一般論(6)
「お姫様、起きて」
ダルい体を抱っこされる。
「うっ……」
「着いたから少し歩くよ」
支えるように然り気無く腰に回された腕が優しい。
てか、優しいばっかりだ。
「うん……頑張って歩く」
「よし、行こっか」
「鹿児島行きのです」
男はチケットを受け取ってポケットに突っ込んだ。そして右手を差し出してくる。
「こっちだよ」
「あ、うん」
その大きな手のひらを俺は強く握った。
「鹿児島に着いたらそこの熱、出してあげるからね」
さすっ。
「あ……やっ」
「中途半端にしてごめんね」
やっぱり行こうと途中で連れ出されたのである。
「鹿児島まで……何分?」
早く…。
「えーっと、120分くらい。待てない?」
早く…出して。あなたはそんな意地悪な人じゃないはずだから。
「しょうがないなぁ」
優しい人だ。
「一人で出来るよね」
蓋を下ろした便器に座った男の膝に座らされる。
なんでだろう……。
怖い。
「で…き…っ」
「ほら、頑張って。大丈夫、ちゃんと支えてるから」
自分の手が男にゆっくりと導かれていた。
「自分でやることあるでしょ」
「…な…い……」
「そうなの!?」
何故だか驚いている。
だって、いつだって誰かが俺の心を占めていたから。
誰かって誰?
「私が教えてあげるよ」
?
「力抜いて私に全てを委ねて」
分かった…。
「……ふぁ……」
眠くて回らない頭をその人の肩に凭れた。
「あと5分くらいで中に入れるから」
膝に掛けたコートを抱き寄せた頭を優しく男は撫でてくれる。
…………また“優しい”だ。
『お知らせします。崇弥洸祈様、崇弥洸祈様、お連れの方が3階……―洸祈!変な男に付いて行くな!俺を忘れていたとしてもいいから崇弥洸祈は3階の案内所に来い!……お客様!ちょっ―』
ぶつ。
「おやおや」
「ほへ?どうしたの?」
何だかおかしな放送だった。
「誰かが誰かを必死に捜してるみたいだよ」
「誰か?」
誰かって?
寒気に震えた体を男はそっと抱いてくる。温かい。
「崇弥洸祈って人を捜してるらしい。ね、洸祈」
…………………………?
「違う。俺は“洸祈”じゃない。月乃だよ」
そうだね、月乃。
そう言って俺に口付けをした。
『風切発、4625便、鹿児島行きにご搭乗される方で座席番号、1~30番の方はご搭乗してください』
「6番、私達だ」
チケットを渡される。
「行こう。快適な空の旅をだ」
だけど、重たい両足。
歩きたくない。
「歩けないのかい?」
違う。歩きたくないんだ。
この歳で俺は男に抱き上げられた。周りが騒がしくなる。
「恥ずかしがることはないよ。熱が酷いのだから」
男は「この子の分と私の分」とチケットを係員に渡した。
「鹿児島で一緒に静かに過ごそうね」
あぁ……優しい。
「洸祈ぃ!!!!!!!!!!!!!」
誰……?
辺りが騒然とする。
「気にしなくていいんだよ」
男はさっさと進む。
肩越しに見える銀髪。
その人は俺を見て叫ぶ。
「行くなぁ!!!!!!!!!!!」
ゲート前で警備に押さえつけられながら必死に手を伸ばす。
遠くなる影。
彼は俺を見詰めて…―
………は…る…き……。
「は…はる…は…るき陽季……」
「月乃?」
…………………放して。
「一つになるのだろう?」
「……放して…」
身を捩って逃れようとするが男は放さない。コートに隠れたズボンの中を手が入る。
「んっ…あっ」
刺激が四肢の力を抜かせる。
「やっ…」
「しっ。暴れたら皆の前で月乃のあられもない姿晒しちゃうよ」
駄目…。
「洸祈!俺っ―」
「君!」
警備に押さえつけられる人。
目だけはずっと俺を見ていて、
「俺っ、お前のそう言うの大っ嫌いだ!!」
嫌い?
「何だろうね、あの人」
男は俺を抱き直して嘲笑う。
「だから……俺に嫌われたくなきゃ、戻って来やがれ!!!!!!」
大っ嫌い。
…………………………。
「あっ…あ…はな…して…」
「放さない」
やだ…―
俺は………嫌われたくない。
「洸祈!洸祈!!洸祈!!!!!!」
呼ぶから行かなきゃ。
「月乃っ!」
突き飛ばしていた。当然背中から無様に床に落ちる。頭が痛い。四肢が痛い。
「月乃。暴れちゃ駄目だよ」
「洸祈っ!」
「俺、崇弥洸祈だよ。月乃じゃない」
ね、陽季。
ふらっ。
歩みを進めた。
「月乃……―」
男は優しく声を掛け…―
「―…駄目だ。逃がさない」
ぐい。
視界が手で隠される。
「なっ!!!?はなっ―」
開いた口に何かが入った。
何だと考える前に全身の力が抜けてくる。
「もう。熱あるのにそんなに暴れるからだよ」
「はる…き……」
「着いたらお仕置きだからね」
体が持ち上げられた。微かに見えるのは陽季の見開かれた瞳。
「洸祈!!!!!!」
行くなと聞こえる気がした。
『洸祈、今日は午後に約束があるだろう?』
『え………あ…葵』
弟に腕を掴まれてはっとした。
確か、脚の悪い2丁目の佐々木さんの為に夕飯の買い出しを呉と約束してたんだ。
『すみません。兄の度忘れで』
『いえ。依頼とは関係ありませんし、楽しいお話を聞けないかと夕食に誘ったんです。先約があるなら今度また』
あの人が俺の手を放した時、俺は手を繋いでいたのだと自覚した。
何で俺は客と手を繋いでんの?
『ちょっとぼーっとし過ぎだよ。知らない人にふらふら付いてって。それも店番しときながら何にも言わずに消えるな。店長行方不明って冗談じゃない』
一階の簡易台所でコーヒーを作る葵はむすっとしていた。
『ああ……何でだろ』
『何でだろって……はぁ。兎に角、何も言わずにどっか出掛けないでよ。それともさっきの人知り合い?』
あの人?
『あの人は…………客』
『仕事以上にあまり深入りはしないこと。いいね?はい、コーヒー』
『ありがとう』
あの人は俺のお客様だった人だ。
『神崎さん』
『こんにちは。依頼の件は……』
『率直に、あまりよいものではありません』
『と言うと?』
『これは使い方を誤った魔法――黒魔法です。確かに、この魔法は役所で他人の名前で申請されていても権限を得ることができますが、強力である分、リスクが高い』
『リスク……。私はリスクなんて構わない。ひとつになると約束したんだ』
『……………。琉雨、この紙に書いてある本を持ってきてくれ』
『はひ。って!こんなに?』
『助手なんだから文句言わずに。ほら』
『うう』
それでも奮闘してくれる琉雨は可愛い。
『最近は“コイン”が作れるらしいです』
『コイン?』
『契約内容をコインを媒介に魔法で行使します。役所に言わなくても相手を服従できる』
『服従……。コインでなんて酷い話だ』
『同感です。魔法契約が人と人でなされていることも赦せない。そんなのただの奴隷です』
コインなんて馬鹿げたものを作った政府は頭がおかしい。それを平気で使う奴も。
『あなたが調べたこれはまじないと言えばまじないですが、大地から魔力を引き出す立派な魔法です。リスクに関しては本があるのでそれで』
『私は……』
『大事なことです。あなたに大変なことがあれば、あなたがもし助けても、その人はきっと苦しみます』
『…………私は不等な占拠にあるあの子と約束した。いつか絶対にあの子の鎖を切り、ひとつになって私と幸せになると』
“あの子”はこの人を待っている。早く幸せにしてあげたい。
『けれども、どんなに金を手に入れてもあの子は助けられなかった。君だけが頼りなんだ』
……………凄く優しい人だ。
神崎さんは優しい人。
『俺がやります』
『え?』
『俺の魔力ならリスクも減らせる』
『でも…………』
『コード番号分かっているんですよね?』
『あ……ああ』
優しい神崎さんの為に。
あの時、俺は成功したんだ。
ああそうだ。記憶だ。
リスクは記憶の破壊。
だから、これで権限は少なからずあなたに移ると、頭の中で何十回も繰り返していた言葉を空っぽの脳で言った。そして、何でこんなこと言うんだろって思う以前に、何で魔法陣の中にいるんだろって思う以前に、
『月乃、君は私のモノだ。だから、ひとつになろう』
という命令に従わなきゃって思った。
優しいあなたに俺は従わなきゃと……―
「なんっ…で」
両手、両足に拘束。その上からコート。
「神崎さん……あなたはだって…………」
「清。君との約束だよ」
俺との?
「君は私に言った。助けてって」
「助けて…………」
「私は君の為に莫大な金を手に入れた。君の契約を買う為に必死に。だけれど、君の契約は既に他の人の手に渡っていた」
それは陽季にだ。
「そして、そいつはコインを作っているじゃないか」
「え?」
“コインを作っている”?
「ど……いうこと…?」
「知らないのかい?君の今の契約者はコインを作っている。名前は流石に教えてくれなかったけど」
陽季が?
状況がよく呑み込めない。
「『そんなのただの奴隷』なんだろう?」
俺は……奴隷なの?
違うよね、陽季。
陽季は…―
陽季の…………嘘吐き。