で携帯を秋に差し出した。

「秋君?どないしたん?」

「車の場所は分かんないけど、俺のケータイの場所なら……あいつに聞く」

「『あいつ』?」

修一郎(しゅういちろう)か!」

はっとした冬が秋に期待の目を向ける。GPSだと気付いた由宇麻も目を輝かせた。

秋は番号を押して猫背になる。耳に付けた携帯。

三人は息を止めていた。

『はい。吉田(よしだ)です』

「修一郎!」

『…………秋!?あれ?番号変えた?』

「それより、俺のケータイの場所、調べろ」

『“調べろ”?……なくしたの?』

「どうでもいいから今すぐ調べろ!」

短気な秋は怒鳴る。

と、

『やだ』

「はぁ!?」

『僕、命令って大っキライ』

「――っ!!」

『なくしたならなくしたって言ってよ。理由なく言われたら、命令と一緒だよ』

囁かれる修一郎の声。

秋は唇を噛んでいた。

「……秋、俺が代わるか?」

冬がその表情に代わろうとするが、

「……………いい」

携帯を強く握りしめ、次の瞬間には肩の力を抜いた。

『あーき。秋の携帯の場所、嶋橋市2丁目の大森公園の南口から出て目の前の大きな敷地内だよ』

男にしては柔らかく高い声で修一郎はすらすらと言う。先の秋の無礼に拗ねたり怒ったりせずに。

「修一郎……ごめん。ただ、急いでて……」

『デート』

「え?」

『シースカイ熱帯水族館に行きたい』

「…………分かった。水族館な」

溢れそうになる笑みを圧し殺して、秋は一人頷く。

『丸1日だからね?約束だよ?』

「約束」

『うん。危ないことしないでね。それじゃあ』

「じゃあ」

電話を切った秋は、冬の待ち受けの実家に住み着くボーダーコリーメスのクロとその子犬達の写真を見て笑った。

「俺のケータイ、近いみたい」

「そうか。兄としてすまん」

「すまんな、秋君」

軽くだが頭を下げる冬。そして、缶コーヒーを啜りながら秋を見詰める由宇麻。

「な、何?」

あまり注目されるのに慣れていない秋は縮こまり、冬は返された携帯を懐にしまって立ち上がった。

「兄貴?」

「腹も満たされたし、水族館の為に行くか」

「は?」

「せやな。水族館やもんな。なら、葵君返してもらわなあかんな」

「えっと……司野(しの)さん?」

冬に続いて立ち上がる由宇麻。

「何言ってんの?」と秋が首を傾げると、二人は揃って秋を振り返り、満面の笑顔を添えて、


「でぇとだろ?」

「でぇとなんやろ?」


顔を見合わせた由宇麻と冬はご機嫌な様子で南口に向かって行った。

唖然とする秋は置いてきぼりにして……。





高い柵の内側には椿の木が隙間なく並び、視界を遮断する。そして、南口で立ち尽くす三人は真正面の巨大な門を見上げていた。


軍に尽くしてきた一族、(さくら)


その大豪邸が木々の奥から聳え建っていた。




「嘘やろ……」

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