櫻(3)
ぼくは超単純で馬鹿。
友達求めて三千里してたら、なんかヤバいヒトに檻に閉じ込められた。
ここに入ったら友達になってあげる。
なんて言うから入ったら、そーゆーことになったわけだ。
今更だけど、
普通、疑うでしょ。
『飴あげるから付いておいで』じゃん。
今更だけど。
ヒトの作った檻なんて……って思ったけど、無理だった。ヒトはいつの間にかぼくの想像を越していたようだ。
しょうがないからぼくは無駄に広い檻の隅で体育座り。それか、床に転がって寝てた。
案外……寧ろ、新築みたいに綺麗だったからぼくはイライラとかなかったよ。ぼくはご飯くれなくても、お腹空いて死ぬとかないし。
でも、これがスゴく暇。
ぼくが、友達になってくれるって言ったくせにぼくを化け物呼ばわりした男を、結界だらけの檻の中でめったんめったんにしたから、檻の外から見物されるだけ。話すと死んじゃうみたいにぼくとお話してくれない。
超暇。
これもこれも、ぼくが超単純馬鹿だったからだ。
さてさて、季節は巡りに巡って……4000回ぐらい?
おめめパチパチの可愛いぼくは、季節が約4000回巡る前と変わらない美貌を保ってたんだ。
えっと、その時のぼくの研究班班長は日比野くん。ぼくより若い若い。てか、ぼくが地球で一番年寄りなのかな。
日比野くんはよくぼくとお話してくれたけど、殆ど、息子のミカちゃんの自慢。然り気無く話題転換しても、いつの間にかミカちゃんの自慢になってる。
ミカちゃんは偉大な科学者の才能があるとか。
親バカだよね。
ある日、日比野くんはヒトをぼくの檻に入れた。
友達宣言した裏切り者をぎったんぎったんにしたことはずっと語り継がれ、日比野くんも知っているはずなのに、嫌がるそのヒトをぼくの檻に入れるとか……日比野くん、鬼畜だよ。
そのヒトは背中を押されて、コテンとスッ転げた。ぼくより小さい手がべちんってコンクリの床を叩く。ぼくより小さい足が床に叩き付けられる。
痛そうだった。
ぴょんぴょん跳ねた肩ぐらいの髪は何だか眩しい色。白いワンピースから覗く肌はワンピースよりも白くて真っ白。
そして、小さな顔に大きな翡翠の目。
ぼくと一緒だ。
だけど、そのヒトの目に光はなかった。
日比野くんが誰かの多分名前を言うと、そのヒトはよちよちと柵に近寄る。
何するのかなって思ったら、柵の間からそのヒトの腕を掴んだ日比野くんがそのヒトの腕を……ナイフで切り付けた。
赤い……血。
日比野くんが手を放すと、そのヒトはぶっ倒れた。腕からは血が止めどなく流れる。
ぼくのお部屋が汚れた。
後で綺麗にしてくれるのかな?って思った。
死体って腐ると酷い匂いするから嫌なのに。
すると、だ。
死体が動いた。
でも、キョンシーではない。分かんないけど、キョンシーは架空生物(お化け?)でしょ?
でも、痙攣したそのヒトは床に手を突いて起き上がろうとした。
あんなに血を流して、死んだはずでしょって気味悪く思った。
そして、そのヒトは生き返ったんだ。
床に尻餅突いてぽけっとした顔で体を起こしたんだ。
………………キモい生き物だ。
ぼくらは同族と悪魔と魔獣とヒトとを見分けられるから、そのヒトがヒトじゃないことはない。なのに、まるでキョンシー……キモい。
「キモ……い」
あ、つい口が滑った。
すると、そのヒトは辺りを見、床に流れた血とワンピースの赤い染みを見てからぼくを見上げ…………。
「――――」
何も言わなかった。
そして、切られた腕をごしごしとワンピースの裾で擦る。ごしごしと血を拭う。
大きく開いた口で何かを叫び……でも、そのヒトの口からは音が聞こえない。
こういうの知ってる。
パントマイムって言うんだ。
このヒトは演技派だなって思ったら、拭ったそのヒトの腕は無傷だった。
不思議不思議。
確かに切られて血が出たはずなのに、傷口がない。
ぼくは自分の五感も第六感も疑った。
だって、そのヒトはヒトなのに、こんなのヒトの業じゃない。
変だ。
キモい。
その時、ぴとりってぼくの胸に何かくっついた。
それはキモいヒト。
小さなキモいヒトはぼくの顎の下で旋毛をゆらゆらさせて、何故か、ぼくの懐に収まった。そして、寝てた。
…………えっと……。
キモいけど子供だから、乱暴は嫌だし、それに、ヒト離れしたヒトは眠る顔は可愛いヒトだったから。
呆然として顔を上げたら、日比野くんがパチパチとぼくを見て拍手してた。
おめでとう。これから1ヶ月仲良くしてね。
って日比野くんが言った。ワケわかんなかった。
だけど、
君の友達だよ。
って言った意味は分かった。
どうやらこのヒトは、日比野くんが引き合わせてくれた友達らしい。
そりゃあ、長年待ち望んだ友達ができて嬉しいけど……こんなキモいヒトはヤダなぁって思った。
だけどだけど、日比野くんはそのヒトを置いていってしまったのだから、どうしようもない。
さて、しょうがないから、ぼくはそのヒトのぷにぷにほっぺをつついた。
「うう……」
あ……喋った?
そして序でに、ぼくはそのヒトの首を噛んだ。奥歯に力を込めれば、直ぐにその柔肌から血が出る。
「……っ」
痛みに堪えるそのヒトの目許。これはヒトとして当然の反応だ。
しかし、スッと傷口が消えたのは……キモかった。
マジで変な子供。
さてさて、ぼくはほっぺツンツンを再開。
そして、そのヒトは起きた。
「ねぇねぇヒトさん…………んーっと、名前は?」
ぼくが訊くと、
「―――」
パクパク。
分かんないし。こんなとこでパントマイムされても。
「……じゃあさ、ぼくの手を動かしてよ」
ぼくは床に指先を付けて言った。そしたら、そのヒトはぼくのおどおどと手に触れる。なんて冷たい手だろう……。
ゆっくりと、一画……一画。
床にできた歪な溝。
そのヒトの名前は……。
日比野くんが呼んでたのと同じ言葉。
『せんり』
「やあ、せんり。ぼくは氷羽。友達になろう?」
せんりはこくんと頷いた。
「絶対安静。お粥は琉雨ちゃんが作れるから、崇弥は薬飲ませて、寝かせて、汗かかせて、水分取らせて、寝かす。いい?」
「う、うん」
風邪は市販の薬と睡眠で治す。と、いつも言う葵の熱が一向に下がらない。
洸祈はいてもたってもいられず、二之宮に電話した。
「夜中にごめん」
洸祈は欠伸をした二之宮にココアの入ったカップを手渡す。そして、自分もココアの入ったカップを持って二之宮の向かいの椅子に座った。
「呼び出した後に謝らないでよ。そんなの今更だ」
「…………ありがとう」
「でもさ……」
書き置き1つで自力で崇弥家までやってきた二之宮は、しょぼくれる洸祈の髪を引っ張る。
「何?二之宮」
「千里君は?」
「………………………櫻がちぃを呼び戻して……」
手付かずのココアを見下ろした洸祈は深く溜め息を吐き、二之宮はふーん。と軽かった。それが洸祈にはカチンときたらしい。彼は、立ち上がってむすっとした。
「何だよ。そりゃあ、ちぃは……」
「“ちぃ”は、櫻のご長男様。だろう?」
「………………………」
「決めかねている崇弥のご長男様、崇弥洸祈よりいいんじゃないの?」
頬杖を突いてじっと洸祈を見上げる二之宮。
しかし、洸祈は視線を逸らした。
肯定あっての否定。
認めるけど認めない。
人間らしい矛盾だった。
「ったく、『親友なら親友のこと思って諦めろ』だけど、葵君の病気の悪化にも繋がるんだから、きっぱり言えないんだよね」
「病気……」
数ヶ月前から、葵は胸の痛みと息切れを訴えていた。由宇麻が苦しめられている症状に似たそれ。二之宮は「堪えきれないほど酷くなった時の薬だけ」の薬を葵に渡している。
この事を知るのは当の葵と二之宮、店長の洸祈だけだ。
そして、千里に知らせるのは、葵が拒んだ。
「病気に勝つのは結局、自分。ってよく訊かない?崇弥は分かるだろ?」
「先生がよく言ってた」
「精神病の薬は化学の力で無理矢理ハイにしてくれるだけ。だから、効いている時は気持ちい」
イヤな麻薬のような言い方だが、事実だ。
「そして、切れた時は…―」
「死にたくなる」
「そ。薬は症状を軽くするだけ。殆どの薬がそう。痛みを和らげるだけ。それも使えば使うほど効き目は薄くなる。違法薬物みたいだね」
どこか遠い目をした二之宮。
「結局のとこ、出血を止めるのも、痛みに堪えるのも、歩くのも……生きるのに必要なのは、血や神経や脳や骨、人間を人間足らしめる心や身体なんだ」
「葵にはちぃが必要なんだ……」
「いいや、違うよ」
「…………要らないと?」
二之宮の否定に洸祈は少しイラついたようだ。椅子に座って二之宮を睨む。
「大切なものを失ったり、それと同等のショックを受けた者は、とても脆弱に見えたりしないか?」
「……………見える」
その時、頷いた彼は寝込む弟を思い出していた。
「確かに、心の傷は病気を引き起こしたり、抵抗力を弱める。けれど、その現実を受け入れ、認めて話したり書いたりした人間は、溜め込む人間より健康だったりするんだ。つまり、今の葵君に必要なのは、千里君は櫻家の長男としてその役目を果たさなければならない。他人の家にとやかく言う権利はない。ということを認めること」
「だから諦めろ……ってことか?葵もちぃも互いが好きなのに?」
「さっきも言ったけど、“諦めろ”じゃなくて、“認めろ”ってこと。それに、僕なら好きな人に迷惑掛けたくない。違う?好きな人を困らせたくない。傷付かせたくない。千里君の気持ちなんか簡単に想像できるさ」
「葵は傷付いている!」
「僕が医者でもあるからかもしれないけど、心も大事だけど、身体が……命あってじゃないか。幽霊になっても抱き締められないんだよ?」
「…………………でも、俺は……」
洸祈は俯き、反論できずに固まる。
朝方、「行ってきます」と言った千里は最初から覚悟していたのかもしれない。強力な櫻の血を縛りにした魔法が掛けられていたとは言え、空間断絶魔法は千里を少しは守っていたはずだ。
千里がそれでいいと思ったから……。
このままではいけないと思ったから……。
葵が好きすぎる千里の気持ちなんて、痛いくらい分かっていたはずなんだ。
「迷惑なのは……千里がいないこと……迷惑掛けずに……俺から離れる選択をしたこと」
リビングに入ってきたのは葵だった。
「葵!寝てろよ!」
ぐらりと崩れる葵の肩を支える洸祈は病人に怒鳴る。
「俺……櫻家に行く」
「!?」
「千里に……言わなきゃ」
洸祈の手を払い、フラフラとリビングに背を向ける。
「葵!お前は熱がある!」
「煩い!洸祈はいいの!?あいつが自分勝手するなら俺は止めてやる!千里は……たった一人のお節介だけど大切な親友だ!!」
そして、葵はサンダルを突っ掛けて外へと飛び出した。