感じる意味。謝る理由。(8)
「んっ…………」
黒髪が肌を滑る感触を堪能していた俺は、唇を奪う女を見上げた。
白い肌。
長い睫毛に透き通った漆黒の瞳。
嗚呼……陽季みたい。
舌を絡ませてくるテクは中々のもので、つい返事をしてしまう。
「っ!?」
女が一瞬で身を引いた。
やり過ぎたかも……。俺、女だと手加減できないのか。
女性と寝るのは何年振りだっけ?
最近は…………あの人……だ。やだなぁ。思えば、あの人とが最後だ。
俺……陽季以外の男に触られたままだ。
「…………あの、ハルコ……さん」
「な、何?」
ちょっと女の人の中では低めの声。だけど、ハスキーはそれはそれで俺は魅力的だと思うよ。
「シャワー……いい?」
「は!?今からでしょ!?」
怒られた。強引かも。
「でも……」
べたべた触られたままの体をこんな真剣な人には……。
「“でも”何?」
どうしたら傷付けずに伝えられるだろう。
チャックに指を掛けるハルコさんはちょっと気が早い。こっちはまだノってきてもいないのに。
「……い…入れるのに……衛生上……汚いかなって…………」
「……………!!!!」
ヤバい。ハルコさんが真っ赤に赤面してる。
かなり可愛い。
「勿論、最善の注意は払うけど」
子供作っちゃった。
とか、分家の人間どころか、家族に殴り殺される。
ハルコさんは俯いてぷるぷる震えていて、思わずベッドに押し倒していた。
一応、“思わず”だから。
ハルコさんの焦った瞳。手足に力を込めたようだけど、俺に力勝負で敵うわけがない。
「ちょ……」
「シャワーまだだから、やれないけど……」
「こ、洸祈っ…」
やっと俺の名前呼んでくれた。
焦らしてるのかな?ツンデレちゃん?って思ってたよ。
大きな胸が衣服を押し上げて揺れている。
触りたい。
でも、触るだけって失礼だろうし……。
「一緒に……シャワー……浴びません?」
これって、女性へのお誘いの仕方に間違ってないっけ?普段は男の人にリードしてもらってるし。こんなもんでいいのかな。
うわあ……真っ赤な顔で身動ぎするハルコさんを押し倒してるって、俺、男っぽくない?いつもは俺が押し倒されてるし。
女の人に赤面されるって、俺の男度急上昇してるでしょ。
女役挽回のチャンス?
もう受け担当とは呼ばせないぞ。
俺、崇弥洸祈は攻めに転向します!
俺はむにむにするハルコさんの胸を肩口に感じつつ、ハルコさんを抱き上げた。
「はっ、放して!」
ここで放したら攻めじゃない。
脱衣場に連れ込み、ドアに鍵を掛ける。そして、慌てるハルコさんを床に下ろした。
「何するのよ!」
怒んないでよ。
ま、ツンデレだからいいんだよね?
俺なりにシチュエーション重視で、角にハルコさんを追い詰めた。
「……乱暴…………やだ」
うるうるの目。
これが女の武器か。俺は一撃必殺のそれに大ダメージを食らった。
攻め……辛し。
「乱暴……しません。ごめんなさい……。その……女の人とは全然経験なくて……」
「女とは?」
「……………」
あ、間違えた。
これじゃあ、女以外とは経験あるみたいじゃん!
「“女の人とは”ってどういうこと?まさか……洸祈…………」
歪んだハルコさんの顔。
どうしよ……。
もし、真実を突かれたら俺は「違う」って動揺もせずに言える?
やだ。言わないで。
俺、非難は堪えられる自信がない。
陽季が好きだから。
堪えられないよ。嫌だよ。
「獣と経験アリ!?」
獣………………………―
「は?」
言いたいことの意味が分からないよ。なんでだろ。
「駄目だ洸祈!そこまでの境地には行くな!お願いだから!俺で十分だろ!」
“俺”?
おかしいな。
幻聴が聞こえる。
ハルコさんは俺の肩をがっちり掴んだ。
その時、前屈みになったハルコさんの胸元から…………―
偽乳……だ。
「獣とか、読者は興奮しても俺にはグロいようにしか思えない!」
読者……偽乳……偽…………。
「まさか、お前のとこの白いでかい犬……色気のある奴だと思ってたが……あいつがお前を……!敵は身近に居たのか!」
伊予……偽乳……偽…………。
不憫だ。
「大丈夫だよ、ハルコさん。伊予柑は妙齢の女性だけど、乳は全然」
「伊予柑?……あの犬か。メスだったんだ。じゃあ、もう一体の方が……」
「凶暴だし、日夜男に興奮してるけど、伊予柑は美人で……えっと……」
「“男”ってお前にか!?オスにか!?」
「だから……俺が言いたいのは……―」
俺が貴女に言いたいのは……―
「貧乳でもハルコさんは美人で俺は好きだ!」
この際、巨乳じゃなくたっていい。大事なのは偽ってまで自分の女を高めようとした『努力』だ。俺が攻めになろうとしたように、結果ではなく『努力』が重要なのだ。
と、
(それって、自分は女役で受け担当って認めてるってこと?)
などと思ったら、
「俺は陽季だ!!いい加減気付けよ!ド阿呆!!!!」
俺は、ハルコさん――陽季に胸パッドで頬を遠慮なくはたかれた。
「司野ぉ……俺の癒し……」
「つまり、俺が一番小さくて抱き心地がええんやな。分かったから……ちょっと狭いんやけど」
3列仕様の大型ワゴン。
その最後列に3人はいた。
由宇麻、洸祈、陽季の順に並ぶ。
「なーにが狭いだ。俺は広いね。だだっ広いね」
陽季は窓際で由宇麻に抱き付く洸祈の横でふんぞり返っていた。
「それが二人……いや、皆との距離なんだよ、陽季君。遠いねぇ」
真ん中の列には董子、蓮、総一郎の3人で、董子に肩を借りてうとうとする蓮はポツリと答える。
「んだと、二之宮!!」
「あー……煩いなぁ」
「蓮様、どこか体調の優れないところはありませんよね?」
「うん。君が肩を貸してくれるだけで十分だよ。ありがとう」
蓮がバランスを崩したりしないよう抱くように支える董子は、色白の肌が更に血の気を引いたように見えて微かに腕に力を込めた。眠りにつく蓮を見守ると、彼女は後部座席を振り返る。
そして、
「駄目ですよ、お子様みたいにはしゃがれては。蓮様は眠っておられるんですから」
彼女はわーきゃーと騒ぐ精神年齢が餓鬼の三人をおしとやかな口調で諫めた。
「リク……アカデミーを首席で卒業したリク・シノーレント?」
「え!?リクさんを知ってるんですか?」
「職業柄、よく出会すから」
「洸祈、また男?」
「今はシアンさんと話してるんだから、陽季は黙ってて」
「……………浮気者!!」
シアンと語る洸祈にむっつりした陽季は居場所を失って、テレビ視聴中の董子と総一郎の間に座る。
『アンディ、あなた最近、冷たいわ!』
『おー待ってくれよ!僕が冷たいって?』
『そうよ!二人きりの時だけいちゃついきて、皆の前では素っ気ない!私じゃ不満!?』
『何言ってるんだよ、シェリー!僕は君が好きだよ!』
『好きとかそういうんじゃないわ!アンディは私が恋人だと皆に知られるのが恥ずかしいんでしょ!?もう、私達無理よ!!』
『あ!シェリー、どこに行くんだい!?シェリーぃいい!!!!』
~エンディング~
「しぇりぃぃいいー……」
気の抜けた声。
陽季がソファーの背凭れに頭を乗せて呻く。
「こうきぃぃいいー……」
気の抜けた声。
陽季が両手で顔を覆った。
「陽季さんって最高文化栄誉新人賞をいただいてましたよね。蓮様と一緒に生中継を見ました」
董子がやさぐれている陽季を少しでも褒めようとするが、
「二之宮がそれで俺なんかを尊敬するとも見直すとも思えないね」
益々、自暴自棄になるばかり。
「けれど、陽季さんなら貰って当然だと言ってました」
そこで、董子なりに真実を継ぎ接ぎして伝えると、
「…………二之宮って回りくどい奴だな」
ちょっと陽季の機嫌が治った。
「ええ。それに、憎まれ口は天下一品」
董子が陽季に同意してクスリと笑う。そんな二人の会話を聞きながら総一郎も隠れて笑った。
由宇麻の祖父の和菓子店『時雨』に寄り、一夜の世話に面々が挨拶をすると、千歳の執事、雅の運転で最寄り駅に向かった。
「えー一緒に帰らないわけ?」
「もともと今年の年末はこっちで過ごす予定やったんや。じっちゃんの墓参りも行きたいし。従弟のみちる君と会う約束もあるしな」
「いつ帰ってくる?」
「来年の1月4日やな」
「4日ね。土産宜しく」
「はいはい」
新幹線を待つ間、洸祈は由宇麻が大阪に残ると知り、名残惜しそうにした。そんな由宇麻の肩には漆黒の蝶が居り、羽を休める。
蓮が由宇麻と共に残らせた蝶の使い方に不穏な空気を感じて洸祈は顔を曇らせながらも、由宇麻の頭を強くかき混ぜて身を引いた。
「総一郎君、心配ばっかさせてごめん。でも、会えて良かった。また総一郎君のとこに遊びにいっていい?」
「その時は教えた電話番号で呼んでくれ。洸祈は駅まで迎えに行かないと迷子になる。俺も会いに行くよ。お前の大切な大家族に」
「待ってる」
洸祈と総一郎が互いの背中を叩いて別れの挨拶をすると、陽季がぬっと間に割り込む。
「迷子だった洸祈を拾ってくれて感謝する」
陽季は陽季なりに勘違いを詫びた。
「洸祈の傍から離れないでくださいよ、陽季さん」
「分かってる」
そして、陽季は洸祈を公共の場で抱き締める。そんな陽季を洸祈は剥がそうとしていた。
総一郎は車椅子に座る蓮に向き直ると、董子が気を利かせて離れる。
「蓮」
「僕は狼で構わないよ、総一郎君」
「俺も錯で構わない」
「錯、言いたいことは何?」
「清の背中のあれは狼の知るものか?」
「安心して……とも言えないね。でも、陽季君じゃない。夕霧にそんな悪趣味はない」
「夕霧は清を幸せにするか?」
「幸せにするかは分からない。でも、清は夕霧といられて幸せだ。一夜の存在は数知れないけど、夕霧という一個体をこれほどまで意識し、求めているのは初めてだ。多分、人生最長最大最高の恋愛中なんじゃないかな」
「なら、二人の幸せを祈ってやるか」
「祈らずとも神の力より夕霧の頑固なとこがいつまでも二人を繋げてくれるよ。あ、時間だ。董子ちゃん」
「はい」
ホームに新幹線が入ることを報せるベルが鳴り、董子が蓮に近付いた。
千歳と雅がさっさと新幹線に乗り込み、次に拗ねた陽季を背中にくっ付けた洸祈が見送りの由宇麻と総一郎に手を振ってから乗り込んだ。次に、駅員の手助けを借りて蓮と董子が乗ろうとして、
「蓮!」
総一郎が声を張り上げた。
振り返る蓮の透き通った紺。
「お前は立派な兄貴だ!」
蓮はヒラヒラと手を振り、視線を足許に移した。
蓮達が乗ると共に閉まるドア。
「蓮様笑ってます?」
董子が尋ねると、
「どうだろうね」
蓮は顔を上げた。