痛み分け(7)
指に光るそれはキラキラしていていた。
綺麗な緋色。
陽季が選んだんだ。
誰の為に?
俺の為に。
どうして?
「…………………けっ…こん?」
陽季の腕の中に入っていた洸祈はやっと声を出した。小さくよろよろと頼り無い声音。
「結婚。俺と結婚して」
陽季が確かめるように背中に回した手で洸祈を引き寄せて耳に囁く。ピクリと震えた洸祈は暫く無言だった。
そして、
「結婚!!!?誰と誰が!!!!!?」
やっと我に返った。
「俺と陽季!?」
「そ、お前と俺。もうそれ訊くの5回目なんだけど。崇弥洸祈と俺が結婚すんの。いい?」
「よくないだろ!!」
べちりと陽季の両頬を手のひらで挟んだ洸祈。陽季が痛みに呻く。
「な、なんでぇ…だよぉ…」
魚のように口をパクパクさせた彼は拗ねた風に言葉を間延びさせた。それがツボに入ったのか、下を向いた洸祈が忍び笑いを溢す。
「はは…なにその顔…っ。陽季カワイイ」
「かはひい!?」
「タコじゃん!キモ可愛いし、ウケる!」
そして、洸祈の大爆笑。
終いには陽季を放して一人踞って笑い出した。
「ちょ…洸祈!」
「いや、マジでウケる!キモカワだろ!っははは…陽季可愛いよ!っは…はははっ……げほげほっ」
終いには咳をする始末になる。
陽季はひきつってどうしようもない自らの顔を指でつねり、次第に咳が悪化する洸祈の背中を擦った。
「洸祈って笑うと止まんないんだから」
「だって、お前の顔が……っ!…げほっ」
「思い出すな。人の大事な話を無視してるだろ」
「………………………げほっ」
洸祈はただ咳をしてそっぽを向く。
「……げほ…げほっ」
陽季は彼の背中を撫でて彼の顔を覗き見ることはしなかった。
そこでは大きいホールに風の流れる音だけがし、夜の静けさを増やす。
「…………なぁ、キスしろよ」
「……え?こう…」
……き…―
陽季が洸祈の言葉を聞き返す前に洸祈が揺らした瞳を直ぐ様睫毛に隠して陽季に被さった。陽季の腰が観客席の背凭れにぶつかる。
重なった唇が離れて触れた。
啄むだけの幼稚なキスを繰り返す洸祈。
陽季は小刻みに振動する洸祈を抱く。
「結婚……俺、男。嫁には…なれない」
「嫁じゃない。恋人だ」
乾いた咳に混じる嗚咽。
「身内だけの結婚式。洸祈が望むなら俺達だけでもいい。教会で愛を誓ってキスしたい」
「ど…して…結婚…するわけ?」
零れる雫。
「お前が欲しいから。駄目か?洸祈」
「俺が…欲しい?」
「欲しいよ。心も体も全部欲しい」
「我が儘でごめん」と、陽季は洸祈の顎に手を添えて上げさせた。
「泣くほど嫌だ?」
洸祈が頭が横に振る。
「まだ……結婚が…よく分かんない……」
「いいんだよ。時間はあるから、ゆっくり考えて」
「…あ……ありがと……」
曖昧な表情を隠すように洸祈は陽季の胸に全身を押し付けていた。
結婚は女の子の最大の幸せだ。
だけど、俺は女じゃないのに、考えたらドキドキと鼓動が早まった。
結婚って何だろう。
男が男と結婚って何だろう。
名前が変わる?
片方が女になる?
分かんない。
でも、結婚は……―
『こ、こんにちは……俺は崇弥慎の息子の崇弥…―』
『おどおどするな!』
『っ……!』
『まあまあ、あの慎の血が混じってんだしよ』
『憲、慎はもっと堂々としていた』
『慎だってこの場に立つ前は緊張で腹くだしてトイレを往き来してた』
『だが、これでどうする!若すぎるだけで櫻にナメられてると言うのに、こんなおどおどしてたら!』
『お…俺は……』
『だから!お前は…!!』
『うっ…!』
『古治さん、洸祈は疲れてます。昨夜も遅くまで書類を片付けていました』
『親友の息子だからって甘やかすな、灰銅。そんなこと崇弥の主なら当然だ。まったく、双子なら弟の方にしとけば良かったんだ。これと違って弟は軍学校でもトップだったじゃないか。なんでこれが兄で崇弥の主なん…―』
『やめてください!旦那様は“これ”じゃありません!!』
『琉雨っ!』
『なんだこの餓鬼は!ここから出てけ!!』
『ひゃうっ!?』
『やめろ!琉雨には手を出すな!!』
『お前が連れてきたのか!お前が崇弥をナメてたとはなぁ!!』
『こ、ここに来たのはルーの我が儘です!だから、旦那様は悪くないです!』
『っ!!この餓鬼が!』
『古治、やめろよ。彼女は洸祈の護鳥だ。洸祈の傍にいて当たり前でそれが存在意義だ。それに、手を出せば…』
『琉雨に傷を一つでも付けたら、俺はあなたを許さない』
『なんだと!…………ちっ。古治家はお前なんか認めない。憲、とっとと結婚させろ!』
『俺は空穏に任せてる』
『その着物を脱ぎたきゃ早く結婚するんだな、崇弥洸祈』
『………………』
結婚って何だろう。
『結婚ってのは愛の究極の形であり、時に身動き取れなくなるくらい全身を縛る縄になる』
『そうだね……一種の契約だよ』
結婚は縛りなの?
もう少し詳しく教えてよ、氷羽。
「洸祈、お前にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?なんで?」
「お誕生日にはプレゼントだろう?」
「いいよ。陽季で十分。琉雨がちょー美味しいご馳走作ってくれたし」
「洸祈って相手持ち上げてるようで琉雨ちゃんの自慢してるよね……」
あ、バレた?
「家庭的で優しく美人。琉雨は理想のお嫁さんだ」
「開き直りが早い洸祈が清々しい。てか、さっきのあれで理想の嫁か。じゃあさ、洸祈の理想のお婿さんは?」
ここで俺の理想のお婿さんを訊く陽季もあれでしょ。陽季の熱い期待の眼差し。
「……お婆ちゃんになっても愛して、絶対に先に死なない人」
言ってから、絶対に先に死なないって、死ぬ時は一緒ってことかなって思った。
陽季は宝石みたいな目を細めて俺の頭を撫でながら口元だけで笑った。
「俺の理想のお嫁さんはいっつも他人のこと考えてる人」
「それが俺?」
「お前は阿呆だ」
「………………は?」
「お前は他人のこと考えて苦しんで全力疾走してバテて倒れて瀕死になるド阿呆だ。結局、お前を思う人のことは考えてない」
なんて言い種だ。本人の前で悪口かよ。
「でも、俺はそんな奴を支えてあげたいんだよ」
「…………」
恥ずかしい人間……。
陽季は常識とかモラルが絶対にない。世間知らずのド阿呆だ。
「俺以外にそんなこと言ったら許さないから」
「洸祈こそ。前言撤回とかやめてよ」
「しないよ。理想の婿話なんて別に」
「重要だよ。さっきのは愛の誓いになるんだし」
「………………」
“絶対に先に死なない”
言っちゃったな。
「俺を死なせたくなかったら生きて」
死なせたくないに決まってるだろ。
“生きて”
俺は何よりも重い約束をしてしまった。