痛み分け(6)
「まただ……」
僕はまた死のうとしてる。
これで3回目。
父さんの命日。
手首を切ったけど無理だった。
ただの使用人のはずなのに、僕の血を見るや否や主の息子を殴ってきて、僕は気絶して起きたら病院。そして、治癒魔法を使える魔法使いまで呼ばれていて、すっかり治されてた。
10年前の冬。
橋から飛び降りようとして慎さんに止められた。
あの時の平手打ちは生前のお父さんにされた時以来だったから、つい嬉しさに笑ってしまった。そしたら、慎さんはすっとんきょうな顔をした後、笑顔で僕の頬を優しく撫でた。
そして、今。
「もっと確実な方法ないかな」
ナイフで心臓一突き。
一酸化炭素中毒死。
前者は下手したらただ苦しいだけだ。それはイヤだ。それにきっと、僕の魔法は僕の意思なんかお構い無しに僕を守る。いい奴なんだか、自分勝手なんだか。
まるで僕みたいな魔法だ。
「あとは…一酸化炭素中毒…死かぁ」
「イヤやわ~。千里君めっちゃ物騒やなぁ」
司野由宇麻。
仕事帰りなのだろう。少し皺の付いたスーツ姿の彼はブランコを軽く漕ぐ千里に近付いた。
「ちょっと、僕は真剣に考えてるんだけど」
嘘や。そう笑った由宇麻は千里の頭をぐりぐりと撫でる。
「で、どないしたん?」
「……………………死にたい」
「…………………馬鹿やろー」
彼は優しく言うと、隣のブランコに座った。キィと錆びた鎖が鈍く鳴る。
「馬鹿に馬鹿とは言われたくないよ」
「馬鹿に馬鹿と言われるほど今の千里君は馬鹿なんや」
「馬鹿の意見は馬鹿らしいから聞かない」
「そういう馬鹿げた考え持ってる奴は馬鹿や」
「由宇麻の馬鹿」
「千里君の馬鹿」
…………………………………。
「やめよ、馬鹿らしい」
「そうやな」
ほんで?どないしたん?
千里は漕いでいた足を止めると、白い息を吐き出した。
「まー、あおがね…―」
ふと、千里は由宇麻に全てを話していた。由宇麻は何も言わずに目を閉じて前を向く。
「由宇麻?」
「ほな、帰ろ」
にこっと笑顔を向けて返した由宇麻は、あの時は落ちた彼女も何も掴めなかった手で千里の手を握った。
「あおには会わないよ」
千里はその手を払う。
「俺ん家に泊まりや」
「いいよ。僕はここで悶々と考えに耽るから」
懲りずに再び手を握った由宇麻を気だるそうに見上げて溜め息を吐く千里。
「眠そうな顔しとるで。隈なんか圧塗りしたら折角の美貌が台無しや」
「いーいって!しつこいな!!」
僕は死にたいんだ!
―…………ぎゅっ。
由宇麻は千里を抱き締めた。
暫く呆けた顔をした千里ははっとすると「放してよ!」と由宇麻を退けようとする。しかし、由宇麻は眼鏡が払われても力強く放さなかった。
「放さへん。あのなぁ、俺も死のうとしたことあるんやで」
由宇麻も?
明るく振る舞う彼の暗い過去。
「俺、体弱くてずっと病院暮らしだったんや。俺の両親共働きだったんやけど、俺の入院費追い付かなくて……俺の病室の前で喧嘩するんや」
親に見放される恐怖、不安、憎しみ。櫻の恥だと罵られてきた千里だからその辛さは分かる。
「治りもしないのにただ生きる為に病院に縛られて……。ホント、もうどうでもええやん。って思てな」
唯一の味方であった父を失って、祖父の言葉は酷さを増した。父が背中に受けていたそれが生のまま突き刺さってくる。痛くて痛くて涙が枯れた。
そして、母は僕の前から消えた。
だから、もうどうにでもなれって思った。
「何度も死のうとしたんや。必要な点滴を抜いたり、壁に手首ぶつけて折ったり。看護師さんが林檎剥いてる時に果物ナイフ奪って手首切ったり。どれも未遂でな。逆に両親の仲悪くなって……俺、鎖に縛られたんや。食事は食べさせてもらって、トイレはオムツ。定期的に看護師が変えるんや。10歳。めっちゃ恥ずかしいんやで」
千里にはそんな由宇麻を想像できない。時々、脆い姿を見せるが、それとは全然違う。由宇麻とは無関係だと思っていた“憎悪”を見た気がした。
「荒んでた俺をある看護師さんが救ってくれたんや。俺の光で初恋の人やった。でもな、ある日自殺したんや。寝ていた俺の病室から落ちた。逆戻りや。鎖に縛られながら俺は自分を傷付けて逃げていた」
逃げる意味。それは至極簡単だ。
「親は離婚寸前。医者はノイローゼになって狂ったように笑ったり、暴力してきたり、はたまた身体をまさぐってきたり。皆、俺から離れていった。俺は全てを失ったんや」
父を失って全てを失った。
母も。
心も。
愛も。
みんな失った。
「そんな時、こんな俺の前にうざったいぐらい構ってくる医者が現れてな。ただのおはようなのに返すと満面の笑みをするんや。天然でワケわからんやつだった」
由宇麻は思い出に浸る。
その顔からしていい思い出なのだろう。
僕の光は優しい双子だ。
「俺、この人がこんなに笑うなら生きていようかな。そう思ったんや。でも、また俺のせいで……その人も離れたんや。ま、実の姉を俺が突き落とした言うたらな。俺の初恋の人、その人のお姉さんだったんや」
由宇麻は看護師を突き落としてはいない。しかし、由宇麻には自分が突き落としたと言える何か理由があるのだろう。
「俺、単純思考だから2度は堪えられへんかった。何したかったんやろな。また悪い癖で自分傷付けんと気いすまなかったんかもしれん。鎖から縄に変わったそれを切って、俺は病室の窓に足をかけた。あの人はここで何を考えて落ちたんだろうって」
心なしか触れたところから感じる由宇麻の心音が早い。
「由宇麻?」
「ここんとこ……調子悪うてな」
由宇麻は千里に凭れてきた。千里は支えてやると「仕方ないなぁ」と、由宇麻と一緒に彼の家に向かう。
「考えてたらそのお医者さんが現れてな。死ぬなって。もう俺には何もあらへん言うたら自分が傍にいるって言うんや」
由宇麻の救い。
僕の救いは?
膝から力が抜けたらしい由宇麻は千里の肩から腕がずり落ち、その場に崩れた。
「由宇麻!?」
「大丈夫……や。せやけど……力入らんくなってもうた」
苦笑いの由宇麻は今まで何度こんなことがあったのだろうか。
千里はしゃがんだ。
「おんぶするよ」
「重いで?」
「僕と同年代の奴等の中でも由宇麻はぶっちぎりて軽いよ」
渋々と千里におぶさる由宇麻。
「軽いね」
千里は颯爽と歩き始めた。
「細いな」
由宇麻は恥ずかしそうに口を結んで千里の肩に頬を寄せた。
「そんで俺、足滑らせて落ちてもうた」
「え!?」
それは驚くだろう。感動的に終わるはずが、いつの間にか落ちてる。
「筋肉落ちてて立つの精一杯やったから。9階。死ぬなって思った。お医者さんに会えなくなるのは寂しいけど、好きな人に会えるんやなって。でも、あの人にはフラれて自殺するくらい好きな人がおったんやって考えて……落ちる瞬間、無性に死にたくない思てな。そしたら、お医者さん……加賀先生、俺抱き締めて一緒に落ちてるんやで?傍にいるの約束だって叫んで」
千里は健康診断で病院に訪れた時に、千里と葵とは別の場所に連れていかれた洸祈を探しに行って見た医者を思い出す。
千里は遅くなるなら先に帰ってるよと洸祈に伝えたくて探した。洸祈が廊下を歩いているのが見えて、呼び止めようとした時、加賀という名札を付けた医者とある病室に消えた。
そうだ、あの人が言ってたんだ……。
『傍にいるってことは何があってもその人を放さないってことだよ』
耳を澄ましたドアの向こうから聴こえる声。
洸はそれに何て返してたっけ?
そう…―
『その人が俺の大事な人を傷付けようとした。俺はどうすれば良かったんだ?』
その人って誰?
僕はその時そう思ったんだ。
『愛の形は人様々さ。愛してるの言葉を愛と呼べば、性交を愛と呼ぶ人もいる。暴力を愛と呼ぶ人もいる。その人の愛の形は?』
『……分からない』
『きっとその人の愛は君の全てを手に入れることだったんだよ。好きだから君に自分だけを見て欲しい。我が儘じゃない。ただ好きだから。それが愛の形だから。だけど、君の愛の形はその人とは違う。君には愛してると大事が別物なんだ』
『きっとそう…だった。俺はその人を愛していた。そして、あいつが大事だった』
洸の苦しみが一枚の板の向こうでも伝わってきた。
『じゃあどうすれば良かったんだ?』
『君達の場合、どちらか一方しか存在できない。偽りはいつか脆く崩れる。愛の認識の違いは何から生まれると思う?』
『環境』
『そ、人との出会い。言葉との出会い。ま、周囲の環境だ。クローンが成長した時にオリジナルと完全に同じになる保証がないのに、遺伝子が常に周囲の細胞と対話し、周囲の環境に敏感に変化するからという理由があるように、経験と教育が人を形作る』
閉じ込められた経験。
軍人になる為の教育。
双子に会わなければ僕はどう形作られていたのだろう。
一瞬考えて、ぞっとした。
『……君は信じてやれなかった。違うかい?』
『なんで……そうなるんだよ』
『そんな人に愛されるほど君は信頼されていた。いや、その人は信じようとした。だけど、君は信じられなかった。君は自分の力の使い方を誤った。君は放したんだ。君の大事な人を傷付けようとしたその人、君をきっと試していたはずだ。君を信じるために。愛しているからこそ』
『あいつは…俺に言った。ぼくとこの子、どっちが大切?って』
それは僕もあおに言いそう。
『君は答えたんだ。どちらも大切だと』
『大切だ!!』
『納得できない。その人は納得できなかった』
僕も納得できない。
そんなの……―
『そんなの愛じゃない』
何を捨てても僕を求めてくれなきゃ納得できないよ。
僕はそこまで要求する。
そんな自分に嫌気がさすけれど、そんな自分を否定できない。
無理なら優しくしないで。
無理なら……―
『君の愛の形は愛してると大事は別物だ。君はその人を愛してなんかいなかった。君はその人が大事だったんだ。なのに君は知らずに愛してると囁いた。その人は勘違いした。だから裏切られたと感じたんだ。君は愛してると囁かなければ良かったんだよ』
嘘なら期待させないで欲しい。
きっと、これがその人の想いだ。
『俺のせい?』
『君は愛を完全には知らなかっただけさ。君は幼かったんだ』
「二之宮も幼かったと言った」と言う洸は苛ついているようだった。腰掛けているらしいベッドがぎぃぎぃと鳴っていた。
二人の会話が終わって暫くしてから何も知らない風を装って入ったら、洸は眠っていた。腕に点滴が付いていて、無理して仕事してるのかな。と、他人行儀に思った。
『櫻さん。崇弥さんはあと2時間程は眠ったままですが……』
『時間掛かるなら夕飯の仕度に先に帰るよって言おうと思って。でも、もう先にあおは帰ってるし、僕は洸が起きたら一緒に帰ります』
『分かりました。それじゃあ、私は2時間したらまた来ますので』
『お仕事お疲れ様です』
『健康診断の結果は1から2ヵ月後には届くと思いますよ』
先生は出ていった。
眠る洸は一気に老けたみたいだった。老けたっていうより、こきつかわれて疲れて倒れる寸前のサラリーマンみたいな。
僕達のせい?
なんて、また他人事みたいに……ごめんね。何にも感じられない僕でごめん。いつもバカな振りしてごめん。って本気で謝った。
そして…―
嗚呼……………………ごめん。
僕はあの時…寝ている洸に……―
思い出すな。あれはよく分からない衝動に駈られただけだ。
すー…すー…すー…すー…すー…。
「由宇麻?」
「ほえ?あっ…せやから…簡単に死のうとしたらあかん。光に…会うかもしれへん…から……。眠い……悪い…千里くん……」
はいはい。分かったよ。
「おやすみ、由宇麻」