痛み分け(8)
ごめんなさい。
きっと想いも意味も籠ってないけれど、
謝れば全て赦されると思っているけれど、
これが君に言いたい言葉なんだ。
「あ…お?」
由宇麻を家まで連れていった千里だが、胸に引っ掛かるそれにむしゃくしゃして店に来ていた。
店の裏に回って居住区直通の階段を上がる。もし閉まっていたらまた公園で死ぬ方法を考えようと決めてドアノブに指を掛けながら、
開いてろよって願っていた。
カチャリ。
開いた。
下から出たとは思えないから第二の玄関に靴のない洸祈はまだ帰ってきていない。
千里はそっとリビングを覗いた。しかし、静まり返ったそこに葵はいない。脱ぎ散らかさせた服もない。自室で寝たのだろうか。
「あお?」
かなり失礼で最低な奴と思いながら、葵の部屋を覗く。
「……………いない」
何処に?
靴はあった。
もしかしたら裸足で?
琉雨の部屋から見ていく。琉雨がすやすやと寝息を発てているだけで、葵が添い寝をしているわけではない。呉の部屋も同様。布団に潜って恐竜のぬいぐるみを抱いたままいつものように小さく丸まっていた。
「あお?」
トイレ、風呂場には誰もいない。
残るのは千里の部屋と洸祈の部屋。
千里は自室にいるのをちょっぴり期待して開けるが……いない。
「……怒ったよね」
自分勝手過ぎたし。
「あお?」
いた…。
やっぱり。と言えばそうでしかない洸祈の部屋に葵はいた。
ベッドの布団が盛り上がり、彼は洸祈の枕を胸に抱いて寝ていた。案外、葵はお兄ちゃん子だ。
「泣かせちゃった……」
頬を伝う涙の跡。強く瞑られた目許から筋が出来ていた。
千里は自分に葵の傍にいる資格はないと思いながらも、しゃがんで葵の顔を見詰めた。鼻を近づけた布団からは洸祈のお日様の匂い。傷心の葵にはいい眠り薬なのだろう。
時折考える。
何故僕は葵を好きになったんだろうと…。
僕が葵を好きになったのはとっても自然なことだったと思う。生まれた時、周囲は大人に囲まれてた。唯一の女性は母親。
父が死んでから僕は地下に閉じ込められてた。一族揃っての行事の時だけ僕は本家の体裁の為に外に出ることを許された。
確か僕と同じくらいの年の女の子がいたが、大人達は僕から守るように我子を抱き抱えていたから、その女の子どころか誰とも関わりなんて生まれなかった。
だから、今も僕の従兄弟なんて誰一人として知らない。従兄弟は「櫻千里様」を一方的に知っているだろうけど。
閉じ込められてから1年経つ頃には、僕は食事を食べずに栄養を注射で無理矢理与えられるのに嫌で、抵抗なんてやめていた。
そして、僕は父の遅すぎる葬式で約4カ月振りに地上に出た。庭に出た時は、もう冬なんだと驚いた記憶がある。地下にあれだけいたら時間なんてどうでもよくなっていた。
暑いから多分夏。
寒いから多分冬。
生温いから多分春か秋。
屋敷の中だけだが1日だけの自由。もう許してくれたかな?なんて甘過ぎる考えで祖父に声を掛けたら変わらない態度。
一瞬たりとも僕自身を見てはくれなかった。そして、僕も見なかった。
生きることがつまらない。僕はそう感じた。そんな時だった。
僕が光に出会ったのは。
1日で僕らは親友になった。時々……いや…頻繁に慎さんは僕を家に呼んだ。
祖父は言葉にしないが、僕を外に出す慎さんを憎んでいた。しかし、祖父は崇弥家当主の申し出には渋々と頷くしかなかった。
慎さんは慎さんで多分、祖父が良く思っていないのを分かっていたと思う。分かっていて地下の僕を崇弥家に招待してくれた。
帰るといつも殴られたが、僕の魔法が衝撃を和らげてくれたし、何より、痛み以上に崇弥家の人々と過ごした時の楽しさから辛くなんてなかった。
泣き方を知った。
笑い方を知った。
全部、崇弥の皆とお節介な双子のお陰で。
軍学校に行くことになって、僕は自由を手に入れた。学校だけに規則はあるが、寮暮らしとなった僕にとって家にいた時よりは何倍も緩いものだった。
勉強をした。
料理をした。
スポーツをした。
僕は本当に幸せだった。
そんな僕に親友に対して愛という感情が生まれたのはどうしてだろう。
3人で一緒にお風呂に入ったことあるし、寝たことだってある。
だけど…―
「僕が求めたのは洸じゃなくてあおだった」
さらさらした葵の前髪を千里は指に絡めた。唸った葵は身を縮める。
今すぐにでもそのシャツを剥ぎ取って痕を付けたい。厭がるであろう葵をベッドに押し付けて僕が疲れて気絶するまで体を重ねていたい。そう考えるようになったのはいつからだろうか。
葵が好きで好きで堪らない。笑った顔も泣いた顔も怒った顔も全て好きで欲しい。
欲しくて堪らない。
「でも……好きだけど…泣かしたくはなかった。好きだけど…困らせたくはなかった」
なのに泣かせた。
なのに困らせた。
それに本気で謝れない。
どこか別にいいじゃん。そう思ってしまう。好きだから怒ったんだよ。
僕の愛の形は暴力なのかもしれない。
葵は無理矢理は嫌いだ。それじゃあ、もし葵が僕の本当の愛情表現を知ってしまったら?
イヤだ……。
葵を失いたくない。
陽季さんを抱き締める洸。
洸を抱き締める陽季さん。
陽季さんとキスする洸。
洸とキスする陽季さん。
二人の関係を僕は羨ましい。
すれ違わないでいられるのは、陽季さんが大人で、洸の言葉が二人の関係を繋ぎ止めているから。
だけど、僕ら餓鬼同士はすれ違ったらもうどうにもならない。僕らは洸の言葉でしか戻れない。
「こう…き?」
葵は喉を鳴らすと千里の胸に顔を寄せた。千里はびくっと固まる。
「だめだ…っ」
僕は洸じゃない。
「洸祈…黙って…聞いてよ…」
完全に勘違いしてる。
「俺…感じた。知らない男の手…感じた」
やめて…聞きたくない。
「…千里に…怒られた…消えて…って言われた…」
葵から再度言われると威力倍増で帰ってくる。
あーあ、僕って最低だ。
「いつだってあいつは…自分は我が儘って…連呼して。逃げて……。綺麗な顔して女じゃなくて……男の俺に愛してる……って言うし。痛い言ってんのに……容赦なく入れるし。疲れた言ってんのに……気持ちいとこ触るし。街中でも愛してるって言うし。隙あらばセックス。ほんっと我が儘。あーあ、マジで殴りたくなった。なんだろ。ぎったんぎったんにしたい。ぎったんぎったんのぎったんぎったんに!」
「っ!!!?」
左ストレート。右じゃなくて良かった。葵は容赦がない。
………………………。
「あお……起きてない…よね?」
「なのに………なのに好きで好きで堪らないんだよ!」
え?
「あいつが好きで好きで堪らないんだよ!!くそったれ!!ばかたれ!!」
青は葵の色。
涙を蓄えた濡れた葵の色。
君の色だ。
「千里!!俺はお前を愛して堪んないんだよ!!!!」
起きてた。
真っ赤な顔で涙で頬腫らした葵は千里を抱き締める。
強く抱き締める。
「僕……千里だよ?」
「知ってる!」