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ミナミとレン

(れん)?」

「君からはミルクの匂いがするね」

唐突だった。

座敷に胡座をかいた湯上がりの彼の頭に鼻を近付けた蓮は言う。

「ミルク?」

「生まれたての赤ちゃんの匂い」

生まれたては過ぎた彼はいつもの蓮の意味不明な言動に曖昧に頷く。

「僕の友達の匂いと同じ」

「へぇ」

「どうしてかな。僕の家のシャンプーだから、同じので洗ってるはずなのに。どうして友達の頭からはミルクの匂いがするんだろう」

その時、彼の頬の筋肉が反射的に動いた。

「蓮……猫以外とも同居してるわけ?」

「してないよ。最近、よく僕のとこに来てね。泊まらせてる」

「男?女?」

窺うように訊く彼。

蓮は突然の質問に首を傾げると、唇の端を吊り上げた。

「嫉妬?」

蓮の指先がビクリと震えた肩口に触れる。

「違う!」

彼は枯れ草色の髪を揺らすと、蓮にそっぽを向けて座敷に寝、小さくなる。蓮はわざと彼に聞こえるようにクスクスと笑った。

蓮が笑えば笑うほど彼は小さくなり、蓮はそれにまた笑ってしまう。

一通り笑ったところで息を吐いた蓮は彼の首に巻かれて座敷と体の間に敷かれていたタオルを引っこ抜いた。

「嫉妬でしょ。ほら、早く髪を拭いて。風邪引くよ?」

「まだ話しは―」

「みーくん、イイコにしなさい」

「うっ」

体を起こした膨れっ面のみーくんことミナミは蓮の言葉に完全に動きを止め、頭を拭かれるだけになる。

「みーくんの髪は綺麗だね」

「ま…まあまあかな…」

「自分でまあまあとか言わないでよ」

クスクス…―

「ばっ…ばか!」

「馬鹿じゃないよ。みーくんの綺麗な髪、ちゃんとお手入れしなきゃね」

「うぅ」

「そんなに嫌がんないでよ。僕の友達はそれでも最後は気持ち良さそうにするのに」

あからさまな不機嫌顔に一瞬で変化したミナミは「僕の…ね」と呟いて頭を拭いてくる蓮を無視し、座敷に体を倒した。片腕を枕にし、もう片手で蓮の手を払う。

「みーくんったら……僕だって君に嫉妬してるんだよ?」

「俺に?」

氷羽(ひわ)君だっけ?」

「氷羽?」

「君が拾った子」

「我が儘な餓鬼だよ」

「そんなこと言うから…僕だって君に見てほしくて…」

蓮は湿ったタオルをミナミの頭に掛けると、上から彼の体をぎゅっと押し潰した。

「蓮!?」

あまりのことにミナミは暴れるが、蓮は彼の体の上で脱力しながら伸びて頑として動かない。

「みーくんの馬鹿。みーくんの意地悪。みーくんのタラシ。みーくんの分からず屋。折角の慰安旅行なのに、君は氷羽君の心配ばかり…酷いよ」

前髪に表情を隠してミナミにくっつく。

「けどあいつはまだ小さくて…今回の旅行は蓮が強引に…」

それでもミナミは蓮をひっぺ剥がそうとすると、蓮がミナミを腹と腕の間に押さえ込んだ。

「それは僕を貶してる?」

「は?貶してなんか…」

「あーそう、みーくんは僕と旅行、厭だったんだ。幼馴染みで同級生で親友の僕を蔑ろにするんだ」

蓮の指先がゆっくりとミナミの唇をなぞる。こくりとミナミの喉が溜まった唾を燕下した。

「修学旅行の時もお漏らしした君の処理したし、ママのキスがないと眠れないって駄々捏ねる君が眠るまでキスして子守唄を唄いながら髪を撫でてあげたのに」

蓮はその湿った髪を撫で、首筋を擽る。

「ばかっ!そこ、やめっ!!」

ミナミの払おうとした手が逆に掴まれると、蓮が問答無用でもう片手で顎を掴んでキスをした。そして、あっさり離れた。

「性欲処理を教えたのも僕でしょ?僕が教えた通りにやってる?」

浴衣越しに蓮の指が揺れる。


「童貞の深波(みなみ)君」


「………………っ!!!!!」

否定する暇もない程、動揺する童貞の深波は一気に耳まで真っ赤にすると、小さく縮こまった。

「馬鹿!死ね!!!!」

彼は餓鬼のように喚くことしかできない。

「もう帰る!蓮なんか大嫌いだ!」

蓮が早々に用意した深波の衣類の入ったボストンバックを掴んだ彼は、タオルをごめん。と反省の色が見えない軽い口調の蓮に投げつけた。

「修学旅行と言うより、幼稚園のお泊まり会だったね」

「当たり前だ!学生でんなことするかよ!」

歯を剥き出しにして威嚇する深波は童顔で、必死に騒ぎ立てる仔犬にしか見えない。

「帰り道分かるの?」

「道行く人に聞く!」

「夜遅いよ?道行く人なんているの?」

「煩い!」

「みーくん」

「煩い煩い!蓮はいつもへらへらして、俺ばっか!」

「みーくん」

「蓮は!蓮は!!俺の気持ちで遊ぶんだ!馬鹿!」

「みーくん!」

「えあっ!?」

ドサッ。

深波の体が積まれていた座布団に崩れた。その拍子に踵を畳みにぶつける。

「ぃっ!」

序でに舌を噛んだ彼は口元を押さえて転がった。滑稽に唸る。そんな彼の両手を奪ったのは蓮。

「いーっ!!」

「みーくん、好き。愛してる」

深波の名と同じ深い海の色。

「れ…ん」

「みーくん、仲直りのキスしていい?」

「…………ヤダ。だから、俺は蓮の爽やかむっつりインテリなとこが…―」

貪るように蓮が行動を起こした。深波は深波でそれを拒否はしなかった。

「僕、表情筋が些か死にかけてて。爽やかむっつりインテリな表情が限界なんだよ」

「蓮は無表情でいいんだよ。代わりに言葉で伝えてくれるだろ…」

「あ………………」

「蓮?」

その時、深波は爽やかむっつりインテリの新しい顔を見ることになる。困り顔と赤面をくっ付けたような。

蓮は照れていた。

これには深波だけではなく、本人も驚いている。胸を圧されるようで、深波はじっくりと自分の発言を思い出して顔を蓮以上に火照らせていた。

互いに自分に照れる。

“なんだか、若返った気分”

なのは二人とも同じ。

「みーくんをからかうのもいいかも」

不器用な笑みを見せた蓮は爽やかでもむっつりでもインテリでもない。

「だから、人で遊ぶな。馬鹿蓮」

深波は体から力を抜いた。



「一度汗かいてからお風呂行く?」

うとうとする深波の胸の内側で丸まった蓮は深波の匂いを深く嗅ぐ。

「もう指先しわくちゃ。それに飯食いたい。疲れて腹減った」

お腹を鳴らし、欠伸をした深波の指は風呂で遊ぶ間にしわしわになっていた。蓮は付けっぱなしのテレビから視線を逸らすと壁に手を突いて立ち上がる。深波もそれに倣うと、ふらついた蓮を支えた。

「色白貧血男」

「吸血鬼の形容みたい」

「そうだな。蓮の為なら少しぐらいは血を分けてやるよ」

「それ、タラシの発言だよ。天然タラシ」

「…………」




「ウニだね、ウニ」

「あ、知ってるか?海の星って書いて何て読む?これ、生き物の名前だから」

「うみぼし…かいせい…?」

「名は体を表すって言うだろ?」

「海の星…。海の…星………あ、ヒトデ?」

にっと笑った深波はウニをいくらか箸でそっと摘まむと、ご飯と一緒に大口で頬張った。

「新鮮な海の幸は最高だな!バフンウニ旨い!」

「ふふふ、みーくんはしゃいじゃって、可愛いよ」

さらりと爽やかむっつりインテリは甘ったるい風を吹かす。

「か、可愛いっ!?」

しかし、蓮の規格外の言動に深波はテンパった。掻き込んでいたウニに噎せながら、茶に慌てて手を伸ばす。

「うん。とっても。誰よりも。ね、みーくん」

蓮は彼の可愛い姿にうっとりと瞳を緩めた。

「蓮……俺の言葉で色々吹っ切れたのか…」

「何のこと?」

「…言ってみただけだ」

深波にも蓮が深波を激愛してくれているのは分かる。

深波が一度でも興味を持てば、次の日にはその映画に誘ってくる。「仕事場でチケットを沢山貰って」などとそう何度も同じ手では、わざわざ買ってきたということに気付かないはずがない。

会いに来る時は必ず静海屋のケーキを持参。それも深波が静海屋で最も好きな“ビターチョコレートモンブランケーキ”をだ。それに毎回違うケーキを付け、深波はビターチョコレートモンブランケーキを食し、フォークが触れた他のケーキは、蓮が「食べていいよ」と自身の分を深波にくれる。

仕事柄、家に引きこもりがちの深波を定期的に外に誘ってくれ、深波が蓮のエスコートに飽きたことはなかった。深波は蓮はあわよくば親密な性関係の為に無理をしているのではと疑ったが、蓮は一度たりとも無防備な深波に過度に近付きはしなかった。

そんな蓮に深波は安心し、信頼し、いつしか幼なじみは幼なじみ以上恋人未満になっていた。深波にとって蓮は唯一悩みを打ち明けられる人間であり、唯一髪に触れることを許した人間。

髪にうじうじと言うのは女みたいだが、こればかりはどうしようもない。深波は自分の髪だけが誇りと言っても間違いではない。日夜研究三昧の彼は確かに頭がいい。しかし、そのことを誇りとするのは研究成果をただ奪われている深波には耐え難かった。奪われることは慣れていても、自分のアホみたいな生きざまは汚点としか思えなかった。だから、頭が良い以外コミュニケーションも運動も苦手な彼は、母親譲りの滑らかな小麦色の髪を誇った。

最初から誇りなど持たなければよい話だが、深波だって一人間だ。生きている以上、何か誇れるものが欲しかった。他人の道具に簡単に成り下がれる程の寛容さは持っていなかった。

「みーくん、また考え事?眉間に深いシワが」

「何でもない」

「今日ぐらいは僕のことじゃなくていいから、お仕事のことは忘れて。みーくん…みーくん……」

ふと蓮が箸を持つ手を下ろし、俯く。深波ははっとすると、向かいに座る蓮の隣に座って背中を擦った。

蓮は泣いていた。

「お前が泣くなよ」

「ごめんね。僕が力不足なばっかりに……」

「じいさんの代から続いていた家業みたいなもんだから、お前が悔やむ必要はないし」

「だけど………。みーくん、前に北海道行きたいって言ってたよね。中心地からちょっと離れたところに伯父様の別荘があってさ、僕が欲しかったらくれるって」

蓮は涙目を深波に向けると、彼の肩に額を乗せて抱き締めた。深波はそんな不安定な蓮をさせるがままにし、黙って続きを聞く。

「もうそっちに行こう?二人で…ううん。みーくんは綺麗な空気の中で体を休めた方がいい」

「北海道…か」

「実験は続くかもしれないけど、あそこにいたら……―」

「早死にする」

三十が限界。このままの生活ならば、その限界は狭まってくる。

「…………」

「蓮、だから泣くなって」

「だって…だって!」

嗚呼、蓮は深波の大親友で宝物だ。

「今の研究を終えたら、人工魔力のレポートと引き換えに仕事を辞めようと思う」

「人工…魔力……そんなものが?」

「ああ。簡単に言えば、器の移植。俺の先が短いこともあっちは分かってるから、軍に情報が渡るくらいなら死にかけを手放してくれるさ」

「みー…くん」

「だから、お前に傍に居てほしいんだ。蓮、旅行ありがとう」

深波は本当は蓮を馬鹿なんて思ってないし、嫌いなんて思っていない。蓮のすかした態度も愛情の示し方が下手なだけ。真剣な時は目を見れば分かる。

本当は蓮に旅行に誘われて凄く嬉しかった。いつもくれる蓮に、金は全部持つことで―些か満足に欠けるが―御返しができた。蓮は絶対に嫌だと言ったが、深波が無理矢理押し切った。

「みーくんの好きなもの沢山用意するからね。引っ越し祝は期待してて」

こうやって日だまりみたいに咲かせる笑顔は蓮も知らない深波だけのもの。深波は隠れて微笑すると、急に寝息を発て始める蓮に座布団を枕に引っ張り出した毛布を掛けた。食事を前に座る深波の傍らには眠る蓮。


「早く起きないとお前の分も食べちゃうからな」





そして、蓮の鞄から覗く深波の好物のお菓子を見、深波が鞄に入れた蓮の好物のお菓子達を思い出して、深波は蓮の丸まった指に指を絡めた。

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