感じる意味。謝る理由。(6)
総一郎はそのあまり街中では聞き慣れない言葉に振り返った。
総一郎達が歩いている反対側の歩道の裏路地。自分達と同じく男二人。一人は慎重の低い童顔。耳に掛かる程の髪の長さと、小さな丸顔は一見、女の子と勘違いしそうだ。そして、もう一人は世にも珍しい銀髪(自然か人工かは分からないが)。瞳は黒く、その顔は何処かで見た覚えがあった。
「総一郎君?何見てるの?」
総一郎の同行者、洸祈は口を半開きで総一郎の肩越しに反対車線を見る。しかし、物陰に遮られて既に見えなくなっている。
「ん?あ……ああ。なんか、『エロ』がどうこう言ってる二人組がいたから」
「そうなの?『エロ』って、そんなこと公共の場で言ってるなんて単細胞で変態だ」
赤の他人と言えど、辛辣な言葉。無意識か故意かは判断がつかないが、清は昔からよくも悪くも素直だったと総一郎は思った。
「それよりさ、まだ?お腹空いた。もうお昼だし」
「洸祈が寝坊するからだろ?あと10分くらい歩けば着くから」
「総一郎君が車でぱーって連れてってくれればいいのに」
「俺だって昨日は飲み過ぎて抜けてないからヤダ。事故起こして愛車傷付けたくないし」
「そこは乗ってる人間の心配してよ。あー、腹減った。たこ焼きたこ焼きたこ焼きたこ焼きぃ……たこ焼き食べたいぃ」
「あと少しだからちゃんと歩けって。くねくねしてると余計に疲れるだろ?」
「うう……」
両手をだらんと垂らして歩く洸祈は総一郎に背中を叩かれて渋々背筋を伸ばす。
内側が毛でそれ一つでかなり温かい総一郎のパーカーを着る洸祈は、ぶかぶかで長い袖を絞っては伸び、絞っては伸びをさせ、結局、伸びきったまま袖をひらひらさせていた。手を袖に隠した姿は擦れ違う女性達に笑みを生み出し、洸祈は胸の大きい女性には特に笑顔を振り撒いていた。
へくしっ。
「洸祈、風邪?」
「え……あ、まあ。ごめん。最近の寝不足が祟ったかも」
「寝不足なんて体に悪い。ただでさえ、虚弱体質なんだし。また……夢見が悪いのか?」
総一郎が鼻を赤くした洸祈にポケットティッシュを渡すと、洸祈は虚ろに宙を見詰め、俯いて首を振った。
「ちょっと……まぁ…………雪が……」
「雪?今年は初雪はまだだな。もう1年は終わるってのに。雪がどうした?」
「ん?っとね、ま、あっちの事情で寝不足だから、安心してよ」
「あっち……?って、お前、誰とでもなんて馬鹿なことしてないよな!?」
「人生最長最大最高の恋愛してるから大丈夫」
袖から二本の指が出ただけのピースをする洸祈は総一郎に笑いかけると、たこ焼き屋の看板を見付けて駆け出す。
「そっか。大丈夫か」
総一郎は随分と成長した彼の背中を見ながら落ち着いた表情をした。
「俺か?俺は普通に家から大学と塾に通って、時折、友達と飲んで、休日は買い物したりしてるだけ。寧ろ、洸祈はどうなんだ?用心棒ってどんな感じに?御用改め?」
「黄門様?そんなカッコいいわけじゃなくて……守って欲しい人がいるなら無期限まで貸し出しますってぐらいだけど。弟と親友と勉強と居候中の男の子みたいな最年長と………娘の5人暮ら……―」
ごほごほっ。
総一郎はたこ焼きを待つ間、隅の二人席に座っていたが、お冷やに噎せた。
「総一郎君!?持病!?救急車!?大丈夫!?」
勢いよく立ち上がる洸祈の腕をテーブルに突っ伏した総一郎は掴む。
「いや、持病ないから。……救急車いらない。それより……」
「それより?」
「洸祈はパパなのか」
「……………自慢していい?」
言うか言わないかのところで、洸祈はズボンからパスケースを取り出し、唖然とする総一郎に突き付けた。
「…………でかい。お前、いくつで子供を……」
「可愛いでしょ。可愛いよね?」
有無言わさず洸祈はぐいぐいと総一郎の鼻先にパスケースに入った写真を近付ける。総一郎は寄り目になりかけて眉間を揉むと、写真を離して頬杖を突いた。
「自慢か」
「うん、自慢。名前は琉雨。美人だよね?」
「……美人と言うよりは可愛い」
「炊事洗濯掃除、全部完璧」
「完璧なだけであって、毎日家事だけさせてるわけないよな?」
「俺と散歩したり、俺と買い物したり、俺とドラマ見たり、俺と寝たりしてるよ」
「全部お前と……」
キラキラと目を輝かす洸祈。総一郎はその憎めない顔に苦笑いをしただけであった。
「お母さんもさぞや美人?」
「母体か……母体はどちらかと言うと厳しくて、俺じゃない主にはデレデレしてる」
ぶふっ。
ペーパーを掴んだ総一郎は吹き出した。
「総一郎君!?やっぱり、持病!?救急車!?大丈夫!?」
「お前の方が心配だ!!」
“ごほごほ”は“げほげほ”に変わり、遂には突っ伏したまま停止する。洸祈は総一郎の跳ねている茶髪を指先でつついていた。
「そーいちろー君、まだ、自慢したりないんだけど」
「ならそれ、私に聞かせてよ」
第三者の声に総一郎は顔を上げる。
そこには白い肌を覆う真っ黒のロングヘアーの女。ジーンズにジャンパーとシンプルだが、胸がジャンパーを押し上げて主張していた。
美女と言うより、切れ長の高圧的な目は肉食系に見える。
総一郎の趣味と真逆の彼女は総一郎と洸祈を見比べると、洸祈に向かって胸を突きだして洸祈の手に手を添えた。視線が胸元一直線の洸祈の肩がぴくりと跳ねる。
好意的な方で。
「パートナー交換、どう?」
「パートナー?」
彼女の提案にパートナーを探して総一郎が首を回すと、
「あ、あのっ……っと……」
少女はくるくるした髪に小顔を埋めて、耳を真っ赤にしていた。こちらもジーンズにコートだが、パッと見、草食系美少女だ。総一郎の趣味に合致している。彼は洸祈を振り返り、琉雨に似ている少女にどう反応するか観察しようとすれば、洸祈は胸でか肉食系に夢中だった。
「洸祈……」
女の子の好みは美少女。
女の好みは……胸でかのようだ。
「総一郎君、いい?」
「洸祈がいいならいいけど。彼女も……」
妻子持ちの洸祈は折れんばかりに首を縦に強く振り、少女は洸祈をチラと一瞬見てから総一郎に向き直ってコクコクと頷く。
「お、お願い……します」
「じゃあね、ユウコ」
そして、ユウコと呼んだ美少女に手を振った肉食系女子は半ば強引に洸祈を他の席に連れて行った。
「ユウコちゃん?」
「えっと……は、はい」
「これ、俺の連れの分だけど、あっちはあっちで注文してるし、たこ焼きいる?あ、俺の驕り」
ここのメニューはたこ焼き9割り、他にちょこちょこしたものだから、ユウコが食べたいものもたこ焼きだと思って総一郎は勧めてみる。
「ありがとうございます…………えっと……」
「吉田総一郎」
「ありがとうございます、ヨシダさん」
ぺこり。
はにかみ屋さんは総一郎に更に好感度を上げていた。
「気になるの?」
斜め後ろに座る洸祈達を窺うユウコに総一郎は水で口を漱ぎつつ訊いた。小さな口で愛らしく水を飲むユウコは俯いて首を左右にブンブンと振る。そして、暫く首を振ると固まった。
流れる沈黙。
「あ、えっと…………まぁ」
やっとこさ喋った声は囁くようで高音。
「あの子に捲き込まれた?」
「…………ハル…コは……友達です」
捲き込まれたようだ。
内気美少女は細やか過ぎて分からない胸を抱いて縮こまる。
「あのっ」
「ん?」
「こ……洸祈さんとは……どういう…………」
ユウコが必死に作った話題だろうか。総一郎はその話題を大事にすることにした。
「俺と洸祈は友達……ま、小さい時、近くに住んでた……他にも何人かいるけど、一緒に育ったんだ。でも、孤児とかじゃないから」
「そう……ですか」
「俺の方が年上だし、洸祈、何処か危なっかしかったから、つい最近、久し振りに再会して、世話を焼いてるところ」
「幼なじみ?仲いいですね」
「そうかな。俺達の中で最年少よりも幼かったから、皆洸祈を甘やかして……それが今も変わらなくてほっとけないだけ……かも。洸祈、迷子中なんだ。泊まってた場所分かんないらしい。もう二十歳過ぎてるはずなのに。ほら、何か世話焼きたくなるだろ?」
クスクスと笑うユウコに総一郎は話題となった洸祈に感謝する。実際、さっき言ったことは事実だ。
「分かります。私とハルコは……仲悪いです」
ユウコは見た目に寄らず、言うときは言うらしい。そこまでばっさり言われると悪口には聞こえない。
「ハルコちゃんとはどういう関係?」
「ハルコ、強気な性格で……だけど、洸祈さんと同じで危なっかしくて。夢中になると、それだけを見てて……かっこよくって、負けず嫌いで……見てられないけど、ほっとけないです」
ユウコはうんうんと頷きながら、コップに付いた水滴を指で拭う。
「ユウコちゃんはハルコちゃんが好きなんだ」
「う…………うん」
健気な乙女はより一層可愛さを増していた。
洸祈との昔話をもっと聞きたいと言われて、“仕事”には触れないように総一郎は過去を思い出しながら語っていた。ユウコは緊張が解けてきたのか、俯き加減だが、話の合間に質問したりと、会話の回数が増えてきた。
そんな時、ふと総一郎の視界の隅を横切った二人。
「洸祈?」
洸祈とハルコが会計に立っている。つい、ハルコのパートナーであるユウコを見れば、青い顔をしていた。こちらも洸祈の宿泊場所を探さなくてはいけないというのに……総一郎は二人を引き止めようと席を立つ。
が……―
「ユウコちゃん?」
ユウコが総一郎の腕を掴んで引き止めた。
「ハルコちゃん、いいの?」
洸祈がハルコと消えてしまう。
ユウコやハルコを疑いたくないが、洸祈は女運が最悪だ。かつ、騙されやすく何でもかんでも信じてしまう。
知り合ったばかりの女と二人きりにはさせたくない。
女の胸に弱い洸祈を完全に見失った時、ユウコは立ち上がって通路に出、深く深く頭を下げた。
「なん……だよ、ユウコちゃん…………二人はどこへ……」
「ら…ラブホテル……」
「え?」
聞き間違いかと思ったが、店内の空気は止まっていた。
そして、
「二人はラブホに行ったんや!」
大阪弁のユウコは枯草色の瞳で真っ直ぐ総一郎を見上げた。




