痛み分け(3)
随分前のことですが、「ミナミとレン」のおまけ「幸せの物語」を活動報告に載せました。
あー寒っ。
午前2時28分。走りに走ってどうにか榎楠ホールに着いた。
てか、走る意味ってあったっけ?
「ホールはもう閉まってるし」
一体ここで何をどうしろと……?
すっと伸びる指。
唇を一撫でし…―
っ!!!?
「誰だ!!!!」
案外細い手首を捻る。
「緋沙!!」
刀身にまとわる焔。
洸祈は背後の誰かの喉元に刃先を向けた。炎が不審者の肌を舐める。
浮かび上がるのは絹のような滑らかな銀髪。光を真っ直ぐ反射する漆黒の瞳。
「は……陽季?」
「そう。これ、怖いんだけど」
あ、刀。
護身用の刀を洸祈はカチンと鞘に納めた。そして、見れば見るほど陽季だ。
「何ヵ月振りだっけ?」
「約9ヵ月」
9ヵ月……。
まじまじと見てしまう。
少し髪が伸びてる。前髪が目に掛かってたりしてもどかしい。それに、ちょっぴり身長も伸びてる。
なんか、かっこよくなってる。
「恋人同士の久し振りの再会なんだから、まずはこうだろ?」
「え?」
ぎゅっ。
洸祈がじっと見とれていると、恋人は心持ち屈んで抱擁した。陽季の匂いが洸祈の胸に広がる。
俺の大好きな匂いだ。
洸祈は仔猫のするように顔を陽季の首元に擦り付けた。陽季はくすぐったそうに微動しながらも放さず抱き締める。
しばらく、それを互いに堪能していた。
「いつまで居られる?」
再会は嬉しいが、つい残り時間を気にしてしまう。なんせ陽季は各地を渡り歩く有名な舞団の一員だ。
「2ヵ月ぐらい」
……………………………………。
「2ヵ月!!!?」
今まで長くて1週間だったのに2ヵ月ときた。
「何で!?」
「ここの近くの劇場で研修というかバイトというか。動きが硬いって蘭さんがさ。ま、意図は分かるからご恩を買っとこうと」
“ここの近くの劇場”って予想がつかないでもない。
けど、“意図”って?
陽季に抱き心地を確かめられながら洸祈が眠くなってきた頭で“意図”を考えていると、陽季が耳許に続きを囁く。
「というか……洸祈と愛を深めたくてね。離れてると心配になるから」
「なにそれ」
「気にしなくていいよ。俺の腕の中に洸祈がいるなら」
耳朶を啄んだ陽季がゆっくりと促してくるのはキス。停止した思考で洸祈はただ何となくその口付けという行為に嬉しくなった。
「ちぃに会った?」
「会った。サプライズに協力してもらったんだ」
サプライズ?
あれは半ば強引に行かされたんだけど……。サプライズって強制されるものだっけ?
「で、何でこんな遅くにここで?」
「偶然、とても幸せそうな顔して歩いていた千里君に会って、そのまま一緒にお店にお邪魔しようとしたら千里君に断られて。僕達が予約済みとかどうとか」
千里曰く、用心屋は予約制らしい。
苦笑いの陽季は、唐突に店に来るのは駄目だと千里に言われて戸惑ったのだろう。
「金ないから泊まらせてもらおうと思ってたんだけどね。まぁ、野宿は慣れてるし。だけど、洸祈に一刻も早く会いたいから千里君にサプライズを頼んだわけ。で、何故今でここなのかと言うと、ここのホールで愛を育もうと思って」
…………………………。
「変なこと言うな!」
洸祈が肩を怒らせると、くすりと笑った陽季は彼の腕を引っ張って歩きだす。
嗚呼、振りほどくことができるのに振りほどけない。
「新しく2人入ったよ。真広ちゃんと斎君。洸祈のとこは?」
「変わんない。琉雨が相変わらず天下一の美人」
「……………根はロリコンなんだ」
何故か開いているホールの裏口から入ってエントランスを抜け、豪華な扉を開ければ観客席。薄暗いが、一気に視界が開ける。
「勝手にいいの?」
絶対によくない気がする。
「支配人には顔がきくから。何処がいい?」
陽季は勝手知ったる風に訊き、勝手知ったる風に歩みを進める。
「何処って…」
やっぱりいけない気が。
「今日は月華鈴の貸し切りだから、で、洸祈が興奮するところは何処なわけ?シチュエーションは大事にしたいし」
変態。
「……………彼処」
どうしようもないのでサイドにある二階席を指差す。
「わぁお!今度、あそこの席を全部予約して二人だけの貸し切り状態でオペラでも聴きながらイチャイチャしよっか」
早口で語る変態はモラルを知らないようだ。ズルズルと引き摺られながら、洸祈は陽季の頭頂をはたく。
「迷惑過ぎるだろ」
「やんないよ。芸術をたしなむ者が人の芸術をぶち壊すなんて失格だ。そんな奴には芸術を語ることも見せる資格もない」
舞妓に誇りを持つだけあって、陽季は語る時は語るようだ。
「ちゃんとTPOを守ってベッドの上に押し倒すから」
だけど、ド変態だ。
「おいで、連れていってやる」
はしゃぐ陽季は洸祈を再び引っ張った。
陽季の計画ではこの後は持久戦に持ち込む予定だったらしい。しかし、夜中に腹にタックルされて真面目に長距離走をした洸祈はそれを許さなかった。
「えー!?俺が奉仕するのもダメ?」
「この椅子の座り心地の良さで十分。あとは眠らせてくれれば……」
既にうとうとしかけている洸祈は隣に行儀よく座る陽季の肩に頭を乗せる。その赤みがかった茶に指を絡めた陽季はがさごそとジャンパーのポケットを探ると、洸祈の垂れた手に手を重ねた。
「……陽季?…………これは?」
「チョコ。あ、今日は諦めたよ。2ヵ月あるから機会はあるし。洸祈、あんまりいい夢見れてないっぽいから。チョコ食べて寝るといいかもって菊さんが言ってたんだ」
「菊菜さんが……ありがとう、陽季」
包みから出るチョコを洸祈は啄む。
「本当は甘いもの食べたら歯を磨いて寝ましょうだけど……―」
陽季は眠りこけている洸祈を起こす気にはならなかった。
「大好き。愛してる」
彼はその軽い上体をそっと抱き締めていた。
ただいま、洸祈。