父さん(3)
すっと滑る襖。
洸祈はつい先程部屋に運んだはずの葵が布団をぽっかり被ってよたよた入ってきたことに首を傾げた。
「葵?もう起きた―」
と、お猪口を置いたところで葵らしき髪を揺らした人影は洸祈に多い被さってきた。
「おにーちゃん!」
ちょっぴり高いけど葵の声が布団に隠って響く。
「!!!?あ、葵?」
こんな大胆な行動にでる双子だったろうか…
しかし、大胆な行動はそれだけではなかった。
衣擦れの音。
闇の中で洸祈に跨がる葵らしき人は洸祈の服の裾から無遠慮に手を忍ばせて体をまさぐり始める。
「愛してますわ」
を付けて…
「おい!」
柑橘系の仄かな香水の匂い。これはアイツのトレードマーク。
「誰だよ!」
「崇弥葵。洸祈、どうしたのさ?お腹壊したの?」
と、再び葵の声。
お腹痛いなら治してあげる。と言いながら洸祈の腹をいやらしい手付きで擦る。
堂々とバレバレの嘘吐くなよ!
洸祈は暫くされるがままだったが、暗闇の中で邪悪な笑みを浮かべると、偽物葵を逆に布団の中で押し倒した。
「洸祈?」
「葵、ちょっと刺激的過ぎ。欲情しちゃったじゃん。いーい?いいよね?葵から誘ってきたんだからさ」
肘を葵の顔の両サイドに突き、体を密着させる。唇を指でなぞってキスを…
しないはずだった。
慌ててアイツが正体を見せると思っていた。
しかし、間違っていた。
「なーに?あたしの体に欲情?ふふふ、おねーさん大歓迎よ。ねー、おにーちゃん!」
アイツと葵を繰り返して暑い吐息をかけてくる。
「おい、おい、待て!」
「ワン」
……………はぁ……やめてくれ。
「月葉、お前も酔ってんだな」
「あぁら。お酒を飲まなきゃやってられませんわ」
桂の下から出てきたのは赤毛。
慎の友人で行方不明だった変人の來月葉は未だ布団に頭を隠したまま、襖に背を向けて洸祈に抱きついていた。
「手向けに来たのにレイラ・リーンノースでは入れてくれなかったので真奈に訊いたところ、主人のもとへは双子だけとのこと。息子2が部屋に入ったので裏から手荒に侵入しまして、お洋服を借りた次第ですの」
「無理してないだろうな」
「あたし?無理など―」
「いや、葵」
「ムカつきましたわ」
その赤褐色の瞳を細くすると仕返しと言わんばかりに洸祈の服に潜った。
「蒼子には十分な拘束と目隠しをし―」
「しなくてもいいことだろ!!」
「金糸に出会いました。変装がすーぐにバレまして、ちょいと蒼子の恋愛事情を匂わせたら蒼子の部屋に飛んで行きましたわ」
恋愛事情…。
「何言ったんだよ!」
それに対して、月葉は葵に変わって言う。
「『金の糸子が好きで好きでたまらない。しかし、恥ずかしく前に踏み出せない。リードしてほしい』と、ですわ」
金の糸子…千里。
「意味が分からないほうが凄いな…これ」
あんな葵の告白を聞いた後では。
「お顔を赤くしておられたから成功ですわ。あの拘束で欲が掻き立つかも。ふふふ」
何したいんだよ。
「では、あたし達も続きを…」
「餓鬼は寝てろ」
洸祈は月葉を服から出すと布団の中に閉じ込める。彼女は暫くうーうー唸ると、布団から顔をひょっこり出した。癖毛が更に跳ねて可愛い。
「餓鬼というあなたも餓鬼ではありませんか。19歳さん。好きしか言えぬ青っ子でしょう?」
「“愛してる”だろ?それくらい…」
「いいえ」
と、
「あなたの全てが欲しい。欲望のままにあなたが欲しい―」
艶の効いた瞳が見上げてくる。
「これくらいですわ」
「アイツは大人か」
「ふふふ。雪子ですわね。おアツいこと。あたし、慎に言われたことありますのよ」
「父さんに?」
「『林にプロポーズする』って…あたしで予行を」
懐かしい父の声。
「貴殿は何て言うのかしら?」
「プロポーズに?」と訊くと彼女はこくりと頷く。
「そーだなぁ…俺の新子の母親になってください」
「マジですの?」
「マジだよ。失礼だな」
マジで考えた。相手は因みに真奈さんだ。
「ふふふ。慎は『林…俺と新しい生命を育てないか?俺がおしめを替えるから、その…乳を与えてやってくれ』ですわ」
「マジか?」
「流石親子。プロポーズの言葉まで似るのね」
いや待てよ。
全然似てないから。
「子作りを視野に入れて誘う。まぁいいけど生々し過ぎますわ。そう言いましたの」
月葉は洸祈の注いだ酒を飲むと洸祈に寄り添った。
「慎、あたしのない乳見て言ったのよ。ついでに蹴り上げといたわ」
「へぇ」
月葉の綺麗な髪が蛍光灯を反射する。洸祈は若き父の驚きの昔話に微笑した。こうやって見送るのも悪くない。
「ちゃんと女を落とす方法を伝授したのにいざでアクシデント多発。慌てた慎はあたしが斬ったプロポーズをしたのよ」
あれを母さんに…
「『乳は小さいけど貴方の気持ちは伝わったわ。慎君、愛してる』これぞできる女の返し方。あたし、林に惚れましたわ」
澄みきった声。
「な、月葉…その声…」
「はい?」
はふっと欠伸をすると月葉は洸祈に猫のように擦りついた。洸祈は寒さを感じて彼女の布団に入る。
「それ母さんの声?」
「林の声ですわ。『洸祈』」
「母さん?」
ふふふ。林の声音で笑うと洸祈に優しく抱きついた。
「『慎が惚れた女性の声。あなたの母親の声ですわ』ご要望はありますか?」
葵を呼ぶ。そう考えたのに洸祈の口は違うことを言っていた。洸祈は月葉に林の面影を求めて囁いた。
「……もっと名前を…呼んで」
「『洸祈………愛してるわ』」
…―母さん―…
「あーあ、つまんないですわ」
月葉は葵から無理矢理借りたパーカーの帽子を被るとすやすやと、眠る洸祈を見た。
「オネムが早い。餓鬼ですわ」
と、
「ふふ、そこの妖精さん、あなたの主人は熟睡中よ。出てきなさいな」
襖の上の障子戸が微かに開き、ほんのり青白く光る物体が見え隠れする。
「はう…」
やがて現れたのは…
「琉雨、でしょう?」
羽の生えた少女。
彼女は月葉の差し出した両手のひらにちょこんと降りた。
「心配したの?」
「……いえ…ただ…ルーは寂しくて…」
素直に言う琉雨。
「かわいーのね。緋には勿体ないわ」
「…あ……あ…か?」
「崇弥洸祈よ。緋の児。崇弥葵は蒼の児。別に意味はないわ。あたしは年上にしか敬意を込めて名前を呼ばないだけ。あなたのことは何と呼ぼうかしら……そうね―」
「琉雨。来ると思ってたよ」
この声は…
「旦那様!」
半眼にした洸祈はむくっと体を起こした。琉雨は人目を憚らず少女の姿に戻り、洸祈にしがみつく。
「琉雨、おいで」
よっこらせとじじくさい言葉を発すると立ち上がり、琉雨の腕を引いた。
「?」
白い棺。
「父さん、琉雨だよ。俺の大好きな子」
「慎さんの棺…」
そう、崇弥慎の息子、崇弥洸祈と葵以外は慎の棺を見れなかったのだ。
軍が決定したから。
「なぁ、視れるか?」
洸祈は訊く。琉雨は棺に近付くと空を見詰めた。
「視えないです。でも、温かいですよ。ほら」
はふっと息を吐いた琉雨は洸祈の手を引いて棺に触れさせた。
「ホントだ」
「優しい気持ちで逝ったようです、旦那様」
「良かった」
「妖子には霊が視えますの?」
と、二人の間に割り込むのは月葉だ。
「いえ、視えるのは魔力です。でも……よう…のこ?」
意味が分からない。琉雨は首を傾げた。
「変なあだ名付けんなよ」
「妖精の子。愛らしいお嬢様」
「うわあ!ありがとうございますっ!!旦那様、妖精ですっ」
「はいはい、魔獣」
「むぅ」
「帰りますわ」
そんな会話を続けて3時間以上。12時を回った。
「蒼子にこの服を返さなくては…けれど…お楽しみ中かしら?無粋な真似はしたくありませんわね」
「ないと思う…」
ぼやき。眠る琉雨の髪に指を絡ませる洸祈は月葉の背中を見る。
「あら、何故ですの?」
その言葉に月葉は反応を示す。
全く意識していなかった為、洸祈は答えに戸惑う。
「あいつさ…ホントに繊細なんだよ……意味を知り、理解する。理解はあいつの護りなんだ…理解がないと無防備だから知らないものは怖がるんだ。父親の死…独り…怖いんだよ……。だからさ、セックスしたいとか言っても…」
「そうですわね。縁のあるあなたと違って蒼子はありませんものね。でも…いつかは受け入れるのでしょうね」
「あぁ」
俺のようにではなく…。
ゆっくりと知ってほしい。
「服、返して帰りますわね」
「じゃあな、月葉」
次ぎ会えるのはいつか。
もう会えないかもしれない。
それでもいい。
慎という鎖から外れたあんたはもう…
自由だ。
「あたしの初恋。慎ですのよ」
「初耳だ」
「林に負けましたけど…洸祈」
名前を呼ぶ。
「月葉?」
「愛してますわ」
愛していました。
「月葉、愛してるよ」
洸祈は応えた。