櫻(4)
「司野、ここからは俺一人で行く」
「何でや!人を足にしといてよう言えんな!俺も行く!俺だってこのまま千里君と離れ離れはイヤや!」
車を一人で降りようとした洸祈に由宇麻がしがみついた。しかし、その手を洸祈は息を吐いて簡単に外す。
「俺も行くって言ったってなぁ……司野、行先は櫻だ。軍人一家だぞ?はっきり言わずとも、司野じゃ相手にすらされない」
「うっ……」
今回は由宇麻に反論の余地はなく、軽く彼にあしらわれて置いて行かれても、由宇麻は何も言えなかった。
遠くが白んだ空を窓ガラス越しに、ステアリングに腕を乗せた由宇麻は見上げる。
「はっきり言えば、俺は弱い。そうやろ?崇弥」
夜が明けようとしていた。
彼はクローゼットを開けると、ジーンズを穿き、無地の黒のTシャツに腕を通す。髪を揺らして素足で部屋を歩き、朝陽を遮るカーテンを開け放った。静まり、反応の失せた空間が光に震える。
そして、彼が窓を全開にしたことで、時間は動き出した。
「きみの願い叶えてあげる」
右腕に結ばれたリボンで髪を束ねる彼。彼はゆっくりと太陽に背を向けてドアに向かう。
「きみに自由をあげるよ」
彼の首筋で青いリボンが海のように光を反射していた。
僕は道具だった。
苦い水を飲まされ、僕はその夜は全身を駆け巡る痛みに冷えたコンクリの床をのたうちまわった。
その次の日、僕の魔法が痛みを薄くしてくれ、僕はまた苦い水を飲まされた。再び、痛みに苛まれた。
その次の日、僕の魔法が痛みをなくしてくれた。
そしたら、白衣の先生達は喜んだ。
祖父は僕の魔法を使えないの魔法と言っていたから、喜ばれて僕は嬉しくなった。
『この調子でもっと強力なのもやっていこう』
と言われて、苦い水で吐いたり意識をなくしても、僕が僕の魔法で守られる度に先生達に喜ばれて、僕は嬉しくなった。
ある日、任地から帰ってきた父に、僕は久し振りに会った。僕は父と沢山遊び、沢山笑い、僕は父に嬉しかった時の話をした。
そしたら、父は怖い目をして祖父のいる奥の部屋に行ってしまった。
あんな父は今まで見たことがなかったから、僕は悲しかった。だから僕は泣いた。
2週間後、父は仕事中に突然倒れてしまった。そして、病院に運ばれて治療を受けていた最中に死んでしまった。
と、父の遺体が僕の家にやってきた時、使用人に僕はそう聞かされた。
父が亡くなってから、3日は経っていた。
泣き止まずに動かない冷たい父に抱き付いていた僕を祖父は殴った。痛かった。
でも、僕が泣いたから父は死んだと言われて、僕は泣き止んでいた。
強くなれ。
そう言われて、僕は痛みに堪えた。
強くなれ。
そう言われて、僕は心を殺した。
強くなれ。
そう言われて、僕は道具になった。
軍保有特殊危険生物0001
通称『氷羽』
彼とは連れていかれた地下牢の中で会った。
僕と同じ瞳をしていた。
闇に熔けた髪の間から真っ直ぐ僕を見ていた。
僕らはすぐ友達になった。
1ヶ月後、祖父が僕に氷羽を会わせてくれた理由が分かった。
僕は氷羽をコントロールする道具として……氷羽を操作するための軍のリモコンとして……僕と氷羽は一つになる予定だった。
けれど、僕の魔法は強大な氷羽の力を抑えることはできなかった。だから、怒った氷羽に僕は消されるはずだった。
でも、裏切った僕に氷羽は逆に約束をした。
『これじゃあ、もうぼくらは友達になれないけど、それでも、千里はぼくの友達だったから。初めての友達だったから』
そして、僕らは…―
僕は氷羽に器を。
氷羽は僕に死を。
永遠の約束を交わした。
彼は規則正しい電子音に向かって歩いていた。
黒の暗幕を微かに通過する薄明かりの中で、彼はペタペタと裸足を鳴らして天井から垂れるレースをくぐる。
一枚……一枚、確実に音に向かって……。
彼の目の前にはベッドに横たわる老年の男がいた。
腕や足から伸びた管は今も電子音が鳴る機器へ。
そこに混じる酷くゆっくりな呼吸音。そして、雑音。
男の名は櫻勝馬。
「千里を苦しめてきたヒト、でしょ?」
ぼくの大事な大事な千里の自由を奪うヒト。
彼―氷羽は勝馬と機器を繋ぐ管を手に取る。
「千里のお願いを一度たりとも聞いたことないくせに、千里には自分の願い押し付けて……―」
千里はあんたのために今まで何度も大切なものを失ってきた。
母親も父親も友達も。
自由も。
千里自身も。
「餓鬼じゃないんだしさ、あんたの我儘がいつまでも効くとか思わないでよ。ぼくは我慢の限界だ」
氷羽は管を強引に引きちぎった。




