言葉
葵の花弁は風に舞い上がる。
「慎」
鮮やかな金髪を揺らした彼女は彼の肩に手を置いた。
「…千鶴」
振り返り、顔上げた慎に、千鶴は翡翠の瞳を細めた。
「林は葵が大好きよね」
慎の隣にしゃがんだ彼女の長髪に花弁が触れる。
「ああ」
彼は花束を抱き締め直して言った。
「林、久し振り」
白い指先は刻まれた名前をゆっくりとなぞる。
…―崇弥林―…
「親友を置いて先にとは…意地悪ね」
「本当に」
苦笑いをした慎は葵を墓石の前に置いた。
「千里は元気にしてる?」
「してるよ。千鶴、会ってあげたらどう?」
「駄目。私は監視されてるんだから。千里を危険に晒せない。慎こそどうなの?会ってあげたら?一度でいいから」
「真奈に聞いたのか」
「……皆、意地悪ね」
千鶴は腰を下ろすと、曲げた膝に顎を乗せて前を見詰める。
慎も腰を下ろすと、曲げた膝に顎を乗せて前を向いた。
「もう一緒にお墓参りは無理かしら」
「これから柚里に会いに行こうと思うんだけど」
「私は行ってきました。もう会わないことを誓って」
「何処へ?」
微かに瞳を見開くと、慎は千鶴に訊く。
「千里をお願いね」
「千鶴!何処へ―」
「早くに憧れの父親を亡くして、母親には何一つ、母親らしきことをしてもらえず…愛情も注がれなかった。使えないと言われ、それでも、放棄と言う名の自由は与えられなかった。ねぇ、慎…」
千鶴は慎の唇に人差し指を当てると、涙を浮かべた。白い肌に透明な筋。
慎は黙る。
「私は日々、千里がヒトから離れて行くのを見ることしかできなかった。笑うことも、泣くことすら忘れて行くあの子を見ることしか……慎のお陰よ。あの子、笑うようになった」
「俺じゃない。洸祈と葵だよ」
「そうね。でも、連れ出してくれたのは慎。私、故郷に帰るの」
ふわりと立ち上がった千鶴は、慎に手を貸して立ち上がらせてやる。
「谷に?」
「谷に。私の家はもうないけど、林の実家に。春君のお手伝い」
「夏と秋と冬は?」
「夏君は寮生活。秋君と冬さんは都会に出たって」
「一人寂しいな」
「夏君と秋君は長期休みには帰ってくるわよ」
「そっか」
慎の柔らかい笑み。
千鶴はそれを暫く楽しそうに眺めると、慎の手を握ってゆっくりと二人で丘を下った。
「逃げられない…か」
「真奈さんのお願いだもの」
「慎、脱け出し厳禁だと言ってる―」
「いいだろう?最期くらい―」
べしっ。
晴滋は無言で慎の頭を叩いた。
「何だい?晴滋」
「こっちの台詞だ。慎」
二人の間に険悪な雰囲気が漂う。一触即発だ。
と、
「悪かった」
慎が謝った。
「…多分」
と、付け足して。
「それじゃあ、慎、晴滋さん、私はこれで」
「千鶴…」
呆れる晴滋の横で、慎は千鶴を呼ぶ。
「どうかした?」
「千里が泣いたんだ」
「…………」
「本気で」
「…………」
「嬉し泣きを」
「…………あの子は…」
今度は千鶴は嬉し泣きをする。そして、
「ありがとう…慎…本当にありがとう…」
「千里は二人の支えでもあるんだ。お互い様。こちらこそ、ありがとう」
慎は千鶴の頭を優しく撫でて笑みを溢した。
本当に童顔だ。
彼は枯草色の髪を揺らして、ベンチに腰を下ろしていた。手元には分厚い本。
「璃央に話を聞いた時からお会いしたいと思っていました。初めまして、司野由宇麻さん」
本を閉じて立ち上がり、深々と頭を下げた由宇麻に、慎は手を差し出したのだった。